裁判員制度 守秘義務も見直し論議を
2015年04月03日(最終更新 2015年04月03日 10時42分)
来月で導入から6年となる裁判員制度について「社会に定着していない」と考える人が65%に達したという。
日本世論調査会が3月に行った調査で、制度を評価する声も6年前の調査より11ポイント下がり44%だった。全体として凶悪事件の審理や死刑を含む重要な判断を迫られることへの抵抗感がうかがえた。
一方、別の調査では実際に裁判員を経験した人の9割以上が「よい経験だった」と答えている。
法廷審理や裁判官との評議を通じて、事件の背景にまで思いを巡らせ、悩みながら結論を出す。日常生活では得難い体験であり、やりがいも感じることだろう。
司法に市民が参加することで民主主義を根付かせていく。そんな制度の意義も実際に体験してこそ理解できるのかもしれない。
裁判員や補充裁判員には今年1月までに約5万6千人が選ばれているが、国民全体からみれば極めて少数だ。しかも、こうした経験者の貴重な体験や感想が広く社会で共有されているとは言い難い。これが世論調査の低い評価にもつながっているのではないか。
何が壁なのか。裁判員がその役割を終えても罰則付きで課される守秘義務が大きい。関係者のプライバシーや評議での自由な発言を保障する目的は大切だが、表現の自由を制限し、心理的な負担も重い-という指摘もある。
評議の内容は原則として漏らしてはならないとする現行法は裁判員の経験の共有化を妨げるとして、日本弁護士連合会などは罰則対象を限定するよう求めている。検討に値するのではないか。
裁判員法は施行3年で必要な見直しをすると付則にあり、政府はようやく今国会で改正法案の成立を目指している。ただ法案の中身は、審理が著しく長期に及ぶ事件を対象から外すなど、制度の骨格には触れない「枝葉」ばかりだ。
裁判員制度の課題を国会で洗い直す好機である。制度定着のために何をどう改めるべきか。守秘義務の見直しも含めて、国民的な論議を深めていきたい。
=2015/04/03付 西日本新聞朝刊=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/160371
再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。
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