不正直なのは我々人間だけではない
2016.03.10
デンキウナギ目に属する南米のフェザーテイル・ナイフフィッシュ(Brachyhypopomus pinnicaudatus)は、自分の体格について「ウソをつく」ことがわかっている。(Photograph by Will Crampton, University of Central Florida)
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水槽の魚をじっと見つめるフィリップ・ストッダード氏は、その優雅な動きに見とれているわけではない――彼はどの魚が「ウソつき」かを見極めようとしているのだ。
米マイアミにあるフロリダ国際大学の生物学者で、電気魚を専門とするストッダード氏は、魚がどういう場合にウソをつき、他の魚はどうやってそれを見抜くのかについて研究している。
唸り声を上げたり、体色を変化させたり、空気中に化学物質を放出させたりと、動物たちは実にさまざまな方法でコミュニケーションをとる。だから彼らの中にウソをつくものがいたとしても、驚くにはあたらないとストッダード氏は言う。
「動物のコミュニケーションに関しては、まだよくわかっていないことがいろいろとありますが、そのひとつが、彼らが仲間を信用するかしないかを、どうやって決めているのかということです」(参考記事:「魚が海中で姿を隠す仕組みを解明」)
ストッダード氏によると、動物たちは我々人間と同じような計算を働かせて、他の個体を騙すことが少なくないという。
先日マイアミで行ったインタビューの中で氏は語った。「どんな種であれ、若いメスなら、自分にはこれだけの財産があると語るオスの言葉をそのまま鵜呑みにはしないと言うでしょう」。
大きな魚は声も大きい
「自分の身元、セックス、攻撃、なわばりなどの話題は、大半の動物が興味を持つ定番のトピックです」と氏は言う。
そうした会話の中に隠されたウソを発見するため、ストッダード氏はプラスチック製の水槽で、デンキウナギ目に属する南米のフェザーテイル・ナイフフィッシュ(Brachyhypopomus pinnicaudatus)を飼育している。
夜行性で体長約20センチのこの魚は、周囲の環境を把握したり、互いに意思の疎通を図ったりするために弱い電気パルスを発生させる。(参考記事:「デンキウナギ、電撃で獲物の位置特定も行っていた」)
体の仕組みからすれば、大きな魚ほど強い信号を送れるため、この電気信号は発信する魚の大きさの目安にもなる。そこで、ストッダード氏は電気信号を音に変換できるスピーカーを水槽に取り付けた。(参考記事:「電気を使う動物のショッキングな事実」)
小さな魚の大きなウソ
「ピニ」(学名にちなんでストッダード氏がつけた通称)の研究を続けるうち、彼は予想外の発見をするに至った。
ある実験で、ストッダード氏はエサを十分に与えたグループと、あまり与えないグループを作った。どちらのグループにもオスとメスの両方がいた。
彼の予想は、太った魚が最も強い信号を出し、それによって自分の体が大きいことを大声で将来の交尾相手に知らせ、かつ競争相手を追い払うというものだった。そして腹を減らした魚は、エサを探している間はエネルギーを節約するためにおとなしくしているだろうと考えていた。
しかし実際には、魚の行動はその真逆だった。あまりエサをもらえない魚は、徐々に減っていくエネルギーを、できるかぎり強力な信号を送り出すために使う。つまり彼らは事実上、自分の体の大きさを誇張して周囲に伝えようとしていた。
「おそらくは食べものが少ないことが、自分の命があまり長くは続かないことを自覚するサインとなるのでしょう」とストッダード氏は言う。
だから彼らは交尾相手を見つけるために、「最後の力を振り絞ります。自分の体にむち打って、できる限り強い信号を送り出すのです」と氏は結論づけた。
ウソをつかれた側の受け止め方は?
しかし将来の交尾相手は、それで騙されるのだろうか。
ここがストッダード氏の研究のややこしいところだ。もし飢えた魚が例外なく強い電気信号を発するのなら、どの魚も最大限の能力を発揮してみせているわけで、結局のところ相手を騙すという行為は成立していないのではないだろうか。
「すべての魚がそうするので、実際には信号の信頼性は高まります。全員がウソを吐いた結果として、真実が浮かび上がるのです」
しかし信号を受け取る側は、痩せた魚から強い信号が発せられ、十分に栄養を取っている魚から弱い信号が発せられていることをどうやって知るのだろう。
ストッダード氏が現在行っているまた別の実験では、大型の水槽の中に3つの部屋を作り、その中央の部屋にメスを、両脇にオスを入れる。あたりは暗くし、信号だけを感じられるようにする。
そしてメスが信号を頼りに、どちらのオスの部屋に入ることを選ぶかを観察する。この他、オスを中央の部屋に入れて、その魚が信号を受けとって、どちらの部屋にいる競争相手なら自分が攻撃する側になれそうだと判断するかを見極める実験も行っている。
ストッダード氏によると、人間にも多様なタイプがいるように、魚たちの態度もさまざまだという。「たとえば『私は誰でも信じます。私は相手を信用するタイプの魚です』といった感じものもいれば、『私は誰ひとり信じません』あるいは『私はその日ごとに、すべてをしっかりと確認したいタイプです。物事は変わるものですから』といった態度のものもいます」
ストッダード氏は、ピニにはそういう計算をする能力があると考えている。「彼らは人間が思うより賢いのです」(参考記事:「淡水魚カダヤシ、ヒト並に数を認識」)
動物にも情報操作能力
動物のコミュニケーションにおける誠実さを確かめるというのは、動物研究における意外な盲点だとオクラホマ大学の生物学者、マイケル・マーカム氏は言う。氏は以前、ストッダード氏とともに研究をしたことがあるが、この研究に直接関わってはいない。
「電気魚もヘラジカも人間も、みな自分が交尾相手としてどれほど価値が高く、敵としてどれだけ強力かを周囲に知らせる手段を持っています」
ストッダード氏の研究は、不正直なのは我々人間だけではないことの証明だと彼は言う。
「少なくとも短い間であれば、人間以外の動物も、そうした情報を偽る能力を持っているのです」(参考記事:「動物の知力」)
文=Doug Struck/訳=北村京子http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/030900083/
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
人間とは何かと問い、少なくとも人間はなにものかによって作られたものであると述べ(
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か)、再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得 の中で、それゆえに 人間は大きな 分からないものの懐の中で、大きな流れに流されるように生きていくほかはないと言える。頼れるものとは、あらゆる基礎とは、帰するところ、曖昧な自分の心であると表現するほかはない。
と述べた。作られたものとは 本能原理に基づいているのは確かであるが、心の中枢にある感動する心、志、使命感、神性,良心など本能、生命の発現は極めて微妙で深いので、心の動きの微妙さに軽く触れておきたい。深いものは、それこそ、芸術、文学、音楽、宗教、あらゆる文化活動の根源になるので、きりのない深い、神秘的なものであるからである。それこそ、本能原理に従う、人間以外の生物と人間の違いをなす、ところのものであると言える。
まず、祈りの心をあげたい。ここでの祈りとは 既成の宗教的な形式ではなく、心のそこから湧くところのものである。自覚するも しないでも その心は神の概念に通じていると考えられる。
次に分かりやすい、恋の微妙さ、深さ、神秘さに思いを致したい。恋の目覚めなど、神秘的で、発現はそれこそ多くの文芸、映画、ドラマ、音楽などの主題である。恋をして生きる喜びが湧くかと思いきや、失恋して、自殺に追い込まれることさえ、世に多い現象である。― 小説とは 男と女の物語であると表現したことがある。
族のために、命を掛けるは本能原理にあるが、家族のため、大義のため、国のため、名誉のため、主君のためになど、命を掛けてきたのは世に多く、現在でも少しも変わらないと言える。
志に生きて、殉ずる精神は、人間の本質に根ざしていると言える。帰依したいとは大きなもの、愛するものに命をかけたい心ではないだろうか? 志の中枢とも言える。消えるものが消えまいとする原理から出ているものと考えられる。
人間の大きな喜び、創造は、新しく考える、気づく、発見とともに、また真智への愛とともに人間存在の原理であるとさえ言える。その心は人間の神性から出ていると言える。
日本を始め、アジア地域に見られる、無常観、寂寥感、切なさ、哀しみ、などなどは固有な人間の深い想いとして、心の微妙さの最たるものではないだろうか。
生まれながらに、巨大素数の構造に興味があるなど、生まれながらの好みや天才、才能、個性なども極めて興味深い。言葉の学習過程についても同様である。
以 上







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