左右の思想家たちは、なぜ天皇制に反対したのか? 近代日本「天皇制廃止論」の歴史
【「月刊サイゾー」立ち読みサイト「サイゾーpremium」より】
――明治以降、天賦人権論、共和制思想、アナーキズム、共産主義……と、さまざまな知識人らが「天皇制廃止論」を表明し、そのための運動も展開してきた。さまざまな思想のもとに展開されてきたそれら「反天皇制主義」の歴史とはいかなるものなのか? その実像に迫る!
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『中江兆民―百年の誤解』(時事通信出版局)
今年、全国の有権者3000人を対象に朝日新聞が行った調査によると、「いまの憲法を変える必要があると思いますか?」という質問に対し、「変える必要がある」と答えた人は43%。「変える必要はない」と答えた人は48%だった。「変える必要がある」と答えた43%の人に「とくに変える必要があると思う分野はどれですか?(2つまで選択)」と質問したところ、「国会(衆議院と参議院)の仕組み」53%、「戦争放棄と自衛隊」32%、「憲法を変える手続き」32%などが挙げられ、「天皇制」と答えた人は11%(全体の5%)。一方、「変える必要はない」と答えた48%の人に対して、「いまの憲法のなかでとくに大切だと思う分野はどれですか?(2つまで選択)」と質問したところ、「戦争放棄と自衛隊」78%、「国民の権利と義務」67%についで、「天皇制」は20%(全体の10%)だった。
ここから見えてくるのは、大多数の国民は皇室の現状を肯定的に捉えている、あるいは少なくとも変える必要はないと考えているという事実であろう。一方で、天皇制は間違っている、そもそも制度としてあってはならない、と考え続けてきた人々がいる。いうまでもなくそれは、一部の左翼系思想家たちである。曰く、「天皇制打倒!」。歴史をひもとけば、かつては左翼運動家が目指す理想郷の条件に、「天皇制廃止」があった。
ではしかし、彼ら左翼系知識人、運動家らは、はたして天皇制の何を問題とし、いかなるロジックで天皇制を「打倒すべき」対象だと認識していたのか? 本稿では、共産党をひとつの中心とする近代以降の左翼運動の歴史を追いながら、現在の読者にもわかる形で「天皇制廃止論」のあり方を解説してみたい。
フランス革命の影響で否定される「君主制」
『天皇論ノート』(明石書店)など天皇制に関する多くの著作があり、天皇制反対を主張する左派系論客のひとりである評論家の菅孝行氏は、次のように解説する。
「近代天皇制に疑問の声を上げた初期のひとりに、幕末から明治にかけての思想家・中江兆民がいます。明治維新後、新政府に憲法の制定、議会開設などを求めた自由民権運動では、政府内のみならず各地で憲法草案が山のように作られましたが、その中で兆民は、共和制、つまり君主制ではない案を起草している。彼は岩倉使節団に参加し、フランスにも赴いてフランス革命を研究、『すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つ』という天賦人権説を主張したジャン=ジャック・ルソーの思想を信条としていました」http://biz-journal.jp/2015/06/post_10191.html
再生核研究所声明82(2012.3.16) 皇室の在りようについての 一考察
まず、日本国の永い歴史で中心的な役割を果たしてきた、日本の皇室については 高く評価し、また日本国の文化的な誇りでもあると考える(美しい国、日本; 再生核研究所声明23[付記] 参照)。
最近、国家元首の問題や女性皇族問題などが話題となっているので、 日本の皇室の在りようについての 考察を行って置きたい。
この考察の出発点は もちろん、日本国の永い歴史における皇室の役割の評価と あるべき姿との調整、調和である。
ここで、在るべき姿とは何か。 それは世界史の展開に対する評価と位置づけ、そして、自由、平等、博愛の原則である。 基本的な人権の尊重は、人間の尊厳に直結する 個人の固有な権利であり、皇族といえども保証されるべきである。 生まれながらに日本国の天皇の任に就かされることは、甚だしい人権侵害であると言わざるを得ない。これは皇族離脱の権利も広く保証されるべきであるという、見解に繋がると考える。また、皇族が日本国の在るべき姿について適切に指導できると 十分な裏付けと準備もなく 期待するのは 適切な見方ではないと考える。 よって、国家元首と言っても 実際的な意味を持たせるべきでなく、現在のように象徴的なものであると 考えるべきである。国家元首の件は 現在の憲法以上の意味を持たせるべきではなく、天皇によって任命された日本国首相が すべて 国家の責任を負うべきであると考える。
世界は 世界が大きな一つの国のように発展するのが 世界史の必然的な流れであると考える。 そのとき、日本国は ある纏まりのある相当な自治権を有する国となるだろう。 その時、皇室は 日本国の永い歴史上に存在する、家長的な存在、特に 日本文化の象徴的な 中心的な役割 を果たすと期待される。
上記文脈で見えて来る皇族の在りようは、 明治天皇のようではなく、現在の皇室の在り様、あるいは江戸幕府時代の皇室の在りようを暗示させるように見える。 この観点で、世界の先進国イギリスにおける 在りようや ヨーロッパ諸国の在りようを参考に 具体的には 1歩1歩考えていくと 柔軟に考えていけばよいと考える。
女性の皇族の問題(女性宮家の問題など)は 前向きに進め、皇族方をある程度大きくし、天皇などについても辞退が できたり、適任者が就任できるような余裕を持たせるような在りようが良いのではないだろうか。
現在、民主主義の問題が露になり、政治家は自分の保身や人気取りに気遣いし過ぎて 国家をおろそかにし、 国を危うくしている状況が 世界的に危惧される。 政治家不信は 世界的な風潮ではないだろうか。 誰が日本国の歴史と日本国に責任を持っているのかさえ、明確ではないような世相である(再生核研究所声明73:日本国首相の役割 参照)。
他方、天皇をはじめ、皇族の方々は、永い歴史上に存在する歴史上の存在であり、政党や派閥、特定団体を越えた 高い次元、視点に立てる存在である。 そこで、ある程度皇族を充実させ、政治などについても影響力を行使できるような在りようは、 現在の民主主義の次の時代の在りようとして、考える余地を残しておくのは 賢明な在りようではないだろうか。
政治の在りようは やがて進化して、愚かで、野蛮な政争などは無くなり、社会科学と人間の進化によって 専門家が各級の判断をするようになるだろう。そのとき 政治を取り巻く世界は安定して 緩やかな王政のような形がとられるだろう。
また、当分 夜明け前の時代には、 政治的な実権と国家元首を兼ねる大統領制よりは、 イギリス、日本などの 議員内閣制の政治体制の方が、政治体制として 優れていると評価したい。
以 上
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