2016年5月21日土曜日

「星の王子さま」は、こんなに素敵な人生の教訓を教えてくれる HuffPost France | 執筆者: Marine Le Breton

「星の王子さま」は、こんなに素敵な人生の教訓を教えてくれる
HuffPost France | 執筆者: Marine Le Breton
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投稿日: 2016年05月19日 16時52分 JST 更新: 2016年05月19日 17時00分 JST FLICKR

フランスの作家、アントワーヌ・サン=テグジュペリの小説「星の王子さま」は、1943年4月6日に出版された。

サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士が、砂漠で一人の男の子に出会う。それが星の王子さまだ。王子さまは操縦士に、自分が生まれた星のことや、色々な星を旅したときの話をする。二人は8日間一緒に過ごし、絆を深める。

70年に渡って世界中の子供や大人を魅了し、250以上の言語・方言に訳されてきた「星の王子さま」は、たくさんの人生の教訓が書かれた本でもある。

そのうちのハフポスト・フランス版が選んだ5つをご紹介しよう。科学的にも、効果が認められる教訓だ。

1.子供の時の独創性を、もういちど取り戻そう


操縦士は、子供の頃に「ゾウを呑み込んだウワバミ」の絵を描くが、大人には、その絵が単なる帽子に見える。だけど王子さまは、それが何の絵かすぐにわかる。操縦士は、子供の頃をこう振り返ってこう述べている。

「ものわかりのよさそうな人に会うたびに僕は持ち歩いている初めて描いた絵をみせました。本当にものわかりがよいのかを知りたかったのです。でも、その人の返事はきまって「それは帽子だね」でした。だから、僕はウワバミの話も、星の話もやめて、その人にわかりそうな話題にかえました。ブリッジ遊び、ゴルフ、政治、ネクタイなどの話です。そうすると、大人は僕のことを『ものわかりのよい人間だ』と言って満足するのでした」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

人生の教訓:大人になっても、クレイジーさと独創性を失わないようにしよう。大人は、数字や現実的な考えを好む。だけど、見えないものを見ようとはしない。そして自分を解放することや、独創的な考えも忘れてしまう。好奇心を失うと、人間は受け身になってしまう。

科学的な根拠:独創性や想像力は、健康にもいい。学術誌「音楽心理学」に掲載された研究によると、ピアノを学ぶ学生は、ステージで即興演奏をしている時に、ストレスが減る。また、音楽を学ぶと、声が表現する感情を読み取る能力が向上する、と研究は明らかにしている。

独創性の豊かな人は、星の王子さまによく似ている。空想にふけり、新しい経験を求め、確信をついた質問をする人だ。

2.真面目になりすぎず、ちょっとしたことを楽しもう


王子さまはいろいろな惑星へ旅に出かける。ある星で出会ったのは、生真面目に働く実業家だ。実業家は、休む間も惜しんで銀河にある星を数えている。そのすべてを所有しているので幸せだと彼は言うのだが、星を数え続ける彼の生活は、孤独で単調だ。星以外には何も持っておらず、星の美しさを楽しもうともしない。

星をどうするの、と聞かれて実業家はこう答える。

「管理するのさ。いくつあるのか数える。何度もね。難しい仕事だよ。でも、わたしは几帳面だから」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

人生の教訓:人生の小さな楽しみを忘れてはいけない。

科学的な根拠:生活の質を向上させるために最も必要なのは「心からの笑い」だということを、多くの研究が証明している。

アメリカ・カリフォルニア州のロマ・リンダ大学の研究グループは、よく笑う人が、短期記憶に優れ、ストレスが少ないという研究結果を2014年に発表した。また、メリーランド大学の研究によると、ユーモアのセンスは、心臓病を防ぐ可能性がある。

3.幸せになるため、自分の時間を持とう


五番目に訪れた惑星で王子さまが出会ったのは、街灯の火を灯す男性だ。その星では1日が1分なので、彼はひっきりなしに街灯の火をつけたり消したりしなければいけない。休む暇も寝る暇もない。彼はこう話す。

「いま、この星は1分間で回ってしまう。だから、オレは休めないんだよ。1分間に1度のペースで火を灯したり消したりするんだから」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

人生の教訓:人生を楽しむためには、一瞬一瞬を大切にすることが大事。

科学的な根拠:睡眠不足は、健康にひどい悪影響を及ぼす。この男性のような生活を送れば、糖尿病や心臓病、発作、癌、記憶障害、気分の著しい変化、食欲増加などの危険性が高まる可能性がある。

十分な睡眠以外にも、自分の時間を持つことが大切だ。働きすぎはよくない。今の時代であれば、男性は間違いなく極度の疲労で倒れていただろう。

4.探検する勇気を持とう


六番目の惑星で、星の王子さまは、何冊も本を書いているお年寄りに出会う。星の王子さまは最初、この作家を探検家だと考えていたが、実際は、仕事場から一歩も出たことがない地理学者だと知る。

「探検とは縁がないのさ。地理学者は町、川、山、湖、海、砂漠を数えたりはしないんだよ。もっと大事な仕事をしているから、探検などしてられないんだ。仕事部屋にこもりっきりさ」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

人生の教訓:私たちは、リスクを冒すより、居心地のいい「安全地帯」にとどまりがちだ。もっと人生を有効活用しよう。やったことのない経験をしよう。新しい人たちに出会い、世界を旅しよう。

科学的な根拠:安全地帯を抜け出すことには、科学的な利点もある。心理学者たちによると、新しいことに挑戦して不安な気持ちや緊張感を感じると、より効率的に行動できる可能性がある。

また、2013年に発表された研究は、挑戦することを習慣にすると年を取っても、頭をシャープに保てる、と示唆している。

5.何かを決めるときには、心に従おう

王子さまは、彼の星に咲く一本の花が大好きだ。花は地球に咲くバラとそっくりだ。でも王子さまが地球で出会ったキツネは、王子様が時間をかけて世話をしたから、バラは王子さまにとって特別な存在だと伝える。「世界に一つしかないバラだよ」と言うキツネは、こんな秘密を王子さまに教える。

「秘密を教えるよ。とてもシンプルなことなんだ。心で見るんだよ。大切なことは目に見えないんだ」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

人生の教訓:王子さまは、心で感じるままに生きる。キツネによれば、それが本当に大切なものを知るための唯一の方法だ。

科学的な根拠:学術誌に掲載された2012年の研究によると、直感による意思決定は、分析を元にした意思決定と同程度、もしくはそれよりも良い結果を生むという。

直感は、決断にとって大切なものだ。直感に関する著書のあるチョーレ・フランシス氏によれば、直観は本能と理性をつなぐ架け橋の役目をしている。

この5つ以外にも、星の王子さまには人生についての深い洞察がたくさん書かれている。もう一度本を手に取って、王子さまと話してみよう。彼の星で、彼の愛する花と一緒に、夕日を眺めるのも悪くない。

この記事は最初にハフポストフランス版に掲載され、その後ハフポストUS版に翻訳・掲載されたものを翻訳しました。http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/18/life-lessons-from-the-little-prince_n_10039392.html

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上

再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について

著書の再読を始めたが、今回(前回声明233)は 雅について興味深い解釈が述べられているので、それについて印象を述べたい。まず、雅の語を確認して置こう:

雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)

本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):

弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、
的に当たるより、むしろ雅であるが大事、
雅であることは、この世に花を楽しむ心である、
余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、
矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。

ところが西行は後に、矢が的に当たるも 外れるも同じように楽しいとする雅の心を、生きる楽しみと死ぬることの楽しみを同じように感じるにはどうしたらよいかと深く思索している。実際、そこから、生を喜ぶと同時に死を喜ばなくてはいけないんじゃないだろうか と発想している。ここに著者 辻 邦生氏の 西行を通しての 大きな人生における姿勢 が現れているのではないだろうか。すなわち、死からの開放である。しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反している のであるから、相当に高い悟りを表していると言える。 この辺の心境、世界観は再生核研究所声明の中でも述べて来たことであるが、さらに、ゼロ除算の世界観とも奇妙に通じていると感じられる。
ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。 留まる心 だという。
さらに次の言葉に 人生の在り様、志の方向が現れている: でも、歌が人々を支える大地になったとき、生と死を超えるあの何か大きなものも、きっと私に分かるようになるのではないだろうか。
そこで、反対の心に触れたい。ゲーテの達した活動して止まないことに人生、世界の意義がある、 アインシュタインの動いていなければ、自転車のように倒れてしまう、岡本太郎の芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けること。そこで、それらの真理に照らし合わせて、いろいろ変化を持たせることの重要性を 雅の心は述べていると理解できるのではないだろうか。
世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
生や死に拘ることは 既に 雅の心に反している という言葉であるが、年の功という諺があるように そのような一種の悟りは 実際はそう難しいことではないことを 特に若い人たちに述べておきたい。 実際、散歩の折り、座っていかないとよく誘ってくれる90-91歳の方が、周りの花のように穏やかに明るい表情で 人生、世界についてそのような心境を話されている。ある世代では、そのような心境は 相当に普遍的な心境であると言える。
以 上


再生核研究所声明254 (2015.11.2)  愛が無ければ観えない ― について、 更に

既に、

再生核研究所声明173(2014.8.6) 愛が無ければ観えない

2013.2.26.11:15:
で、愛が無ければ、見えない、 関心が無ければ、進まない、できると考えなかった。
何と 15年も前から、 考え、 3人の学位論文の素材になり、 2冊の著書でも扱い、 S先生やF先生も講究録で触れている。 それなのに馬鹿みたいなことに気付かなかった。

と述べている。要するにある結果に気づいたのであるが、先が有ると思わなかったので、関心をもって考えなかったので、長い間 基本的な結果に気づかず、通り過ぎていた、事を示している。
さらに、最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の結果の場合は 凄い歴史的な事件と言える。すなわち、ゼロ除算100/0=0は割り算を掛け算の逆と考えると、不可能であることが証明されるので、不可能の烙印を押されていた。しかし、物理学などでは重要な問題が絡んでいるにも関わらず、何百年間も人は、新しい考え方に関心を抱かず、不明のままで年を重ねてきた。それが、偶然ちょっとしたきっかけで、解決をもたらした(再生核研究所声明171参照)。
興味、関心、愛が無ければ、何も気づかず、発見もせず、認知さえしないで、空しいものになる。
と言及している。
さらに、そもそも人間とは何者かと問い

― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている― 再生核研究所声明148

そこまでは行かなくても、 人間が何に関心を抱くは 極めて興味深い、人間研究の課題である。実に多種多様であり、世間を見てもその多様性には驚かされる。その多様性こそ人間社会の豊かさの表れであると評価される。生まれながらの性格、能力、幼児時の育ち、教育など、どうして興味の対象、関心を抱く対象が決まるかは 今後の大きな課題である。 一般には、関心や愛情はどんどん深まって、成長、発展する性格があり、人生の晩年までには名人や、達人の域にまで成長する例は世に多い。 多くの数学者が、子供の頃将棋や碁で遊んでいたなどの話しを交わしたことが有るが、興味深い例である。一流のスポーツマン、イチロー選手などいろいろな有名選手の生い立ちと名前が思い出される。
愛を抱く、興味を持つ、関心を持つは、人間らしい人間を育てる基本であるから、知識偏重、詰め込み教育ではなくて、 みずみずしい愛、意欲が湧く、情念が生命力とともに湧いてくるような 全人的な教育が大事ではないだろうか。
心身を大事にすることともに、真理、真智を愛する精神こそ、大事ではないだろうか。
何のために、何故か? ― 人間らしい、人生を送るためにである。
と結んでいる。
愛とは 共生感に基づく喜びの感情であると 表現した。 全く経験したことのない世界に触れると、全然、共感、共鳴しないで、ただ暗号が並んでいるように感じることがある。 純粋数学などでは純粋な抽象理論であるから 顕著に遭遇することがある。専門外だと始めから最後まで、殆ど何も分からない研究発表も珍しくはない。 共感、共鳴が、更に愛の感情まで高まるには相当な経験に基づいた共通の基盤が必要ではないだろうか。 民族の文化や、男女関係の愛の問題についても言える。愛の素である共生感が深まるための背景について言及している。最近のゼロ除算の理解の仕方から実感してきた感情である。
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるとされ、ゼロで割れないことは定説である。 そこで、突然、ゼロ除算が可能であると言い出され、可能であると言われたとき、人はそんな馬鹿な、今更何を言っているのか? また結果が、従来の数学と全然違う、強力な不連続性を述べていることに触れられると、そんな数学は始めから、正しくとも興味がないと発想するは多い。 全く新しい結果となると、共感も、共鳴もなく、愛着も湧かないのは 我々の心の仕組みからも言えるのではないだろうか。
他方、客観的には何の、あるいは大した意味や、動機が無くても、いわゆる未解決問題として提起された問題などで、永く挑戦を続けていると どんどん愛着、愛情が深まり、湧いてきて、いわば問題にハマって行く状況は 数学界などで、個人や、グループとしてもよく見られる現象である。― 不可能、未解決と言われると、挑戦したいという心情と 解いて、いわば競争に勝ちたい という心情が湧くのは当然で、結構数学の研究を推進する原動力になっているのではないだろうか?
この声明の趣旨は、愛は 共通の基盤、経験、関わりの深さで深まり、我々の心は、生命のあるべき方向での 関わりの深さで 愛も深まるという 観点に想いを致すことである。

                                                        以 上





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