2016年3月30日水曜日

日本人は変態なのに世界から愛されている! なぜだ? 中国メディアが解説記事 2016-03-29 22:17

日本人は変態なのに世界から愛されている! なぜだ? 中国メディアが解説記事
2016-03-29 22:17

 中国メディアの捜狐はこのほど、「日本人は変態なのにどうして、人にこんなに愛されるのか?」と題する解説記事を掲載した。記事は、日本人はたとえ奇妙な性癖を持っていたとしても、それが他人に悪影響を与えてはいけないという、責任感を持っているからだと論じた。

 記事は、世界各国を対象にした性意識についての2012年実施の調査で、日本は「極めて保守的」との結果が出たと紹介。一方で、中国はむしろ性意識が開放されており、さまざまな項目で「米国よりも開放的」との結果が出たことを、中国人が日中両国民の性意識について持っているイメージが覆される結果と表現した。

 記事は上記調査について、日本で成人向け映像作品が極めて発達していることと「矛盾」していると表現。中国人男性で、日本の映像作品のとりこになる男性も多いことにも触れた。

 記事は日本の「大相撲」に触れた。中国人の多くは、力士の多くが肥満体であることを「スポーツ選手として異常」と思い「変態的な競技」と感じる人が多いからと考えられる。

 ただし記事は、若い力士が教室に集まって、真剣な顔つきで書道を学ぶ様子を紹介し、「日本において相撲とは高雅な行いと認識されている」、「力士は熱心さと広い心、誠実さを、謙虚さを具えている」と評価。さらに、「本物の大相撲の力士になろうとしたら、伝統文化と相撲の技の両方を見につけねばならない」と説明。若い力士が毛筆を操る様子を「たいへん興味深く、愛すべき光景だ」と評した。

 文章は、日本の“やくざ”の「指つめ」も紹介。「犯罪組織」とした上で、「もともとは、約束を守らなかったための懲罰」と説明。日本人が約束を大切にし、破った場合には懲罰を受けることをあらかじめ承諾する考え方は、わらべ歌の「指切りげんまん」にも反映されていると指摘した。

 文章は、日本人には「互いに互いを尊重すること」、「それぞれが、自分のやりたいようにしたい」との気持ちがある一方で、「喜んで規則を守り他人を尊重する」考え方や習慣が浸透しているために、「それぞれが奔放でありながら、社会全体としては秩序が保たれている」と主張した。

 さらに「他人に悪影響を与えてはならない」との日本人の考え方は、独特な「お詫び文化」を形成したと指摘。日本語では常用表現だけでも、「すみません」、「ごめんなさ」、「お気の毒」、「ご迷惑をかける」、「ご面倒をかける」、「頭を下げる」、「お詫び」、「謝罪」、「陳謝」など、さまざまなニュアンスの「お詫びの言葉」があり、これに日本語独特の敬語表現を組み合わせると、日本語のお詫び表現の複雑さと豊富さは「世界一」と紹介。

 文章は、中国人が述べる「お詫びの言葉」は、礼儀や素養と直接の関係がなく、「(仕事でミスをして)お詫びをした人も、仕事の能力が低い人とみなされるだけの場合が多い」と指摘。日本人の場合には、「お詫び」が礼儀や文化の一部になっており、「お詫び」をすることが、対人関係の潤滑剤になっていることも多いと説明した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)http://news.searchina.net/id/1606025?page=1

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観

ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、

関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。

経過などは 次を参照:

再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案

これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば

F = G mM/r^2。

rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:

[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。

における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。

文献:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAM

以 上



再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/



再生核研究所声明 138 (2013.10.18): 大中国、中国の印象 ― 母なる大国、中国に郷愁を感じた

(2013.10.10.16:20 纏めたいと思っていたが、全体の構想が休んでいるときに湧いた。)

9月、学習理論の国際会議に招待され、会議は Hangzhou 空港から、車で50分くらいのところにある 由緒ある街、Shaoxing市、Jishan Hotel で 開催された。観光は 由緒ある街ではなく、1000年を越える桂で有名な大公園で 桂林 お茶や散策で過ごした。それで、ホテルの極近くと、1回大きなホテルでの晩餐会に出かけた以外、多くの運河を持つ、面白そうな街を良くは見られなかった。中国は大国で、今までに、深圳、香港、上海、マカオしか訪れていなかったので、中国の印象と言っても、局所的な視点であることに留意して頂きたい。しかし、今回の訪問は 中国のいわば中枢、文化的に古い町のひとつであるから、大中国の理解を深められるのではと 大きな期待を持っていた。
まず、触れたいのは、何時でも感じて来たことであるが、民族、人種が 概ね半数位は 日本人と全く同様であると言うことである。親族や友人と全く同様、素敵な人たちが多くいて、外国の感じがしないと言うことである。奈良や京都に行くと 特別な郷愁を感じるもの であるが、より古い時代の同じような郷愁を深く感じた。漢字、いろいろな絵、風景に本当に懐かしさと共感、共鳴をし、人びととも情が通じるのが良く分る。― 日本では 中国人嫌いや、蔑視の風潮が少しあるが、とんでもない誤解であると言える。― これらの事実は、留学生の一部の人たちの悪い印象と、マスコミの偏見や、政治的な意図を持った報道の影響ではないだろうか ― 外国に おべっかをつかったような 心無い政治家の 暴言も印象深い。― 兄弟、姉妹、親戚、友人の 素敵な人たちと そっくりな人たちのいる中国と 仲違いするなど、同族争いと同じで、自分の故郷と喧嘩する ようなものである。日本が侵略したことを思い、心を痛めた。漢字の偉大なる文化と影響を深く感じた。中国は 本当に、日本の故郷である。民族的にも、文化的にも、先祖様の国であると言える。
次に触れたいのは、食の豊富さである。多様な食材が出て、びっくりさせられる。日本の食の原型を沢山見出すことも出来る。特に、お茶が 特別に効果が有って、頂くと気分が爽快になり、いろいろな考えが湧いたり、元気が出て来る、体が喜んで、生き生きしてくるのが良く分かる。中国の食の多様性、豊かさには 何時も驚かされる。広い中国から集められていることが良く分る。
中国は街づくりで、どんどん開発、発展していて、公害対策にも熱心に取り組んでいることが良く分かる。しかし、やはり残念なのは 大気汚染、排水など 社会基盤の整備の遅れである。大中国は 日本の10倍国であるから、 西欧並みに成ったら 地球が持たないなどの危惧さえ起きる訳で、短期的な判断は 禁物であり、大きな視野で 中国を捉える必要が有るのではないだろうか。 大混乱が起きて まだ1世代も経っていない現実を考慮する必要がある。
日本は、熱烈、日本の母なる 大国中国と友好関係を深めて、世界史の発展を志向したい。
もちろん、反米など論外であり、中国とも アメリカとも、仲良くである(再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。
まこと、人間は、神によって創造され、共通の基礎を持っているように感じられる。世界のどこに行っても、人間は同じように考えたり、悩んだり、気持ち が通じてしまう。 
和によって、世界史を進化、発展させたい。
(暖かく迎え、歓迎して頂いた方々に心から謝意を表したい、人々は親切で、人懐っこいと感じた。)
以 上











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