2019年2月1日金曜日

『アリになった数学者』 森田真生文、脇阪克二絵

『アリになった数学者』 森田真生文、脇阪克二絵

 
「小学中級から」とあり、少々文字数は多いが、ゆっくり楽しみながら一緒に読めば、もう少し幼い子どもでも理解できそう。『数学する身体』(新潮社)で小林秀雄賞を受賞した著者の、初めての児童向け作品。
 詩情あふれる絵とあいまって、数について、この世界について、大人にも多くを考えさせてくれる魅力的な絵本。(福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集、1300円)https://www.yomiuri.co.jp/kodomo/kbook/sinkan/20181203-OYT8T50087/

とても興味深く読みました
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???   
∞は定まった数ではない・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:5年  ゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所  2014年2月2日

再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館
(2018年9月8日―24日

2018.9.17. 展示書籍などを拝見させて頂きました。大変賑わっていて関心の大きさが感じられました。時間の関係で じっくり、詳しくとは行きませんでしたが、全体の案内(知の連鎖系譜マップ)で、初期、初めにアリストテレスとユークリッドが 在って、中間くらいにニュートン、最後がアインシュタインで 世界史を壮観する想いがしました。 数学では 非ユークリッド幾何学の扱いにおけるガウスの記述、資料の欠落と算術の発見、ゼロの発見の Brahmagupta (598 -668 ?) の欠落は 残念に思われました。書籍など無くても大事な事実と思いますので、 大きく取り上げて欲しかった。 
この世界史年表で凄いことに気づいて興奮して後にしました。
ゼロ除算がこれらで基本的な関与があるからです。
まず、ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更を求め、連続性のアリストテレスの世界観に反して、強力な不連続性の世界を示しています。ゼロ除算はアインシュタインの人生最大の関心事であったとされ、今でもなお、ゼロ除算とアインシュタインの相対性理論との関係が議論され、ブラックホールは 神がゼロで割ったところに存在するなどと 神秘的な問題を提供しているからです。
もちろん、Brahmaguptaは ゼロ除算を議論していて、その後、1300年に亘って、世界史で議論されてきて、 ニュートン力学でも基本的な問題を提起している。 当然、非ユークリッド幾何学とも関係していて、それらの空間とも違う全く新しい幾何学を提案している。このように考えると、検討中の Division by Zero Calculus の著書(出版契約済み)は 世界史上で大きな扱いになるだろうと発想して、大変興奮して、展示会を後にしました。
広く世界に意見を求め、この著書の出版計画を進めたい。 そのためにも途中経過も公表して行きたい。
ところで、 展示会の名称には 世界を変えた科学の書物展示会などと、 科学などの言葉を加える必要があるのではないでしょうか。 そうでなければ、 バイブル、法華経、コーラン、論語などが並ぶことになるのでは ないでしょうか。
尚、ゼロ除算については、一般向きには
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
で4年間を越えて解説を続けています。 
最後に素晴らしい展示会を企画され、そのために努力された人たちに 敬意と感謝の気持ちを表明したい。

以 上
 


再生核研究所声明231(2015.5.22)本を書く人の気持ち、読む人の気持ち ― 本とは何か
最近、立て続けに良い本を紹介されて 読書して、何のために読書するのだろうかと考え、そもそも本とは何だろうかと想った。そこで、本について思いのままに述べたい。

まず、本とは何のために存在するのだろうか。本とは何だろうか。まず、定義をウィキペディアで確かめて置こう:
(ほん、: book)は書物の一種であり、書籍雑誌などの印刷製本された出版物である。
狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。この状態で紙の片面をページという。本を読む場合はページをめくる事によって次々と情報を得る事が出来る。つまり、狭義の本には巻物は含まれない。端から順を追ってしかみられない巻物を伸ばして蛇腹に折り、任意のページを開ける体裁としたものを折り本といい、折本の背面(文字の書かれていない側)で綴じたものが狭義の「本」といえる。本文が縦書きなら右綴じ、本文が横書きなら左綴じにする。また、1964年ユネスコ総会で採択された国際的基準は、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と、定義している。5ページ以上49ページ未満は小冊子として分類している[1]
本には伝えるべき情報が入っていて、人に伝える働きがあることは認められるだろう。そこで、本を書く立場と本を読んで情報を得る立場が 存在する。この声明の主旨は本の体裁や形式ではなく 本質的なことに関心がある。
何故本を書くか? 記録を残して伝えたい、これは生命の根源である共感、共鳴を求める人間存在の原理に根ざしていると考えられるが、伝えたい内容は、心情的な面と相当に客観性のある情報、記録、事実の表現にゆるく分けられるのではないだろうか。事実の記録、記述として ユークリッド原論のように数学的な事実、理論を 感情を入れずに客観的に述べているのは典型的な例ではないだろうか。様々な記録が本になっている場合は多い。マニュアルや辞書なども、そう言えるのではないだろうか。他方、多くの小説や物語、手記、論説、学術書、回想記などは 相当な主観や感情が表現されていて、いわば自己表現の性格の強いものが 世に多い。ここでは、主として、後者に属する本を想定している。
このような状況で、書く人の立場と、それを読む立場について、考察したい。
書く人は書きたい存念が湧いて書く訳であるが、共感、共鳴を求めて、いわば生命の表現として 絵描きが絵を描くように、作曲家が作曲するように 書くと考えられる。意見表明などは明確な内容を有し、主張を理解できる場合は多いが、詩や短歌などは より情感が強く現れる。この部分で最も言いたいことは、我々の感性も 心もどんどん時間と共に環境とともに 変化していくという事実である。従って著者がシリーズや 複数の本を出版しても、著者の書いた状況によって、相当に変化して行くということである。 若い時代に 恋愛小説を書いたり、人生についての想いを書いたものが、後になっては、とても読めない心情になる事は 相当に普遍的な状況のようにみえる。作者の心情、感性、心がどんどん変化していることをしっかりと捉えたい。
しかしながら、本は多く宣言されているように 永年保存を基本とするような、何時までも残る性格が有り、それゆえに書く者にとっては、後悔しないような、慎重さが要求されるのは 当然である。
次に如何に本を読むべきかの視点である。これは共感、共鳴したい、あるいは価値ある知識を入れたい、情報を得たい等、しっかりとした動機があるのは確かである。教科書や専門書、旅行案内書、辞書など、明確な動機を持つものは世に多く、そのような本の選択は多くの場合、易しいと言える。
ここで、特に触れたいのは、文芸書や小説、随筆など、著者の心情が現れている本などの選択の問題である。 現在、 本の種類はそれこそ、星の数ほどあり、本の選択は重大な問題になる。本には情報といろいろな世界が反映されているから、個人にとって価値あるものとは何かと真剣に、己に、心に尋ねる必要がある。いわゆる、物知りになっても いろいろな世界に触れても それが 私にとって 何になるのか と深く絶えず、問うべきである。知識や情報に振り回されないことは 大事ではないだろうか。
我々の時間には限りがあり、 我々の吸収できる情報も、触れられる世界にも大きな制限がある。
そこで、選択が重要な問題である。
本声明の結論は 簡単である。 本の選択をしっかりして、吸収するということである。
これは、自分に合ったものを探し、精選するということである。自分に合った著者のちょうど良い精神状態における本が良いのではないだろうか。社会にはいろいろな人間がいるから、自分に合った人を探し、そこを中心に考えれば 良いのではないだろうか。この文、自分に合った人を探し、そこを中心に考えれば 良いのではないだろうか は広く一般的な人間関係やいろいろな組織に加わる場合にでも大事な心得ではないだろうか。選択の重要性を言っている。上手い本に出会えれば、それだけ人生を豊かにできるだろう。
それらは、原則であるが、そうは言っても自分の好きなものばかりでは,  視野と世界を狭めることにもなるから、時には積極的に新規な世界に触れる重要性は 変化を持たせ、気持ちの転換をして、新規な感動をよびさますためにも大事ではないだろうか。 この点、次の声明が参考になるであろう:
再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること。

以 上

再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs 
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした: 

With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
とても興味深くみました: ゼロ除算(division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0 2018年05月28日(月) テーマ:数学 これは最も簡単な 典型的なゼロ除算の結果と言えます。  ユークリッド以来の驚嘆する、誰にも分る結果では ないでしょうか? Hiroshi O. Is It Really Impossible To Divide By Zero?. Biostat Biometrics Open Acc J. 2018; 7(1): 555703. DOI: 10.19080/BBOJ.2018.07.555703 ゼロで分裂するのは本当に不可能ですか? - Juniper Publishers ↓↓↓ https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所   2014年2月2日

神の数式:                                                                        
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。

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​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?

面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。

 
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23

ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.



Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler
1/0=0/0=0 (201422日再生核研究所)

ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0

https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html


1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras
1/0=0/0=0201422日再生核研究所)


再生核研究所声明463 (2018.11.19):  ゼロ除算を理解すると 世の中に対して どのようなメリットがあるでしょうか。 ― 回答

一般の方から寄せられた率直な質問です。 多くの人が数学者はどのような社会貢献をしているのか疑問に思っているような状況が広くあるのでは ないかと考えられます。
教育における数学の貢献、自然科学における数学の貢献は歴然ですが、研究成果の社会貢献になると、難し過ぎ、抽象的すぎ、細かすぎ、分からない、どうでも良いと思われることにハマっている。 それ以前に全然わからないというような印象が あるのでは ないでしょうか。
ゼロ除算についての上記のようなご質問に対して、率直に真正面から回答してみたい。
ゼロ除算の理解は、小学生でも十分に分かる内容ですが、神秘的な歴史を有していて、ゼロ除算不可能は アリストテレスに遡り、数学的にも算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の問題であると言えます。 また物理学上の問題から、アインシュタインの人生最大の関心事であったと言われています。天才オイラーの間違いなどともいわれるように 多くの天才的な数学者が関与して来ています。インド人の永い苦しみの様も 最近詳しく報告され、現代に至っても奇怪な理論が、見解が インターネット上を賑わしています。

ところが、ゼロ除算の本質は、簡単で明らかですが、それでも発見後4年を経ても 世の理解は 十分とは言えません。 これらの事情を見て、まずは、ゼロ除算は、人間の愚かさ思い込んだら変えられない独断と偏見に満ちた存在であることを 良く教えてくれる。 このことが ゼロ除算を理解する最大の、メリットであると考えられます。 簡単なことが 天才たちでさえ 既成概念にとらわれて 理解できず、解明できなかった 歴史の重い事実です。 数学界から 不可能の烙印を押され、それはまるで絶対的な命題であるように受け止められ 疑うことをせず、その壁を乗り越えられなかった 事実です。 事実は 本当に簡単な事でした。
インド人たちの永い間の努力と 現在でも 自分の考えに囚われて 新しい事実を受け入れられない人たちが相当いる。 マインドコントロールという言葉がはやったことがありますが、 すっかりはまっていて 抜けられない姿を 結構広く見ることが できます。数学者がかえって古い世界にハマっていて、素人の方の方が理解しやすい状況は 結構良く見られる。あまりにも深く学習しすぎてしまったので、なかなか新しい数学に理解をしめせないようです。心が向かないようです。
ゼロ除算の理解は、人間の性(さが)を理解するのに 貢献するでしょう。
ゼロ除算は、数学的には、 真っすぐに立った電柱の勾配がゼロであること y軸の勾配がゼロであることを示すので、勾配の考えに新しい感覚と世界観をもたらしますが、その背後にはアリストテレス、ユークリッド以来の世界観の変更、初等数学全般の変更を要求する基本的な理論、数学が存在します。 - 素人に聞くと相当多くの人が真っすぐに立った電柱の勾配はゼロであると回答されることは 驚きです。しかし、数学では考えられないとなっている変な状況です。 -  しかしながら、一般の人たちが学んで楽しく、感銘するものを探せば、それはどのようなものかと考える。 数学を超えたような影響の視点です。 - 平面をどんどん遠ざかっていくとどうなるかを考えると、無限遠点に至ると考えられますが、ゼロ除算の結果 無限の彼方は 実は始めの原点に一致していることが分かった。
― この表現ではまるで宗教的、哲学的な視点であると理解されるだろうことは、 良く分かります。 - 実際、これは誤解であるが ゼロ除算は宗教的だ、 哲学的だと印象を述べた数学者が結構いる。 しかし、立体射影の考えを参照されれば、簡単に数学として、その意味を捉えることができます。 ゼロと無限大のある意味での一致の発見が ゼロ除算の拓いた新世界の事実です。 ゼロと無限大はいろいろ似たような性質が有りましたが、その関係が露わにされてきた。 意味が明らかになってきた。
ゼロと無限大の一致は 世界観に大きな影響を与えました。はじめと終わりの一致、両極端の一致と普遍化すると新しい世界が見えてくるのではないだろうか。実際、衝撃が永く続き新しい世界が見えて来るように感じられました。ゼロ除算発見以前の世界と、発見後の世界では 相当に変化してきて、賢くなってきた、世の中が良く見えるようになってきたような感覚を懐いています。 このような衝撃を感じられれば、ゼロ除算の大きな一般的な貢献と言えると思います。 天動説を変えて地動説を受け入れたような大きな変化です。
ゼロ除算は、考え方の変更で 多くの誤解をするが、それ故に数学的な考え方や、 発想の仕方で、数学的な論理とは何か。 考え方の仕方などで、大いに修行、訓練になると考えられる。 できないとされていたことが、できるようになった発想の仕方は、非常に教訓的で感銘を受けるのでは ないだろうか。 ― 全く思いがけないことが起きて、それが真実であった。 その衝撃です。
物理的な連続性の概念はアリストテレスによって主張され、欧米の文明に甚大な影響を与えたとされるが、ゼロ除算で現れた強力な不連続性の概念は、沢山の驚くような具体例を明らかにしているが、 不連続性の考えは、今後 新しい世界観としてどんどん広まっていくと考えられる。 基本的な例をしっかり理解することによって、新世界の現象をどんどん発見し、理解が進むだろう。 ゼロ除算の拓いた世界は、実際、 新しい数学、世界であると言える。 - 実際、できないとされていたことが できるようになったというのだから、新しい世界が拓かれたと言える。しかも、それは 算術の基本に関わる変更である。
次も参照:
再生核研究所声明 455(2018.10.9):   ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか
― 回答
(一部)除算の発見とその理解は、人間精神の開放 に寄与するでしょう。まずは、人間が、予断と偏見に満ち、盲目的で 単細胞的な存在 であることを教えてくれるでしょう。これは哲学の祖、ソクラテスの言葉 汝みずからを知れ という、深い問いを思い起させるでしょう。 ゼロ除算の理解は 人間精神の開放 に大きく寄与するだろう。それは、人間を救う と表現しても過言ではないと 言える。 ゼロ除算算法の結果、人生図形 というグラフを得たが、それは、人生とは如何なるものか 良く表現していて、実際 悟りの心 にも大きく貢献するだろう。 ゼロ除算算法のない世界は、実際、未だ未明の時代、野蛮な時代 と言える。 新世界は 既に見えている。 次も参照:
再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館(2018年9月8日―24日 )

以 上


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