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選挙ドットコム2015年11月10日 02:02選挙なんて無い方が良いのかもしれない…。
僕はずっと、「選挙」はとても大事だと思っていました。
選挙で選ばれた政治家は、私たち有権者の代弁者であり、正当に権力を持つ。
選挙は政治家をチェックする機会であり、また自分たちの意見を反映させる機会である。この意味で、選挙はある程度の頻度で、多ければ多いほど良いと思ってきました。
しかし、最近、その考え方に、すごく疑問です。
もしかしたら選挙はもっと少ない方が良いのかもしれません。
全てのゴタゴタは選挙から
このように感じはじめたのは、今年6月の大阪の住民投票からでした。
惜敗した維新の党の橋本最高顧問は引退を公言し、当時代表だった江田憲司氏も代表を辞任し、現在の松野頼久氏が代表に就任しました。
泥沼化している維新の分裂劇に、辟易している方も多いと思いますが、この分裂劇は、6月の住民投票からのものでした。
さらに、この泥沼がどんどん長くなっているのも、今月22日の大阪W選挙に向けての影響も大きいでしょう。
大阪W選挙でまた政局が混乱する
ただでさえ混乱している政局ですが、今月22日に予定されている大阪W選挙でさらに混乱しそうです。
大阪では維新VS自民・民主・共産という図式が出来上がっていますが、国政を見ると、与党である自民に対して野党である民主や共産が反対しています。
国と自治体では政局が違うことは理解した上でも、大阪という大都市で、かつ、橋下徹というキーマンがいる選挙の影響は、国政にも及ぶでしょう。
余計に政局が混乱することが目に見えます。
来年の参院選をにらみ、政局が動く
これは維新だけではありません。次世代の党から松沢成文氏が離党したり、平沼赳夫氏が自民党に戻ったり、民主党の松本剛明氏が離党したり…と、年末は政党助成金の要件獲得のために毎年のように政局が動くのですが、それに加え、来年は参院選が予定されており、政局の動きに拍車がかかっているように思えます。
選挙に怯えないで欲しい
政治家の誰もが皆、再選を考えているわけでも、権力闘争に憧れているわけでもありません。高い志と、素晴らしいビジョンを持って行動し、政策を提案する議員さんを、僕は何人も知っています。彼らの仕事ぶりには、頭が上がりません。
しかし一方で、目先に選挙があり、また政局が混乱すると、そちらに目が行ってしまうことも事実でしょう。
もし仮に、選挙がもっと少なく、選挙に怯えずに行動できれば、もっと活躍できる議員の方々も沢山いるように思います。
間接民主制において、選挙は大事ですが、もっと大事なのは、「受かった後に何をするか」であることは間違いありません。
僕も政局を見るのは大好きなタイプですが、それだけに囚われないようにしていかなければと考えさせられました。
20150406040911 増沢諒:食べる政治代表
1988年長野市出身。早稲田大学卒業後、ITベンチャーでの勤務を経て、現在、東工大大学院修士課程。研究テーマは「ネットと政治」。ネット選挙解禁を目指す活動「One Voice Campaign」をはじめとし、様々な啓蒙活動を展開。2014年マニフェスト大賞受賞。
Twitter:mojamoja_megane
WEBサイト:http://taberuseiji.com/
http://blogos.com/article/143682/
確かにそのように発想したくなりますね:
再生核研究所声明245(2015.9.8) 天才動物から学ぶ ― 新しい政治体制、指導者たち
人間はおろか 動物の脳は、脳及び精神の在り様、活動は 未だ医学や科学が立ち入れない程 複雑な存在であるように見える。動物についての不思議な経験から想い起こしたい。
小学生の頃の経験であるが、あまりにも面白かったので 50年を経過しても 昨日のことのように想い出される。 燕が繰り返し、猫の前を飛び、その都度 猫が飛びかかる眺めである。 繰り返し、猫の直前、しかも安全な範囲を飛んでいるのであるから、燕は まるで意図的に猫をからかっていると はっきり感じられ、強い興味を抱いた。次は、インターネットで画像が広く公開されたので 相当の人が見ているのではないだろうか? イルカと猫が繰り返し ほおずりするような極めて愛しい情景である。確かにお互いに情が通じているような様である。 犬が繰り返し、滑り台で滑って遊んでいる情景、楽しい、面白いと感じている様、自画像を書いている象の姿である。上手く筆が動くか、目つきと耳の動きが慎重さとともに愛しい。昨年は 2度目の燕の巣立ちの直前、5羽のひなが蛇に飲み込まれ、発見したときは 立ち去る直前で、蛇は 確かに上手く行きました、ごめんなさい と言って まるで挨拶するような目つきで去っていった蛇。 犬や猫など、賢さは いたるところで報告され、経験されているのではないだろうか。
これらの行動は 特殊な動物の脳に ある種の進化が部分的にあり、高度な精神活動をさせているのではないだろうか。脳の一部の進化、変化である。
このような例は 人間の間にも多々存在するのではないだろうか。 天才数学者の発想や論理など どうしても理解できず、ある特殊な感覚を有しているのではないかと感じられる事は多い。そのようなとき、我々は感じるだろう、我々の精神は ぼんやりしていて、その状況がよく見えないと。理解しようとする者は、まるで薄明かりの中で、先を良く見ようとして必死に精神を集中させ、想い巡らすだろう。 特殊な才能として、有名なモーツアルトなどの音楽家なども想起される。
天才とは言えなくても 多様な分野で 特殊な才能を有する人は世に多い。
この声明における趣旨、述べたいことは、人間を平等と 考えたり、多数の意思を尊重して決定する民主主義の有り様に疑念を抱き、 特殊な才能を有する者の重用、役割を大きくすることである。民主主義と言えば 逆に衆愚政治の危険性がいつでも高いという事実である。 言及しようとしているのは 大きな 重い課題であるので、まずは 方向性と問題点を指摘したい。
その心は、人類の愚かさを全体的に理解して、人生や生命の意味を観、生命の在りよう、意味が理解できるような進化した人間 に大きな役割を、中心的な役割を委ねたいということである。そのような人物として、まずはお釈迦様を回想するだろうが、しかし、大事な観点はそのような人物は 結構、庶民の中にも存在しているということである。
王政や貴族制の方向をとり、優秀な人材による政治活動などを大きくすることである。民主主義の問題は、権力者の選出に手間と労力がかかり しかも適切な人材を選べない状況である。さらに権力者は 自分の権力の維持やいわばいつも人気取りに気を配らざるを得ず、多くは最も大事な政治に時間さえ割り当てられず、本末転倒の有り様になりがちであるという実態である。 歴史上でも権力争いが 政治の中枢のように見える。王政の観点では 江戸幕府等は 身分制の問題や血統主義 閉鎖的な思想が問題であるが、改めれば、民主主義より優れた面は存在するのではないだろうか。 ここにおける最大の問題は、誰が優秀な人材と評価して、それらの決定に如何にして権威付けるかである。 この観点で親政や王政を基礎に 優秀な人材を集めて組織作りを考えるは 検討の余地があるのではないだろうか。
世に、民主主義を超えた、政治や社会の在りようの検討を 呼びかけたい。鍵は優秀な人材の活用による適切な在り様である。
明治政府、江戸幕府など 参考にできるのではないだろうか。 それらにおける問題は陰気な権力闘争を避け、公正の原則に従い、多くの人が納得できるような有り様である。 正当化に都合の良い 大統領制を考えれば、既に問題が起きているように選出過程の複雑さと労力の大きさ、人材の選出の難しさにある。― ドイツやフランス、ポルトガルなどヨーロッパの多くの国では 上手くいっていると言えるだろうか。既に、相当に進化しているように感じられる。流石は先進国と言われるだけのことがあると感じられる。さらに、政治は大きな世界であるから、少数で社会は動かず、大きな官僚機構における人材、公務員たちの賢明さが 結局その国の政治の在り様の質を定めることになるだろう。それゆえに 結局はその国の文化力が 逆に政治を定めるとも言えるだろう。そこで、再び、上記先進国には 敬意の念が湧いて来る。
以 上
再生核研究所声明 52(2011.3.22): 選挙における心得、留意事項
プロ野球やサッカーチームの監督が、極めて重要な役割を果たすように、いわゆる選挙で選らばれる人は その組織において極めて重要である。それは選挙で選ばれた人は、逆に何らかの権力、決定する権利を有することになるからである。 例えば、衆議院は国権の最高機関として首相を選出する権利を有するばかりではなく、国家の意志にかかわる重要事項を決定する重要な権限を有している。地方議会や知事や市長等々、何らかの大きな影響力と権限を有している。 そこで、そのような人物の選出において、適切な人物を選ぶ大事な視点について考察したい。 どのように心得て人物を選ぶかという、視点である。
まず はじめに留意すべきことは、
1) 職務を全うできる体力、健康の面、および能力が有るか。- これは当然である。
2) 職務に取り組む真摯な態度が有るか否か。- この点は真剣に観察、判定を誤らないように留意すべきである。権力や名誉、地位のために立候補して、本務に対しては真剣でない人物が 世に多いということである。立候補の動機など注意深く観測する必要がある。 天下り、代理、後継者、団体の推薦、仲間の推薦などで、適任でない者が、仕方なく立候補する場合も世に多い。また、いろいろ良くやっているように、見せかけに奔走して、人気取りを図り、実際には組織に損害を与えていたり、組織を利用して楽しんでいる場合が 世に多いと言える。 立候補者の哲学、志の所在、本質を把握、捉える必要がある。
3) 権力や影響力が大きいという観点から、選ばれる者は、信頼できる人物でなければならない。信用できるかどうかという観点は、発言に矛盾はないか、言行一致しているか、公正であるか、騙したり、裏切ったりすることはないかなど 注意深く観測する必要がある。しかしながら、これらにおいて大事なことは、それらが全ては守れない、実行できないのが、現実の政治社会であるから、全体として、判断する幅の広さも肝要である。
4) いわゆる、公約や政治姿勢、政策方針などは 党派や支持母体などの影響を受けるので、党や支持者の周辺の人物にも注意深く観測する必要がある。政党政治においては
所属政党が大きな判断基準になるのは やむを得ない。政治社会は大きな世界であり、個人では力を発揮することができない状況だからである。
5) 職務を 如何に良く全うできるかが決定的な観点であるから、格好が良い、感じが良いなどの 本質的でないところについては 大いに妥協すべきである。 立会演説会などで、感じによって あるいは、弁舌の巧みさなどで 大きな影響が出やすいが、この点は大いに注意すべきである。
6) 日本では未だに、地縁、友人、団体などの縁で投票する風潮があるが、公職に就く者の立場からあくまでも、選挙の趣旨に相応しい人物を 高い立場から、判断して投票すべきである。特に自分の利害の観点で投票するのは 卑小な態度である。 あくまでも組織全体のことを考えるべきである。
7) 政治に無関心で、興味もない、あるいは政治に嫌気が差して、あるいは専門や仕事に追われていて真面目に考えられない人は、 利害や関係のない 第3者で 常日頃尊敬している人 の判断を参考にするのが良いのではないだろうか。信じられる人を探しておくのは 良い心得である。
8) 政治や自分の関係する組織について、日ごろ興味を持ち、国の在り様、組織の在り様、社会の在り様について、意見を交わして、それらに関する文化レベルの向上に努めたい。お気に入りの政治家などの応援、支持活動を人生の1つの趣味にされると 人間関係や視野が広まり、それだけ豊かな人生になるのではないだろうか。
9) 政治に多くの人が関心を持ち、真面目に考えることができるのは不可能であり、従って、自由な投票を保障した上で、投票を強制せず、1%の投票率でも十分と言えるような、投票の質を考えて行きたい。ただ投票率を高めれば良いとの風潮は 改めて行きたい。これは事情を知らずに 無理に投票する必要がないことを述べている。投票しない権利を認めている。
以上は前向きに検討する心構えを述べたが、逆に 避けるべき人物像についても特に述べておきたい。
A) その職について、真摯でなく、意欲と情熱、使命感の足りない人
B) 権力欲の強い人、威張りたがる人、派手好きな人、軽い人
C) エゴイスト、視野の狭い人、広く意見を率直に聞けない人
D) 公正でなく、公の立場に真剣でない人物、仲間の利益を考える人
E) 言行不一致の人物、 言葉に矛盾がある人
F) 選挙活動などにおいて、公正でないこと、いろいろ策をめぐらしたり 騙しや脅かし、利益誘導を行う者
G) 特に組織の代表者となると、格好や感じが良いかなど 見栄えに影響され易いので、くれぐれも気を付けたい
H) できるだけ、若い世代を育てて、伸ばすように配慮したい。 指導部の若返りを常に心がけたい。特に過去の経歴で推薦され、惰性の状態にある人は、避ける方向で検討したい。これはまた、将来について永きにおいて 責任がとれる立場であることを示している。
I) 理想的な人物でも、当選の可能性の低いものは避けたい、最善よりは少しでも良い方向での、現実的な効果を考えたい。 政治社会は 現実が大事である。現実が少しでも良くなる方向で、考えたい。
特に 選挙に立つような人物は 一般に、賢い人物であるから、いろいろ上手な働きかけ、言葉を巧みにして、有権者の意を引こうとするので、 投票する人は くれぐれも惑わされないように 日ごろの行動、言動に気を付けて、良い代表者を選出したい。
以 上
再生核研究所声明 33 (2010/04/02): 民主主義と衆愚政治
民主主義( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、問題点を露にし、より良い政治、決定が行われるように注意を喚起したい。
まず、このような方法をとる原理は、重要決定について 関係者がすべて平等に固有なる権利を有するから、その固有の権利の行使として、一般選挙を行い、選出された代表者も同じような考え方から、多数で決定すること、及びそのような過程、方式で多くの意見を基に討論して、みんなで決定する考え方である。この際、少数意見でも適切な意見である可能性があるから、それらを尊重して議論し、最終的には多数決で決定する(少数意見の尊重)というところも 民主主義の重要な点である。現在世界的に考えられている政治権力の決定方式である。それに対して、中国古代で考えられた いわゆる天子様による政治は、絶対権力を有する天子様が一部の人の意見を参考にして、決定していく方式であるが、多くの王政も日本の幕藩体制も大体同じような政治体制と考えられよう。これらの問題点は、権力者のいわば大義名分、すなわち、なぜ、天子や王や将軍が権力を有するのかという理由付けに難しい点がある。また、そのような権力者の決定に本質的な問題がある。しかしながら、そのような大義名分の問題があるものの、良き天子や王の下で、理想的な政治が行われた時代は 世界の各地で見出される。
民主主義の問題点は、まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかることである。 そこで、多くの政治家、代表者は選出されるために膨大な労力を使い、本来の政治や仕事に取り組むためのエネルギーを費やしている。 また、有権者の支持を取り付けるために、構成員のためにならないようなことであっても、約束するような状況が多々起こり得る。 顕著な例として、日本国における膨大な借金と慢性的な財政赤字が挙げられよう。国民の支持を取り付けるために、必要ではあるが、課税を強化できない状況をもたらしている。このようなことを続ければ、国家破産を迎えるのは必然ではないだろうか。民主主義の失敗例に 日本国の場合が記録される可能性を有する ゆゆしき問題である。
民主主義の問題点は、投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が 高いという、事実にある。 また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちである。また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうことなどは、よく有りがちである。しかしながら、選んだのであるから、それは選出者の責任であるという観点は 良く理解できる大義名分である。
みんなで、選出し、みんなで決めたことであるから、如何なる決定でも納得できるは 確かに大事な大義名分であるが、これを誤解すると何でも多数をそろえて、いわば多数の力で、政治その他を推し進めようとなりがちな弊害を生むことになる。多くの会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために 言わば数の結果で悪い決定がなされるのが むしろ多いのが現状であろう。これは原理的にも本質的にそうなる傾向がある。一般に良いものから順に並べれば、多数の決定とは 中間くらいの決定になるのが世の法則だからである。多数による決定とは 決定の便法であり、適切とか、公正とが、正しいという種のものではないことに留意しておく必要がある。( 数学のゼミナールで討論すれば、議論している数学の結果に対する真偽を多数決で決めるのは 何の意味もなく、誰が真実を述べているかによって、自ずから客観的に決定するのとは大きな違いがある。)
さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点も大事である。 沖縄返還に伴う外交問題で、いろいろ密約をしていた状況が露になったが、状況を露にすると国民の反対が出て外交がうまく行かないという、高度な政治判断が行なわれたのは顕著な例である。 憲法改正や、国防の在りようなども同じように難しい問題がある。それらを素人の多くの国民に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるという面も有する。
次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、具体的に運用の在りようについて提案したい:
1)いわゆる代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票しても貰うのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。( 高校時代の世界史の 尊敬する先生の 授業中に述べられた ひっとした言葉が 今鮮やかに蘇り、ここに成文化したい: 私は、よくよく考えて 1票を投じているのに、よく考えないで投票する人と 同じ1票かと思うと 考えてしまう という嘆きの言葉です。)。
2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。
3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。
4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。
5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 次の報道の5原則にいつも留意すること:
(2010年01月31日)
原口一博氏がtwitter でつぶやいたという報道の5原則:
原則1「推定無罪の原則」
…….(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと)
原則2「公正な報道」
…… (検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること))
原則3「人権を配慮した報道」
…….(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること)
原則4「真実の報道」
……(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること)
原則5「客観報道」
…… (問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること)
以 上
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]
升田 幸三 (著)
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