2016年4月23日土曜日

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人生における「幸運の総量」は決まっている
貴重な運をムダなことに使ってはいけない
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成毛 眞 :HONZ代表 2016年04月22日
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「ウン・ドン・コン」に話を戻そう。

2つ目の鈍感さもまた重要な要素だ。世間を見回せば、成功者には鈍い人が多いことに気づくはずだ。彼らの長所は、失敗してもやたらとくよくよしたり、必要以上に落ち込んだりしないこと。実はこのタイプは成功にも鈍い。望み通りに事が運んでも「なんだ、この程度」で済んでしまうから、さらに大きな成功を目指して淡々と努力することができる。

敏感な人だと、こうはいかない。小さな失敗にも大きく落ち込み、逆に少しばかり物事がうまくいっただけで簡単に舞い上がる。経営するラーメンのチェーン店が5店舗になったからと、いきなりフェラーリの新車を買うのもこの人種だ。しかし、その程度で満足していては、さらに大きな成功は望めない。成功に無頓着でいられる鈍さこそ、大成の秘訣なのだ。

同じことを飽きもせず続けられる気質


本記事は『これが「買い」だ : 私のキュレーション術』(新潮社)からの転載です(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)
3つ目の根性はどうだろう。根性というと、スポ根のようながむしゃらな努力を思う人が多いかもしれない。が、ここでいうのは、同じことを飽きもせずダラダラと続けられる気質である。実際、強いスポーツ選手にはそういう根性を持った人が多い。

「関取、今日の勝負はいかがでしたか」

「一番一番やるだけです」

「今場所は優勝では?」

「明日がんばるだけです」

これである。余計なことは考えず、過剰に気負うこともなく、やるべきことにただ黙々と取り組む。この愚直さが、最終的に大きな勝利をもたらす。

価格の低い株にあえて投資し、上がったときに一発逆転を狙うのが逆張り的生き方だ。いつ上がるかもわからないものを、「いつか上がるかもしれない」と思いながら待つには、人の言葉や流行に左右されない鈍感さと気長な根性がいる。鈍感さも運と同じく、生まれつきのものであることが多い。が、ダラダラと粘る根性くらいは、心がけ次第で持てるのではないか。

もうひとつできることは、果報を寝て待つ間に運をムダ遣いしないことだ。やはり、ホームでは端を歩くべきではないのである。http://toyokeizai.net/articles/-/114758?page=2


再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ

人間とは何かと問い、少なくとも人間はなにものかによって作られたものであると述べ(
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か)、再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得 の中で、それゆえに 人間は大きな 分からないものの懐の中で、大きな流れに流されるように生きていくほかはないと言える。頼れるものとは、あらゆる基礎とは、帰するところ、曖昧な自分の心であると表現するほかはない。
と述べた。作られたものとは 本能原理に基づいているのは確かであるが、心の中枢にある感動する心、志、使命感、神性,良心など本能、生命の発現は極めて微妙で深いので、心の動きの微妙さに軽く触れておきたい。深いものは、それこそ、芸術、文学、音楽、宗教、あらゆる文化活動の根源になるので、きりのない深い、神秘的なものであるからである。それこそ、本能原理に従う、人間以外の生物と人間の違いをなす、ところのものであると言える。
まず、祈りの心をあげたい。ここでの祈りとは 既成の宗教的な形式ではなく、心のそこから湧くところのものである。自覚するも しないでも その心は神の概念に通じていると考えられる。
次に分かりやすい、恋の微妙さ、深さ、神秘さに思いを致したい。恋の目覚めなど、神秘的で、発現はそれこそ多くの文芸、映画、ドラマ、音楽などの主題である。恋をして生きる喜びが湧くかと思いきや、失恋して、自殺に追い込まれることさえ、世に多い現象である。― 小説とは 男と女の物語であると表現したことがある。
族のために、命を掛けるは本能原理にあるが、家族のため、大義のため、国のため、名誉のため、主君のためになど、命を掛けてきたのは世に多く、現在でも少しも変わらないと言える。
志に生きて、殉ずる精神は、人間の本質に根ざしていると言える。帰依したいとは大きなもの、愛するものに命をかけたい心ではないだろうか? 志の中枢とも言える。消えるものが消えまいとする原理から出ているものと考えられる。
人間の大きな喜び、創造は、新しく考える、気づく、発見とともに、また真智への愛とともに人間存在の原理であるとさえ言える。その心は人間の神性から出ていると言える。
日本を始め、アジア地域に見られる、無常観、寂寥感、切なさ、哀しみ、などなどは固有な人間の深い想いとして、心の微妙さの最たるものではないだろうか。
生まれながらに、巨大素数の構造に興味があるなど、生まれながらの好みや天才、才能、個性なども極めて興味深い。言葉の学習過程についても同様である。
以 上







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