2015年9月5日土曜日

記事 選挙ドットコム2015年09月04日 02:02「デモと文化資本/越えがたいし、越えなくていい」 - 寒川倫

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選挙ドットコム2015年09月04日 02:02「デモと文化資本/越えがたいし、越えなくていい」 - 寒川倫




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8月30日を越えて
8月30日、国会前では、今までで最大規模の抗議行動が行われた。
昼過ぎに始まったそのデモは、主催者発表12万人、警察発表で3万人超という参加者数を記録したという。

私はその日、神奈川の端でのバイトが夕方まで入っていたので、終わってから2時間ほどかけて国会前へ足を運んだ。ほとんど撤収モードになって人が減った国会前をぷらぷら歩き、その日の熱狂に思いを馳せていた。要するにあまり本腰を入れた参加ができなかったのである。本当に残念だった。

というわけで、今回はデモそのものについてではなく、デモに対するネットの反応と文化資本について考えてみたいと思う。

車道が埋まるという感動
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デモの後Twitterを眺めていたら、国会前の空撮写真がRTされて流れてきた。そしてそれに伴って、前述の主催者発表の人数に関し、「◯◯のライブのほうが混んでいるし12万人もいない」「デモが行われている領域は、人を詰め込んでも3万人しか入れない」といった批判的な意見が多く見られた。一部の参加者によるハンストに関しても、やはりおちょくったり否定したりするツイートが多数見受けられた(あくまで私の観測範囲内の話であり体感であるが)。

いやいやいや? と思う。

そもそもデモの参加者数は、主催者発表と警察発表に相当の差異が出るのが当たり前だ。だから12万人と3万人という数字に開きがあること自体を批判しているなら、それは少し違う。

そして、何より、あの国会前が埋まった空撮写真について一番感慨深いのは、いつも護送車で封鎖されている車道が解放されて人で埋まっていたことである。

国会の目の前ど真ん中は、まっすぐな一本の道路だ。普段の国会前デモではほとんど解放されることがない。今回も当初は封鎖されていたと聞いたが、あまりの人数の多さに警察も解放せざるを得なくなったのであろう、あの空撮の通り、車道も人で埋まる結果になったのだ。

現場に来たことがある人には、あの写真はデモの成功を象徴しているように見えただろう。そして「今日のデモは人が多かったんだな」と一瞬で理解できる。

文化資本の差
どうしても埋まらない「人間の文化資本の差」というものは、確実に存在している。
私がいくらデモに出ることには意味があると主張しても、それを承服しない人はもちろんいるし、デモ自体に絶対に興味を示さない人もいるだろう。私の言葉が通じない領域、上から目線でも何でもなく本当に言葉の使い方も見ているものも違って純粋に“通用しない”場所があるのだ。良いとか悪いとかではなく、どうしようもないものとして。

インターネットを見ていると、それがまざまざと感じられた。デモ側とそれをおちょくる側の「断絶」である。

例えば、「戦争に行きたくなくて震える」というスローガンがある。恋愛をテーマにした歌で有名な女性歌手の歌の歌詞をもじったものだ。「なんか自民党感じ悪いよね」というコールもある。これはラップ風のシュプレヒコールである。

あなたはこれらの言葉についてどう感じただろうか?

これを素直に受け止めて、わかりやすくて良いキャッチコピーだと思う人もいるし、バカっぽいとか軽率だという印象を抱く人もいる。

この違いは、実はどうしようもない文化資本の差異なのだ。

デモを叩く手法としてよく見られるのが、「何だこの馬鹿みたいなフレーズは」「そんなことしてる暇があるなら大学生は勉強しろ」という、SEALDsや彼らに触発された若者を見下す言論である。そういう人からすれば、ラップ風にコールを行うことも大学生や浪人生が現場で前へ出て行くことも許せない、というか、当人からすると、「自分であれば絶対にしない」のだ。

「キャッチーで軽い」ことはSASPLもといSEALDsがデモの世界に作り上げた新しい世界だと思うが、その一方で「政治的な言論は重く論理的であるべき」という考え方の人がいる。世の中の物事は多面的で、どう捉えるかは個々の文化資本で左右されているのである。

違うことは悪ではない
私は、文化資本を越えて分かりあってほしいなどとは絶対に思わない。私自身、明るくておしゃれなSEALDsとは水が合わない「根暗」な文化資本の人間だ。キャッチーなフレーズも恥ずかしいので好きではない。文化資本の差を乗り越えることは、例え「向こう岸」の人がこちらを受け入れようとしていたとしても、無理なのだ。それでも私はデモを動かすSEALDsの人々は評価されるべきだと思い、彼らのデモに出る。多様な立場があっていいし、そうあるべきだろう。

だからこそ、批判というものは慎重にやらねばならない。自分が何を考えて何を批判するのか、明確に言葉にしていく作業が必要とされる。根拠もなく感覚的に文化資本の差を叩いたり、現場に出ないで現場を語ることは、健全ではないと思う。

差を埋めるより、自分と違う対象とどう付き合うかを考えていきたいのだ。

IMG_20150812_125644 寒川 倫:フリーライター
1995年生まれの大学2年生。「正しい倫理子」名義でねとらぼで執筆中。日本中世史、特に中世人の心性史を勉強している。3つのアルバイトとサークルをこなしつつ、できる範囲で政治活動に参加する日々。Twitter: @rinsura_com
https://note.mu/rinriko/http://blogos.com/article/131967/


憲法違反と言われ、国是を変え、大きな国の方向の変化ですので デモや、大衆の立ち上がりは 当然では? 
逆に アメリカや世界は、日本の民度のレベルを見ているのでは? 
法は 単なる条文であらず、反対の強さは、法の執行や今後に 大きな影響を与えるのでは?

再生核研究所声明243(2015.8.31)日本国の在るべき姿について –
 現在の世相についての心情
(仕事の切れ目で、世相についての存念を纏める気持ちが湧いたものである)

背景は、相当一連の仕事が続き、予定の変更で 奇妙な 精神的な 空白が生じた。現在の世相を感じるに、安倍政権による安保法案成立の流れと 反対する世論、それといわゆる日本の右傾化の世相に対する危惧の念がある。それにしても 様々な意見が全く単細胞的所見(再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考)で 全体的な視野を欠いた断片的なものが多く、いわばめちゃくちゃな議論を繰り返しているように感じられる。安保法案の位置づけについても 何ら明確にならず、ただ双方とも批判合戦で、混乱しているように見える。賛成、反対いずれの議論でも その適切な位置づけができず、道理ある議論になってはいないのではないだろうか。反対する立場の議論は さらに軽薄で、法案とは本質的には無関係である、平和が大事だ、また憲法に反するなどの議論は 現実的ではなく、本質から離れた議論で 説得力のある議論とは言えないのではないだろうか。この点を明確にすると、平和が大事だから、安保法案が必要であると考えている政権側の考えには、平和が大事であるから反対は、何ら意味を成さないであろう。憲法に反対している政権側の考えに対して、憲法に反するから法案に反対するでは、逆効果で、逆に憲法の悪い面が 広範に指摘されかねない。
マスコミなどの扱いでも、戦争の惨めさや、平和の貴さを訴える番組、報道企画は多いのに 肝心のどうしたら、戦争を避け、平和な世界を迎えられるかの検討や努力の方向に目を向けさせる扱いは 殆どないようである。
安倍首相の進めている、安保法案は 考え方として、よく理解でき、その在るべき姿は明白に理解できるものである。この正確な理解は 重要ではないだろうか。― これは要するに、中国の台頭とアメリカの相対的な地位低下の背景に鑑みて、日米関係の重要性と日本の応分の負担の立場から、日米関係の強化のため、軍事関係でも一層密な関係にしたいということであると 明確に理解できる。 日本の右傾化の背景には 最近のいわば、繰り返される日本の侵略に対する過剰な批判に反発する形で、 日本国の非は それほどではなく、 日本は止むを得ない道を歩んだという いわば愛国心が広範に盛り上がっていると言える。― 靖国神社職員有志の主張http://sky.geocities.jp/yasukunishokuin/matome.htm 等には 共感を覚える人が多いのではないだろうか。それに対して、反対する立場の人の行動は、反国家的、あるいは野党の無責任な行動に映っているのではないだろうか。それには政権交代に見られた無様な印象さえ回想されているのではないだろうか。
安倍首相の志向する国の在り様は理解できても、反対の意見を次のように表明したい:

日本国の在るべき姿について
2015.8.22.07:55
朝食後いつものように山間部を散歩していて、日本国の在るべき姿について、独りでに 想いが湧いたので、纏めて置きたい。

現在、日本を取り巻く状況では、アメリカと中国の 対立が先鋭化している。 これは 世界史の自然な流れである。 日本の在るべき姿は、アメリカの勢力の最前線で アメリカ圏 で 日本の存在を考える立場がある。 それに対して、アメリカ圏に軸足を置くも、両勢力間の 平和の緩衝地帯 として、両勢力から一定の距離を置き、世界の平和と 世界史の進化を志向する在り様がある。後者が、アメリカ、中国、世界に より多く貢献できる、日本国の在るべき姿と 考える。
具体的には、平和憲法の精神で 進めるべきである。

安保法案に反対する人たちの真の危惧は、いわば アメリカの余計な戦争や軍事行動に 日本の軍隊が駆り出されるという ことで、大いに起りうるのではないだろうか。韓国軍がベトナム戦争に駆り出されたようにである。

再生核研究所では 国の在り様について広範に考察してきたので参照:

再生核研究所声明242(2015.7.24)参議院の良識と自立性によって安保法案をほうむれ
再生核研究所声明220(2015.3.21) 戦争に関する心理について
― 絶えず平和のための努力を
再生核研究所声明204(2015.2.10)世界史を進化させる 世界に誇れる、平和憲法の擁護を 提案する
再生核研究所声明156(2014.5.1) 尖閣諸島、簡単な算数と 愚かで卑劣な日本国
再生核研究所声明 123 (2013.8.18): 日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである
再生核研究所声明 111(2013.2.20) 日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな
再生核研究所声明 108(2012.12.8) 敗戦国日本よ、 情けないぞ ― 自主独立を求め、米・中との友好関係を 日本国憲法の精神で進めよ。 アメリカは、日本の自治を尊重して、政治介入を控えよ。
再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性
再生核研究所声明 46: 日本国の1つの国家像、あるべき姿について
再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案

以 上



再生核研究所声明 25 (2009/07/01): 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて

世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。

まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。

次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。

アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。

日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。

皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 

この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。


国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実
http://www.asahi.com/business/update/0124/TKY201201240691.html
国の借金1人850万円…12年度末過去最大に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120125-OYT1T00062.htm

国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111028-OYT1T01333.htm
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

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