2016年3月2日水曜日

経験者が意見交換 裁判員制度の改善へ

経験者が意見交換 裁判員制度の改善へ



意見交換会に臨む裁判員経験者ら(代表撮影)
 大分地裁で裁判員を経験した人たちの意見交換会が同地裁であった。量刑(刑期など判決で言い渡した刑の重さ)に裁判員の市民感覚が反映されたか否かは、経験者によって評価が分かれ「過去の量刑傾向を参考に考えてしまった」との意見もあった。
 県内の50~70代の男女5人が出席。参加した男性は「量刑に市民感覚は全く反映されていない。検察側の求刑より少し軽いのが量刑(の相場)で現実にそれが最も多い」と指摘。別の男性も「現時点で民意が反映されているとまでは言い切れない。前例などが勝っている」と述べた。
 一方、わいせつ事件の裁判員を経験した女性は「一緒に評議をした裁判官が『過去にない一歩踏み込んだ判決』と言った。裁判員一人一人の思いをきちんと受け止めた判決が出せた」と評価した。
 裁判員裁判の改善点としては「被告の発言が聞き取りづらい場合、はっきり発言するよう促したり、言葉を再確認することが必要だ」「裁判のために仕事を休む際、どのような形で休暇を取るべきか迷った」「裁判終了後に気持ちを整理する時間がほしかった」といった意見が出た。
 意見交換会は裁判員経験者の声を制度に反映させる目的で、同地裁が定期的に開いている。裁判官や検察官、弁護士の法曹三者も出席した。https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/02/22/134201290

再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める

素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると

(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。

上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。
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