2016年4月23日土曜日

これ、知ってた? 「リカちゃん人形」と「バービー人形」の意外な共通点 2016年04月20日 10時30分 提供:ウレぴあ総研

これ、知ってた? 「リカちゃん人形」と「バービー人形」の意外な共通点
2016年04月20日 10時30分
提供:ウレぴあ総研

これ、知ってた? 「リカちゃん人形」と「バービー人形」の意外な共通点
写真を拡大写真を拡大
日本の少女の心をキャッチし続けているドールと言えば、そうご存じ「リカちゃん人形」。可愛らしいキャラクターで、様々なタイプのものが発売されています。

【バービー人形】“自分だけのバービー天国”を作ったおじさんの展覧会がヤバい

その人気は日本だけにとどまらず、最近ではアメリカの女性人気シンガー、アリアナ・グランデのシングル「フォーカス」のミュージック・ビデオでコラボも果たしています。

また、その双璧とも言えるのが、スーパーモデル並みの体形でセクシーな衣装を着こなすバービー人形。どちらの人形が好きなのか、子どもたちのなかで派閥ができるほどの人気っぷりです。

そんなリカちゃん人形とバービー人形には共通点があるのをご存じですか?

実はどちらも「算数が苦手」だった過去がある点と、書籍『女の子は本当にピンクが好きなのか』で紹介されています。

リカちゃんの現在のプロフィールからは消えていますが、1967年にタカラ(現タカラトミー)から発売された時は「算数はニガ手だけど、国語、音楽、美術は得意」とされており、最近でも「まあ♡メルシー!絵日記は算数の宿題よりずっと楽しいわ♪」とツイートされています。

一方のバービー人形も1990年代に「数学の授業は難しいな」と話すタイプの人形を発売。どうやら数学が苦手だった様子です。ただ、この人形は女性団体から負の影響があると批判を受けてしまいました。

負の影響とは、「性別ステレオタイプを助長する」とのこと。女子の「算数が苦手」というイメージを助長すると指摘されたのです。日本人の我々としては、この批判に対して「そんな大げさな」と驚くことかもしれません。皆さんは、どう思いますか?

同書では、この「算数」と「女子」の関係について様々な調査結果を紹介しています。その一部を見ていきましょう。

2012年に世界65カ国・地域の15歳(義務教育終了段階)を対象にOECDが調査したところ、数学的リテラシーと科学的リテラシーは全般的に男子の方が高い傾向にあるそう。日本もその流れにあって、数学・科学の両リテラシーで男女差が大きな国でした。

ただ、アメリカでは科学的リテラシーは女子の方が高く、スウェーデンに関しては両方とも女子の方が高いなど、例外はあります。

日本には数学が苦手な女子が多いというイメージは、こういった調査の結果も影響しているのかもしれません。ただ、日本の女子は本当に数学が苦手なのでしょうか。最近では、理系に進む女子学生「リケジョ」が注目されています。

そこで、東京農工大学の守一雄教授らは、数学が嫌いと答える女子は本当に数学が嫌いなのかと、「ニセ数学嫌い」をあぶり出す調査(FUMIEテスト)を中学生対象に実施。その結果から、数学嫌いの女子は、「潜在的には数学のことを肯定的に考えている」ことがわかりました。

「女子中学生は『周囲から女性らしいと見られるよう理数科嫌いを装うことが予想される』と考察し、『ジェンダーステレオタイプによる女性としての望ましさから、周囲が理数離れを起こしやすい状況を提供したり、本人も理数嫌いを装ったりすることが、理数科への勉強の動機付けを減じることになり、その結果、成績も下がることになってしまう。(…)

こうして、理数嫌いを装うことが本当に理数にしてしまうのである』と結論づけている」女の子は本当にピンクが好きなのか

世の中の価値観として、「かわいい女の子=算数が苦手」といったものがあるため、自身の好き嫌いとは別に、それに寄せるかたちで数学を苦手としていく側面があるようです。もちろん全ての女性が当てはまるわけではありませんが、女子の数学嫌いは思い込みなのかもしれませんね。

前出の批判を受けたマテル社は、その後、バービーの新バージョンを発表。2012年にはピンクのノートパソコンをもった「ソフトウェア・エンジニアタイプ」の人形も発売しています。バービーは数学嫌いではなくなっているんですね。同国の女子の科学リテラシーの高さを考えると当然と言えば当然ですね。

一方のリカちゃんは、いわゆる日本人っぽさが出ているラインナップ。ナースやプリンセスといった定番のものに加え、回転寿司チェーンの店員、アイスクリームチェーンの店員、ドーナツチェーンの店員など、身近なタイプが存在します。

「タイアップなのだろうが、働く女性のうち六割が非正規雇用である日本女性の置かれている立場を暗示しているようで切ない」と、著者・堀越さんは語ります。

そんな中、今回、エイプリルフールネタではありましたが、モデルとなる香山リカさんが、「理科ちゃん」に改名するといったものが話題となりました。内蔵丸出しの白いコスチュームもインパクト大で、ツイッターで、「香山理科になりました♡時代は"リケジョ"よ、うふふ♪」と投稿。

見た目のインパクトがあったためか、それともリケジョに共感したのか、とにかく話題になりました。

この反響だと、商品化の可能性もありそうですね。今後の展開が楽しみです。http://news.ameba.jp/20160420-352/


再生核研究所声明187(2014.12.8)工科系における数学教育について


まず、工科系における数学教育の目標を抑えて置こう:
1) 工科系全般における表現の立場から、数学上の述語、概念、記号などは工科系を表現する言語として必要であるから、関係数学の習得は必要である。典型的な概念として、微積分の概念、行列の概念、微分方程式、ベクトル解析(勾配、回転、発散)、解析関数の概念などは必須の概念と考えられよう。
2) 計算機の普及、応用を待つまでもなく、論理の学習; 論理的に考え、推論して纏め、表現できるような精神の涵養に 数学教育の重要性があると考えられる。
3)高級に表現すれば、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については次を参照:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。

簡潔に述べれば、数学は 時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な 関係の論理体系であるが、ユニバースは 数学を言語として構成されている という、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学は ユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。すなわち、真理を追求する真摯な精神の涵養である。

それゆえに、工科系における数学教育の必要性は明らかである、それで、その明確な動機のもとで、数学教育に携われる工科系に属する数学の教師は、誠に充実感のする 社会的な使命を果たせる幸せな存在である。
担当の基本は、線形代数、微積分学、微分方程式、ベクトル解析、複素解析であろうが、それらは、理工科系の基本カリキュラムで、それらは、重要な概念を有していると考えられる。教える立場でも、ここをきちんと教えたいという、項目が多々存在する、楽しい数学である。
工科系で、生じる問題の基本は、工学 各学科の、期待、要請と 数学の専門家の担当する講義の仕方、カリキュラム内容との乖離で、しばしば問題が顕になる。上記、工科系における数学教育の目標について 科の先生方の反対意見は出ないと思われるが、近年、学生の基礎学力の大きな落ち込みの中で、科で直接必要、必須の言わば 1)の基本が疎かになり、科の教育に大きな障害が起きて、1)の強化、補充を数学教室に求めたり、科自身で補充の授業を準備する事態さえ招いている。数学教室で、科の要求する数学の内容を聞くと、相当に高級な現代的な数学の内容が広範に出てきて、対応できないような状況は よく見られる。体系的に見れば ちぐはぐ、また科の教員でも要求がバラバラな感じさえ受ける。もしそれらの要求を満たすようにするならば、辞書の項目の解説調になってしまい、数学者の好みである2)、3)項の要素が失われて、講義に熱が入らない気持ちになるのではないだろうか。― この観点が工科系における数学教育における問題の中心であると考えられる。
数学の教師の立場から見れば、自分の専門の研究に集中しすぎで、視野が狭く、工科系全般にわたる素養の貧しさを招き、しばしば独善的な講義スタイルになる傾向があるので、気をつけたい.

学科への対応の精神は、数学に分け与えられる時間数が極めて限られていて、しかも、要求される内容の豊富さを考えれば、講義内容を精選して、基礎の基礎、基本の基本をきちんと学習させ、多くの内容については、学生が必要に応じて、自分で学習できるようなるように教授するのが良いのではないだろうか。それには、まず、数学が楽しい、大いに有効であると 学生が感じられるような、そのような講義が望まれる。講義は全人格をかけた、交流の場であり、真理を追求する研究者の尊い姿が 学生への愛とともに 反映されるものでなくてはならない。学生による評価の問題で、教師が講義の有り様などいろいろ気遣い、板書やPDファイルなどの作成など講義の技術面などに関心が移っているような世相があるが、それらの営みの空虚さを指摘したい。そうではなくて、学生は、教師の学問に取り組む姿勢や、人生や社会に取り組む姿勢、全人格をみて教師を評価していることが分かるだろう。技術面のことよりは、研究者として、人間としての精進が肝要ではないだろうか。
人生とは何か、生きるということは どのようなことか、そのような問を忘れて久しいように感じられる世相ではないだろうか。学生は、いろいろな情報、勉学、就職関係の将来構想などなどで時間に追われ、教員も研究、教育に専念できず、さらに教育、研究の環境を悪化させる要務で忙しすぎて、何事じっくり取り組み、考察を深めるような貴重な時間を失っているように見える。学生時代には全人生を思考できるように 学生に自由を保証する精神が 大学教育の基本な配慮でなければならないと考える。― 学生時代は良かった、良い環境で、たっぷり自由な時間がとれた。
インターネットの普及で、いわゆる知識、単なる情報は、簡単にどこでも利用できる時代の到来は、カリキュラム、教育内容の精選と講義の有り様の変革をもたらし、自由の保証に明るい展望をもたらすのではないだろうか。その骨格として、講義、教育時間の縮小、休暇の増大、そのために一般教職員の大学の年間、1ヶ月間閉鎖、学生の休暇2ヶ月間を考えるのは良い出発点ではないだろうか。これらは既に、欧米の大学では相当に確立していて習慣になっていることも大いに参考にすべきではないだろうか。― 5年間ポルトガルのアヴェイロ大学で研究員として過ごしたが、何と8月は 大学の暦に 無かった。完全休暇である。土、日の休暇は当然で、水曜日は講義が無く、水曜日と金曜日は 昔の日本の土曜日のような調子で、金曜日午後には 多くの学生が、帰省するような情景であった。年中仕事に追われている 異常な日本の大学の有り様を見るにつけて、我々は大いに学び、大学の有り様を変革すべきだと考える。
そのような大幅な自由の下で、自主学習する風潮と日本のように 相当に学力などを気にして、詰み込み式授業の風潮のどちらが、長期的に見て優れているか、考えてみる必要があるのではないだろうか。ただし、自由の代償に 試験は相当に期間と時間を掛けて厳しくする風潮がある。
工科系に属する教員の担当学生数は、数学の所属部署で、最も多い状況にあり、ある意味で、数学を現実社会に活かす立場で それだけ大きな役割が有ると考えられる。教育ばかりではなく、入試に関与する部分も極めて大きく、入試業務は年中 心を傷めさせられる負担になっている場合が多いのではないだろうか。そもそも入試の有り様そのものの見直しを提案、問題提起しているが(再生核研究所声明20:大学入試センター試験の見直しを提案する),ポルトガルの制度を紹介して、関係者の検討を要望して置きたい:
有り様は簡単で、そもそも大学は入試業務を殆どせず、作成された資料を元に、選択するだけである。入試問題作成は国の機関が行い、入試は高校を会場に高校が期間を掛けて行なう。― このような入試で、個々の数学教員や、大学で膨大な仕事を課せられている日本の状況と比べて、唖然とさせられた。大きな仕事からの開放である。― 勿論、これは国立大学の場合であるが、私立大学などでも上記資料を参考にしているのではないだろうか。
さらに、女性数学者の割合が、殆ど自然に男女、同数であることは 数学の研究、教育、そして教室の雰囲気を日本のそれらとは相当に違ったものにしている。それらは、家庭と大学の仕事が両立出来る基礎があることを示しており、ポルトガルの大学は、相当に優雅であると表現されるだろう。7年目には 日曜日が週に有るように サバーティカルライトで1年間大学の仕事から解放される。それは、何を意味するだろうか。
以 上



再生核研究所声明219(2015.3.20)報道における理系関係の充実を

まず、報道関係について述べてきたことで、本声明に関係ある声明の部分をコンパクトに引用しよう:
再生核研究所声明165(2014.6.19) 世論について:
これを簡単に述べれば、国民の意見や文化を背景に、 マスコミや言論界が世論を構成し、国民と政治家を啓蒙し、政治を動かして行くべき と考える。マスコミや言論界が 大きな実際的な力、影響力を有するのは当然である。この意味でもマスコミや言論界の役割は大きく、逆に責任も大きいと 絶えず、精進、自戒していくことが求められる。これはまた、国民には マスコミを絶えず、批判的にみていくような態度が 求められることを意味する。
再生核研究所声明186(2014.12.6) ニュースの価値について:
そもそもニュースとは何かの議論をきちんとすべきである。上記説明では 本質がみえず、物事の本質が空虚になっていることを知るだろう。最新の情報、出来事とは何か。いずれにしても、それらは、メディア、インターネットを通して、伝えられ、広がって行くものである。問題は、情報、出来事でもほとんど無限に存在するものから、それらから、選択されて伝えられるということである。すなわち、情報、出来事は、関与する人間によって、価値判断がなされて、ニュースの価値の大小が判断され、それによって、新聞なら、どのような面に、どのくらいのスペースをもって扱われるか、テレビなどでは、画面や時間、扱われる順序などの問題が、ニュースの重要性、価値判断によって定められる。どのような価値を与え、どのように扱うは、それぞれの責任部署で判断されるだろう。
そこで、 この声明の趣旨は まさに、このニュースの重要性、価値判断について、考察することである。
まず、大事な事実は、ニュースの重要性、価値判断によっては、社会的な価値評価、判断が大きく影響を受けることである。例をあげれば、日本ではノーベル賞受賞関係は ニュースで大きく扱われるので、ノーベル賞は 相当に価値ある事として、社会で定着し、評価され、賞について付加価値がどんどん増加している事実がある。他方、数学界の最高の賞、フィールズ賞などは、相当に価値ある世界の賞であるにも関わらず、それほどのニュースにならない現実が存在する。いろいろなスポーツにおける優勝者の報道の有り様も このような観点から、興味深い。これらは、社会における影響の大小で、世の関心の大小で、そのような扱いは 止むを得ない現状があると考えられる。問題は、ニュースの重要性、価値判断をする者によって、意図的に社会的な評価が定まる要素が存在するということである。結局、ニュースの重要性、価値判断は 社会の関心、価値観、文化、習慣などから判断されて、そしてニュースを流す人の価値判断が加味されて流されるという、観点である。そこで、個人的な、あるいは仲間の利益、政治的な、あるいはもろもろの圧力で、大きくニュースの扱いが、歪められる危険性が、何時でも大きいと言える。さらに、ニュースを扱う者の基礎的な知識や素養、教養、学識、見識に大きく左右される現実がある。
再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題:
また、公共放送として、教育的な要素の配慮は大事であり、 約束違反でも結果が良ければ良いでは、本末転倒であり、結果が良くなくても、意図、過程が適切ならば、評価すべきであるというが基本的な原則であるべきではないだろうか。 結果が良ければ 良いでは 世の秩序は保てず、悪い教育を全国レベルで行い、悪い影響を世にもたらすと考える。
もし、これらが、このドラマの、元々の物語に、あるいは史実に従っているとするならば、その辺の扱いには、深い、広範な配慮が 必要であると考える。マスコミや公共放送には 良い社会を築くような方向での 配慮が求められていると考える。真実を伝えれば良いとはなっていないのは当然である。 ドラマ制作関係者の注意を促し、配慮をお願いしたい。
再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ:
また、テレビドラマ製作者には、上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。

上記で述べてきたように、言論界、報道関係の役割は、国や社会で極めて重要な役割を果たし、言わば文化の 狭義の意味における 担い手集団と言えるだろう。
そこで、ここで注意を喚起したいのは、報道関係者には いわゆる文系の人間が多く、相対的に理系の人が少なく、そのために 文系の報道が多く、理系の取り上げられる題材が相対的に少ないのではないかという観点である。新聞記者など理系出身者が どのくらい いるのか、文芸関係者、スポーツ関係者、芸能関係者などと比較すると 大いに参考になるのではないだろうか。 もちろん、政治は 社会の大きな共通の問題であるから、報道関係に関わる人がその関係で多いのは当然である。
科学技術や科学も社会に大きな影響を与え、人々の関心も広く大きいが、それらの素養が薄い人たちが報道関係に多く関わっていて、そのために理系の題材が社会に適切に反映されていないのではないだろうか。小さな卑小な個人的な犯罪を大きく繰り返して報道していたり、繰り返し報道された 小保方氏の問題の報道などに見られる軽薄な報道には、何か問題はなかっただろうか。自然科学や技術関係の報道の充実は 報道界の大きな未開拓の分野であると注意を喚起するとともに、充実を希望して置きたい。
絶えず、報道する素材の価値について検討し、 質の高い報道の精選は大事ではないだろうか。なぜ報道し、それを受け取る者の 影響に思いを致すべきである。一方的に自社の都合で闇雲に報道するような姿勢は 良くないのではないだろうか。
以 上












AD

0 件のコメント:

コメントを投稿