2016年9月30日金曜日

【知識人ならぜひ知っておきたい!】歴史上の偉大な人物ランキング-トップ20

【知識人ならぜひ知っておきたい!】歴史上の偉大な人物ランキング-トップ20

  1. バッハ(作曲家)
  2. トーマス・ジェファーソン(政治家)
  3. カント(哲学者)
  4. シェイクスピア(作家)
  5. ピタゴラス(数学者)
  6. コペルニクス(天文学者)
  7. ケプラー(天文学者)
  8. フランクリン(政治家・物理学者)
  9. ダーウィン(生物学者)
  10. マリ・キュリー(物理学者・化学者)
  11. ミケランジェロ(彫刻家・建築家)
  12. アルキメデス(数学者・発明家)
  13. ニコラ・テスラ(電気技師・発明家)
  14. モーツァルト(作曲家)
  15. プラトン(哲学者)
  16. アインシュタイン(物理学者)
  17. アリストテレス(哲学者)
  18. ガリレオ(天文学者)
  19. ニュートン(物理学者・数学者)
  20. ダ・ヴィンチ(美術家・科学者・数学者・発明家)
世界史の授業で、必ず一度は耳にする偉人たちばかりですね!
彼らの業績は、偉大すぎて凡人には理解できないものが多いですが・・・、「一般常識」として、名前と分野ぐらいは知っておいたほうが良いかもしれません^^
彼らの業績のお陰で、私たちが今住んでいる文明社会があるのだと思うと、とても感謝です♪http://hot-topic-news.com/greatest-mind-ranking
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                     
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上
再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0

佳子さまと眞子さま 「女性宮家」の問題で生涯独身の選択肢も

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9月24日から1泊2日で、鳥取を訪問された秋篠宮家の次女・佳子さま。昨年12月以来、お出ましがなくなっていたものの、外でのご公務を再開されたことで多くの報道陣が集まった。一方、長女・眞子さまはこの秋からは、母校であるICU大学院の博士課程にも在籍し研究にも力を入れられている。

 公務に勉強に、充実した日々を過ごされているように見えるおふたりだが、
「いま、眞子・佳子両内親王殿下は、微妙なお立場にあると言えます。
 天皇陛下が『生前退位』をされると、おふたりは多くの役職や公務を担われる可能性がありますが、結婚後はそれらのお仕事をどうするのかということが、何も決まっていないからです」
 と危機感を募らせるのは、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
 8月8日に、陛下が生前退位の意向を強くにじませる「おことば」を発表されてから2か月弱─。
 政府は今回の退位だけを認める特別法を制定する方針で、改めて注目された「女性・女系天皇」や「女性宮家」の問題は、先送りにするのではという見方が強まっている。
「基本的に現在の両陛下の公務は、皇太子同妃両殿下が引き継ぎ、両殿下の公務は秋篠宮同妃両殿下が引き継がれることになるでしょう。
 では、秋篠宮同妃両殿下の公務はどうなるかといえば、当面は眞子・佳子両内親王殿下が担われるしかないのではないでしょうか」(山下さん)
 眞子さまは昨秋、秋篠宮さまから「日本テニス協会」の名誉総裁を引き継ぎ、テニス大会などにもご臨席。
 この6月には’14年に薨去された桂宮さまから「日本工芸会」の総裁を引き継ぎ、9月21日には「日本伝統工芸展」にもおなりになっている。
「佳子内親王殿下は現在、大学生なので学業優先となっていますが、卒業後は同様にお忙しくなるでしょう。
 現在の法律では、女性皇族は一般人と結婚すると皇室を離れることになっていますので、それまで担ってこられた公務を皇族として務めることはできません。
 その際、皇族のどなたかに引き継いでいただくのか、その公務自体をなくすのか検討が必要になるでしょう」(同)
 つまり、眞子さまと佳子さまが、どこまで仕事を引き受けていいのか迷い、結婚に躊躇するかもしれない現状があるのだ。
 そこで’12年、旧民主党の野田政権で検討されたのが、女性皇族が「結婚」しても皇室に残り、皇族として公務を続けていただく「女性宮家」の創設案だ。
 しかし、女性宮家を認めると、民間出身である婿をどのような地位にするのか、伝統に反するという女系天皇の出現の可能性があるなどと反発もあり、棚上げに。
「今回も今までと同様に、結論を出さず時間だけが過ぎていくことになるでしょう。
 内親王や女王方の公務への取り組み方を考えるうえで、基本的なところが定まらない状況が今後も長く続くということです」(同)
 そこで今後、桂宮さまのように「独身」のまま宮家を創設、生涯皇族として活動する「独立の生計を営む内親王」が誕生する可能性があるという。
 三笠宮さま(100)の次男である宜仁さまは、昭和天皇から桂宮の宮号を贈られ’88(昭和63)年から独身のまま異例の独立。
「三笠宮邸が手狭になっている」「宮号を持っているほうが活動しやすい」などという理由からだった。
 山下さんが独立した内親王の待遇について説明する。
「独立されても、プライベートマネーとなる皇族費は内親王の場合で年間1525万円ですから、掃除など身の回りのお世話をする私的使用人を雇うのは厳しいでしょう。
 一方、宮務官、侍女長、事務官といった国家公務員が4~5人はつくでしょうから、ご活動は充実したものになるでしょう」
 最近は、女性のライフスタイルも多様化し、あえて結婚しない「非婚」、出産をせず母親にならない「ノンママ」。
 バリバリとキャリア(仕事)を積み上げる「バリキャリ」という言葉も生まれている。
 女性皇族にも独身を貫き、公務やライフワークに人生を捧げようとお考えになる方がいるかもしれない。
「あまり遅くなく結婚してくれたらいいなと思います」
 ’13年11月の記者会見で、眞子さまと佳子さまのご結婚について、父親としてそう述べられた秋篠宮さま(50)。
 しかし、ご自身たちの将来を決めかねる現状に、眞子さまと佳子さまは「生涯独身」でいることの話し合いを、すでにされているかもしれない。http://news.livedoor.com/article/detail/12076184/

再生核研究所声明822012.3.16  皇室の在りようについての 一考察

まず、日本国の永い歴史で中心的な役割を果たしてきた、日本の皇室については 高く評価し、また日本国の文化的な誇りでもあると考える(美しい国、日本; 再生核研究所声明23[付記] 参照)。
最近、国家元首の問題や女性皇族問題などが話題となっているので、 日本の皇室の在りようについての 考察を行って置きたい。
この考察の出発点は もちろん、日本国の永い歴史における皇室の役割の評価と あるべき姿との調整、調和である。
ここで、在るべき姿とは何か。 それは世界史の展開に対する評価と位置づけ、そして、自由、平等、博愛の原則である。 基本的な人権の尊重は、人間の尊厳に直結する 個人の固有な権利であり、皇族といえども保証されるべきである。 生まれながらに日本国の天皇の任に就かされることは、甚だしい人権侵害であると言わざるを得ない。これは皇族離脱の権利も広く保証されるべきであるという、見解に繋がると考える。また、皇族が日本国の在るべき姿について適切に指導できると 十分な裏付けと準備もなく 期待するのは 適切な見方ではないと考える。 よって、国家元首と言っても 実際的な意味を持たせるべきでなく、現在のように象徴的なものであると 考えるべきである。国家元首の件は 現在の憲法以上の意味を持たせるべきではなく、天皇によって任命された日本国首相が すべて 国家の責任を負うべきであると考える。
世界は 世界が大きな一つの国のように発展するのが 世界史の必然的な流れであると考える。 そのとき、日本国は ある纏まりのある相当な自治権を有する国となるだろう。 その時、皇室は 日本国の永い歴史上に存在する、家長的な存在、特に 日本文化の象徴的な 中心的な役割 を果たすと期待される。
上記文脈で見えて来る皇族の在りようは、 明治天皇のようではなく、現在の皇室の在り様、あるいは江戸幕府時代の皇室の在りようを暗示させるように見える。 この観点で、世界の先進国イギリスにおける 在りようや ヨーロッパ諸国の在りようを参考に 具体的には 1歩1歩考えていくと 柔軟に考えていけばよいと考える。
女性の皇族の問題(女性宮家の問題など)は 前向きに進め、皇族方をある程度大きくし、天皇などについても辞退が できたり、適任者が就任できるような余裕を持たせるような在りようが良いのではないだろうか。
現在、民主主義の問題が露になり、政治家は自分の保身や人気取りに気遣いし過ぎて 国家をおろそかにし、 国を危うくしている状況が 世界的に危惧される。 政治家不信は 世界的な風潮ではないだろうか。 誰が日本国の歴史と日本国に責任を持っているのかさえ、明確ではないような世相である(再生核研究所声明73:日本国首相の役割 参照)。
他方、天皇をはじめ、皇族の方々は、永い歴史上に存在する歴史上の存在であり、政党や派閥、特定団体を越えた 高い次元、視点に立てる存在である。 そこで、ある程度皇族を充実させ、政治などについても影響力を行使できるような在りようは、 現在の民主主義の次の時代の在りようとして、考える余地を残しておくのは 賢明な在りようではないだろうか。
政治の在りようは やがて進化して、愚かで、野蛮な政争などは無くなり、社会科学と人間の進化によって 専門家が各級の判断をするようになるだろう。そのとき 政治を取り巻く世界は安定して 緩やかな王政のような形がとられるだろう。
また、当分 夜明け前の時代には、 政治的な実権と国家元首を兼ねる大統領制よりは、 イギリス、日本などの 議員内閣制の政治体制の方が、政治体制として 優れていると評価したい。

以 上
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):

今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。

美しい国、日本

日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。

日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。

日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。

京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。

日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。

これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。

国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実

http://www.asahi.com/business/update/0124/TKY201201240691.html

国の借金1024兆円=国民1人当たり802万円―11年度末見込み

日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)

再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態

人間の個性はいろいろであり、主婦の立場もいろいろであるが、女性や主婦の根源的な有り様を纏めてみたい。 次に、男性の生態、亭主の生態と対で考察したい。
女性とは、何であろうか、主婦とは何だろうか。 それには、女性の関心の所在を見極めれば良い。 女性は、頼りを求め、育児と食の関心が強い存在である。頼りを求めるは、愛の問題や恋の問題が深いと言える。家庭を持つ以前の難題については次を参照:

再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意

育児と食の関心は 次の段階であるが、当然、若くから、準備されていることは当然である。 本質的に、育児と食が満足できれば、女性は本質的に幸せであり、芸術その他の多くの趣味は、そんなに基本的な問題ではないように見える。亭主の立身出世も本質的では無く、経済的な条件の改善くらいの軽い意味しか、大抵の場合にはないのではないだろうか。もちろん、虚栄心で、亭主を頑張るように励まし、亭主を追い立てる場合も 希に世に見られるが、一般的ではないように見られる。他方、子供については、子供の将来を思い、子供を励ましている状況は 世に多く見られる。 これらを総括すると、 猿などの家族で、育児に勤しむメスザルと 主婦の生態は殆ど同じようなもので、慎ましく愛すべきもの、自然状態に近い存在であるように見える。多くの母親は、家庭の健全な状態を願い、健康や食に気遣い、生物の基本的な集団である家族を大事に考えているという意味で、主婦とは完全であり、男性にとっても家族にとっても素晴らしい存在であると言える。
主婦の立場では、生も死も大した問題では無く、宗教も多くは深い意味を持たず、学問、芸術、政治なども多くは大きな関心ではなく、大きな存在ではないだろう ― これらにおいて、男性勝りに 能力が高く、関心の強い方は 世に多いが、一般的とは言えないだろう。
結論的に言えば、女性は男性に比べて、より原始的な安定した、自然と神に近い存在といえよう。美しい女性を育てるには、愛情に恵まれ、経済的な基礎に基づく、豊かな生活が必要である。男性には、夢を与える志があるのが望まれる。 世の男性の奮起を促したい。

以 上

再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態

 
人間の個性はいろいろであり、亭主の立場もいろいろであるが、男性や亭主の根源的な有り様を纏めてみたい。これは再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態と対で考察したい。
男性とは、何であろうか、亭主とは何だろうか。 それには、男性の関心の所在を見極めれば良い。男性は、家族の責任者であるから、外との関係で収入を得て、家族を養い、 安定した生活に何時も気を遣うのは当然で、それらの本能は立身出世を基本的に志向し、それらは多く、求道や真理の追究、多くの好奇心として現れ、男性の多様性は女性の多様性には比べられないほどである。高名な研究者が深夜ジグソーパズルに耽っていたかと想えば、探検家や登山家、岩登りなどに挑戦している姿などは、女性には中々理解できない面である。また、純粋数学者が動機も無くただ、真実の追求に人生にかけているなど、男性の趣味、志は豊かで、多様、深く、人間存在としても極めて興味深い。― これらを男性の特徴かと思うと、男性勝りの女性が世に多いことも注目して置きたい。家庭を持つ以前の男性にとっても 女性の関する難題については 次を参照:
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
男性の関心の原点が外にあるということは、家庭内で、安定に生活し、子供が健やかに成長していれば、概ね、内は諒と考えて、男性は志の方に大きな関心が行き、それは、多くの場合、家庭を顧みない、妻を顧みない亭主として 世の亭主の批判は定着化しているのではないだろうか? それはソクラテスの悪妻として2000年以前から変わらない、 主婦と亭主の根源的な関係である。― 逆に 男性が家庭に埋没していれば、女性は、物足りないと 実感するだろう。その意味で、男性は外に志を抱く、必要があり、家庭では孤独な存在になるだろう。結論的に言えば、男性は女性に比べて、より発展したそれゆえに、弱く、不安定な存在で、進化したという意味では 女性より 神に近い存在といえよう。素敵な男性を育てるには、家庭をきちんと纏めて、育児をなし、よい食を整え、生活を整えれば、自ずから、成長するのではないだろうか。良き伴侶を見つけることの重要性は 女性の一大事であることは、古来変わらない原理ではないだろうか。これは自明のことであるが、世の女性の注意、奮起を促したい。男性にも 家庭を持たないで、悟り、人生を肯定することは 極めて難しい原理があることに 注意を喚起して置きたい。もちろん、良き伴侶を見つけることの重要性は 男性の一大事であることも、古来変わらない原理である。
以 上

数学は発見か発明か『神は数学者か?』

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ルネサンスの彫刻家ミケランジェロは、自分の彫刻は大理石のなかに初めからあって、それを掘り出しているだけだと考えていた。電気と磁気の統一理論を編み出したマクスウェルも、方程式を発見したのは自分の中の何かであって、自分ではないと告白している。
ニュートンの逆二乗法則やアインシュタインの一般相対性理論など、自然の中には数学で説明できる事象が数多くある。これらの方程式は人間の脳が生み出したものなのだろうか。もしくは最初から存在していて人間は発見しただけなのだろうか。
マリオ・リヴィオは、そんな疑問を掘り下げる。

第1章 謎
第2章 神秘主義者たち — ピタゴラスとプラトン
第3章 魔術師たち ー アルキメデスとガリレオ
第4章 魔術師たち — デカルトとニュートン
第5章 統計学者と確率学者 ー 不確実性の科学
第6章 幾何学者たち — 未来の衝撃
第7章 論理学者たち — 論理を論理する
第8章 不条理な有効性?
第9章 人間の精神、数学、宇宙について

ヒントは「客観的な真理」にある。数学にはリーマン予想やホッジ予想など、懸賞金がかけられた未解決問題が幾つかあるが、これらの命題は証明された時点で真理になるのだろうか。もしくは最初に思いついた時点で真理なのだろうか。はたまた人間が考え始める前から真理なのだろうか。
結論は本書に委ねるとして、この問いは哲学的で面白い。宇宙を想像してみて欲しい。直径が100億光年以上ある宇宙空間に、銀河が1000億個以上ある。その中のひとつに太陽系があり、地球があり人間がいる。広大な宇宙の仕組みを人間の小さな脳が解明する。その解明は発見か発明か。http://ryoanna.hatenablog.com/entry/2015/05/10/140013
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf  Announcement 300:  New challenges on the division by zero z/0=0\\
(2016.05.22)}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\

%\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, for its importance we would like to state the
situation on the division by zero and propose basic new challenges.

\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By a {\bf natural extension} of the fractions
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we found the simple and beautiful result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the  case of real numbers.

 The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, Google site with the division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628,  however,
  Sin-Ei Takahasi (\cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing the extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2):

 \bigskip

 {\bf  Proposition 1. }{\it Let F be a function from  ${\bf C }\times {\bf C }$  to ${\bf C }$ satisfying
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad) 
$$
for all
$$
a, b, c, d  \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a },  \quad   a, b  \in  {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}

 Note that the complete proof of this proposition is simply given by  2 or 3 lines.

\medskip
We thus should consider, for any complex number $b$, as  (1.2);
that is, for the mapping
\begin{equation}
w = \frac{1}{z},
\end{equation}
the image of $z=0$ is $w=0$ ({\bf should be defined}). This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the  point at infinity on the Riemann sphere. Therefore, the division by zero will give great impacts to complex analysis and to our ideas for the space and universe.

However, the division by zero (1.2) is now clear, indeed, for the introduction of (1.2), we have several independent approaches as in:

\medskip
1) by the generalization of the fractions by the Tikhonov regularization or by the Moore-Penrose generalized inverse,

\medskip
2) by the intuitive meaning of the fractions (division) by H. Michiwaki,

\medskip
3) by the unique extension of the fractions by S. Takahasi,   as in the above,

\medskip
4) by the extension of the fundamental function $W = 1/z$ from ${\bf C} \setminus \{0\}$ into ${\bf C}$ such that $W =1/z$ is a one to one and onto mapping from $ {\bf C} \setminus \{0\} $ onto ${\bf C} \setminus \{0\}$ and the division by zero $1/0=0$ is a one to one and onto mapping extension of the function $W =1/z $ from  ${\bf C}$ onto ${\bf C}$,

\medskip
and

\medskip

5) by considering the values of functions with the mean values of functions.
\medskip

Furthermore, in (\cite{msy}) we gave the results in order to show the reality of the division by zero in our world:

\medskip

\medskip
A) a field structure  containing the division by zero --- the Yamada field ${\bf Y}$,

\medskip
B)  by the gradient of the $y$ axis on the $(x,y)$ plane --- $\tan \frac{\pi}{2} =0$,
\medskip

C) by the reflection $W =1/\overline{z}$ of $W= z$ with respect to the unit circle with center at the origin on the complex $z$ plane --- the reflection point of zero is zero,
\medskip

and
\medskip

D) by considering rotation of a right circular cone having some very interesting
phenomenon  from some practical and physical problem.

\medskip

In (\cite{mos}),  many division by zero results in Euclidean spaces are given and  the basic idea at the point at infinity should be changed. In (\cite{ms}), we gave beautiful geometrical interpretations of determinants from the viewpoint of the division by zero. The results show that the division by zero is our basic and elementary mathematics in our world.

\medskip

See  J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker \cite{bht} for the relationship between fields and the division by zero, and the importance of the division by zero for computer science. It seems that the relationship of the division by zero and field structures are abstract in their paper.

Meanwhile,  J. P.  Barukcic and I.  Barukcic (\cite{bb}) discussed recently the relation between the divisions $0/0$, $1/0$ and special relative theory of Einstein. However, their logic seems to be curious and their results contradict with ours.

 Furthermore,  T. S. Reis and J.A.D.W. Anderson (\cite{ra,ra2}) extend the system of the real numbers by introducing an ideal number for the division by zero $0/0$.

 Meanwhile, we should refer to up-to-date information:

{\it Riemann Hypothesis Addendum - Breakthrough

Kurt Arbenz
https://www.researchgate.net/publication/272022137 Riemann Hypothesis Addendum -   Breakthrough.}

\medskip

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

 For our ideas on the division by zero, see the survey style announcements 179,185,237,246,247,250 and 252 of the Institute of Reproducing Kernels (\cite{ann179,ann185,ann237,ann246,ann247,ann250,ann252,ann293}).

\section{On mathematics}
Apparently, the division by zero is a great missing in our mathematics and the result (1.2) is definitely determined as our basic mathematics, as we see from Proposition 1.  Note  its very general assumptions and  many fundamental evidences in our world in (\cite{kmsy,msy,mos}). The results will give great impacts  on Euclidean spaces, analytic geometry, calculus, differential equations, complex analysis and  physical problems. See our announcements for the details.

The mysterious history of the division by zero over one thousand years is a great shame of  mathematicians and human race on the world history, like the Ptolemaic system (geocentric theory). The division by zero will become a typical  symbol of foolish human race with long and unceasing struggles. Future people will realize this fact as a definite common sense.

We should check and fill our mathematics, globally and beautifully, from the viewpoint of the division by zero. Our mathematics will be more perfect and beautiful,  and will give great impacts to our basic ideas on the universe.

\section{Albert Einstein's biggest blunder}
The division by zero is directly related to the Einstein's theory and various
physical problems
containing the division by zero.  Now we should check the theory and the problems by the concept of the RIGHT and DEFINITE division by zero. Now is the best time since 100 years from Albert Einstein. It seems that the background knowledge is timely fruitful.

\section{Computer systems}
The above Professors listed are wishing the contributions in order to avoid the zero division trouble in computers. Now,  we should arrange  new computer systems in order not to meet the division by zero trouble in computer systems.

\section{General  ideas on the universe}
The division by zero may be related to religion,  philosophy and the ideas on the universe, and it will creat a new world. Look the new world.

\bigskip

We are standing on a new  generation and in front of the new world, as in the discovery of the Americas.

 \bigskip

\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}

\bibitem{bb}
J. P.  Barukcic and I.  Barukcic, Anti Aristotle—The Division of Zero by Zero. Journal of Applied Mathematics and Physics,  {\bf 4}(2016), 749-761.
doi: 10.4236/jamp.2016.44085.

\bibitem{bht}
J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker,
Meadows and the equational specification of division (arXiv:0901.0823v1[math.RA] 7 Jan 2009).

\bibitem{cs}
L. P.  Castro and S. Saitoh,  Fractional functions and their representations,  Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math.  {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198,  DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

\bibitem{ms}
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero $z/0=0$,
Linear Algebra \& Matrix Theory (ALAMT)(to appear).

\bibitem{msy}
H. Michiwaki, S. Saitoh,  and  M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$.  IJAPM  International J. of Applied Physics and Math. {\bf 6}(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

\bibitem{mos}
H.  Michiwaki, H. Okumura, and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces.
 International Journal of Mathematics and Computation
 (in press).

\bibitem{ra}
T. S. Reis and J.A.D.W. Anderson,
Transdifferential and Transintegral Calculus,
Proceedings of the World Congress on Engineering and Computer Science 2014 Vol I
WCECS 2014, 22-24 October, 2014, San Francisco, USA

\bibitem{ra2}
T. S. Reis and J.A.D.W. Anderson,
Transreal Calculus,
IAENG  International J. of Applied Math., {\bf 45}(2015):  IJAM 45 1 06.

\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices,  Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory.  {\bf 4}  (2014), no. 2,  87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi,  Classification of continuous fractional binary operations on the real and complex fields,  Tokyo Journal of Mathematics,   {\bf 38}(2015), no. 2, 369-380.

\bibitem{ann179}
Announcement 179 (2014.8.30): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics.

\bibitem{ann185}
Announcement 185 (2014.10.22): The importance of the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann237}
Announcement 237 (2015.6.18):  A reality of the division by zero $z/0=0$ by  geometrical optics.

\bibitem{ann246}
Announcement 246 (2015.9.17): An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines.

\bibitem{ann247}
Announcement 247 (2015.9.22): The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$.

\bibitem{ann250}
Announcement 250 (2015.10.20): What are numbers? -  the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann252}
Announcement 252 (2015.11.1): Circles and
curvature - an interpretation by Mr.
Hiroshi Michiwaki of the division by
zero $r/0 = 0$.

\bibitem{ann281}
Announcement 281(2016.2.1): The importance of the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann282}
Announcement 282(2016.2.2): The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday.

\bibitem{ann293}
Announcement 293(2016.3.27):  Parallel lines on the Euclidean plane from the viewpoint of division by zero 1/0=0.

\end{thebibliography}

\end{document}

スティーヴン・ホーキング博士 地球から去るよう呼びかける

スティーヴン・ホーキング博士 地球から去るよう呼びかける

英国の学者スティーヴン・ホーキング博士は、他の惑星の征服に取り組むよう人類に呼びかけた。

© 写真: NASA/JPL-CALTECH イスラエルの物理学者 人工「ブラックホール」をつくり出すことに成功 ホーキング博士は、「私は人類が宇宙へ出て行かなければ人類に未来はないと思っている」と述べた。ガーディアン紙が報じた。 ホーキング博士によると、地球の生命は高まり続ける危険にさらされており、自然災害や人災によって一掃される可能性があるという。 ホーキング博士は、人類にとっての主要なリスクは核戦争と遺伝子操作されたウイルス攻撃だと考えている。ホーキング博士は2016年1月にも同じような考えを表している。

続きを読む: https://jp.sputniknews.com/science/20160929/2833559.html

再生核研究所声明86(2012.4.25) 未だ おめでたい人類 - 先史時代

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。
人類は最も大事なこと を確認して(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと ― 世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある ― )、大いなる世界を志向すべきである(再生核研究所声明 32: 夜明け ― ノアの方舟)。 実際、人類は、生と死の問題を克服して(再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について)、 人間存在の原理に従って、進むであろう( ― ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。 - 夜明け前 よっちゃんの想い。)。 しかしながら、人類が 何時でも 世界史を 閉じる 悟りの境地 に達することが望まれる(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この声明の趣旨は
1)この世で最も大事な真実は 唯一つ、最も大事なこと、 人類の生存であり、 その目標に従って 総合的な戦略をすすめること
2)内部的には、個人的には己が生命を輝かせる道を 歩めるように努力すること(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)、
3)それらのために、何よりもまず、 地球を良く治めよ
ということにある。
原理は、人類の生存は ひとりでに保証されるものではなく、自然や生態系などの広範な管理、運営、創造によって可能になるものであり、多様性の原理 によって、広範な科学の進歩が不可欠であるということにある。

以 上
再生核研究所声明 1142013.4.20: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する 

(本声明は 2013.4.13: 8時半頃、研究室に向っているとき、電光のように閃いて 構想が広がったものである)

声明

再生核研究所声明86:  未だ おめでたい人類 - 先史時代

で述べているように、人類の絶滅は 地球の運命と共に避けられないだろう。そこで、生命の代表である人類が、大いなる意志を 再生核研究所声明 32:夜明け ― ノアの方舟 のように働かせるのは 最も崇高な人類に課せられた義務である。 しかし、人類が最も大事なことに気づかず(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)、偶発的な戦争や人口増大、環境汚染、急激な感染症や地球環境の変化で、人類の絶滅を招く危険性は 高いと考えるべきである。
しかしながら、人類の生存には 少しは先がある と考えるのは当然としても、大いなる生命の、すなわち、元祖生命体(再生核研究所声明 36:恋の原理と心得の 細胞的な存在 である個々の人間の終末は、そんなに遠いものではない。そこで、人類の歴史の終末と己が最後の時を重ね合わせ、想いをめぐらし、生存期間の充実を大局的に思考すべきである。
何が、世界史で評価されるべきであろうか。地球外生物は 人類の歴史をどのように評価するだろうか?
彼らは、まず、人類が 生命をどのように捉え,人生をどのように捉えたかに注目し、お釈迦様を以て、人類を高く評価し、科学面では ニュートン、アイインシュタインを以て人類のレヴェルを評価するだろう。数学の発展については、オイラーの公式の発見を以て、人類の高い智性を認めるだろう。さらに日本歌謡界のレヴェルの高さに感銘して、美空ひばり様の歌など、生命の切なさを歌い上げたものとして、上記に劣らない高い評価を下すだろう。人類の芸術についても 深い理解を示すだろう。しかしながら、異なる感性、感覚を有する地球外生物にとっては、人類の世界史の理解を まずは 人類が得た数学の全体の理解から始めるだろう。数学こそが、生命活動の客観的な表現と言えるからである。人類が得た手段、電波、原子力、計算機、人類の成した 衛星月に到達し、太陽系外にメッセージを送った事実は顕著な記録となるだろう。
この声明の趣旨は、人類の歴史に想いを寄せ、世界史の進化を促し、個々の、自分の人生の意義を確認して、自分たちの世界史の評価と自分の人生をきちんと捉えて、後悔の無い充実した人生を送くろうと志向することにある
島争いや、敵対行為など 野蛮な世界を抜け出して、夜明けを迎えたい。

再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

を参照。また各人が、おのおのの世界観で この種の展望、評価を行ない,纏めることは意義あることであると考える。
(再生核研究所声明は 将来バイブルのようになるだろう。なぜなら、お釈迦様以来、 人生、世界全般の在り様について 分かり易く、簡潔に、述べられた文献は 世に稀だからである。)

以 上
再生核研究所声明 119 (2013.5.18):  冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類

これは 宗教上の神々を意味せず、人類を助け、救ってくれるような存在は無く、人類の生存の可能性は ひとり 人類の努力に任されていると言うことを表現したものである。

声明

再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代:

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の可能性の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。以下略。

次も想起して置きたい:

再生核研究所声明 114: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する

人類を生み、育くんで来た自然とて、優しい存在では無く、絶えず変化し、環境の破壊や汚染で、自然とともになどとは 言っていられない状況である。食物連鎖の法則や老、死などは 生命の本質として、世界を観なければならない。誠、造物主がおられて、このような厳しい状況を創造されたとすれば、それは極めて非情であるとも考えられる。あらゆる生命を肯定するということは、食物連鎖の法則や老、死などを諒として、受け入れなければならない。 否、生命の存在を肯定できる それらを越えるものが 有るだろうかと思考する。 在ることの意義として、 感動を考えれば (再生核研究所声明 12 : 人生、世界の存在していることの意味について) 愛、学問、芸術、こそ;真、善、美、聖の追究こそ、人間としての生きがいである ということになる。 ここで 特に愛とは、男女の愛、親子の愛から始まって、共生、共感、共鳴を伴う好ましい関係喜びを与える関係である。学問とは 真理の追究であり、芸術とは、生命の表現である。 聖とは、神性を有する人間が大義に生きることである。広大な宇宙で 地球は極めて孤独な存在であり、宇宙の特異点であると理解できる。宇宙を理解するには この地球に宇宙を反映させる他 手段は無い (再生核研究所声明 116: 宇宙空間、星間交流から人間を考える )。
孤独で、哀しい運命を共有する 弱い人類は 団結し、生態系を大事にして、家族のように 共生、共感、共鳴できるようにしようと 訴える。それが この声明の趣旨である。上記 造物者とは、生命にとっては、人間にとっては 真実 両親であり、親ほど有り難いものは 世に無い。

以 上

秋こそ、数学という“芸術”に触れる――『奇蹟がくれた数式』に日本の各界著名人から絶賛コメントが到着

秋こそ、数学という“芸術”に触れる――『奇蹟がくれた数式』に日本の各界著名人から絶賛コメントが到着


10月22日公開の映画『奇蹟がくれた数式』に、各界の著名人がコメントを寄せている。同作品は、英国人数学者のハーディとインドの名もなき事務員・ラマヌジャンという、生まれも境遇も全く違う2人の天才が出会い、世界を変える奇蹟を起こした実話を描いた物語。
詳細は次の通り。
画像:(C)Richard Blanshard

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神に愛された男と神を拒否する男。肌の色も文化も異なる二人を結びつけた数式は今を生きる私たちの未来にも光をあてる。この作品には心に刺さる感動が詰まっている。
安藤和津(エッセイスト・コメンテイター)
未来の人工知能から生まれた最初の数学者は、きっとラマヌジャンの姿をしているんじゃないか?
川上量生(ドワンゴ会長)
戦時下で国籍や文化、身分や個性などの違いがあっても、数学を通してお互いが尊重し合い固い絆で結ばれていく、ハーディ教授とラマヌジャンの友情に心を打たれました。
澤穂希
天才は見出す天才がいるから天才なのだ!そのことを衝撃の数式で教えてくれた。
志茂田景樹(作家・よい子に読み聞かせ隊 隊長)
「数学者は色のない絵を描く」この映画を観て、私の頭の中の数学知識が、まるで生命の息吹を得たかのように踊り始めた。学校で数学が苦手になってしまった人にもオススメしたい。
竹内薫(サイエンス作家)
胸が熱くなり、心が揺さぶられ、涙しました。是非家族で見てほしい映画です。隣にいる人のまだ見ぬ才能を心から信じ、互いを慈しみ合おうと思える素敵な時間を過ごせると思います。
坪田信貴(坪田塾 塾長・「ビリギャル」著者)
ラマヌジャンの存在は輝く星のようです。星は明るく大きいほど、その寿命は短いといいます。その残滓が私達を形作っているということを、一体どれほどの人が知っているでしょうか。
中野信子(脳科学者)
親友への愛、数学への愛、恋人への愛。大英帝国のしがらみと人種の壁さえ溶かす色んな形の愛溢れる作品。そしてこの愛という力は奇蹟を起こす力を持つ事を改めて再確認できました。beautiful.
ハリー杉山(タレント)
数学という情熱を注ぐ共通の趣味のおかげで、宗教や人種や文化の壁を超える、友情と協力の実話に基づく物語。数学が嫌いな人でも感動できる素晴らしい映画だ!
ピーター・フランクル(数学者)
ラマヌジャンの公式を見て私が感ずるのは、まず文句なしの感嘆であり、そして苛立ちである。なぜそんな途轍もない真理に到達したのか。天空から降りて来た人物としか思えない。
藤原正彦(数学者、作家)
インドの無名の若者が、数学史を塗り替えた!真理の探究が、違いを超えて人を結び付ける。他人との出会いを求めるあなたにこそ、『奇蹟がくれた数式』が必要だ。
茂木健一郎(脳科学者)
数式は、音楽、絵、詩などの様に、世界を表す美しい手段である。対極ともいえる二人の数学者の、真理を求める友情がとても美しい。
山崎直子(宇宙飛行士)
数学はまるで分らないのですが、ぐんぐん引きつけられて観てしまいました。二人の素晴らしい俳優が奇蹟を信じさせてくれました。
吉行和子(女優)
(敬称略・五十音順)
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『奇蹟がくれた数式』
2016年10月22日より角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、角川シネマ新宿ほか全国にて
配給:KADOKAWA
公式HP:http://kiseki-sushiki.jp/
見に行きたいです:
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:

Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0x= 0 である。しかしx0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。

実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。

複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。

全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。

古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。

2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明310(2016.06.29) ゼロ除算の自明さについて
人間の感性の観点から、ゼロ除算の自明さについて触れて置きたい。ゼロ除算の発見は誠に奇妙な事件である。まずは、近似の方法から自然に導かれた結果であるが、結果が全然予想されたことのない、とんでもないことであったので、これは何だと衝撃を受け、相当にその衝撃は続いた。まずは、数学的な論理に間違いがないか、厳重に点検を行い、それでも信じられなかったので、多くの友人、知人に意見を求めた。高橋眞映山形大学名誉教授のゼロ除算の一意性定理は大事だったので、特に厳重に検討した。多くの友人も厳重に時間をかけて検討した経過がよく思い出される。その他、いろいろな導入が発見されても、信じられない心境は1年を超えて続いたと言える。数学的に厳格に、論理的に確立しても 心情的に受け入れられない感情 が永く続いた。そのような心境を相当な人たちが抱いたことが国際的な交流でも良く分かる。中々受け入れらない、ゼロ除算の結果はそうだと受け入れられない、認められない空気であった。ゼロ除算の発展は世界史上の事件であるから、経過など出来るだけ記録するように努めてきた。
要するに、世界中の教科書、学術書、定説と全く違う結果が 世に現れたのである。慎重に、慎重に畏れを抱いて研究を進めたのは 当然である。
そこで、証拠のような具体例の発見に努めた。明確な確信を抱くために沢山の例を発見することとした。最初の2,3件の発見が特に難しかった。内容は次の論文に、招待され、出版された: http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html :
ゼロ除算を含む、山田体の発見、
原点の鏡像が(原点に中心をもつ円に関する)無限遠点でなく ゼロであること、
x,y直角座標系で y軸の勾配がゼロであること、
同軸2輪回転からの、ゼロ除算の物理的な意味付け、

これらの成果を日本数学会代数学分科会で発表し、また、ゼロ除算の解説(2015.1.14)を1000部印刷広く配布してきた。2年間の時間の経過とともに我々の数学として、実在感が確立してきた。その後、広範にゼロ除算がいろいろなところに現れていることが沢山発見され、やがて、ゼロ除算は自明であり数学の初歩的な欠落部分であるとの確信を深めるようになってきている。
単に数学の理論だけでなく、いろいろな具体例が認識の有り様を、感性を変えることが分かる。そこで、何もかも分かったという心境に至るには、素朴な具体例で、何もかも当たり前であるという心理状況に至ることが大事であるが、それは、環境で心自体が変わる様をしめしている。本来1つの論文であった原稿は 招待されたため次の2つの論文に出版される:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra
& Matrix Theory, 6, 51-58.
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces:
International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017)

沢山の具体例が述べられていて、ゼロ除算が基本的な数学であることは、既に確立していると考えられる。沢山の具体例が、そのような心境に至らしめている。
ゼロ除算の自明さを論理ではなく、簡単に 直感的な説明として述べたい。
基本的な関数y=1/xを考え、そのグラフを見よう。原点の値は考えないとしているが、考えるとすれば、値は何だろうか? ゼロではないか と 思えば、ゼロ除算は正解である。それで十分である。その定義から、応用や意味付けを検討すれば良い。― 誰でも値は ゼロであると考えるのではないだろうか。中心だから、真ん中だから。あるいは平均値だからと考えるのではないだろうか。それで良い。
0/0=0 には違う説明が必要である。条件付き確率を考えよう。 A が起きたという条件の下で、B が起きる条件付き確率を考えよう。 その確率P(B|A) は AとBの共通事象ABの確率P(AB) と A が起きる確率P(A)との比 P(B|A)=P(AB)/P(A) で与えられる。もし、Aが起きなければ、すなわち、P(A) =0 ならば、もちろん、P(AB) =0. 意味を考えても分かるようにその時当然、P(B|A) =0である。 すなわち、0/0=0は 当たり前である。

以 上

再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0