2016年3月31日木曜日

日本先史時代における暴力と戦争

日本先史時代における暴力と戦争

 山口大学国際総合科学部の中尾央助教、岡山大学大学院社会文化科学研究科の松本直子教授らの共同研究グループは、縄文時代の受傷人骨データから暴力による死亡率を算出し、世界各国の先史・民族文化と比較しました。その結果、縄文時代には、暴力による死亡率は極めて低かったことが明らかになりました。これは、人間の本能がそのまま戦争につながるという長年の国際的主張に再考を迫るものです。なお、本研究成果は3月30日、英国の科学雑誌「Biology Letters」に掲載されました。

今回の成果の骨子は次の通りです。
(1)約1万年におよぶ縄文時代の受傷人骨データを網羅的・体系的に収集し、暴力による死亡率を初めて数量的に算出した。データ総数は2,582点(人骨出土遺跡数は242箇所)、うち受傷例は23点、暴力による死亡率は1.8%である。
(2)縄文時代の暴力による死亡率は、さまざまな地域、時代の狩猟採集文化における暴力死亡率(10数%、今回の成果の5倍以上)にくらべて極めて低い。
(3)戦争の発生は人間の本能に根ざした運命的なものではなく、環境・文化・社会形態などのいろいろな要因によって左右される。
(4)縄文時代の研究は、さまざまな地域で生じ、終わることのない戦争・紛争の原因をどこに求めれば良いのかについて、考古学や人類学から研究を進める上で重要である。
図:縄文時代の各時期における暴力の証拠が見つかった遺跡の時期別分布図。
総数242カ所の遺跡のうち、13カ所から受傷人骨が出土。


<詳しい研究内容について>
 日本先史時代における暴力と戦争[PDF]

<論文情報>
発表論文:Violence in the prehistoric period of Japan: the spatiotemporal pattern of skeletal evidence for violence in the Jomon period
著  者:中尾央, 田村光平, 有松唯, 中川朋美, 松本直子, 松木武彦
掲 載 誌: Biology Letters (doi: 10.1098/rsbl.2016.0028)
 発表論文はこちらからご確認いただけます[New window]

<お問い合わせ>
 岡山大学大学院社会文化科学研究科 教授 松本 直子
(電話番号)086-251-7519

 山口大学国際総合科学部 助教 中尾 央
(電話番号)083-933-5470
http://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id383.html


再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点

ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。

1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47:  肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円)
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/

米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012

再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点

ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて,  生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。

1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。

人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上


再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙

(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)

猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。

何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:

再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること

言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。 
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上










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