2016年3月1日火曜日

『真田丸』はコミカルすぎ?史実に沿わない大河ドラマを検証 しらべぇ / 2016年2月29日 16時0分

『真田丸』はコミカルすぎ?史実に沿わない大河ドラマを検証
しらべぇ / 2016年2月29日 16時0分
写真
『真田丸』はコミカルすぎ?史実に沿わない大河ドラマを検証
※画像は『真田丸』公式サイトのスクリーンショット

画像は『真田丸』公式サイトのスクリーンショット

三谷幸喜脚本、堺雅人主演のNHK大河ドラマ『真田丸』。真田幸村(信繁)という人気の高い武将の一生を描くドラマだけに、視聴率も初回から好調。前回の『花燃ゆ』が低調に終わっただけに関係者は安堵しているだろう。

しかしユーモアをまじえた内容については賛否両論で、「コミカルすぎる」、「チャラチャラしている」などの批判や、「本能寺の変のあとに満月から数日後の月を出すのはおかしい」などと細かいツッコミも多いとのこと。

ちなみに三谷幸喜は10年前の『新撰組』でもコミカルな脚本が物議をかもした。大河ドラマなど歴史を扱うドラマについてはつねに「史実と違う」と指摘があり、制作側は苦労しているようだ。

■大河ドラマは史実に沿うべきだと思う?
そこでしらべぇ編集部がアンケートサイト「マインドソナー」で「大河ドラマは史実に沿うべきか」聞いてみた。

無題

結果、36%が「沿うべきだ」と回答。意外に史実と沿わない場合でも受け入れている人が多いことが判明。制作側としては、少々安堵できる数字かもしれない。

やはり内容がしっかりしていれば、多少脚色があったとしても納得できるようだ。『真田丸』についても、「コミカルな演出が面白い」という声もある。

■史実にはないと思われるシーンは?
過去の高視聴率大河ドラマにも、史実に沿っているか歌わしいシーンが存在する。いくつかあげてみよう。

(1)独眼竜政宗  1987年

小田原攻めに遅参した正宗を勝新太郎演じる秀吉が一喝するシーン。秀吉が正宗の首を杖で一叩きした後、あえて正宗に刀を渡し立ち小便をする。

政宗が遅参したのは事実だが、杖や立ち小便は史実にはない可能性が高い。しかし、この場面は勝の存在感が凄まじく、大河ドラマ史に残る名場面と言われる。

(2)徳川家康 1983年

三方ヶ原の戦いで敗北した徳川家康が命からがら浜松城に逃げ帰り、恐怖のあまり場上で脱糞し家臣に馬鹿にされるシーン。「くさやくさや」とバカにされた家康が、「これは腰につけた焼き味噌じゃい!」と一喝する。

脱糞については事実であるとする説と、創作であるとの説があり詳しいことはわかってない。家康が「腰につけた焼き味噌」と言いわけし怒ったことも事実であるかは疑わしい。

(3)江~姫たちの戦国 2011年

「9歳の江が伊賀越えをする」「清洲会議の現場でなぜか江が盗み聞きしている」「江が遠く離れた場所を頻繁に行ったり来たりする」など、かなり史実とかけ離れていた。

視聴者から抗議が殺到したが、NHKは「これはあくまでもフィクションで、ファンタジーである」と説明。物議をかもした。

この他にも大河ドラマには史実に沿っていない創作の部分が多く、『独眼竜政宗』のようにそれが名シーンとして語りつがれることもある。

しかし、『江』のようにあまりにもかけ離れすぎていると、批判の対象になり視聴率が伸び悩む。現在のところ視聴率好調の『真田丸』だけに、創作を適度にとどめておけば視聴率も安定するだろうか。

(取材・文/しらべえ編集部・佐藤 俊治)http://news.infoseek.co.jp/article/sirabee_91790/



再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 

まずは 言葉を確認して置こう:

ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。日常会話で「ドラマ」といった場合、テレビドラマを指す場合が多い。
作品としてのドラマの特徴は、物語の一切が登場人物の行動によって描かれる点と、登場人物が何らかの目的を持っている点に特徴がある。その目的への障害に直面することで、登場人物は葛藤する。障害への直面は、往々にして、登場人物同士の精神的・物理的衝突の形で提示される。登場人物が行動を積み重ねていった末に、障害を最終的に乗り越えるか、乗り越えられないかが、物語の大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。
映画が生み出されて以降は、上記の定義のようなドラマを主に描く映像作品を、ドラマとジャンルづける場合もある。
かつてドラマは演劇や戯曲の代名詞でもあった。しかし近代以降、葛藤や、行動の因果関係のない非ドラマの演劇作品・戯曲も数多く生み出されており、演劇や戯曲をドラマと呼ぶのは現代においては不正確と言える。
現実世界においても、現実の人物が上記のような状況に陥っていること指して、ドラマ、もしくはドラマティックと呼ぶ場合もある。(ウィキペディア)

上記 説明で 芸術表現の一形態、演劇や戯曲の代名詞 という部分は 言語の確認として大いに参考になるのではないだろうか。 これらの言葉の背景には、創作者や演出家、関係者の多くの生命の表現としての要素が本質的に存在するということである。 絵画や作曲者が絵画を描き、曲を創作するように ドラマを制作するということである。 なるほどそうならば、今NHK大河ドラマや朝ドラなど みなそれぞれに素晴らしく輝いていて 実に素晴らしいと賞賛でき、感銘できる。 芸術作品となれば、それは本質的に自由であり、生命の活動として 生命の表現として みなされる。
テレビドラマを指す場合が多い には、美術館で美術を楽しむ、映画館で映画を楽しむ、会場で音楽を楽しむというような相当に自由な表現の芸術作品と少し違った要素を有するのではないだろうか。 具体的には、

1) 広範に公開される。
2) 多くの場合、何かの素材に基づいた場合が多い。
3) 繰り返し、日常 連続的、定期的に続けられる。

などである。 ドラマについて何か書きたいと考えた動機は、ドラマを見ることが、人生でどのような意味を持つか、また、そのような観点から、ドラマは どのようにあるべきか と 問うことであった。
我々はなぜ、ドラマを見るのだろうか。 楽しいから、面白いから、感銘するから、 展開が楽しみだから、新規な世界が、珍しい、世界が覗けるから、知識や新しい情報が入って有益だから、共感、共鳴するから、など、などであろうか。― ドラマを通して 人生、世界を考察して、哲学したいからなどの 高級な視点も大事ではないだろうか。連続ドラマなど楽しく、次の展開が楽しみで、生活の張りになっているは 世に多いのではないだろうか。次が楽しみで、生活の張りになっているは好ましく、 それはそれで良いと評価できるが、それが現代のように沢山のドラマが賑わっていると、生活が逆に乱され、楽しいドラマ見て暮らして、人生それで良いかという気持ちが湧いてくる時がある。 素晴らしい映画や、ドラマの後で、虚しさを覚えることもある。― それは何を意味するだろうか、それは現実の生活、社会から離れて、言わば作られた虚像の世界にいることの虚しさを表しているのではないだろうか。― それに対して、何か 為になったという印象の残るドラマ は良いと言えるのではないだろうか。
ドラマの製作者が 露骨に視聴者の関心、人気を集めようとして、意図的に場面を整えれば、我々の心を意図的に弄んでいると感じ、気づけば 空しい、トリックの世界で、心を意図的に弄ばれていると感じるであろう。
視聴者は人生の意味を、自分の世界、心をしっかり捉えて、ドラマに弄ばれないように、のまれないように心がける必要があるのではないだろうか。
また、テレビドラマ製作者には、
上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。次も参照:

再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題。


以 上


再生核研究所声明175(2014.8.8)  人間の擁く 大きな虚像



どのレべルで人間を捉えるかで、表現の基調は自ずから変わるが、湧いた直観で成文化してみたい。

虚像だから、実状、実体でない架空の像、イメージ、誤解、思い込みなどである。

そもそも人間は 本来、多くは運命づけられ、何者かによって、作られ、操られているのにその実体を知らず、気づかず、好きなように相当に自由に自分で生きている、行動していると思っている。 そのことが、そもそも虚像の最たるものである。我々のやりたいこと、行動の殆どが 生物繁茂の原則に従う、本能原理から出てきていて、自分のこととは、実は自分のためではなく、いわば遺伝子の乗り物の役割りを果たすための要請に従っていると言える。 人間はそのためのシモベのような存在であるとも言える。大事な、恋、育児、それらの愛は この原理の最たるもので、遺伝子の健全な移転現象に操られている人間の基本的な在りようである。食欲も本能の基本であるが、生体が維持できなければ、遺伝子の存在さえ危うい。生存の原理。

人間を上手く、支配する原理として、死を嫌がる、畏れさせる精神を備わせたのは当然である。 死を良きものとしては、生命は保持できず、遺伝子は、最も困る状況に追い込まれるからである。人間が少し賢くなれば、この虚像を見破り、死こそ、生命の解放であり、これ幸いと悟りの心境に至るだろう。 死の恐怖、忌み嫌う心情は備えられた、大きな人間の虚像である。

世間では、多くは 名誉は大事だと考えられている、死後のことでも名誉に拘わるは世に多く、また人生の大きな要素にもなっている。しかしながら、それらは何か とよくよく考えて見ると、多くは虚像で、殆ど意味のないものである実体を知るであろう。あまりに愚かに進むと浅ましさというより、憐みさえ感じてしまうだろう。虚栄心など さらに虚像である。勝ち負けの情念や闘争心、優劣観など、たわいもない空しい虚像である。ドラマ、ニュース、多くの情報さえ、虚像の虚像と言える。

多く描く目標や幸福な状況の想像的な世界は 多くは虚像であり、 到達したり、叶えたりするとやがて空しく感じられ、さらに先に虚像が出来て、どんどん変わって行くことを知るだろう。人間の心は絶えず変化して、喜びや感情さえ変化していく。まるで、霧の中の存在のように見える。

このような世界観は、達観や超越的な生き方を暗示しているが(



再生核研究所声明19 (2008/09/14): 超越への道、悟りへの道;

再生核研究所声明 63(2011.05.25) : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 

再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること;

再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代;

再生核研究所声明 118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 

再生核研究所声明 145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察;

再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの;

再生核研究所声明155 (2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??;

再生核研究所声明158(2014.5.22) 生命と人生

)、



一段と高い視点で人生、世界を観る意味で良いのではないだろうか。

しかしながら、上記虚像とは、火の無いところに煙が立たない の喩の通り、裏には、核には、実は なにか実があり、本質的なものもあるとも言える。 また、人間は所詮 造物主 には逆らうことはできない。

人間とは、何者か? 人間として生きる意味は何か? と問う。

以 上


真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)/池波 正太郎

¥810
Amazon.co.jp

真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)/著者不明

¥1,188
Amazon.co.jp
AD
いいね!した人

再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf Traduzir esta página
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上

2016.2.28.15:10暖かく、春の到来を感じる
2016.2.28.20:00ドイツの方、間違いではと誤解しているメールあり。
2016.2.28.22:15
2016.2.29.07:05
2016.2.29.10:00
2016.2.29.16:40
2016.2.29.21:50
2016.3.1.6:40 青天、春の朝、ゼロ除算について3件のメール。完成、公表。

















あの人はどのタイプ?ブッダが説く「4種類の友人」

あの人はどのタイプ?ブッダが説く「4種類の友人」

2016年2月27日 17時16分 TABI LABO
あの人はどのタイプ?ブッダが説く「4種類の友人」
写真拡大
「World Truth.TV」に掲載されている内容は、ブッダが「友人の条件」について説明したもの。どうやら、以下の4タイプのうちのいずれかに分類されるのだとか。いま一度、あなたの大切な人たちについて考えてみませんか?

01.
どんなときでも助けてくれる
「ヘルパータイプ」


・心が弱っている時に支えてくれる・金銭的に援助してくれる・どこか遠くに行きたいと言えば、一緒についてきてくれる・大事な頼みごとには、精一杯の努力で応えようとしてくれる
02.
お互いなんでも話せちゃう
「親友タイプ」


・自分だけの秘密を共有してくれる・あなたの秘密は絶対にバラさない・一緒にいると元気がもらえる・あなたが悲しんでいる時、一緒に泣いてくれる
03.
人生の指針を示してくれる
「メンタータイプ」


・悪いことに手を出しそうになったら引き止めてくれる・良い行いへと導いてくれる・何をすべきか教えてくれる・チャンスを与えてくれる
04.
自分よりも、あなたのことを
優先してくれる
「思いやりタイプ」


・あなたの不幸を決して喜んだりしない・一方、あなたの幸せは大袈裟なくらいに喜んでくれる・あなたの悪口を言う人には注意してくれる・あなたの良い部分を他の人へ伝えてくれる
Licensed material used with permission by World Truth.TV
http://news.livedoor.com/article/detail/11231595/


再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙

(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)

猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。

何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:

再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること

言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。 
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上









AD

3+0=3、3-0=3、3×0=0、では3/0は幾つですか

3+0=3、3-0=3、3×0=0、では3/0は幾つですか



再生核研究所声明287(2016.02.12) 
神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。


2016.2.8.15:05 昼食時ひとりでに構想が湧く。
2016.2.8.16:55
2016.2.8.21:25
2016.2.9.06:47
2016.2.10.06:15 良い。
2016.2.11.06:25
2016.2.11.21:10 美しい早春の日
2016.2.12.05:20 完成、公表。