2016年3月4日金曜日

Columbus's Egg 2016年03月04日(金)NEW ! テーマ:社会 コロンブスの卵

NEW !
テーマ:
コロンブスの卵


・日本人がよく耳にする「コロンブスの卵」(Columbus's Egg)は、欧米人にとってはあまり耳慣れない言葉らしい。
*以下に「現代英語教育」(大修館:1993年5月号)という本に鈴木 哲 氏(当時、伊藤機工株式会社に勤務)が寄稿された「Columbus's Eggの秘密」から一部を抜粋、加筆して紹介しています。(2004.09.02追加)

1.「Columbus's Egg」の収録について
「Columbus's Egg」という英語表現は、「Brewer's Dictionary of Phrase and Fable」のほかにも「The Facts On
File Encyclopedia of Word and Phrase Origins」に見ることができる。しかし、以外にもこの2種類のほかには
「Columbus's Egg」はいかなる大冊の英米辞書にも見出すことができなかった。
32種類の主要辞書を挙げ、このような慣用表現がどの辞書に収録されているかを示す「Idioms & Phrases
Index」も、先のBrewer'sのみを示すにとどまっている。
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2.「コロンブスの卵」の収録について
一方、日本語の「コロンブスの卵」は、わずか2万3千語収録の福武書店(現 ベネッセ コーポレーション)「チャ
レンジ小学国語辞典」をはじめとする児童用国語辞典がよく収録し、「玉川児童百科大辞典」第16巻にも説明
がある。
また、児童向き伝記に「コロンブスの卵」が挿絵入りで紹介されていることも特徴的である。
例えば、ポプラ社「コロンブス」(柴野民三 著:1969年)には挿絵入りの「コロンブスのたまご」という章があり、
解説で川崎芳隆 氏が「コロンブスの卵」は第1回目の航海後の1493年春、バルセロナのことである、としてい
る。
日本の辞書で「コロンブスの卵」に「Columbus's Egg」をあてているのは、「学研カラー図解英語百科辞典」のほ
かに、「外来語辞典 第2版」(角川書店)、「広辞林 第6版」(三省堂)、「コンサイス外来語辞典 第4版」(三省
堂)などがあったが、根拠は不明である。
ちなみに、「新和英中辞典」(研究社)で「コロンブスの卵」を引くと、内容から「生卵」となっているが、我が国で
紹介される逸話としては「ゆで卵」が多い。また、「最新日米口語辞典」(朝日出版:サイデンステッカー・松本
道弘 編)には、「Columbus's Eggといっても欧米人にはピンとこない」と記している。
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3.尋常小学国語読本の「コロンブスの卵」
我が国の「コロンブスの卵」の説話は、戦前の1921年発行の第3期「尋常小学国語読本」第8巻 第19章に
4年生用教材として登場し、1933年からの第4期にも第8巻 第22章に収録されたが、1941年からの第5期
には削除されている。
下表に1928年版での記載内容を示します。(一部、表記を変更しています)
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おそらくは、この70年ほど前の国語読本が元で、子供向け伝記作家が「コロンブスの卵」を再生産し、辞書編
集者の目にとまり、項目に加えるようになったのではないかと考えられる。

第十九 コロンブスの卵 (「尋常小学国語読本」より)
コロンブスがアメリカを発見して帰った時、イスパニヤ人の喜んだことは非常なものでした。
一日祝賀会の席上で、人々がかはるがはる立つて、コロンブスの成功を祝しますと、一人
の男が「大洋を西へ西へと航海して、陸地に出あったのが、それ程の手がらだらうか」とい
つて冷笑しました。
之を聞いたコロンブスは、つと立つて、食卓の上の「うで卵」(ゆで卵)を取り、「諸君、こころ
みに此の卵を卓上に立ててごらんなさい」といひました。
人々は何の為にこんなことをいひ出したのかと思ひながら、やつて見ましたが、もとより立
たうはずはございません。
此の時コロンブスは、こつんと卵のはしを食卓にうちつけ、何の苦もなく立てて申しました。
「諸君、これも人のした後では、何のざうさもない事でございませう」
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4.「コロンブスの卵」の「コロンブスの卵」
物理の世界における「コロンブスの卵」には、1960年8月号の「文藝春秋」に丹羽小弥太 氏による「コロンブスの
卵」と題する一文のほか、中谷宇吉郎 博士(1900~1962:雪の結晶を発見した学者)の「立春の卵」(1947)
が興味深い。
中谷氏は、1947年2月5日の「立春の日」に中央気象台で成功した10個の卵を立てる実験などを紹介した上、
卵は立春に限らず、生卵でもゆで卵でも「もともと立つような形であるのを」、「世界じゅうの人間がコロンブス以前
の時代からこんにちまで」立たないものと思っていた、と説いた。
卵を立てる実験については、1947年2月5日と6日付けの朝日新聞に紹介されている。ちなみに、最近では、津
野正郎 氏という「立卵家」がいて、100個以上の卵を同時に立てるといい、また、集中力を高める「コロンブスの
卵」という名の玩具も市販されている。
5.「Columbus's Egg」は慣用表現か (一部のみを抜粋)
筆者(鈴木 哲 氏)が「コロンブスの卵」について42人の日本人成人に尋ねたところ、39人が「耳にしたことがあ
る」と答え、一方、7人の英米人に「Columbus's Egg」について尋ねたところ、1人の英国人が「聞いたことがある
ような気がする」と答えたほかは、「表現もエピソードも耳にしたことがない」と回答した。
新大陸到達500年を越えた今日、英語「Columbus's Egg」は、日本語の「ブルネレスキの卵」に近い通用性しか
持っていないのかもしれない、と筆者(鈴木 哲 氏)は感じている。




「コロンブスの卵」と「ブルネレスキの卵」


・ここでは、「コロンブスの卵」以前からあった話とされる「ブルネレスキの卵」について掲載しています。もしかしたら「コロンブスの卵」話のルーツかもしれません。ただし、この話も実話かどうかは疑わしいものとされています。(*2004.09.02追加)

コロンブスの卵
「コロンブスの卵」は、「誰にできることでも、最初にするのが難しい」という意味で使われる。
1492年にアメリカ大陸(西インド諸島のサンサルバドル島といわれている)を発見したことで有名なコロンブス。
その功績を祝う晩餐会で、ある男が言った「西へ西へと航海して陸地に出会っただけではないか」と言った皮肉に
対して、コロンブスは卵を取り上げ、「この卵を卓の上に立ててごらんなさい」と言った
だれも立てられないのを確認するとコロンブスは、卵のおしり(気室のある鈍端部と思われる)を食卓でコツンとた
たいて立てて言った。「人がした後では何事も簡単です」
日本でも、戦前の小学校の教科書に取り上げられ、「コロンブスの卵」が定着した。ただし、これは16世紀ごろに
作られた話らしいとされている。(この話は、後にイタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身
の著書に書いた作り話といわれている)
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ブルネレスキの卵
「コロンブスの卵」の話は16世紀ごろ、イタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身の著書に
書いた作り話とされている。さらにこの話の元になったのが、コロンブスと同時代のイタリアの建築家フィリッポ・ブ
ルネレスキの話である。
ある寺院を建築するにあたって、彼は図面も模型も見せずに「私に建築させてください」と提案したが、他の建築
家たちが大反対。そこで彼は「大理石の上に卵を立てた人に任せてはどうか」と提案する。他の全員立てられな
かったが彼は卵の底を潰して立てたのである。
当然批判されたが、「最初にやるのが難しい、もし図面を見せたらあなた達は真似をするでしょ」と言い返したので
ある。
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http://homepage3.nifty.com/takakis2/columbus.htm


再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf Traduzir esta página
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上












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