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fujipon2015年06月08日 00:00【読書感想】中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇
中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書) 中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)
作者: 中沢彰吾
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2015/04/16
メディア: 新書
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中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書) 中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)
作者: 中沢彰吾
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2015/05/22
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内容紹介
◆人材派遣が生んだ奴隷労働の実態を伝える衝撃ルポ◆
年収3000万円を豪語する人材派遣会社の20代社員が、自分の親世代の中高年を時給数百円の日雇い派遣で酷使。
「ほんとにおまえは馬鹿だな」
「中高年は汚いからダメ」
「てめえみてえなじじい、いらねえから」
塩素ガスがたちこめる密室で6時間にわたって「イチゴのへた取り」、倉庫内で1日中カッターナイフをふるう「ダンボール箱の解体」……。
いったい、これのどこが「労働者にとって有益な雇用形態」
「特別なスキルを活かした熟練労働」なのか?
労働者をモノ扱いする政府・厚労省の欺瞞を暴く!
これはたしかにひどい……
一部の派遣での労働環境のひどさ、というのは知っていたつもりだったのですが、まさかここまでひどいとは……として、「人材派遣会社」のなかに、これほどまで悪質なものがあるとは……
僕自身は、「派遣」で仕事をしたことはないので(でも、医局からの指示で1~2年単位でいろんな病院を渡り歩くというのは、本人が気づいていないだけで「派遣的」ではありますよね。そのおかげで、退職金も無しに等しいし)、こんなに「正社員」と「派遣の人」が差別される職場があるのか……と驚きました。
すべての派遣労働=悪、ではないとは思うんですよ。
この本のなかにも、芸人を目指している若者たちと派遣先で出会った話が出てくるのですが、「何か他のことをしたいけれど、生活の手段としてお金を得るための仕事をしなければならない」という人にとっては「派遣」というのは融通が利く、悪くないシステムなのかもしれません。
正社員であれば、「出演するライブがあるから、明日は休みます」というわけにはいかないでしょうし。
そういう人が、自らの選択で「派遣」を選べるのは良いことのはず。
しかしながら、現実には、「安い労働力をきわめて低い保障で使うため」に「派遣」が利用されているのです。
この本で挙げられている実例には、読んでいて呆れるというか腹が立ってしょうがないというか。
この問題が根深いのは、経費削減や税金の無駄遣いの防止、法律遵守や公共の福祉への貢献を求められる多くの団体、企業が、事業入札に安価で望む人材派遣会社を「歓迎」していることである。落札させる際、その人材派遣会社が労働者をどう処遇しているかはまったく考慮されない。
問題のある派遣会社の顧客リストには驚くほかない。最高裁判所、法務省、厚生労働省、国土交通省、財務省、文部科学省等の中央官庁、全国の地方自治体が運営する美術館や大ホール、運動場などの公共施設。新聞社やテレビ局などの大手マスコミ、大手通信会社、大手金融機関、大手小売、大手製造……世間から真っ当と見られている団体、企業がこぞって人材派遣会社の繁栄を支援している。
歪んだ労働者に寄生し、中高年を低賃金の奴隷労働で酷使し、ピンはねで肥え太る人材派遣……彼らの増殖と繁栄は底辺の労働者のさらなる困窮と表裏一体であり、日本社会の創造的な活力を削いでいるのではないか。
ちゃんとした企業であれば、ちゃんとした人材派遣会社を利用しているのではないか、と思いますよね。
僕はそう思っていました。
ところが、この新書を読んでいると、「コスト削減」のために、大手企業や公的機関が「とんでもない派遣会社」を多く利用していることがわかります。
確かに「安い」のだろうけど、官庁や自治体が率先して「ブラック企業」を利用してどうするんだ……
「お役所はコスト意識が足りない」と批判する人は多いけれども、「コスト意識がいちばん大事」になってしまうと、さまざまなトラブルが起こるのです。
著者も仰っていますが、「派遣」という業務は、一部の技術職を除けば、「どんな人でもいいし、特別な技能はなくてもいいから、安くて、確実に人を仕事の場に送り込む」というのが基本です。
でも、専門的な知識や行動が要求される場にも、マニュアル一冊だけ渡された派遣労働者たちが、どんどん進出してきています。
それにしても、著者が体験してきた派遣会社はひどい。
私の担当だという、歌手のアンジェラ・アキ似のやり手風の女性は、「試験監督は先週までで一段落しちゃったんですよねえ」といかにも残念そうに言う。そして、「他にも楽で楽しいお仕事がいっぱいあるんですよ」と言いつつ、頼みもしないのに次々に仕事を紹介して帰らせようとしない。
「人気のあるお仕事に派遣されるのは、就業実績の多い方からですよね。まずは実績を作りましょう」
なるほどそんなものかと思い、「自分は年齢も高く体力に自信もないが重労働でなければやります」と応えた。
彼女一押しのおすすめは「化粧品の検品」。
「扱うモノがモノなので女性が多く、明るく楽しい職場ですよ」
時給は900円で交通費はなし。勤務時間は17時から22時と変則的だが、これは中高年労働者を集めやすくするための設定だとあとで気づいた。
(中略)
道すがら、この作業を一度経験したことがあるという男性に話を聞いた。
「仕事はどんな感じですか」
「一言で言って、きついっすよ。作業自体は簡単なんですが、5時間ずっと同じことをするので体もそうですが精神的にやられますね」
精神的にやられるとは穏やかではない。女性たちと化粧品の検品をするきれいな楽しいお仕事ではなかったのか。
「ああ、それは嘘です。カレンダーを作るんです」
「はあ? カレンダーって、印刷の仕事?」
「違います。強いていえば組み立てですかね。中沢さんは話し好きみたいだけど気をつけて下さい。私語が多いとクビです」
「5時間ずっと?」
「はい、倉庫に入ったときからずっとです」
とぼとぼと無言で歩く5人は、まるで野外作業に向かう囚人のようだった。
(中略)
休憩のベルが鳴るやいなや、人を押しのけ待機室まで一目散に走った。女性事務員の「ばっきゃろう、制服はここで脱ぐんだ!』という怒声を背に制服をたたみつつトイレまで階段を駆け下りた。一番乗りだったがトイレは一ヵ所しかなく、飛び込んだ途端、「おい、早くしろよ」。ドアの向こうに並ぶ人々の罵声と、ドアをドンドンと叩く音に責められ気が気ではなかった。ここはまさしくタコ部屋だった。
作業場の監督は、「おまえらが25秒で作らないと、うちは赤字なんだよ」と何度も繰り返していた。私はとうとう最後まで25秒以内にはできなかった。当たり前だ。どんな作業かあらかじめ知らされておらず、老眼鏡も持っていないのだから細かい手作業などできるわけがない。
タコ部屋に連れ込むために真実を隠し、その結果、ぜんぜん能率が上がらない。悪意に満ちた労働環境。21世紀の日本でこんな働かせ方をする職場があることに驚いた。貧しい途上国の幼い子供を酷使する工場にも似た光景。
こんな恐ろしいエピソードが満載なんですよこの新書。
それでもこの仕事には少数ながらリピーターもいて、昼の仕事がを終えたあとのダブルワークとしてやっているそうなのです。
だから、17時から22時という、中途半端にみえる時間に設定されている。
22時なら、まだ終電にも間に合うし。
しかし、他の仕事をしたあとで、これをやるのって、あんまりではなかろうか。
そもそも、派遣会社の人が言っているのと、全然仕事の内容が違うし……
ここ数年、人材派遣業界は増殖を続けている。1999年には9678ヵ所だった全国の事業所の数は、2012年には7万以上に膨れ上がった。詳細については第四章で触れるが、経済規模が日本よりはるかに巨大な米国の3倍、日本とほぼ同じドイツの10倍以上という異常な数である。日本だけが大増殖したのは、人材派遣の仕組みが欧米ではとても金儲けできうようになっていないからだ。
人材派遣会社の社員は総じて若く健康そうな若者たちだ。東京のあるテレビ局が、「夜遅くまで頑張る人材派遣会社の若者たち」なるノンフィクション番組を放送したことがある。人材派遣業の実態など知らず、若者たちが夜中まで電話をかけまくって労働者の手配に明け暮れる様子を印象的に撮影しただけの「ど根性番組」だった。
密着取材された新入社員は、人生の目標を問われると、「社内には25歳で年収3000万円以上のすごい先輩が大勢いる。僕も彼らを目標にして頑張っている」と語っていた。生きる目標が金儲けなのは本人の勝手なのだとしても、25歳で年収3000万円とはいくらなんでも異常だ。
欧米では、人材派遣業に対する規制が厳しく、あまり儲からない仕事なのだそうです。
それに比べて、若くして高収入が期待できる日本。
派遣業者の側にとっては「夢がある」のかもしれませんが、人材派遣業の収入源というのは、「派遣先からもらう報酬と、派遣される人に払うお金の差」なんですよね。
ということは、「なるべく高く仕事を請け負って、安く労働者を働かせるほど、儲かる」ということになる。
ただ、これだけ競争が激しいと、受注のためには派遣先に、あまり吹っかけるわけにはいきません。
要するに「弱い労働者を買い叩くのが、いちばんの近道」になってしまっているのです。
なんかこれ、映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』みたいだな……
埼玉県内に住む50代の女性は、有名カフェチェーンの洋菓子工場への派遣の仕事を受けた。長く近所の弁当屋で働いていて、総菜の盛りつけは楽しく、さまざまな料理レシピも教えてもらえた経験があり、今度は本格的なお菓子作りに挑戦しようと意欲的だった。労働契約時の説明は、「お菓子の工場での製造補助。女性に大人気の職場.パティシエにお菓子作りを教えてもらっちゃいましょう」といった内容で、いかにも楽しそうなイメージでわくわくしたという。ただ、具体的な作業内容は教えてもらえなかった。
現場はJRの駅から徒歩で30分、道行く人も少ない工場街の一角にある灰色の建物で、華やかなカフェのイメージとは程遠く少々がっかりした。その上、菓子製造所の室内の気温は10度程度と寒く、彼女が配置された流し台のあるコーナーは消毒液の塩素ガスがたちこめる密室で、指示されたのはイチゴのへた取りだった。流し台の左側にはパック入りのイチゴが山になっていて、それを洗浄しながらへたを取って右側のトレイに並べていく。
冷たい流水にずっと両手を浸しての作業で、しばらくすると両手が真っ赤になって感覚が失われていた。6時間の勤務中、途中休憩30分以外はずっと同じへた取りで、その間、パティシエに指導してもらえるどころか、ケーキを目にすることもなかった。
イチゴと強烈な塩素臭がセットでトラウマになり、その後しばらくは、スーパーでイチゴのパックを見ると塩素臭がよみがえって手を出す気になれなかったという。
6時間ずっと(休憩時間はあるそうですが)「イチゴのヘタ取り」なんていう「仕事」が、本当にあるのか……
しかもそれを「パティシエにお菓子作りを教えてもらっちゃいましょう」って宣伝しているとは。
恐るべし、派遣の現場。
この新書を読んでいると、正社員との差別に、単調な仕事、年下の派遣先の担当者からの罵声に、賃金のピンハネなど、「これは派遣で仕事したくないな……」と思うこと請け合いです。
しかしながら、中高年となると、正社員の口なんてそうそうあるものではないし、とりあえず収入がないと干上がってしまう。
そこを派遣会社もうまく利用して、ギリギリ(あるいはそれ以下)の条件で、高齢者をこき使う……
それでも「仕事があるだけありがたい」と派遣会社とのトラブルを嫌う登録者のほうが多いくらいなのです。
ほんと、こんなに劣悪な働いている人たちが大勢いるのに、なんで日本の景気はこんなに悪いのだろうか。
こうしてつくられたお金は、誰のところに行ってしまうのだろうか。
毎月発表されている総務省の労働力調査でも、アルバイト、パート、派遣社員などの非正規社員は2014年11月の調査で初めて2000万人を超え2012万人になった。2014年の一年間だけでも49万人増えている。
役員を除く雇用者5308万人に占める非正規社員の割合は38パーセントに達する。このうち中高年は45~54歳が一年間で12万人増えて387万人である。さらに高齢の非正規社員が増えており、65歳以上では男性が16万人増の141万人、女性が8万人増の106万人。定年退職後に再就職できず、非正規社員になっている。
こんな働き方をしている中高年が、さらに増えつづけてきているのです。
いまの日本では、若者が搾取されているイメージが強いのだけれども、中高年もラクじゃない。
というか、「夢」とか「ライフスタイル」のために派遣で働いている人は、それで良いんじゃないかと思う。
でも、「生活」のため、生き延びるために、高齢者がこんな「仕事」を続けていかなければならないのは、あまりにも物悲しい。
「正社員になるのが人生の目的なんて虚しい」と思うけれど、こういう現実を知ってしまうと、「正社員」にこだわりたくなるのもわかるんですよね。
正社員がすごく恵まれているわけじゃないけれど、こんな派遣労働よりはマシだろうから。
……と思って正社員になれる会社を探したら、ブラック企業だったというオチなんだよね、いまの日本では。http://blogos.com/article/115406/
再生核研究所声明75(2012.2.10): 政治・経済の在りようについて
(この声明は 再生核研究所声明に関心を抱く方の要望によって、動機付けられたものです。他方、大谷杉郎 元群馬大学名誉教授の下記の文が気になって来ました: (新里山文明 ― 私は、基本的には、社会の制度、経済の仕組みにまで立ち入らないと解決はしないと思っています。無駄をすればするほど、景気がよくなるという経済の仕組みの通用した時代は、もうあきらめたほうがいいと思っています。技術と社会制度と、それに人々との考え方と、みんな一緒にならないと循環社会、新里山文明の時代は来そうにありません。 ―( 日だまりの風景 平成18年9月15日発行 大谷杉郎著 印刷所 太陽印刷工業(株)P106~P107より )(群馬大学工業会会報・平成11年3月 99)p95~p107より)。)
上記両者の意見には いわゆる資本主義は 社会主義同様 行きづまっているのではないか、新しい社会の、経済の在りようを模索する必要が有るのではないか との考えを暗示しているようにみえる。
もちろん、政治・経済の在りようについての総合的な考察は、大きな課題であるから、考察を進めるには 重い課題ということになる。 しかしながら、歴史は連続的に流れ、慣性の法則で動いている(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)とすれば、現状の問題点を分析することによって、在るべき方向が見えて来ると考えられる。
現在の世界を、アメリカ、EU, 日本など、いわゆる自由主義経済、資本主義社会、民主主義の国々、および、 ロシア、中国など、いわゆる社会主義の変化で 社会主義と資本主義の中間に位置する国々、および いろいろな国柄を反映させているその他の国々と考えてみよう。 社会主義国では、経済活動は国によって計画され、企画されて、人々を資本家から解放し、より平等で公正な社会を目指していると考えられたが、結果は産業・経済活動が停滞し、民生の遅れをもたらし、皮肉にも自由、平等、民主主義の理念から外れ、社会主義の理念は 内部から、崩壊し、より自由な経済活動を許す、解放経済の方に向かわざるを得なかったようにみえる。 これは自由な経済活動が、産業の活性化をもたらし、国や特定の機関の管理では、庶民の力を発揮することができないという、 いわば、人間の本性に根ざした原理から出ていると考えられる。
しからば、資本主義諸国の現状における問題とは何だろうか。 いみじくも、アメリカ,EU, 日本に共通する大きな課題は、 膨大な債務を抱えて、財政破綻の危機にさらされているということである。これは、民主主義の中で、庶民の意志を尊重するあまり、各国の政府が無責任な財政運営を余儀なくされてきたということに他ならない。 民主主義は衆愚政治に陥り、国家は財政破綻を迎えたと、旧社会主義や独裁主義国家から、嘲笑されかねない由々しき事態ではないだろうか。 自由を保証する社会は、そもそも人類の理想であるから、財政の立て直しによる、復活を願わざるを得ない。
しかしながら、資本主義社会で見られる、次のような現象については、大きな歯止めと警戒、対処が必要ではないだろうか。
債務の増大と金融不安、
過熱な自由競争の国際化、
過熱な投機の在り様、
行きすぎた世界的な経済活動、
行きすぎた世界の均一化、
多くの失業者の出現、
為替の急激な変動、
貧富の大きな格差、
アメリカなどに見られる 軍事産業の力、
大量生産、大量消費の在り様、
お金、お金の風潮の増大、
社会生活まで、共生より競争の世相、成果主義や評価、評価の厳しい世相、
経済活動の環境、社会への大きな影響 など、
それらについて、関係する国際的な機関で 枠をはめ、より良い方向に誘導するような政策を進める必要が有るのではないだろうか。植物界でも動物界でも、自由に野放ししておけば良いとはならず、適当な手入れ、癌細胞などは除去するなど適切な処置が必要であるように である。― これは要するに、現状の自由を尊重する、資本主義と民主主義の在りようを評価して、そこから発する大きな歪を是正していこうとの 現実的な対応を志向するものである。
上記 (無駄をすればするほど、景気がよくなるという経済の仕組み)などについては 税率によって、 調整して行く と考えるのは 如何なものであろうか。
他方、ロシアや中国における在りようの問題では、いまだ自由の保証が十分では無く、人権、人間の尊厳の観点から問題が有るのではないかとの危惧の念を抱かせるが、それぞれの国には それなりの歴史と伝統、文化が有るのだから、軽々しく内政干渉のような態度をとらない姿勢が大事ではないだろうか。 アラブや、その他の諸国についても お互いに内政干渉を控え、いろいろな国による、多様な在り様、多様な文化の存続を尊重、重視していくべきではないだろうか。 いわゆる グローバリゼーションは 地球を画一化して、貧しい均一的な 世界を作り、 傾向として良くないと評価したい。 多様な世界を志向したい。
逆に民主主義の問題点を指摘して置きたい。 上述の様に国民に慮る故に 政府が弱く、政府が責任ある政治を進めることができない状況が起きているから、政治家の身分を安定的に保証して、責任ある政治に専念できるように配慮すべきではないだろうか。そのためには、首相や国会議員の任期を長くして、その間、身分を篤く保証することも検討に値するのではないだろうか。アメリカの大統領選出過程などは あまりにも 長く、現実的ではないのではないだろうか。多数の意見が広く表現できるのは良いが、無責任なムードのようなもの、世論で、 政治が歪められやすい状況について、警戒を要するのではないだろうか。 次の危惧を参照(再生核研究所声明 33: 民主主義と衆愚政治)。
以 上
再生核研究所声明 143 (2013.12.10) グローバリゼーションの危険性
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ 他の周辺の広大な農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で 他の農家がやって行けず、農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は 哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつに考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記で いわゆる市場主義の原理で 事を進めれば、生業が成り立たなくなると言う、根本問題を提起している。 実例でも、例えば、 広々としたベトナムの農村では、田植えを 手で、一株ずつ人海戦術で植えているが、日本では、田植え機械で 夫婦二人で、どんどん田植えが行われている。稲刈り、収穫作業も同様の差がある。農作業の重労働を想い出し、胸を痛めたものであるが、アメリカの小麦の生産方式など考えれば、日本の農家の農作業など、ベトナムと日本の差以上であろう。それらが、市場主義、自由競争となると、ベトナムの農家も日本の農家も成り立たないのは、道理である。このような危惧は、至る所に現れ、世界混乱の主因になるだろう。長い間続いていた、文化、習慣、慣習、生活基盤の破壊である。― インドの痛ましい情景を時として、回想する。土を運ぶのに、土を籠に入れ 頭に載せて、沢山の女性が連なって運んでいる。普通考えられるトラックで運べば、如何に簡単に大量に運べるかを考えると、痛ましい仕事である。しかしながら、それらを機械化すれば、失業者の増大や、取り巻く環境の激変で大きな混乱が起きるだろう。
そこで、グローバリゼーションの危険性 を 夢の中の青年に代わって、世に訴え、注意を換気したい。
個々の存在してきた、事実、経過は大事であり、何事、新しい変化との調和に 思いを致さなければ、混乱の素になるだろう。何事変化に、早ければ良い、改めれば良い の考えには 根本的な問題が内在していて、危険であると考えたい。
グローバリゼーション は エントロピー増大の法則のように 避けられない面が有るだろう、そこで、絶えずブレーキをかけて行くような配慮、全体的な影響と調和を考える努力が必要ではないだろうか。
以 上
追記、参考資料(ウィキペディア):
グローバリゼーション
グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。
概略[編集]
この語は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。
世界史的に見れば、何らかの現象の「グローバリゼーション」は、大航海時代に起源を発する。大航海時代により、ヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始め、これによりヨーロッパの政治体制や経済体制の「グローバリゼーション」が始まり、物流の「グローバリゼーション」が起こった。これが本格化し始めた時期は19世紀で、ナポレオン戦争による国民国家の形成や、産業革命による資本主義の勃興が、近代の「グローバリゼーション」を引き起こした。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代の「グローバリゼーション」が始まった。1970年代から「グローバリゼーション」という語は使われるようになったが、より一層広まった時期は、アメリカ合衆国が湾岸戦争に勝利し、ソビエト連邦が崩壊したことにより、アメリカ合衆国の単独覇権が確立された1991年以後である。ソビエト連邦が崩壊すると、経済面では、「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」も指すようになった。グローバリゼーションの負の現象、例えば工業や農業といった産業が世界規模での競争(メガコンペティション)や、多国籍企業による搾取の強化と、それに伴う国内産業の衰退とプレカリアートの世界的増大という事態を指す場合もある。そのため、最近では否定的な語として用いられる例も多くなった。
1991年以後、グローバリゼーションの負の現象を非難する人々は、主要国首脳会議の開催地などで反グローバリゼーションを訴えている。又、グローバリゼーションが多国籍企業を利して末端の労働者を害する現象「アメリカニゼーション」だと揶揄する人々も少なくない(グローバル資本主義)。
2010年代に入る前後からは、かつてコスト削減や利益を増やすために中国企業に積極的にノウハウを教えた日本の企業が、逆に中国企業に買収される動きも出ている[1]。
異義語[編集]
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
訳語[編集]
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所の「外来語」言い換え提案では「地球規模化」を挙げている。グローバリゼーション、グローバル化といった言葉もよく使われる。中国語では、「全球化」と訳される。
徴候[編集]
グローバリゼーションの傾向が認められる現象は多くあるが、現代の「グローバリゼーション」では3つの流れがある。(1)第二次世界大戦後に地球規模化した現象、(2)世界恐慌最中の1930年代前半に失われたが、現在に復活している現象、(3)米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化した現象:の3つである。これらの現象には、ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系、インフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。一方で、様々な社会問題が国家の枠を超越し、一国では解決できなくなりつつある。
より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
• 世界経済の融合と連携深化。
• 貿易の発展。
• 直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
• 国際金融システムの発展。
• 多国籍企業による世界経済の支配割合の高まり。
• 世界で最適な調達・販売を行なうサプライチェーン・マネジメントの発達。
• 航空と海運の航路増大による物流ネットワークの発達。
• インターネット、通信衛星、電話などの技術を使った国境を越えるデータの流れの増大。
• 地球規模的に適用される標準、基準などの増加。(例:著作権法)
• 異文化交流の機会増加。
• 増大する国際的な文化の交換。文化の同化、融合、欧米化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、日本化及び中華化を通じての文化差異の減少。
• 増加する海外旅行、観光。
• 不法入国者・不法滞在者を含んだ移住者の増加。
• 政治主体の一元化
• 世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
• 国民国家の枠組みにとらわれないNGOなどの組織拡大。
• WTO、WIPO、IMFなどの国際的組織の役割の増大。
• 経済的格差の世界化
• 世界的な富裕層の増大、発展途上国における中流階級の成長、先進国の中流階級の没落・貧困化
• 社会問題の世界化
• 疫病の世界的流行。
• 犯罪の世界規模化。
• 地球全体の環境問題。
• 紛争への世界的関与。
※上記のすべての項目に地球規模化が認められるかどうかについては議論の余地がある。
賛否[編集]
グローバリゼーションの進展については、賛同して推進しようとする意見もある一方で、批判も強く、様々な立場から撤廃しようとする意見[(反グローバリゼーション・脱グローバリゼーション)が提示されている。様々な分野においてその功罪につき議論されている。
国家経済的視点では、ジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの利点を認めつつも、現状の市場・制度の下では二極化が進む欠点の方が多いと述べる。 またポール・クルーグマンは主に覇権国家や多国籍企業の利益追求を肯定・促進する(新自由主義)ために広められるドグマの一種であると書いている[要出典]。ただしその著書『グローバル経済を動かす愚かな人々』からも分かるように、クルーグマンはグローバリゼーションそのものに反対しているわけではない。
以下でグローバリゼーションに対する賛成・反対双方の意見を載せる。ただしここに載せた意見が経済学的に正しいとされているものとは限らない。貿易#貿易に関する誤解も参照の事。
賛同[編集]
• 国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。
• 投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。
• 全世界の様々な物資、人材、知識、技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。
• 各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、映画鑑賞などの娯楽活動に至るまで)を得る可能性がある。
• 密接に各国が結びつくことによって、戦争が抑制される可能性がある。
• 環境問題や不況・貧困・金融危機などの大きな経済上の問題、人権問題などの解決には、国際的な取り組みが必要でありこれらに対する関心を高め、各国の協力、問題の解決を促す可能性がある。
反対[編集]
• 安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
• 投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。
• 他国・他地域の企業の進出や、投資家による投資によって、国内・地域内で得られた利益が他地域・国外へと流出する。
• 従来は特定地域に留まっていたテロリズムや武力紛争が全世界化し、各地域の安全が脅かされる。
• 多国籍企業の進出や人的交流の活発化によって、生活と文化が世界規模で均質化し、地域固有の産業や文化が消滅する。
• 地域間競争の活発化によって、投資・経済活動の巨大都市(世界都市)への集中が進み、農山村や中小都市が切り捨てられ衰退する。
• 多国籍企業の影響力増大によって、各国の国家主権や地方自治が破壊される。
• 投資家やエリート官僚が政治を牛耳るようになり、各国・各地域の民主主義はグローバルな寡頭制に置き換えられる恐れがある。
• 厳しい競争の中で企業を誘致したり国内産業を育成しようとするため、労働環境は悪化し、環境基準が緩められ、社会福祉が切り捨てられるようになる(底辺への競争)。
再生核研究所声明 137 (2013.10.16): 世界の危機と 権力者の選出
(2013.10.9には 声明135にも有る通り、いろいろな考えが湧いたのであるが、実は 目覚めの後、声明136と この声明の原案も湧いていたのである。)
その朝 閃いたのは、奇妙な感覚で、人類絶滅の僅かな危惧の閃きである。
生物絶滅の一般的な形相、食料難、種族増大、感染症、衰退、内紛と外敵、および環境の悪化 などの観点を考えれば、人類には生存の余裕が 少しはまだ、あると考えられる。しかしながら、近代科学の進歩によって、偶発的な事件で、人類絶滅の可能性が、現に 既に存在するのではないか という危惧の念である。
人類を絶滅させる そのような要因は、急激な人為的な感染症、大量破壊兵器の意図的、偶発的な使用に追い込まれる事態が考えられる。偶発的な戦争や、混乱に伴って、追い込まれる事態である。
それらを行動に結び付けられる いわゆる権力者たちの冷静な判断を失えば、既に 世界は何時でも 危機を迎えていると考えられる。
その朝、閃いた考えは、実は 次の1点である。権力者が、最も大事なこと(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)を明確に自覚し、己れを犠牲にして、世界史に帰依できるか 否かである。究極の選択における、健全な選択である。人物たる人物に権力を委ねているか 否かの問題である。ここで言う、人物たる人物とは、己を犠牲にして、世界史に帰依できるかの一点にある。 全ての国々で、このような人物を権力者にしておけば、世界は 当分は 安泰に経過できるだろう。
特に、アメリカ大統領選挙などで、健全な家庭 を持っていることが、大統領の重要な要素と考えられていることは、高く評価されるべきである。 健全な家庭を営む者は、愛の本質を理解し、己を越えた存在について、身を以て体験しているから、人間存在の本質と、世界史への帰依は 理解しやすいからである。
このような危惧の念を起こさせた事件として、いわゆる キューバ危機が存在した。若きケネディ大統領の立場を理解して、退いた フルシチョフ首相は この意味で、世界史に寄与された人物として、高く評価されるべきではないだろうか(再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この観点から、世界は、2500年前の 中国古代の文献、礼記から大いに学ぶべきである:
古代の賢王のたちが天下を治めたときの心得は、五つであった。有徳者を貴ぶこと、身分の貴い人を尊ぶこと、老人を尊ぶこと、年長者を敬うこと、及び幼少を慈しむことである。この五つが古代賢王たちの政治の心得であった(再生核研究所声明2: 教育方法と賢王の心得 (礼記(中)新釈漢文大系 発行所 明治書院 p 709ー710 抜粋))。
世界危機の問題に発展しないまでも、権力者の影響は大きいから、絶えず、人物の選出には注意して、己れを犠牲にして、公のため、公正の為に行動できる人物か否かを 何時も注意深く判断するように心がけたい。危機を煽ったりして、心は、本当は 自己の貧しい、卑しい野心、利害の立場のことばかり考えている政治家は 世に多いからである。人物を選び、信頼関係の上に 国家に、世界に、公に貢献して行きたい。次も参照:再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項。
以 上
追記: しかしながら、強い者が弱い者を虐待して、逆襲に遭い、世界の思わぬ中枢を狙われ、あっけなく人類絶滅を招く可能性も否定できないのが 近代科学の進歩の 危険な要素でもないだろうか。その辺の警戒と対策は 世界にとって 大事ではないだろうか(再生核研究所声明86: 未だ おめでたい人類 - 先史時代)。
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