2019年2月4日月曜日

Scientists are on the verge of imaging a black hole's shadow for the first timeAstronomers believe they are on the verge of attaining the first direct image of a black hole’s shadow

Scientists are on the verge of imaging a black hole's shadow for the first timeAstronomers believe they are on the verge of attaining the first direct image of a black hole’s shadow



https://www.researchgate.net/project/division-by-zero

https://lnkd.in/fH799Xz
https://lnkd.in/fKAN-Tq
https://lnkd.in/fYN_n96
https://note.mu/ysaitoh/n/nf190e8ecfda4
 
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:5年  ゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所  2014年2月2日

再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
                        
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]                                    
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカ物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

ところが結果は、実に簡明であった:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。

ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。

以 上


再生核研究所声明 470 (2019.2.2)  ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて

ゼロ除算100/0=0の発見は 初期から ゼロ除算の発見時から、 歴史的なものと考えて、詳しい過程を記録してきたが、ゼロ除算の影響は 初等数学全般に及び、 天動説が地動説に代わるような世界観の変更を要求している。 言わば新しい世界を拓く契機を与えるだろう。世界史は大きく動き、新しい時代を迎えられるだろう。― これは我々の世界の見方が変化すること、心の在りようが 変化することを意味する。 しかるに 発見5周年を迎えても その大きな影響を理解しない世情は、人類の歴史に 汚点を刻むことになるだろう。 数学の論理は 絶対的であり、数学の進化も 大局的には必然的なものである 
(再生核研究所声明 467 (2019.1.3):  数学の素晴らしさ ー 数学は絶対的な世界である)。

一数学者として このようなことは、真智を求める者として、愛する者として、研究者の良心にかけて、 断言せざるを得ない。 また表現は、応援者たち、理解者たち、関係者たちが 相当に言わば晩年を迎えている実状を鑑みて、率直にならざるを得ない。実際、我々は明日の存在を期待してはならない状況にある:

再生核研究所声明 465 (2019.1.1):  年頭にあたって - 1年の計 
(部分引用: 年齢的に X,Y,Zの場面が いつ起きても不思議ではない状況にあることを しっかりと捉える必要がある。
まず、X とは入院などでメールができない状況である。Yとは、意志表示ができない状況である。Zとは、意識が無い状況である。 したがって、いかなる場合にも平然と、それらに対応できる心構えを整えることを 修行として、心がけることが 大事である。 
その原理は、それらに際して、後悔しないように準備に励ことである。それ故に、存念を率直にブログ、Facebook、 論文、声明などで表現して これまでとして、何時でも終末を迎えられるように すべきである。
― 上記メールができることであるが、著名な数学者の言葉であったと思うが、我れ思うゆえに我あり、我れメールするがゆえに、我れ存在すると多くの人は理解するだろう。
実際、多くの人にとっては、情報を得ることで、その人の存在を認識するだろう。交流できることが 生きている意味と捉えられるだろう。
そのような 終末を迎える原理として、 ゼロ除算の帰結である 生命のグラフ、 すなわち 多くの過程は 初めに戻る との教えは 大きく貢献するだろう。)

世にゼロで割ってはいけない、ゼロ除算は不可能であるや不定であるという常識は、全くの狭い見方、考え方、発想で、自然な意味でそれらは可能で、できないといって避けていたゼロ除算から、実は誰も考えたことのない世界が現れ、それが初等数学全般に及ぶことが
900件を超える知見で明らかにされてきた。
要点は、解析関数を考えるときに、特異点そのものでは考えず、特異点を除いた部分で関数を考えて来たのに、実は孤立特異点そのもので、解析関数は、有限確定値を取ることが 分かったことである。― 例えば、解析関数 W= exp (1/z) は 原点z=0 でピカールの除外値1を取っている(ゼロ除算算法)。― 何と、この関数は原点の近くで、ただ一つの例外の数を除いて、すべての複素数値を無限回取るとされてきたが、その例外値が実は、特異点で取られていた。 その意味で、全く新しい数学が発見されたという事実である。 その影響は900件を超える知見を齎し、初等数学全般に大きな影響を与える。既に確立しているホーン・トーラスという、アリストテレス、ユークリッド以来の リーマン球面に代わる空間が発見された。我々の結果は そのように自然な分数の意味で、1/0=0/0=\tan(\pi/2)=0 と表現されるが、その影響は 世界観の変更に及び、現在の世界は、ゼロ除算の新しい世界から見ると、未だ夜明け前と表現される。現在全体の様子を著書に纏め中である。

少し具体的に内容について触れて置く:
まず代数学的にはゼロ除算を含む簡単な体の構造(山田体)が与えられているが、このことの認識が抜けているのは 代数学における 相当に基本的な欠陥 であると考えられる。体の構造はあまりにも基本的であるということである。
幾何学においては無限遠点がゼロで表されることから、無限遠点が関与する幾何学、平行線、直線、円、三角形、2次曲線論など広範な幾何学に欠陥が存在する。曲率、勾配などの概念の修正が求められる。我々の空間の認識は 数学的にはユークリッド以来 不適当である と言える。図形の式による孤立特異点を含む表現で、孤立特異点でゼロ除算算法を用いると いろいろ面白い図形や、量が現れて、新規な世界が現れてくる。無限、特異点として考えて来なかった世界における新しい現象が現れてきた。これは未知の広大な世界である。
解析学では、いわゆる孤立特異点では、そこでは一切考えて来なかったが、孤立特異点そこで、ローラン展開は ゼロ除算算法として意味のある世界が拓かれているので、全く新しい数学を展開することが可能である。直接大きな影響を受けるのは微分方程式の分野で ゼロ除算算法の視点から見ると、 微分方程式論は 相当に欠陥に満ちていると言える。典型的な結果はtan(\pi/2)=0である。微分係数がプラス、あるいはマイナス無限大と考えられてきたところが 実はゼロで、微分方程式論に本質的な影響を与える。特異点でも微分方程式を満たすという概念が生まれた。
複素解析学ではゼロ除算算法の応用、影響の大きさから、そのように重要なゼロ除算算法の意義の解明が望まれる。様々な解析関数の孤立特異点の値は数学辞典、公式集の新たな章になるだろう。三角関数など初等関数については既に相当な結果が得られている。未知の世界である、孤立特異点での関数の性質を研究する、新世界における問題が広がっている。
一般的な視点からの要点とは、まず、我々はゼロで割れることを、厳密な意味で与えて、言明し、その広範な影響が出てきたこと。それと裏腹に ゼロと無限の関係を明らかにして、永い懸案のそれらの概念を明らかにして、それらの関係が確立されたことである。特に この基本的な関係は リーマン球面に代わるモデルとして、ホーン・トーラスとして 幾何学的に明示される。― それで、無限とゼロの意味とそれらの関係が分かったと言える。最近物理学者も興味を寄せてきているが、ホーン・トーラス上の数学は、今後の課題である。

ゼロ除算算法とは 強力な不連続性を伴った 仮説であり、仮定である(数学そのものがそのような構造をしている)が、 ゼロ除算そのものの意味は依然不明であり、その意味の追求は ブラックホールの解明のようにゼロ除算算法の研究を行うことで、意味を追求していくことになる。その本質は、どうして そのように強力な不連続性が与えられているか、無限とゼロの関係を追及していくことである。もちろん、universe の現象として捉えていく必要がある。

5周年を迎えるに当たって、我々は世に ゼロ除算の理解を広く求め、かつ、関係者の研究への参加と協力を求め、かつお願いしたい。
数学の教育関係者、出版関係者には初歩的で基本的な新しい数学からの広範な影響を 教育・文化に反映させるように協力をお願いしたい:

再生核研究所声明 431(2018.7.14):  y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界? 

(部分引用: 原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それが
y軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会,代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。)

以 上

再生核研究所声明 472 (2019.1.25)  万物流転、世の無常、心

人世 全般について ある纏まりのある、感情が 湧いているので、その面から率直に表現したい。先ず、藤原道長の この世をば わが世と思ふ望月の欠けたることもなしと思えば。秀吉の 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
ゼロ除算が拓いた 生命の曲線 ― 多くの過程は元に戻る。人間は自らの意志で生まれたのではなくて 何者かによって造られたものである。造られたように生きざるを得ない。我々の頼り 源は 結局は 我々の心に従わざるを得ない。生命、人間としても我々の在りようは 相当に見えているが、定かには分からない。 深く心から湧くところに尋ねることが肝要である。心の統一と安定、良き感動が湧くように である。身に余る、贅も、名誉も、創造も、業績など一切のものは 心の調和が無ければ、ただ空しいだけ となるだろう。我々が価値あるものと考えていたものも、願って求めていたものも、志さえ 絶えず変化して 留まることを知らないのが 我々の心である。心は、絶えず 適当な変化と 創造性と新奇さを求めるが、それらとて、変化して どんどん変わっていく心境を齎す。
万物流転、世の無常とは 世の大きな流れであり、環境の変化である。人の心もその流れに
影響されて変化して行くものである。 それらの背後には 神の意志 が存在すると感じられるが、それらはもちろん定かには分からず、信仰として直観すること になる。
ここで 言いたいことは簡単である。 要するに、人世も 社会も複雑で 捉えどころがなく、絶えず変化している。個人は 大きな生体の 単細胞的な存在 であるが、全体の状況を感じながら、己の心に深く思いを致して、そこに存在する神性、良心に従って生きていくのが 良いということである。
人生を終えるとき 全てものものは、生まれる前のように 大いなる 母なる世に 帰ることになるだろう。
拘らず、 淡々と 自らの心に違って行けば 良い。

この文脈で関係する精神は:

芸祷とは爆発だ、どんどん爆発を続けて行く ー 岡本太郎
自転車は走っていないと安定しない ー アインシュタイン
活動してやまないもの ー ゲーテ
天上天下唯我独尊 - お釈迦様

以 上
再生核研究所声明 474 (2019.1.29)  人類の進化

ゼロ除算の発見は、新しい時代を拓くと述べてきたが、人類の進化の視点から、一気に触れて置きたい。
人類は次の観点から確かに進化する余地があり、その進化の余地の存在は ゼロ除算が数学を進化させる余地であると同様に 歴然である。
人類は今なお戦乱と軍拡競争を数千年と続けているが、それらの克服で 新しい世界史を拓けるだろう。 人類の目標、存在の意味も 歴然である。
戦争は無くならないと ゼロ除算不可能性のように 考えてしまったり、思い込んではならない。 どちらも気づいてみれば 原理は 当たり前である。どちらも恥ずかしい状態である。
戦乱の背後には 生物本能の生存競争、勢力争いが基礎にあるが、これは自由競争の理念から発する多くの競争も原理は、基礎は共通している。これらを克服する原理は、お釈迦様の共生、共鳴、共感、慈悲などの精神を持ち出すまでも無く、ニュートンの運動法則、作用・反作用の原理、再生核研究所声明1、公正の原則:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれ は公正といえる.

を 理解できれば、おのずから克服でき、新しい世界史を 拓くことができるだろう。しかしながら、それらの深い理解には、そもそも生命に対する理解、人生に対する理解が 必要であろう。お釈迦様のようには 高まらなくても、人生の虚しさや個人の虚しさへの 一定の理解が求められ、しいて言えば、権力者や指導的な人々が、個人の立場、仲間の立場を離れて公を考えることができる程に成長していることが望まれる。 超大国の指導者が自国第一主義や評価すべき人々が 自分たちの仲間優先や中心を考えてしまうようでは、未だ夜明け前の野蛮な時代と言われても仕方がない。 浅ましい限りであると顔をしかめるような 世相に文化レベルを高める必要がある。 政治問題も、多くの評価もデータが 客観的に 人工知能が 判断する時代の到来は 近いのでは ないだろうか。― 人工知能に
負けるな人間。
人類進化の原理は、人間存在の基礎が 真智への愛にあること、生命のはかなさ、空しさをしっかり 当たり前のように 理解することにある:

再生核研究所声明 472 (2019.1.25)  万物流転、世の無常、心

個人を超えた 大いなるものに帰依する 精神に目覚めることである。大義は、個人を超えた存在である。 - 名君ならば、民のためを 第一に考える精神であり、研究者ならば、真理、事実のため を個人の立場を超えて考える精神である。 仲間優先は、野蛮な時代の象徴である。

そのような時、軍拡競争や暴力など 独りでに なくなってしまうだろう。― ばかばかしいと成って、誰もそのような事を考える人が 独りでに なくなってしまう。日本では暴力で勢力を拡大したり、利益を得ようとは 誰も思わないようにである。
その時、中国古代のある時代のように 社会は理想的になり、人類は感動に満ちた 自由な生き方、在り様を求め、 活力ある時代を迎えられるだろう。― それで、恥ずかしい世界史を卒業できる。夜明けを迎えられる。
我々は、恥ずかしい野蛮な時代を越えて 新しい世界史を拓きたい。 恥ずかしい不完全な人類の共通言語 数学の改善を進めながら 大きな新世界を拓きたい。

以 上
再生核研究所声明 473 (2019.1.28)  峠、峠を越えて

この頃、春の予感を感じて、いろいろな考えがまるで芽吹くように湧いてくる。 梅のつぼみの膨らむ様など素晴らしい。そこで、表題で纏めたい気持ちが 湧いていた。
峠であるが、 いろいろな峠がある。 その峠が行く手の大きな目標で そこを越えねば と感じられるようなものと、ある程度余裕をもって、越えていける、周りを見ながら進めるような 峠である。 ここで、峠とは心の向く 対象、目標、志などを 表現している。
いずれにしても 峠はある目標である。 心がそれに占められる。中原に鹿を追う のように真剣に取り組む対象は結構多い。 そこで、そのような場合には、他のことが目に入らず、対象以外は疎かになる。盲目になることである。そのような状態が続けば、周りの人は 心ここに有らずの人と付き合うことになるので、場合によっては 大きな犠牲を気づかずに周りの人たちに負わせてしまうということである。 - 研究者として、そのような面が有ったと 誠に心苦しく思うこの頃である。
迷惑の観点ばかりではなく、目標以外 心が 回らなかったことから 退職などで 解放されて、世の中、自然、もろもろのことが 違って 開けた様に 世界が見えるようになってくる。ちょうど峠を越えて新しい視界が開けた様に である。
登山と同じように いろいろな峠を越えて 楽しめるのであるが、ここの一つの要点は 峠によっては 我々の心が 強い影響を受けて、人格や個性、心さえマインドコントロールにハマったように抜けられないほどの強い影響を 受けかねない場合が 多々あるとみられることである。 志の在りようで、人生や研究課題そのものが強く影響を受ける現実は多い。 初期の志の強い影響、それは初恋の強い影響のように 人格形成や、精神の形成に強い影響を与える。 ― 恋で生涯の傷を負っている人を多く見てきた。 どうしても立ち上がれない。 越えられない。 研究課題でも初期の課題で、生涯影響を受けている状況は多い。
峠を越えれば 新たな世界が広がるのに、その峠の枠内に縛られてしまう人生も結構多く見られる。ついに目標に、峠に達することが できなかった そのような 場合である。
人間の心は、他人が思う以上に傷つきやすく もろい面がある。- 世に虐めや、暴言など、考えようによっては、たわいもないことでも 大きく傷つき、癒せない状況に置かれている人も 多々見られるのが 社会である。
人生の大きな3つの峠とは 進学、就職、結婚であるが、それらの基礎には、経済的な独立と社会的に安定した存在を求めることにあると見られる。 進学のための永いいわゆる勉強は、現代の日本社会では 永すぎて、多くの人は 何らかの意味で、病んでいるのではないだろうか。 その為に異常に心が歪められているのではないだろうか。 優秀な若者が自分のみずみずしい才能、豊かな才能が受験の観点から才能を伸ばせず、大事な峠で停滞、つまずき、豊かな感性が抑えられている現実を哀しく見てきた。 何時の間にか平凡な人になってしまいはしないかと気遣ってきた。 大事な観点は いわゆる最も有能で旨く行った人たちが逆に 強く傷ついているのではないかと感じられる視点である。 ありていに言えば、つまらない勉強に永くかかわり過ぎて、折角の才能を 費やして、歪められてしまってはいなかという 危惧である。 相当に晩年まで 体力が 持たなかったり、 疲れてしまっているような状況もあるように見える。 必ずしも幸せになっていないような状況が 相当に起きているのでは ないだろうか。 現代の在りようは あまりにも 余裕のない行き過ぎの感じを受ける。
一般にある制度が永く続くと 行き過ぎで 変な状況に陥入り、制度は疲労化して大きな修正を求められるようになるのではないだろうか。 この文脈で、最近の世界的な世相、民主主義の精神の名での 国民投票や 住民投票も おかしな傾向にあるのではないかと危惧される。
さて、本題、主題であるが、峠を越えれば、新しい視界、世界が拓かれてくる。 それを旨く乗り越えて行くのが、楽しい人生と言えるのでは ないだろうか。 あまりに、とどまらず、急がず、 自分のペースで。 急激な峠には 急がず慎重に臨みたい。自分のペースをしっかり捉えることが 大事であるということである。 もちろん、余り追い立てられたり、せかされるのは 良くない。
以上、精読して、いろいろ大事な点を触れているが、峠によって人格や個性が変化し、人間が変わってしまうという観点、マインドコントロールにハマってしまうという観点、心の微妙さを述べたかった。
以 上
再生核研究所声明 469 (2019.1.17)  なぜ二つの負数を掛け算すると正数になるのですか?(回答)
小杉 崇夫 (Takao Kosugi)
小杉 崇夫 (Takao Kosugi), 東京理科大学で建築を専攻
追記:(2018年12月6日)

最近、同様な質問を素人の方から、受けましたが、結構 素朴な疑問を懐いておられる方が多いのではないでしょうか。 そこで、一つの回答を纏めてみたい。
先ず、考え方ですが、このような質問の背景を考える必要があります。 お釈迦さまは お釈迦様の教えは 3000巻の法華経に纏められているということです。 それは、お釈迦様が 相手をみて、相手の状況を察して、 いろいろな説き方をされたためと 考えられます。 一般的に、あるいは普遍的に 真実を述べれば良いでは 済まされず、受け止められる相手の状況を考えて 個別に説かれたという背景があると思われます。 
ご質問の意味は、数学的な意味を問うているのではなくて、感覚的に分かった、納得したいという感情から 質問を寄せられていると考えられます。 実際、数学では、数学の内容について、何でも 厳密な回答が与えられる構造をしており、その意味で 数学は完全で、絶対的です:

再生核研究所声明 467 (2019.1.3):  数学の素晴らしさ ー 数学は絶対的な世界である

そこで、質問者の背景ですが、質問されている内容にある、負数掛け算が 鍵ですが、それらの意味がはっきりしなければ、質問事体 意味をなさなくなってしまいます。 大事な論点をきちんとする必要があります。 世の多くの問題について、 良く分からずに 質問したり、考えている場合が 実に多いことに思いを寄せたいと思います。 良く意味が分からずに、問題を考えていることが 実は多いので、この観点は大事です。

マイナスの数と、掛け算の意味を、それらの本質を捉えることが この質問の鍵です。しかも数学的に厳格に意味を与えることは、述べたように簡単ですが、そうではない、分かり易い説明が 求められていると考えます。 回答には相手の要求の程、背景の知識の程を勘案する必要があります。
そこで、自然数 1,2,3, … を数直線上に 対応させて考えます。 すなわち、 直線上に 基点(原点) O を固定して、右側の点Eを勝手にとって固定して その点を長さの単位OE =1として取り、Oに0、Eに 1を 対応させる。それで、 Oから長さ x にある点を X:  OX=x として その座標を xとします。xは 正の数としているので、それらは O  で分けられた直線の E を含む方に 対応させます。同じように考えて、正の実数を Eの方向の点に対応させます。正の実数とは この座標の考え方で、Oより右側に存在する半直線上の点と1対1に対応させます。
正の数は 良く分かりましたので、マイナス の数の導入と 掛けることの意味の定義を与えます。 今でも、-1は 数か、それは 存在するのかという 問題を提起される人が います。 それを掛けるとは どのような事かを問題にします。
そこで、ここでは –1を掛けることは、例えば ―1 掛ける2は、(-1) x 2=                -2 と書いて、2の O に関する反対側の点を 対応させると定義します。そう考えます。そのように考えられる O に関して Eと反対側に存在する数が、負数です。 このようにして、実数全体を 直線全体と1対1に対応付けられた直線が 数直線です。これは 世で言う 実軸です。
これらは 厳格に正しいのですが、上記の背景で、問題の回答は 明白、歴然になります。
-1 を掛けることは、 原点に対して、対称の点を 対応させることです。
-2に -1 を掛ければ、当然 2です。-1掛けるー1は 当然 1です。
これで、一般的に 負数掛ける負数が正の数に なることも歴然です。 負数の存在も、負数を掛けることも 歴然です。
―1の意味も良く分かって 頂けたのでは ないでしょうか。
世情でも、お金を貸す量をプラスで、借りる量をマイナスで 表わせば、プラス、マイナスの演算は 良く、実情を表すと考えられるのではないでしょうか。 その時、マイナスを付ければ、貸すと借りるの関係が 逆転すると考えれば 良いです。もちろん、借金を続ければ、借金は大きくなり、加法の演算と積の演算を混同して、 借金を重ねたら、借金が減った、 貸したお金になったと誤解してはならない。
風向きなど ベクトル、大きさと方向を持つ量に マイナス1を掛けたち, マイナスを付ければ、方向が逆転します。 複素数zの場合, -zは 原点z=0 に関する対称な点を表します。マイナスは、もっと広い世界で成り立つ概念です。いわば反対の世界を表しています。

以 上
神の数式:                                                                        
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。

ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.



Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler
1/0=0/0=0 (201422日再生核研究所)

ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0

https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html


1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras
1/0=0/0=0201422日再生核研究所)

 

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