長嶋一茂氏のトンチンカンな過激コメントにブーイング相次ぐ
2015年11月9日 20時30分
ざっくり言うと
8日の番組で長嶋一茂氏がトンチンカンな発言をしていたと芸能記者が指摘
ネット上でも「しゃべらせるな」など大ブーイングだという
茂雄氏と違い、攻撃的で開き直ったような発言が多いとのこと
“バカ息子の代表”長嶋一茂コメンテーターに呆れる声多数! トーク番組を我がものに……
2015年11月9日 20時30分 日刊サイゾー
ポストマン(ザナドゥー)2008年
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8日に生放送された『日本のダイモンダイ』(フジテレビ系)は、まさに彼のためにあるような番組だった。司会を務めた爆笑問題・太田光のギャグやトークがかすんでしまうほど……。
視聴者にデジタルテレビのdボタンで「AかB」の二択で民意を問い、“日本の本音”を明らかにするという視聴者参加型のこの番組。司会は太田と田中みな実、スタジオには自民党の片山さつきや民主党の菅直人をはじめ、松坂桃李や指原莉乃、SEALDsメンバーの諏訪原健氏などという幅広いゲストが集まっていたのだが、その中で最も存在感を放っていたのが、長嶋一茂だ。
「安保法案や幼児教育、政治家への興味などの時事問題から、芸能人の結婚についてどう思うか、大相撲で日本人横綱が出ないことをどう思うかなど、幅広い問題の賛否を問う構成は、最近のフジにしては見どころもあったんですが、とにかく問題のたびに一茂が口を挟んで講釈を垂れる始末。大相撲の問題には『日本と外人で別のリーグにして、国際試合をやるべき』、芸能人の結婚に対しては『めんどくさい結婚に足を踏み入れたことに対して、おめでとうと思う』など、トンチンカンな回答を連発。『ワイドナショー』(同)でもそうですが、背伸びして持論を展開するものの、多くの人には理解不能な発言が多いですね」(芸能記者)
ネット上でも、政治などに関する発言に関して一部「意外とまとも」という意見もあるものの、全体的には「長嶋いらん」「長嶋の発言は無視しろ」「しゃべらせるな」など大ブーイング。番組側も空気を察したのか、長嶋がしゃべり出すと「議論終了」を告げる鐘を打ち鳴らしていた……。今や「トンチンカン」なコメンテーターの代表として、長嶋の地位は確立されつつある。
「学者の差別発言を一喝したりと、いい部分もあるんですがね……。父である野球界の“ミスター”長嶋茂雄氏もさまざまな不思議発言で注目されましたが、一茂の場合は攻撃的なもの、開き直ったような発言が多いです。過去にも『現役時代にドーピングをしていた』『ドーハで日本代表がW杯行きを逃したとき、野球関係者は心から喜んだ』などの発言をして物議を醸しました。最近では長嶋家の家族と断絶状態であること、一茂の妻が代表を勤める会社が『長嶋茂雄』という名前の商標登録を勝手に取得し、妹の三奈など家族が激怒したという話もあります。自身は『俺はバカ息子キャラとして生きていく』とテレビで発言しているように、完全に開き直った状態。もう怖いものなどないのでしょうね」(同)
ためらいもなく過激な発言を連発できるあたりは、さすが“大物の息子”といったところか。彼の発言がお茶の間を呆れさせ、賑わせる日は当分続きそうだ。http://news.livedoor.com/article/detail/10810474/
いろいろな見解は貴重で大事では?
いろいろな視点は大事。
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。
経過などは 次を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAM
以 上
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え
ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。
と述べた。
ゼロ除算は 無限遠点(無限)が 実はゼロ点(ゼロ)と一致していたという 驚嘆すべきことを言っているが、それらは対立するものの奇妙な一致を述べている。
食物連鎖の厳しい現実は、食べるものと食べられるものの一致、生と死の一致、愛と憎しみ、愛と性など 一見反するものの微妙な調和、同等性、一致はそれこそ universe に普遍的に見られる現象ではないだろうか。 そのような視点は universeの理解、概念に新しい感覚と世界を拓くだろう。またそのような事実、世界を肯定できなければ、universe を肯定できないのではないだろうか。
富める者は貧しき者であり、貧しき者は富める者である。強いものは弱いものであり、弱いものは強いものである。敵は味方であり、味方は敵である。幸せな者は不幸であり、不幸な者は幸せ者である。
一般に考えられているのとは逆に、長命なものは不幸であり、短命なものこそ幸せであるとは言えないだろうか。
進化は退化であり、退化は進化であり、美しいものは醜く、醜いものは美しいものである。
賢い者は愚かな者であり、愚かな者は賢い者である。優れるものは劣るものであり、劣るものは優れたものである。正義は悪であり、悪は正義である。明は暗であり、暗は明である。動は静であり、静は動である。
それらは、ゼロ除算のように惹きつけるものがあるのではないだろうか。
ゼロ除算の研究とは、哲学であり(哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)修行であり、信仰であるとも言える。 信仰こそは ゼロ除算の典型であると言える。実際、ゼロ除算は ゼロから無限へのワープであり、信仰とは 心の中心から 神へのワープである。
以 上
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip
http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf
『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
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