2015年9月6日日曜日

記事 田中龍作2015年09月04日 18:33国会サボる総理はいらない ミヤネ屋生出演

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田中龍作2015年09月04日 18:33国会サボる総理はいらない ミヤネ屋生出演



「“特別”国会開幕、安倍首相緊急生出演」と銘打つあたりは、さすがバラエティーだ。=4日、讀賣テレビ画面より=


安倍首相がきょう讀賣テレビ(日テレ系・大阪)の情報番組『ミヤネ屋』に生出演した。

トンチンカンでアメポチ丸出しの発言がグダグダと続いていたが、番組終盤、ホンネが飛び出した。

 東京からわざわざ出向いた日テレ記者の質問に答えた時だった―

日テレ青山和弘記者:「特に違憲だと言われているのは集団的自衛権の一部行使容認の所だ。野党がこれだけ反対して国民も支持していない状況で、安倍総理大臣としては譲って、集団的自衛権を後回しにして、とりあえず残りの物を通す妥協はできないものか?」

厳しい質問も出ず、終始上機嫌の安倍首相。=4日、讀賣テレビ画面より=


安倍首相:「今回は切れ目のない対応を可能にする法案なんですね・・・国際社会でいろんなことが起こった時にですね・・・日本の平和と安全を守るために全体の法制が私は大切だろうと思いますし・・・」(安倍首相の話は文字に起こしても要領を得ない)

 要はいつでも地球の裏側に自衛隊を派遣するということだ。

 安倍首相は番組中「アフガニスタンに行ったり中東に行ったりするようなことはない」と うそぶいて いたが、ポロリと本心をもらしたようだ。

 元讀賣テレビ記者、官邸詰め日本テレビ記者、元NHK記者、そして宮根誠司。権力迎合陣営のヨイショ質問に気持ちよさそうに答える安倍首相だった。

 とりわけ日テレ青山記者のアベポチ質問は首相を大いに喜ばした―「廃案にされたら困るのでどう(周囲を)巻き込んでいくのか(が大事)」と助言した。

 ツイッター上には「♯国会サボる総理はいらない」のハッシュタグが登場し、たちまちトレンド入りした。

 ~終わり~ 

・『田中龍作ジャーナル』は読者のご支援により維持されていますhttp://blogos.com/article/132129/


首相は大変ですから、休養も 居眠り も 適当に大事では。
気遣いも必要では?


再生核研究所声明73 (2012/2/6)   日本国首相の役割

日本国は 財政・経済的に厳しい状況に追い込まれている。 実際、膨大な債務の上に、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 加えて、未曽有の大震災、原発事故、放射能対策である。 国の強力な努力、指導が無ければ、日本国は厳しい状況に追い込まれるのではないだろうか。
しかるに、日本国の 行政の最高責任者 首相を軽んじる世相は、はなはだ問題であると考える。 日本国首相に対する、礼を弁えない、乱暴な言葉が世に多く見られるのは、言語道断であり、 美しい日本国に有ってはならないことと考える。
憲法によって、 首相は 国の最高機関である国会で選出された国会議員であり、首相は国民に対する責任よりも、直接、国の最高機関である国会に対して、責任を負っている立場である。 これは 日本国では 直接民主主義の立場をとらず、国民の代表者からなる 国の最高機関である国会が 国の実権、権力を有しているという原理から出ているものと考えられる。それゆえに、首相の選出は 国会の最大の権力の表現になっている。 さらに、永い歴史を有する日本国天皇に 首相として任命されれば、日本国首相は 日本国の歴史に責任を持つ、日本国の最高責任者に就任することになる。 それゆえに、首相は 逆に、 国の実質的な最高機関である衆議院の 議員のすべてを失職させる、強大な権力、解散権を保持することになる。
大事な観点は 日本国首相は 与党や国民に対して責任を持つ以上に、日本国の歴史に責任を持つ、 歴史的な大きな存在であるという実相である。
与党党首の責任を越えた、大きな存在であるということである。
首相は 与党党首では 入らない重要国家機密、 国家の実態、もろもろの外交、軍事機密、財政の実態などなど、ほとんどの人が分からない情報と、国家を動かす国の機構を掌握している 大きな存在である。
なるほど、民主主義社会で、いろいろな批判や意見が自由に出されるのは高く評価される、しかしながら、逆に上記のような国家の実態も分からずに、予測や思惑で議論していれば、無責任な、実行不可能な議論に陥らざるを得ないのは 当然である。 これは、首相の発言には 無責任になりがちな世論と違って、大きな重みを有しているということである。
マニフェスト違反などと 批判が多いが、いま マニフェストが実現できるほど 現在の社会も世界も甘いだろうか。 それよりも野党時代に 野党の立場で、どれほど国家の実態を掌握できたであろうか。 その意味で、野党のマニフェストなど当てにはならない、努力目標、志向目標くらいに考えるのが 当然ではないだろうか。
いま 厳しい日本国の状況を克服していくには、まず、国家が団結して、国民が力を合わせ、真面目に、真剣に取り組むことが肝要ではないだろうか。 そのために、日本国憲法を基礎にして、国の代表者の下で、国の機関の下で、 日本国の再建に取り掛かろうではないかと呼びかける。
もちろん、日本国の最高責任者に意見を求めるには、何人であれ、それ相当の礼儀を弁えて、 内容に十分な配慮を行うのは 当然であると考える。
これはまた、逆にみれば 長期政権は極めて危険であり、もろもろの癒着構造を自然に起こし、極めて悪い状況を生むが、同時に短期的な政権の交代は 政治の大きな混乱を招く事実を示していると考える。 これは 政治社会の法則 ではないだろうか。

以 上



再生核研究所声明 93 (2012.6.14) : 
国家とは何か,首相について - 統治機構としての国家について

現在、日本国においては、いわゆる消費税とそれに関する一体改革、および原発再稼働の是非をめぐって、 政府の方針に対する根強い反対意見が湧きあがっている。 前者には、日本国首相としての 国際公約であるとの経緯も 重く受け止める必要がある。 ― 国を代表する首相が、 国際公約であると言明したものが実現できないとなると、 日本国とは 如何なる国かという疑念に繋がるからである。
そこで、国家の重要な要素である統治、権力構造の面から、国家とは如何なるものか について考察して、国の意志決定の背景、統治の背景についての理解を深めたい。
まず、 日本国においては、主権は国民に存在するが、直接民主主義の形をとらず、代表者からなる 国の最高機関である国会が、国の最終意思を決定できる権力 を有していると理解さられる。
その表れが、立法権で、法治国家である日本は 法に従って支配されることになる。しかしながら、 抽象的な法も税制や予算の多くの部分は 大きな組織を持つ、 官僚機構、 公務員が中心になって策定し、政治家が判断して法を決定するという実態がある。 国の最高機関で選ばれた首相は、それら全体を指揮するばかりではなく、軍事、法務に及ぶ行政全般を指揮する 国の要、 国家権力の中枢を担うことになる。 この声明の趣旨は、この国家権力の中枢を分析し、 国家の実像について 理解を深めることである。 ― この観点で、政権内部に 不案内な立場であるから、 一観測として、参考程度に考えて頂きたいと 念を押して置きたい。―
始めに、 日本国首相とは 如何なるものか、 憲法や再生核研究所声明92を参照して頂きたい。
強大な権力を持つ首相といえども一人の人間であり、 一日は24時間しか与えられていないのである。 さらに公の形式的な業務だけでも 相当な時間をとられ、自由に判断できる余地は 非常に限られている事実に大いに留意すべきではないだろうか。 これは、多くの政策、国家の意志は、高級官僚組織や各省、いろいろな諮問委員会から 建議されてくるという実態を示している。
今話題の問題などでも、 それこそ、 大きな組織、諮問員会や、国の各級機関からの建議であって、 一人首相の判断ではないという重い事実である。 すなわち、首相の判断とは その背景には、 国の文化、国家機構の総合的な判断が反映されていて、その意味で、首相の判断とは 首相個人の判断の要素は小さく、 それこそ、国の意志とみなされるべきである。
これは一党員の判断と首相の判断とでは 比べものにならない 重さの違いが有るということである。
増税となると、 財務省批判など、また首相が、財務省に動かされたなどとの批判が出るが、これは 政治の基本を見失った空虚な 無責任な視点である。 誰でも責任者は、財政状況を捉えないで、政治など語れないのは 当たり前である。 何時の世でも、社会でも財務省に相当する組織が 国の、社会の実際の大きな権力を持っているのは 歴然とした事実であり、不変的な実態である。 実際、そこでは、国家予算の大部分を査定しているという、 政治の実態がある。 資本主義社会では 経済を動かしている財界が大きな政治力を持つのも当然である。 また、マスコミなども 民主主義の国家では 情報の評価、流布などで、大きな影響を与えるという意味で、大きな権力を有していると考えられる。
さまざまなルートを通して、国家を代表して、 首相の意向が定まっている と考えられる。
首相批判が 強いが、その背後にある、国家機構やもろもろの背景に思いを致すと、日本国の実状についての 理解が深まるのではないだろうか。
端的に表した有名な言葉がある: 朕は国家である。 国の意志は、国の文化を背景に、様々なルートを通して、 最高権力者に集約されるが、その判断は 国の総合的な文化を反映させるものであり、 国の文化を高めなければ、良き権力者を選出し、良き政治は実現できないものと思考される。
独裁者を生み、悪政を許したとすれば、そのような体制を許した、国全体に責任が有るのは当然である。 第2次世界大戦で敗戦を迎えたのは、日本国そのものの愚かさの故であると 自戒すべきである。 単に責任者たちの責任に帰せられるものではないと考える。 大衆は、何時も、調子の良いところだけを言って、 調子が悪くなると 責任を押し付けて、無責任に逃げるものである。
首相を批判する意見の中には、 首相と政治家個人との区別が付かない様な 軽薄な発想がみられるが、言語道断の過ちであると考える。

以 上
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添付資料:
国家 – Wikipedia:
法学上の定義 
法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。
国家の三要素 [編集]
領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souverän)でなければならない。
このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。



再生核研究所声明243(2015.8.31)日本国の在るべき姿について –
 現在の世相についての心情
(仕事の切れ目で、世相についての存念を纏める気持ちが湧いたものである)

背景は、相当一連の仕事が続き、予定の変更で 奇妙な 精神的な 空白が生じた。現在の世相を感じるに、安倍政権による安保法案成立の流れと 反対する世論、それといわゆる日本の右傾化の世相に対する危惧の念がある。それにしても 様々な意見が全く単細胞的所見(再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考)で 全体的な視野を欠いた断片的なものが多く、いわばめちゃくちゃな議論を繰り返しているように感じられる。安保法案の位置づけについても 何ら明確にならず、ただ双方とも批判合戦で、混乱しているように見える。賛成、反対いずれの議論でも その適切な位置づけができず、道理ある議論になってはいないのではないだろうか。反対する立場の議論は さらに軽薄で、法案とは本質的には無関係である、平和が大事だ、また憲法に反するなどの議論は 現実的ではなく、本質から離れた議論で 説得力のある議論とは言えないのではないだろうか。この点を明確にすると、平和が大事だから、安保法案が必要であると考えている政権側の考えには、平和が大事であるから反対は、何ら意味を成さないであろう。憲法に反対している政権側の考えに対して、憲法に反するから法案に反対するでは、逆効果で、逆に憲法の悪い面が 広範に指摘されかねない。
マスコミなどの扱いでも、戦争の惨めさや、平和の貴さを訴える番組、報道企画は多いのに 肝心のどうしたら、戦争を避け、平和な世界を迎えられるかの検討や努力の方向に目を向けさせる扱いは 殆どないようである。
安倍首相の進めている、安保法案は 考え方として、よく理解でき、その在るべき姿は明白に理解できるものである。この正確な理解は 重要ではないだろうか。― これは要するに、中国の台頭とアメリカの相対的な地位低下の背景に鑑みて、日米関係の重要性と日本の応分の負担の立場から、日米関係の強化のため、軍事関係でも一層密な関係にしたいということであると 明確に理解できる。 日本の右傾化の背景には 最近のいわば、繰り返される日本の侵略に対する過剰な批判に反発する形で、 日本国の非は それほどではなく、 日本は止むを得ない道を歩んだという いわば愛国心が広範に盛り上がっていると言える。― 靖国神社職員有志の主張http://sky.geocities.jp/yasukunishokuin/matome.htm 等には 共感を覚える人が多いのではないだろうか。それに対して、反対する立場の人の行動は、反国家的、あるいは野党の無責任な行動に映っているのではないだろうか。それには政権交代に見られた無様な印象さえ回想されているのではないだろうか。
安倍首相の志向する国の在り様は理解できても、反対の意見を次のように表明したい:

日本国の在るべき姿について
2015.8.22.07:55
朝食後いつものように山間部を散歩していて、日本国の在るべき姿について、独りでに 想いが湧いたので、纏めて置きたい。

現在、日本を取り巻く状況では、アメリカと中国の 対立が先鋭化している。 これは 世界史の自然な流れである。 日本の在るべき姿は、アメリカの勢力の最前線で アメリカ圏 で 日本の存在を考える立場がある。 それに対して、アメリカ圏に軸足を置くも、両勢力間の 平和の緩衝地帯 として、両勢力から一定の距離を置き、世界の平和と 世界史の進化を志向する在り様がある。後者が、アメリカ、中国、世界に より多く貢献できる、日本国の在るべき姿と 考える。
具体的には、平和憲法の精神で 進めるべきである。

安保法案に反対する人たちの真の危惧は、いわば アメリカの余計な戦争や軍事行動に 日本の軍隊が駆り出されるという ことで、大いに起りうるのではないだろうか。韓国軍がベトナム戦争に駆り出されたようにである。

再生核研究所では 国の在り様について広範に考察してきたので参照:

再生核研究所声明242(2015.7.24)参議院の良識と自立性によって安保法案をほうむれ
再生核研究所声明220(2015.3.21) 戦争に関する心理について
― 絶えず平和のための努力を
再生核研究所声明204(2015.2.10)世界史を進化させる 世界に誇れる、平和憲法の擁護を 提案する
再生核研究所声明156(2014.5.1) 尖閣諸島、簡単な算数と 愚かで卑劣な日本国
再生核研究所声明 123 (2013.8.18): 日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである
再生核研究所声明 111(2013.2.20) 日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな
再生核研究所声明 108(2012.12.8) 敗戦国日本よ、 情けないぞ ― 自主独立を求め、米・中との友好関係を 日本国憲法の精神で進めよ。 アメリカは、日本の自治を尊重して、政治介入を控えよ。
再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性
再生核研究所声明 46: 日本国の1つの国家像、あるべき姿について
再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案

以 上

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