2015年4月1日水曜日

記事 藤田哲朗2015年03月29日 14:16地方創生に必要なのは地域の"取捨選択"

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藤田哲朗2015年03月29日 14:16地方創生に必要なのは地域の"取捨選択"



書店にいくと、どこの店にも「地方創生コーナー」みたいなのがある。増田某さんの「地方消滅」が筆頭格だけど、便乗書籍とかも結構いっぱい出ているらしく、それなりの面積を取っている。
「消滅都市」レポートはかなりインパクトが大きく、政府でも内閣官房に「まち・ひと・しごと創生本部」が立ち上がるなど、政治的にホットなトピックになった。まあ、人口減少なんてのは10年も20年も前から言われ続けた話で、「何をいまさらw」という印象もなくはないですが、ようやく社会問題として認識されるようになってきました。
このように注目を集めること自体は、私のような地方在住者からすると「いいこと」だとは思うけど、とはいえ、最近の「地方消滅」のブームは問題のフレーミングが変ではないかと感じる。
消滅するのは自治体であって地方そのものではない
「地方消滅」なんて、そんなことは今更ことさらに大きい声で言わなくなって、すでに消滅しちゃった「地方」なんていくらでもあるわけですよ。日本の中山間地には、長い歴史の中でもう消滅しちゃった村は沢山ある。問題にならなかったのは、消滅する前に近くの大きい自治体と合併したから見えてこなかっただけ。
これは木下斉さんがよく言っていることだけど、消滅するのは自治体であって、地方そのものではない。税収が上がってこなくて自治体が財政破綻することはあるかもしれないが、そこに住む人がいきなりいなくなるということはない。
大事なのは、そこに住んでる人に必要な行政サービスがきちんと提供されるかどうか。逆に、そこが維持できるなら自治体が消滅したって別にいいわけですよ。
住民からすれば、ちゃんと保険や年金の手続きをしてくれたり、住民票発行してくたりといった「基礎的な行政サービス」が一番大事。それが「オラが村」のものだろうと「隣の市」のものだろうと大差ない。
基礎的な行政サービスを維持するために必要があるなら、今にも消滅しそうな自治体を体力のある近くの自治体に吸収させる、という場合も当然あっていい。「人口減少でオラがムラが消滅してしまうから、チホーソーセーして人を呼び込まないといけない」なんてのは合併したら困る自治体の議員と職員の都合だけの話でしかない。
例えば富山県でも、細入村とか山田村とかのような中山間地の自治体が富山市と合併したのは大英断だったと思う。中山間地の住民は、新・富山市のコンパクトシティ政策に「中山間地切り捨て」と不満タラタラのようだが、普通に考えれば人口1000人ちょっとの村が中長期的に単独で生き残っていけるはずはない。単独で餓死するくらいなら「寄らば大樹」で生き残ったということ。
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(出典)市町村合併が公共料金に与える影響についての実態分析調査
野放図な”地方創生”は地域を破壊する?
政府の総合戦略も出て、今は各自治体で人口をどうやって増やすか、政策ダマを考えているところだと思うが、「そもそも本当にやらないといけないことって『人口を増やすこと』なんですか?」と問いたい。
今死にそうな自治体が何をやっているかというと、せっせと農地転用して住宅地を造成している。
「ほら、車で20分のうちの町なら、隣の市の半額で土地が買えますよ」
と言っているわけだ。これは以前にも書いたけど、これから住宅需要は確実に減るのに、一生懸命負債をつくってるわけ。


しかも、人間は住宅地から生まれてくるわけじゃないんだから、どこかで流入が発生すればどこかは流出している。それぞれの自治体が「自分さえ生き残ればいい」と思って行動したら都市構造はめちゃくちゃになりますよ。
補助金や交付金をばら撒いたら確かにちょっとぐらいは人が入ってくるかもしれないけど、それって死にそうな自治体に無理やり人工呼吸器つないでなんとか生きながらえさせているだけのような気がしてならない。行政が提供しないといけないナショナル・ミニマム、シビル・ミニマムとは何なのか、ちゃんと考えないと意味がない。そもそも、ちょっと税金突っ込んだぐらいで人が帰ってくるなら最初っから消滅したりしません。
地方創生に必要なのは地域の”取捨選択”
逆に、地方創生は各都道府県の中核となる市は力を入れないとダメだろう。人口20万人の市も1000人の村も平等に扱っても非効率。伸ばして中核にする自治体とどこかに救済してもらう自治体を分けて考える必要がある。
国や都道府県がやるべきなのは、①瀕死の自治体を救ってくれる合併先を斡旋する「仲人」役になること、②中核となる都市が最低限維持できるように支援すること、であって、すべての自治体を「がんばれ、がんばれ」と無責任に応援することではない。
国や都道府県が地域を”取捨選択”することなしに地方の住民を守ることはできない。「自治体」を守るのか、「住民」を守るのか。本当に優先しないといけないのがどちらかは明らか。http://blogos.com/article/108954/
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
(これは、最近、夢中になっているゼロ除算の発想から湧いた、逆思考である。要するに遠い将来から、人生や世界をみたら、考えたら、どのようになるかという視点である。)
主張が明確に湧いたので、結論、趣旨から述べたい。人は我々の目標や希望が未来にあり、そのためにその目標に向かって、努力、精進などと志向しているは 多いのではないだろうか。そのような意味で、我々の関心が、先に、先に有るように感じるのではないだろうか。これは自然な心情であろうが、別の視点も考えたい。成長や発展、変化には適切な有り様が有って、早ければ良い、急いで進めれば良いとはならないということである。現在は、未来のためにあるのではなく、現在、現状はそれ自体尊いという視点である。先、先ではなく、 いま、いまが大事であるという視点である。生物の成長には固有のリズム、
成長のペースがあるということである。我々は、生物としての枠、構成されている状況によって制限があり、適切な有り様が存在する:
再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること
理想的な有り様には 自然な終末もあり、大局的にみれば、大きな流れにおける調和こそ
大事ではないだろうか。次の声明
再生核研究所声明144(3013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
の題名も真実だろうが、そこで述べた、
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、慌てず、 自分の心の状態を尊重する ということである。人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
は真実としても、活動を進める情念も結局、自己のペースが大事であって、あまり外の影響を強く受けるべきではないと言う、視点が大事ではないだろうか。
言いたいことは、個人の心持ちもそうであるが、経済活動、社会活動、科学の進歩も、全体的な流れにおける調和が大事であるということである。例えば
磁気浮上式電車の開通の是非は 妥当であろうか。
原子力発電所の開発促進は適切であろうか。
グローバリゼーションは 急ぎ過ぎではないだろうか。
成果主義は行き過ぎではないだろうか。
経済の成長、発展 優先も大いに気になる。
などと難しい問題に対する広く、深い、総合的な評価の検討も要請したい。 次の声明も参照:
再生核研究所声明117(2013.5.10): 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題。
以 上

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。

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