2016年9月30日金曜日

「発見」と「発明」の違い

「発見」と「発明」の違い

発見は、今まで世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと。
発明は、今まで世の中になかったものを新たに作り出したり、考え出したりすることである。
特許法では、発見者ではなく、発明者に特許を受ける権利があり、発明の定義は「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」としている。
自然科学や数学の法則は、それまで知られていなかっただけで、自然界には元々存在していたものなので「発見」になる。
発明は、新たに発見された理論や、既に知られている事実を元に工夫したり、改善することで作り出されるものということである。
現代では意味が異なる「発見」と「発明」だが、明治初期までは「発見」という言葉が一般化しておらず、「発見」と「発明」は同義語として用いられていた。
福沢諭吉の『世界国尽』では、「コロンブスがアメリカ大陸を発見する以前」の意味で「古論武子が亜米利加を発明せし以前」と書かれている。http://chigai-allguide.com/%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%A8%E7%99%BA%E6%98%8E/
読んでためになりました:

再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                     
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

Facebook、Amazon、Google、IBM、MicrosoftがAIで歴史的な提携を発表

Facebook、Amazon、Google、IBM、MicrosoftがAIで歴史的な提携を発表

世界最大のテクノロジー企業のグループが今や地球上でもっとも価値のあるデータベースのカギを握っている。歴史的には財貨と貨幣が価値を体現する存在だった。現代ではデータがもっとも重要な通貨だ。データの価値を最大限にするのはそれをベースとする人工知能だ。誰であれきわめて大規模なデータの持ち主でなければ有効な人工知能テクノロジーを持つことはできない。現在のところそのような規模でデータを所有する企業はFacebook、Amazon、Alphabet(Google)、IBM、Microsoftなどだろう。
今日(米国時間9/28)、上述の5社は共同で発表を行い、AIにおける新たな提携を発表した。このPartnership on AIは人工知能に関する研究及びベストプラクティスの普及を目指すという。現実の活動として考えると、この5社の代表は頻繁にミーティングを行い人工知能の進歩を促進するための議論を交わすことになる。またこのグループは企業の垣根を超えてコミュニケーションを図る正式な組織も結成する。もちろんメンバー各社は日々のビジネスでは人工知能をベースにしたサービスやガジェットの開発をめぐって激しく競争しているライバル同士だ。
現在のメンバー各社は当初の財政的基盤も整備するとしている。しかしこのパートナーシップは開かれた組織であり、将来は参加メンバーを拡大する計画だ。科学者、エンジニアに限らず、ユーザー活動家、NPO、倫理問題の研究者その他人工知能に関連する人々が数週間後に開催予定の会議で意見を交わす予定だ。
DeepMind(現在はAlphabet傘下)の 共同ファウンダーで応用AIの責任者Mustafa Suleymanは「われわれはAIを作る側だけでなく、AIによって影響を受ける側の人々の参加を求めている」と語った。
このパートナーシップでは、企業外のグループや個人も大企業の代表と肩を並べて参加し、リーダーとなれる仕組みだ。
今日のスタート時点ではApple、Twitter、Intel、Baiduなどはメンバーに含まれていない。AppleはAIプロジェクトに熱心だとされるが、このパートナーシップに参加したライバルに比べてAI分野で立ち遅れて気味な同社が未参加なのが目立つ結果となっている。
新組織は単なる議論ではなく、実例をもってAIの普及を図ろうとしているようだ。パートナーシップはオープンライセンスの標準をもちいてAIプロダクトに関する研究成果を公表していく。これにはテクノロジー面だけでなく、倫理、プライバシー、少数者の保護など広い分野が含まれる。
IBM ResearchにおけるAI倫理の研究者Francesca Rossiは「現在エンタープライズ部門がAIをコントロールしている。社会全般がAIの利便性を利用できるようになるためには、まずAIが信頼性を確立することが必要だ」と語った。
メディアで目立つAIの危険性に関するポップカルチャー的な主張と比べたときに新組織の着実な立場は安心感を与えるものだ。将来AIによるシンギュラリティーが人類の存続を脅かすかどうかなどという議論に熱心な向きもいるようだが、われわれはすでにAIが関連する現実の問題の長いリストを抱えている。コンピューターは、われわれの職をすべて奪ったりしていないものの、以前から人間が持っている否定的特質も拡大する力がある。偏見が優勢な世界は偏見を含んだデータセットを生み、偏見を含んだデータ・セットは偏見のあるAIフレームワークを生成する。
この問題を是正するためにMicrosoftはすでにAI倫理委員会を設けている。新パートナーシップは従来の組織と重複するものではなく、むしろこれまで各社が個々に行ってきた努力を拡充するものだという。新パートナーシップの会議記録は一般公開される予定だ。
この記事の執筆にはJosh Constineが協力した。
画像: BRYCE DURBIN/BRYCE DURBIN
〔日本版〕この報道はTechCrunch以外にも欧米の主要ニュースメディアが報じているが、他の記事にもニュースリリースないしイベントへのリンクがない。今後なんらかのフォローアップがあるものと思われる。
〔日本版アップデート〕このパートナーシップに関する主催者側のウェブサイトがオープンした。目標、メンバー、組織、FAQなどの情報に加えてイベント・スケジュールのページも設けられている。カンファレンス等の開催が決定されればここに掲載されるはず。
[原文へ]


再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判
                
声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 
と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。
ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。
個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。
そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。
神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。
進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。
そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。
この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。
将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。
以上
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

再生核研究所声明323(2016.09.30)  蓮舫氏の国籍問題と政局、世相について

再生核研究所声明323(2016.09.30)  蓮舫氏の国籍問題と政局、世相について

日本の政局は、ひとり安倍政権が安定し、社会不安を払拭するように安定性を増しているように見える。右傾化の方向での安定と見られる。日本の平和志向者、平和憲法擁護と日本の自立性を求め、アジアとの友好関係を期待する相当な層においては 面白くない状態が続いているのではないだろうか。
そのような折に、民進党の代表者に 蓮舫氏が選出され、野田氏が幹事長に指名された。
蓮舫氏は歯切れよく、好感度抜群、有名な仕分けで、2位ではダメですか という有名な言葉が印象深い。― これについては批判が多いが 一貫して高く評価してきた。研究者が国の財政状況も顧みずに、独善的に予算を要求するのは 本能のようなものであるから、国の財政その他の観点から、政治家が総合的に検証するのは当然である。そうでなければ、もんじゅ計画の頓挫やいわば沢山の戦艦大和を時代に合わずに作りかねないだろう。
そこで、俄かに問題が起きたのが 2重国籍問題である。今尚、世情では静まっていないようである。この問題に対する蓮舫氏の対応は、日頃の歯切れの良さとは違って、悪く、大いに印象を悪くしてしまったのは 誠に残念である。― ごちゃごちゃさせず、国会議員であることや 代表者に選出されることは 遵法であることを言明し、2重国籍ならば 率直に事実を認め、例えば、台湾や中国との2重国籍でも 私は、これらの国との友好関係の橋渡しを果たしたいと 正面から居直るべきであった。日本には 相当に田舎者意識(同族意識、仲間意識、村意識など)があるものの、民進党を支持するような人たちは、そう国籍問題には拘らない見識を持っていると考えられる。― 国籍問題などの基本事項を曖昧にして、批判されるようでは党首として大丈夫かとの危惧の念を 多くの人がいだいたのではないだろうか。 事実として、残念である。
意外な点は、民主党の責任者であった野田氏の幹事長指名である。 これでは、政権交代に期待し、裏切られたと感じている多くの人にとって、その政党の責任者の再登板のようで民進党の魅力が一層失われてしまったと言えるのではないだろうか。それで、民進党壊滅の可能性も危惧されるのではないだろうか。野党の健全な発展を願って、具体的にその方向性を提案していただけに残念である:

再生核研究所声明248(2015.10.6)  日本の政治状況を変革するための提案

野党全般に付いて言えることは、仲間の政党で、国家を導いていくという、本来の政党人の志を失って、自分たちの周りの保身に明け暮れている末期的な状況と言えるのではないだろうか。誠に困った、情けない状況であると言える。日本国の在るべき姿を志す政党の出現、野党の質的な成長を期待している:


再生核研究所声明243(2015.8.31)日本国の在るべき姿について –
                           現在の世相についての心情

2重国籍問題からも分かるように、或いは近年、いわゆる、在日とか、中・韓批判の風潮がインターネット上では強く感じられる。先ずは国籍、性別、人種、宗教などで差別的に発言、対応するは 誠に恥ずかしいことであると自戒したい。 特にそれらは欧米文化の大事な概念であり、それらが尊重されない国家や社会は 欧米には野蛮な存在だと映るだろう。日本の文化でも そこに住む人たちが仲良く、楽しく暮らす社会を目指してきたと考える。この精神を大事に受け止めて行きたい。

世界の人々が偉大なるアメリカに移住したいと考えているのは、豊かさとともに、そのような基本的な人権が確立しているためであると考えられる。日本で大いに学んで行くべきことではないだろうか。 
蓮舫氏の国籍問題などについても、何時までも拘らず、人材の活用を高い視点から考えるべきではないだろうか。外国の方が、日本に住めば、日本の文化の高さ、良さを知って、日本に愛情が抱けるようになるのではないだろうか。また、そのような可能のない者を国家は入国させるべきではない。日本人はもっと、自分の国に自信を持つべきである。排斥するような態度は決して取るべきではない。みんなが仲良くである。

社会の存在は、複雑で、微妙である。我々の視野は狭く、単細胞的な存在である:

再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考

一つのことで、小さなことで、全体のように決め付けないで、総合的な視野を持ちたい。求めたい:

再生核研究所声明284(2015.2.9) 世は矛盾の中に存在する、 混沌と言える
再生核研究所声明299(2016.05.21) いろいろ ちぐはぐな社会。

全体的な調和、バランス、総合的な有り様が大事であるということである。大事なことはあれかこれかではなく、微妙な兼ね合いであると言える。
以 上

2016.9.27.15:00
2016.9.27.17:00
2016.9.27.19:00
2016.9.28.06:24
2016.9.28.11:45
2016.9.28.17:00 
2016.9.28.22:26
2016.9.29.16:22
2016.9.29.15:45
2016.9.29.19:28
2016.9.30.06:07
2016.9.30.06:45 完成、公表

2016年9月29日木曜日

Srinivasa Ramanujan : The man who knew infinity

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Srinivasa Ramanujan : The man who knew infinity
March 5, 2016 movies, People    banana story, G.H.Hardy, magic square, Ramanujan Prime, Srinivasa Ramanujan, The genius of Srinivasa Ramanujan, The man who knew infinity, theta function
After watching the official trailer of the upcoming movie – “The man who knew infinity” (scheduled for theatrical release on 29th April ’16), I got this idea to write about the famous Indian mathematician Srinivasa Ramanujan (Born – 22 December 1887 , died – 26 April 1920). Ramanujan was a child prodigy who proved his caliber in the early ages of his life. His thinking ability in Mathematics was way ahead of his time , just like Dmitri Mandaliev in Chemistry. His research work related to Ramanujan Prime and theta function have opened many new doors of further research in the advanced Mathematics.
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Indian Postage Stamp released in 1962
Ever since my childhood days , I knew only two famous Indian personalities, who were not martyrs in any war or struggle but died in their early ages – one is Swami Vivekananda (who died in the early age of 39 , and proved his prophecy of his death before the age of 40) and the other is Srinivasa Ramanujan , who died at the age of 32 due to his illness . Ramanujan’s primary contribution was in the advanced Mathematical analysis of Number system , infinite series and continued fractions , which are the basis of Mathematics. He is known for his uncanny Mathematical abilities to postulate theorem and deriving complex calculations whose derivation he himself could not justified . I came to know through a documentary (‘The genius of Srinivasa Ramanujan‘*) that Ramanujan used to say that his goddess comes and illustrates all the mathematical problems in his dreams when he sleeps. He independently compiled nearly 3900 results , in the form of identities and equations , which were proved many years after his death . Ramanujan, like many other famous scientist , had his focus only on Mathematics since childhood . He used to outperform others in Mathematics but flunked in other subjects. I would say , he must be among those few people on earth who realize in their early years where their goal lie. He is also known for his style of using his elbows to rub the slate for cleaning.
I still remember one of the Ramanujan’s story , which I read it in my 1st ever issued book (I forgot the name of the book) from the library of my new school in Class-VI . One day Ramanujan’s Mathematics professor told in his primary class that if we need to distribute 100 Bananas among 100 people , we have to divide the total no. of Bananas with total no. of people , which would result into the no. of Bananas each one should have . All of a sudden Ramanujan asked him if we divide zero Bananas with zero people , will the answer remain same ? << his teacher puzzled by his quick question. his question gave the teacher a sense that the small child is not like any other ordinary child >> . Ramanujan used to connect stars and finding out the patterns in the sky and he used to draw geometric designs on the walls of his house to solve various mysterious puzzles. He was a self taught mathematician , whose uncanny mathematical abilities achieved the first global platform when the famous mathematician G. H. Hardy recognized his talent and invited him to study at Cambridge University. I think , everyone has heard of his famous prompt reply on the taxicab no. 1729 , which G.H.Hardy considered as a dull no. and he replied immediately ” No , it is a very interesting number , it is smallest number expressible as a sum of two cubes in two different ways ” i.e. 1729 = 13 + 123  = 93 + 103
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Ramanujan’s Magic Square
“The sum of each row , each column , both long diagonals and all the 4 squares of 2 * 2 are 139”
Ramanujan is not only remembered for his pioneer work in Mathematics. He proved two important things in his life . Firstly , he proved that true talents don’t care for comfort zones and sophisticated devices for proving their worth to the world . He lived and studied his whole life under very unpleasant conditions . He was like a lotus flower that suffers all of its life under the terrible muddy water filled with dirt and filth but achieves its charm by blossoming at the end.
“An Equation means nothing to me unless it expresses a thought of God.”
– Srinivasa Ramanujan
Secondly , he proved the worth of old religious books (such as Vedas) that contains solutions to the mysterious problems of many disciplines.
Cheers to all his fans !🙂
*https://www.youtube.com/watch?v=QUnmAhXe9bghttps://examplewordpresscom73556.wordpress.com/tag/banana-story/
再生核研究所声明296(2016.05.06)   ゼロ除算の混乱

ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:

再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める

我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。

以 上


考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                     
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory6, 51-58.
再生核研究所声明313(2016.08.01)  良い数学教育の推進を

最近の世情は良いとは言えない。各地に続発するテロの発生、誹謗、中傷合戦の選挙戦、嫌いな者に対する殺傷事件、自己中心的な対外批判の高まりなど、など。これを大局的に見れば、人類未だ生物レベルを越えておらず依然として、万人の万人に対する争いの混沌たる状況にあると言える。これは、生命の共感、共生、哀しい定めを説かれたお釈迦様の教えも未だ実現できない野蛮な歴史を続けていると見られる。
そもそも、再生核研究所声明は、より良い社会を目指して、どのようにすれば美しい社会を築けるかと志向して、公正の原則を掲げて始められた:

再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、 
美しい社会とは

最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。
一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。

平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。

1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。

現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。― 以下略。

これは 大事な原理になると考える。― 我々の存在を批判、否定するならば、我々は逆にあなたの存在が良いとは考えず、我々はあなたを批判し、応分に反撃するだろう。これは道理である。作用と反作用のようなものである。国防と安全のために国防軍を増長すれば、相手国がさらに軍備を拡充するのも道理である。
ここでは、上記お釈迦様の教えではなくて、数学の教育を通して、良い社会を築く基礎を広範に確立したいという考えを纏めたい。提案したい。
国際社会の秩序を整えるには、共通の言語と基礎が必要である。民族がバラバラの言語と異なる文化基盤を持てば、国際的な秩序の確立は困難で、秩序の確立には力や資金に頼らざるを得ないとなりかねない。今でも力、暴力が頼れると間違った考えが万延していると言える。
世の秩序の根幹は 世には道理というものがある人々はその道理に従うべきだとなれば、
国際的に強力な基礎ができると考えられる。世の道理である。我々は有史以来、本質的に変更されたことのない数学、ユークリッド幾何学に人類共通の言語を見出すことができるだろう。数学はさらに人類も越えた、universeの、世の秩序を美しく表現している(――数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。

簡潔に述べれば、数学は 時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な 関係の論理体系であるが、ユニバースは 数学を言語として構成されているという、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学はユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。)

数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。
その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点を置いた従来の学習ではなく、上記のような数学教育をとうして身に付く数学の精神に重点を置いた教育である。数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。
念のため次を付記するが、数学愛好者は好感を持たれる存在と言えるのではないだろうか:

再生核研究所声明285(2016.02.10)  数学者の性格、素性について
以 上

ビーロー・ラースロー生誕117周年:ボールペン発明者の生涯とは?

本日9月29日は、ボールペンを発明した人物であるビーロー・ラースローの誕生日。これを記念して、Googleのトップページも一日限定でボールペンの仕組みを描いた特別アニメーションロゴに変更されている。

今日のGoogleロゴ変更は、記念日に合わせて特別イラストをトップページに表示する「Doodle」(ドゥードゥル)によるものだ。Doodleの公式webサイトによると、 今日の「ビーロー・ラースロー」ロゴは日本の他にもアメリカ合衆国やカナダ、ロシア、オーストラリアにヨーロッパ全域など、世界中の多くの国・地域で表示されている。そんなビーロー・ラースローとは一体どのような人物だったのだろうか。

ビーロー・ラースロー(Bíró László József)は1899年9月29日、当時オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったブダペシュトで、ユダヤ人(アシュケナジム)の家庭に生まれた。ハンガリー語は日本語と同じで姓・名の順に表記するので、ビーローが姓、ラースローが名前だ。

ジャーナリストとして働いていたビーローは、自分の使っていた万年筆に比べて新聞のインクが乾きやすく、シャープな写りになっていることに感心し、化学者であった兄弟のジョルジュとともに新しい筆記用具の開発に取り掛かった。開発には粘土の高いインクと滑らかに回転するペン先が要求された。こうして誕生したボールペンは1931年のブダペシュト国際見本市に出品され、1938年に特許を取得した。現在もいくつかの言語では、発明者にあやかってボールペンのことを「バイロー」(Biro)と呼んでいるという。上に掲載した写真は発明当初のボールペンの広告で、「Birome」の商品名が見える。これが訛って「バイロー」になったというわけだ。日本人からすると不思議な感覚だが、ステープラーのことを特定の商標「ホッチキス」で呼ぶのと同じようなものだろう。

ビーロー・ラースローは1941年、ユダヤ人を迫害するナチス・ドイツを逃れてアルゼンチンに亡命し、そこで会社を設立した。ビーロー・ラースローは1985年10月24日、ブエノスアイレスで亡くなった。彼の誕生日である9月29日は、アルゼンチンでは「発明家の日」とされているという。

なお、現在日本製のボールペンは、世界的に見ても性能が高いことで知られている。海外の安物のボールペンは使いものにならないことが多いので、海外に行く際はおみやげに日本製のボールペンを持っていくと喜ばれるだろう。http://societas.blog.jp/1061367221

こういう役立つ事をやりたい:

再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0


再生核研究所声明292(2016.03.2) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算
(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)
まず基本語をウイキペディアで確認して置こう:

アレクサンドリアのエウクレイデス古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%
非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。

ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。
ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。
この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。
ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。
何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で 全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。
もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。
そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。
ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。
この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。
平行線の交わりを考えてみる。交わらない異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。
一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。
ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。
                                     
以上

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明309(2016.06.28) 真無限と破壊 ― ゼロ除算
3辺の長さをa,b,cとする三角形を考える。その位置で、例えば、1辺bをどんどんのばしていく。一方向でも、双方向でも良い。どこまでも、どこまでも伸ばしていくとどうなるであろうか。bは限りなく長くなるが、結局、辺bは a, cの交点Bと平行な直線になって、 それ以上伸ばすことや長くすることはできないことに気づくだろう。正方向だけに伸びれば、辺cは辺bの方向と平行な半曲線に、負の方向に伸びれば、同様に辺aもBを通るbの方向と平行な半曲線になる。いずれの場合にも、bはそれ以上伸びないと言う意味で真無限の長さと表現できるだろう。もちろん、有限の長さではない。大事な観点は、ある意味で、もはやそれ以上伸びない、大きくならないという意味で、限りがあるとも言える無限である。
途中で作られる三角形の面積は辺cをどんどん伸ばしていくと、どんどん増加し、従来の数学では、面積は無限に発散すると表現してきた。平行線で囲まれる(?)面積、あるいは、平行線で囲まれる(?)部分を切った部分(一方向に辺cを伸ばした場合)は面積無限であると考えるだろう。ところがゼロ除算は、それらの面積はゼロであると述べている。 一般に、長さcをどんどん大きくしていくと、幾らでも大きくなって行くのに対して、真無限に至れば突然ゼロになるという結果がゼロ除算の大事な帰結である。 この現象は関数y=1/x の様子をxが正方向からゼロに近づいた状況を考えれば、理解できるだろう。 1/0=0 である。― c を無限に近づけた状況を知るには、1/c の原点での状況を見れば良い。
実に美しいことには、上記三角形の面積の状況は、3直線で囲まれた部分の面積を3直線を表す方程式で書いて、ゼロ除算の性質を用いると、解析幾何学的にも導かれるという事実である。ゼロ除算の結果を用いると、解析幾何学的に証明されるという事実である。
この事実は普遍的な現象として破壊現象の表現として述べられる。直方体の体積でも、1辺を真無限まで伸ばせば、体積はゼロである。円柱でも真無限まで伸ばせば、体積はゼロである。真無限まで行けば、もともとの形が壊れているためと自然に理解できるだろう。
円や球の場合にも、半径が真無限まで行けば、半平面や半空間になるから、同じように面積や体積がゼロになる。これらは、ゼロ除算と解析幾何学からも導かれ、ゼロ除算は基本的な数学であることが分かる。このことは、空間は、限りなく大きなものではないということをも述べていて、 楽しい。

以 上