日本発祥の「おにぎり」が今や韓国人の国民食に!=韓国ネット「比較するのは日本に失礼」「日本の悪口を言うに言えなかった…」
Record China 6月8日(月)5時6分配信
日本発祥の「おにぎり」が今や韓国人の国民食に!=韓国ネット「比較するのは日本に失礼」「日本の悪口を言うに言えなかった…」
6日、韓国・東亜日報は、大韓民国サッカー史の革命となった2002年日韓ワールドカップの年に、もう一つの小さな革命があったと伝えた。これに対し、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。写真はおにぎり。
2015年6月6日、韓国・東亜日報は、大韓民国サッカー史の革命となった02年日韓ワールドカップの年に、もう一つの小さな革命があったと伝えた。
【その他の写真】
それは、「おにぎり」だ。日韓ワールドカップの時に有名なったが、実際には以前からあった。1989年に韓国にコンビニが最初にできた当時から販売はされていた。ただ、興味を示す客はほとんどいなかった。
韓国人の口に合うおにぎりが開発され始めたのは2000年代になってからだった。また、01年に初めて放映されたおにぎりのテレビコマーシャルが、その知名度を大きく上げた。そのような中、02年のワールドカップとともに、人気が一気に高まった。韓国人に最も人気のある「全州ビビンバおにぎり」が出てきたのもこの時だ。同年に発売されて以降、販売ランキングで不動の1位を占めている。
おにぎりが最初に作られたのは日本だ。日本の研究者たちによると、平安時代にご飯を海苔で包んで食べる食文化が始まったとされている。今や日本と韓国の共通国民食となったおにぎりが将来どのように変化していくのか楽しみだ。
この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。
「日韓のコンビニのおにぎりを比べてみたが、日本のおにぎりは多様だ」
「日本のおにぎりは、ご飯におかずがたくさん詰まっているおいしい食べ物。韓国のおにぎりは、ご飯にご飯が詰まっている食べ物」
「日本に行って食べてみたことがあるが、韓国とは比べ物にならないくらいおいしい。おにぎりだけではなく、コンビニのパンも韓国のベーカリー級だ。デザートもおいしい。うらやましいばかりだ」
「日本のおにぎりを食べて悪口を言いたかったけど、できなかった」
「そもそも食べ物で日本と比較するのは、日本に失礼だ」
「日本の完勝だな」
「結局、日本式のコンビニで、日本式の食品が売れるということだな」(翻訳・編集/三田)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150608-00000005-rcdc-cn&pos=2
再生核研究所声明34(2010/04/16):日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上
【クールジャパンを後押しする政策に賛成?反対?】
日本の価値観を世界に向けて発信し、
産業活性化に結びつけることを目的とする
政府の「クール・ジャパン戦略」。
産業領域は、
ファッション、高機能家電、マンガ・アニメ、
食材や医薬品、伝統文化・匠の技術などなど・・・
23年度の予算では、クールジャパン戦略推進事業として
新たにおよそ11億5000万円が計上されたとか。
各業界の国際見本市や、
コンテンツ産業の海外展開を支援する海外拠点を設置するほか、
アジア地域での産業協力を推進する。
日中韓文化コンテンツ産業フォーラムの開催、
アジア・コンテンツ・ビジネスサミットの開催、
日中共同開催の映画・ドラマ週間、
アニメフェスティバルを目指すんだそうです
アジアでは、「韓流」がヒットしていますが
「クール・ジャパン」戦略、皆さんは賛成ですか?
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
公理系、公準とは数学の述語で 数学を展開する最も基礎をなす、仮定系のことである。
数学ではそれらを基礎に論理的に、厳格に数学が展開されると考えられている。すなわち、数学の基礎である。 2千年以前に考えられた、ユークリッドの平行線の公理、すなわち、 任意の直線に対して、直線外の一点を通ってその直線と交わらない直線がただ一つ(平行線)存在する が有名である。約2千年経って、そうではない幾何学(非ユークリッド幾何学)が現れて、平行線が存在しない幾何学と、無数の平行線が存在する2つの型の幾何学が現れて、現在それらの幾何学も日常の研究で どんどん使われている。
公理系が異なる数学では、世界が違っているので、一応は別数学、別世界と考えられる。そこで、違いは論じられても、相互の直接的な関係は、ほとんど考えられていないと言える。別公理系では、議論できない。
人間が交流できたり、議論できるのは共通の前提、基礎が存在するから、それらの基礎の上にできるということである。 確かに人間は 動物として存在する基礎として、動物の本能や、基本的な基礎が広範に共通するものとして存在している。 これらは、確認するまでもない。 それらは もちろん、本能に基づく面は 共通の基礎として、人間社会の公理系のように基礎になるだろう。衣、食、住を整え、良い市民社会に住みたい、まともな生活を送りたいなどは 誰でも願う共通の基礎と言えるだろう。
本声明の意図は、より上位の、いろいろな判断の基礎をなす、前提となる基礎について言及することである。我々は、何を基礎に物事の判断を行うであろうか?
我々は、その様な基礎を、生い立ちにおける教育、文化、習慣、伝統、あるいは影響を受けた、共感、共鳴する思想、などに見出すことができるだろう。 それは、テレビや新聞、環境の影響を強く受けていると考えられる。すなわち、環境の影響である。
我々が交流をどんどん深めていくと、結局、人生観、世界観、宗教観まで行き着き、最後には、それらの点における相違を認める場面に至るは多い。 そこで、相違をしっかりと認識することになる。時として、見解の相違であるとして、議論や討論、交流を打ち切る場合は 世に多い。議論や討論はそのような形相を帯びる事が多い。
ところが、他方、人間界には 好みや感情がもろに出てくる場合も世に多い。8歳で巨大素数の構造が好きだとか、6歳で、無限に興味がある。 冬山が好きで、危険を顧みず、雪の中でテントを張って過ごしてくる。サーフィン、岩登り、冒険など、世にはいろいろな興味に、関心に強い情念を抱くは多い。これらの個性と多様性には議論の余地が無くて、好きだから仕方がないと表現できるかも知れない。
上記で、人間の基礎をなす 知と情の背景を考察した。 いずれも基礎が異なれば、理解や共感、共鳴は 難しいということを述べている。
そこで、本声明の要点は、人間関係でお互いの基礎、数学で言う公理系に当たる部分について 相手と自分の基礎を確認して、さらにそれらの公理系のようなものまでも その是非を慎重に検討して行く必要性に思いを至らしめることである。
我々の前提は、大丈夫だろうか。適切であろうか。我々の基礎は適切であろうか。疑い、他の立場は有り得ないであろうか? 基礎の基礎を省察していきたい。それこそが, 真智への愛と言える。
公理系は、変わる可能性があり、いろいろな世界が有り得る。いろいろな公理系を超えて、我々はより自由になり、広い大きな世界を観ることができる。
これは、民族や国家には固有の基礎があり、違えば、違う基礎が有る。人種、性別でも基礎が相当に違い、宗教によっても、学歴や能力、貧富の差や、地域でも基礎について相当な違いが有る。 それらの違い超えて、しっかり背景を捉えて、行こうということを述べている。
さらに言えば、予断、独断、偏見、思い込み、決めつけ、習慣、慣習、それらも時として、省察が必要である。
この声明の背景には 最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の発見がある。 長い間確立されていた定説の変更、新発見である。
以 上
0 件のコメント:
コメントを投稿