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学校リスク研究所 内田良2015年09月30日 05:3010段の組体操 崩壊の瞬間と衝撃 ――2人の生徒 教師に抱えられて退場
■10段ピラミッド、崩壊の様子
この秋も、全国の学校で巨大組体操が繰り広げられている。
ヤフーニュースをはじめ多くのメディアで、巨大組体操の危険性に関する情報が発信されているなか、この秋の体育祭で人間ピラミッドの中学校最高タイ記録「10段」にチャレンジした公立中学校(関西地域※)がある。
そのチャレンジの様子(崩壊の瞬間を含む)が、YouTube上に動画で公開されている(YouTube上にアップされた動画(約3分間)はこちらをクリック)。
■一瞬で崩壊
立体型の10段ピラミッドを目指して、生身の生徒が下から徐々に上に積み重なっていく。10段を組み立てるには、少なくとも百数十名の生徒が必要である。高さはおよそ7メートル。土台の最大負荷量は、一人あたり200kg前後に達する。
頂点に向かう生徒の腰には、垂れ幕が付けられている。頂点から、幕を下に垂らすつもりだろう。巨大組体操で、ときおり見かけるパフォーマンスである。
9段目までは、比較的順調に積み上がっていった。だが、最後の10段目の生徒が頂点にたどり着くや、ピラミッドはゆがみ始める。頂点の生徒はなんとか立ち上がろうとするが、揺れが大きく立ち上がれない。その瞬間、10段のピラミッドは一気に崩れ落ちた。歓声は悲鳴に変わった。
■2人の生徒が教師に抱えられて…
10段ピラミッドを横から見た図(断面図)
10段ピラミッドを横から見た図(断面図)
崩壊後、生徒は外側から次々と立ち上がり、去っていく。そのなかで、すぐには動けない生徒が2人いた。
2人の生徒はそれぞれ、教師に両脇を抱えられるようなかたちで立ち上がり、うなだれながら、ゆっくりとその場を離れていった。拍手が鳴っていた。
具体的な負傷の部位や程度はわからないものの、少なくとも一人は右胸から脇のあたりを左手で押さえながら、とても苦しそうな表情をしていた。
■周りに教員を配置しても効果なし
組体操は、学習指導要領に記載がない種目である。負傷事故は、小中高で年間8561件(2013年度)起きている。負傷部位は、他の競技種目と比べて、頭部や体幹部(とくに頸部と腰部)といった、身体の中心部分・重要部分が多い(詳しくは拙著『教育という病』第1章「巨大化する組体操」)。
わざわざやらなくてもよい種目で、事故が起きている。そして、それらの事実が明らかになった今日においても、多くの学校が巨大組体操を続行している。この秋も、ごく簡単に調べた限りで、中学校では8~10段、小学校では6~7段のピラミッドがいくつか確認できている。
先生たちは、「ピラミッドの周りに教員を配置して、安全を確保している」と決まり文句のように言う。しかしながら、どんなに先生を増やしても、巨大ピラミッドの重さは1グラムも軽くならない。
巨大組体操で、痛い思い、苦しい思いをするのは、先生たちではない。子どもたちだ。
【※】TwitterやYouTube、さらにはGoogle Earth の情報を照合して、判断した。学校名は匿名とした。
※Yahoo!ニュースからの転載http://blogos.com/article/136590/
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再生核研究所声明 17 (2008/7/25) 教育界の改革を求める
大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。
試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。
他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。
このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。
(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。
などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、
忙しい先生に休暇とお手当てを配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。
日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。
再生核研究所声明 104(2012.10.28) 人事採用、昇任について
(この声明は、再生核研究所声明に興味を抱く人からの 要望によるものである。難しい課題である。)
人事とは、人物評価、人物の能力、問題となる職種との関係で、実に難しい、重い課題である、総合的に論じると 難しいと考える。 そこで、 軽く、経験から、気づいたことを纏めてみたい。いろいろな観点があるので、一面的な見方と柔軟に考えられたい。ここで、人事とは 添付のウィキペディアの: 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)を意味する。
まず、公務員など 公的な職種は、採用に当たって、公正、平等、機会均等 の原則 があると考えられる。 他方、私的な企業等は、 経営者の自由に 相当なると考えられる。しかし、 企業といえども 大きな社会的な存在になればなるほど、公務員等と 同様に 公正、平等の原則が 強まると考えられる。
次に 職に合った 適任者を採用するのは いずこも 当然の要求である。
これらを行うために、公募による、客観的な試験 (これには書類選考を含めることが出来る) と 責任ある者たちの総合的な面接 で 総合判定されるのが 世に多いと考えられる。客観的な試験、多くはペーパ―テストで点数化されて 採用の決定に大きな比重を占めるのは、公務員などで多いのではないだろうか。 多数の採用を行う企業などでも 実際、面接を適切に行う余裕も、面接で判断する能力と信頼に自信がないために、 客観的な試験に頼るは 世に多い。 大学受験などの大部分がそうであるような現象が 世に多いとみられる。
ここで、 客観的な 試験で、判定する弊害を 次のように 指摘したい:
1) 試験で、 大事な、複雑な 人間の能力を判定できるかという問題。
2) 試験内容が、あるいは その結果で、職種に合った、 適材適所になる人材を選べるかという観点から、非常に疑わしい面があること。
3) 職場には いろいろ多様な人物がいた方が 良いのに 偏り、同じような 人物を集めがちである。
などである。
― ここで、何十年も前に NHKラジオで聞いた、 適正試験の結果と 適任者として求める才能が 逆であったということが判明した、との話しが 何時も気に成る。 逆の評価で採用していたという、有りそうな現象である。
また、元群馬大学名誉教授 道脇義正先生の言葉: 数学の教科書を出筆するような人は数学が好きで、できる人が書く、それで、数学が嫌いで できない人の 気持ちが分かる筈がない。また、教育関係のいろいろな諮問員会の先生たち、優秀な方ばかりで 議論していて、いわゆる おちこぼれ組の生徒の気持が分る筈がない。という視点は 大いに参考にすべきではないだろうか。ノーベル賞受賞者の意見を尊重すると、ノ-ベル賞級の世界観を示される危険性が有る。 いろいろな視点や、多様性は 大事ではないだろうか。
逆に、 面接を重視すると
1) 公正でなく、場合によっては、責任者の私的な 都合の良い人事に走りがちである。 公募などを行っても、自分の都合の良い人を集めるは 世に多い現象である。公のポストを 私的のように行っている人事は 世に多い。
2) 面接を受ける者は 真剣勝負で臨むので、中々、人物評価は 実際には難しい点がある。 一緒に食事をとったり、日ごろの様子を観察したり、友人や知人の意見を参考にしたり、 いろいろ工夫していると考えられる。
3) 多くの労力を必要とする。
などである。
私的な企業や、伝統的な職業などは 縁故関係で 採用を決める傾向が強いは 一概には否定できず、 良い面が多々あると評価すべきである。 それぞれ、伝統と文化的、背景を活かせるからである。 世襲的政治家など 批判的に捉えがちであるが、政治社会は大きく 偉大で 人間関係や背景を強固にするには 一代ではできず、 世襲的な政治家もおおいに育て、 優秀な人材を輩出すべき基礎を、基盤を整えるのが 良いのではないだろうか。 国家の指導的な人たちを育てる ある階層が有っても良いと考える。 学問、芸術でも 伝統に基づいた基礎に配慮するのは 是と考え、同時にいろいろな分野からの 人材の補充、登用もいろいろ配慮するのが、 良いのではないだろうか。 多様な、自由な余地を考えることである。
人材の登用はいわば、 王たる者の 最も大事な能力のひとつであるから、それは、国や社会の 総合的な文化力を反映させるものである。 帰するところ、 文化力の問題であると、自覚し、文化力の向上に日ごろ大いに努力すべきである。
以 上
付記:
ウィキペディア:
人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。
(自然に対して)人間に関することがら、出来事
人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)
企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)
人事異動の略
意識(例:人事不省)
法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)
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