2016年3月6日日曜日

記事 PRESIDENT Online2016年03月05日 11:00「幸せな死」をプロデュースする「看取り」という仕事

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PRESIDENT Online2016年03月05日 11:00「幸せな死」をプロデュースする「看取り」という仕事




看取り士 柴田久美子 取材・構成=田中響子 

私たちは皆、いずれは死ぬ。これは誰にも避けることのできないことです。しかし、最期の瞬間は人それぞれです。「人生の道のりがどんなに苦しいものであったとしても、最期の1%が幸せであれば、幸せな人生として終えられる」と言い続け、死を看取ってくれる“看取り士”という職業があります。看取り士第一号であり、多くの人に“幸せな死をプロデュース”する看取り士の柴田久美子さんにお話を伺いました。

人は死ぬときにエネルギーの受け渡しをする

看取り士の柴田久美子さん。 

私は子どもの頃に父を自宅で看取りました。父の私への最期の言葉は「ありがとう」でした。父の死はもちろん悲しかったのですが、それを見て、「死」とは温かく荘厳なものだという印象がありました。このときのイメージが、後に大手飲食店での勤務や介護現場での経験を経た私に、「看取り士」になる決意をさせてくれたのです。看取りは、旅立つ人だけでなく、見送る人にとっても貴重な体験です。私はそれを「命の受け渡し」と呼んでいます。まさに逝く人と見送る人の間でエネルギーの交信が行われるのです。そして、それはすべての人に起こります。

看取り士とは、余命宣告を受けてから納棺まで、ご本人やご家族、医療従事者らと相談しながら、その方の人生の最期を見守る仕事です。「死」に慣れていないご家族には、ご本人とご家族が幸せな最期が共有できるよう、そばにいてお手伝いをします。

看取り士は、お亡くなりになる前から、旅立つ方のお傍にうかがい、お身体を抱きしめるといったことをします。病院でもご自宅でも、可能な限りどこででも看取りにうかがいます。マザー・テレサの有名な言葉に「人生の道のりがどんなに苦しいものであったとしても、最期の1%が幸せであれば、幸せな人生として終えられる」とあります。私たちの役割は「幸せな最期」をお手伝いさせていただくことなのです。

旅立つ方は、旅立つ準備が始まると体に変化が現れ始めます。私たち看取り士は、その方のお身体を抱きかかえて、その方の旅立ちまで共にいます。個人差はありますが、旅立つ方は、旅立つ瞬間の数時間前から、呼吸が荒くなります。また、実際には体は冷たくなってくるのですが、敏感な人には旅立つ方のエネルギーが熱くなるのを感じます。その方のエネルギーを感じて抱いている方が汗ばむほどです。看取り士は24時間体制で旅立ちを見守る準備に入ります。ご家族が立ち会われている場合は、皆さん交代で抱いていただいたり、全員にできるだけ体に触れていただきます。体に触れることから、伝わることがたくさんあるからです。

命が旅立つ瞬間は、命の受け渡しのときです。瀬戸内寂聴さんは、「人は旅立つ時、25メートルプール529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを傍らにいる人にわたす」とおっしゃっていますが、まさにそれくらいの膨大な、温かで神々しいエネルギーを感じます。縁あって家族になられたわけですから、ご家族のご臨終時には、ぜひこのエネルギーを感じて受け取っていただきたいと思います。

ご臨終を迎えられても、まだお身体にはぬくもりが残っています。私たちは、「エネルギーの循環はまだ続いている」ととらえ、しばらくの間、お身体を抱き続けます。

おひとりさまでも安心の看取り
こうして看取りの体験をすると、人は、死を身近に感じるようになります。現代社会では、死は「怖いもの、触れてはいけないもの」という観念がありますよね。それは、昔、疫病が流行った時代の影響ではないかと思います。しかし、死は汚らわしいものでも忌まわしいものでも恐れるものでもありません。人が死ぬということは、その人の命を次へとリレーすることなのです。これまで数え切れないほどの人を看取ってきましたが、何度経験しても、死の瞬間の神聖さはとうてい表現しきれるものではありません。

看取りは誰にでもできることです。ご家族に看取っていただけるのであれば、私たち他人が介入する必要はありません。やはりご家族で体を抱きしめる看取りをしていただくのが最良ですから。

しかし、これからの時代、単身者や高齢者の独居がますます増えると予想されています。日本は今後、世界でも類をみない超高齢化社会を迎えます。2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者になり、“死に場所難民”は47万人になると予測されています。孤独死に不安を感じる方は、ぜひ、看取り士を頼っていただければと思っています。“おひとりさま”向けのサービスも準備しています。

全国に100人以上いる看取り士は医師、看護師、介護士の方々と相談して、24時間体制で患者さまに寄り添うプラグラムを用意していますから、ご自宅だけでなく、病院でも対応可能です。24時間体制になると保険の適応がきかなくなりますが、そのときは、全国に141支部ですべてボランティアから成る「エンゼルチーム」というグループが協力してくれます。

看取り士養成にも力を入れています。看護師、薬剤師や介護士などの医療関係者を中心に、全国で育っています。ご家庭の看取りをしたいが、やり方がわからないという場合には、病状変化や死生観などについて、お伝えします。

私たちは皆、幸せに死んでゆくことができます。そして、生きている間に私たちより先に旅立つ人を“看取る”ことにより、死のあり方、生のあり方を学び、その人の命を引き継ぐことができるのです。
旅立つ方の最期はどうぞたくさん触れて、抱きかかえて差し上げてください。

看取り士 柴田久美子(しばた・くみこ)
島根県出雲市生まれ。日本マクドナルド勤務を経て、1993年、特養老人ホームでの勤務、2002年、看取りの家「なごみの里」を設立。「幸(高)齢者様1人に対して介護者3人の体制で寄り添う介護」と、自然死で抱きしめて看取る実践を重ねる。2014年岡山市に拠点を移す。講演活動や看取り士の育成など、日本各地で精力的に行っている。http://blogos.com/article/164843/

再生核研究所声明 47(2011.02.08):  肯定死

(2011年1月5日 9時10分、 浅草に近づき、電車の窓外の空を見たときに電光のように閃いた考えです。 新しい声明の案がひとりでに、わきました。 全構想は瞬時にできていましたが、それを検討し、成文化したものです。 題名は肯定死、という 現代では問題のある思想です。人間の終末に対する新しい考え方です。これは社会的影響が大きいと考えられるので、全文は 当分、公表を差し控えたい。)

そもそも人生とは何か、これを内からみれば、人生とは、個人の考え、知り、感じ、予感し、想像する、すなわち、知覚する全体であり、それらが良いと感じられれば、それだけ良い人生であると言える(声明12: 人生における基本定理)。 しかしながら、我々はまず、個々の人間を越えて、存在し、生き続けていく、 元祖生命体の考え (声明36) をしっかりととらえ、 生命の基本定理 (声明42) - 生きて存在しなければ、 何も始まらない - 元祖生命体の生存に心がける、 最も大事なこと(声明13)に思いを致すべきである。しかしながら、個々の人間は、遺伝子の乗り物のように滅びていくのが、事実であり、それはあらゆる生物の運命であると考えられる。 しからば、その人間の終末は如何にあるべきか。 それはちょうどあらゆる生物の終末のように、意識の存在の有る無しに関わらず、生物個体の生命として、人事を尽くして、少しでも生命を長引かせると考える、伝統的な考えは それなりの固有な意義を有するものであると考える。 否定するものではない。(以下 当分非公開)

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