2015年9月4日金曜日

記事 島田範正2014年07月22日 09:44たった30年後、人類は万物の長ではなくなっている!

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島田範正2014年07月22日 09:44たった30年後、人類は万物の長ではなくなっている!



もうあまり流行りませんが「ネットサーフィン」というフレーズがあります。ネットの海をリンクで辿ると、思いがけないものに出会うというニュアンスも含まれそうです。それを実感したのが、ちょっとショッキングな標題(原文はBy 2045 ‘The Top Species Will No Longer Be Humans,’ And That Could Be A Problem)を掲げるBusiness Insiderの記事でした。

きっかけは、つい先日、NHKが報じた「米メディア 記事もコンピューターが作成」というニュース。検索すると、この記事のソースはニューヨーク・タイムズのこの記事あたり。NHKにはありませんでしたが、この技術を提供するのはAutomated InsightsだとNYTの記事にあります。

そこで思い出したのが、ちょうど2年前にこのブログに書いた生身の記者がいなくなる日 という記事のこと。ここでは、フォーブスはじめ多くの企業がシカゴのベンチャーNarrative Science 社の人工知能搭載のソフトを使っていることを紹介しました。Narrtive Scienceが劣勢になったのか?ちょっと気がかりになって、とりあえずそっちへ行ってみました。

Narrtive Science社のPress & Newsのページを見ると、相変わらずいろんなメディアで、同社の看板ソフト「Quill」のことが取り上げられているようで、健在でした。で、そこにあったのが、冒頭の「By2045 ーーー」という見出し。2045年と言えばたった30年後のことではありませんか!さっそく、その記事に飛んでみました。

この恐ろしい御託宣をしたのは「物理学者にして起業家、そしてThe Artificial Intelligence Revolutionという本の著者」というLouis Del Monte氏。以下は雑訳によるその記事の要旨です。

・今日、AI(人工知能)マシンがどれだけの知能を持ち、相互関係能力を持つかについての規制がない。このまま続けば、指数関数的なトレンドを見ることになる。そしてまもなく特異点に達する。そこで人々が見るのは、人間はもはや万物の長ではなく、それはマシンだということだ。(you’re going to see that the top species will no longer be humans, but machines.)

・マシンの知能が個々の人間に勝るだけでなく、人類すべての知能に勝る時期についての平均的な予測は2040年だが、遅くとも2045年だろう。それは”ターミネーター”のようなものじゃない。特異点を過ぎた初期の段階で考えられる一つのシナリオは、マシンが人間をサイボーグに変えることを目指すことではなかろうか。

・こういうことは、今、現に起きていることだ。障害のある手足をパーツで補完しているような。21世紀の終わりには、人類の殆どは部分人間、部分マシンのサイボーグになっているだろう。その魅力は不死ということだ。マシンは医療技術でブレイクスルーを起こし、ほとんどの人類はより余暇時間を持て、「過去にこれ以上良いことはなかった」と考えることだろう。

・いずれ、マシンが自我を意識し、自分を守る可能性があることは確かだ。そこで私の懸念は、マシンが人類のことを「予測できない、危険な<種>だ」とみなすことだ。人類が害虫を見るのと同じように見るかも知れない。情緒不安定で、戦争を起こし、世界を2回も破壊できるような兵器を持ち、コンピューター・ウィルスを作る<種>だ。ルームメイトにはふさわしくないヤツだと。

・人工知能はますます高まり、我々はそれをすぐに取り入れる。心臓のペースメーカーはまさにルーティンな動作だが、それはセンサーと人工知能を使ってあなたの心臓を支配しているのだ。

・2009年、スイス・ローザンヌにあるLaboratory of Intelligent Systems in the Ecole Polytechniqueで行われた実験:エネルギーのような有益なリソースを見つけることや危険を取り除くことで協力し合うようにデザインされたロボットが、驚くことに、自分を守るためにウソをつくことを学習したことがわかった。これが暗示するのは、彼らも自己保存を学ぶということだ。

雑訳は以上ですが、たかだか30年以内に、こんな世の中が始まるなんてゾッとします。先日も、ソフトバンクが「世界初 人によりそうロボット Pepper」を発表したけど、売りはなんでも「感情認識」とか言ってました。その先に、自我や自己保存意識を持つロボットが登場し、徐々にDel Monte氏の指摘する世界が開けてくるのでしょう。NHKニュースからここまでサーフィン。こんなことが可能なのも、マシンのお陰なのだけれど。http://blogos.com/article/90983/


再生核研究所声明 144 (2013.12.12) 
人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である

(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ、 広い農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で他の農家がやって行けず、 農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつ に考察したものである。 成文化を試みたい。)

上記の中で、閃めいた 原理は 端的に述べれば、 いわゆる進歩は 末期への進歩であって 原理的に終末に近づいている ということである。 そして 進歩には 必然的な、エントロピー増大の法則のように 必然性が有るのではないだろうか。 良く生きるということは 必然的に 終末を上手く受け入れるように 精神構造が 本能的に作られているのではないだろうか。
さらに、 人は 人間存在の原理で、いろいろ知りたい、 いろいろ原因を知りたいと 真理を追究するが、その先には、生命の空しさと 自分の無智を知らされ、結局 生命と人生の否定に繋がり、 安らかな悟りに至るという、人間観、人生観である。
人は 先に、先に進もうとしているが、それは、自滅への道であり、 夢中で生きているのが 生命の実相ではないだろうか。 ちょうど子供たちが、夢中で はしゃいでいるように。
知ることも、真理を追究するのも 危険である。 しかしながら、エントロピー増大の原理のように 追及しないではいられないのが人間で、 それは 人間の 定めであると考えられる。
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、あわてず、 自分の心の状態を尊重する ということである。

人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、 寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
以 上

追記 参考資料(ウィキペディア):
定義[編集]
進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である[2][1]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある[3][4]。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない[1][2]。
また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない[3]。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある[3]。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる[4]。
進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが[3]、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

再生核研究所声明240(2015.7.22)燕の神秘性 ― 燕の巣立ちを祝して

燕が孵る2日前に 蛇に狙われ、危うい直前 いたたましい叫びで、異常に気づき、巣を見たところ、蛇が巣直前まで迫り 卵が飲み込まれるところ、竿で撃退、間一髪で救われた。その後順調に経過し、元気に巣立つことができた。蛇の再来など警戒して、燕の生態、成長過程などを観測してきた。そこから感じ、学んだことに触れたい。
まず、印象深い情景を回想したい。
卵から孵ったときは 分からず、気づいたら、面白く ようやく口と頭だけが巣に並んで、口を開けるのが ただ仕事のように見え、親は餌を運ぶのに喜々としていて、勇壮な活動ぶりは美しく、素晴らしかった。(これは、かつて母に最も充実していた時代を聞いたところ、2人の息子に 毎月 郵便局から仕送りをしていた頃が 最も充実していたと述べていたことを想起させる。 同じような質問をよく散歩で会う90歳の方にしたところ、 地域で婦人会会長をしていた頃がと述べられたことに通じている。)
だんだんひとりでに成長して、頭と口、それに白いお腹が大きく目立つようになり、羽ばたいたりするようになり、巣立つ準備を始めていた。夜、親鳥と慎ましく並んで巣にいるのは 誠に微笑ましく、限りなく愛しく,至福の時のように感じられた。― 親は意外に警戒していたのかも知れない。
卵が孵るのは 本当に神秘的で、いわば、物に命が吹き込まれ、― 尤も卵の中でも生命活動はどんどん進んでいる訳であるが、孵ると 唯食べるだけであるが、本能的にいろいろ成長しているのが良くわかる。 誰が教えた訳でもないのに 糞を お尻を外に向けて巣外にするのは 大いに感心させられる。誰に教えられた訳でもないのに 巣立つ時には ひとりでに飛べて、餌さえ なんとかは取れる状態になる。飛ぶ行為などは極めて複雑、分析不可能、餌を取る行為などもそうである。 本能的に進むは 本当に神秘的な世界であると言える。 さらに凄いことは、 南国まで飛んでいき、恋人とともに帰ってきて同様な生態を延々と続けてきた事実である。何千年どころか、何千万年と繰り返してきた生態ではないだろうか。動物でも、植物でも生物は、生命は神秘に満ちていて,殆ど何も分からないと言える。
散歩の折り、80代や90代の方々といろいろ話し、 色とりどりの野の花をみる。奇妙にも、様々な植物、動物、人間の存在、生態が 殆ど変わらず、同じような存在だと感じている。燕や植物の生態のように、人間も 生まれる前も、 死後も そして、現世、生きている実際も 殆ど分からず、全てが大きな流れの上を流されているような存在に見える。自分さえ自分ではなく,唯生かされている存在であるように感じられる。
我々を生かし、存在させてきた何億年と続いてきた環境を大事にして、生態系を大事にして、その大きなものとの調和を志向しようというのが、燕の生態を観測していて学んだ大事なことである。燕が訪れ、巣立つのは共感,共鳴で、家族が増えたように明るくさせ 来年の夢を与えてくれる。元気な巣立ちを祝し、元気な帰宅を願っている。
なお、大きな生命ではなくて、個々の生命の存在が極めて偶然性によっている事実を深く受け止めて置きたい。

以上 

再生核研究所声明244(2015.9.4)不完全な人類、
恥ずかしい世界史 ― 心得

(2015.9.1.07:10食後の散歩の折り、構想が独りでに閃いたものである。)

人が関与しない、あるいは本質的には、植物や動物は 全て 何千万年も超えて自然環境の中で生きてきたものである。 その意味で極めて安定性があり、それらの生存は 人類が乱さない限り、完全であるように見える。なぜならば、それらの生存は殆ど本能によって支配され、他の要因である厳しい自然の環境には 何千万年と耐えてきた事実があるからである。 従って、動植物の存在は 神の領域 と言えるほど完全であると 畏敬の念を抱かざるを得ない。
他方、人類の生態は如何であろうか。ある自由意思の存在によって、自由な行動が可能になり、上記の神域から逸脱し、いわば本能原理を超えて、大きな行動が可能になった。 青銅や鉄の発明、そして近代科学や技術の発展によって、人類の活動は飛躍的に増大した。ここ2000年くらいの短期を見ても、絶えざる争い、自然環境の破壊、人口の爆発、これらは 人類が地球の生態系を破壊する まるで癌細胞のようで、人類による世界史は 決して自慢できるようなものではない。 このような事実は、人類が生物として未発達、不完全な状態にあり、生命の認識や命、生きることの意味など理解できない欠陥から生じているのではないだろうか。馬鹿に刃物の喩えのように、変な能力だけが間違って発達し、大事な部分の発達が遅れた存在が、人類ではないだろうか。
この危険な人類が このことに気づかなければ、人類は 地球の生体の癌細胞 のような存在になり、人類の絶滅と生態系の破壊をもたらす危険性が 極めて大きいのではないだろうか。大いに危惧される。
我々が不完全な存在であることを自覚し、まずは、自然環境と生態系に謙虚になることが、第一に心得るべきことではないだろうか。
人間関係の原理 公正の原則:

再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.(再生核の理論入門―牧野書店、2002)

で、世の中は上手く行くのに そんな自明のことも理解できないのかと嘆かざるを得ない。ゼロ除算の発見で、人類は目覚め、新しい世界:

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

を観、夜明けの世界を迎えるように期待したい。
いま日本国での大きな問題、安保法案など、安保、安全と言って軍拡を進め、結果として軍拡競争を始めている人類の愚かさ、歴史からも学べず、暗黒時代に逆戻りしているように見える。いま日本の在るべき姿は 次のようになるのではないだろうか:

日本国の在るべき姿について
2015.8.22.07:55
朝食後いつものように山間部を散歩していて、日本国の在るべき姿について、独りでに 想いが湧いたので、纏めて置きたい。

現在、日本を取り巻く状況では、アメリカと中国の 対立が先鋭化している。 これは 世界史の自然な流れである。 日本の在るべき姿は、アメリカの勢力の最前線で アメリカ圏 で 日本の存在を考える立場がある。 それに対して、アメリカ圏に軸足を置くも、両勢力間の 平和の緩衝地帯 として、両勢力から一定の距離を置き、世界の平和と 世界史の進化を志向する在り様がある。後者が、アメリカ、中国、世界に より多く貢献できる、日本国の在るべき姿と 考える。
具体的には、平和憲法の精神で 進めるべきである。
(再生核研究所声明243(2015.8.31)日本国の在るべき姿について – 現在の世相についての心情)

以 上






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