2015年10月22日木曜日

看護師が思う、現実離れがひどい医療ドラマランキング 2015年10月21日 17時0分 gooランキング

看護師が思う、現実離れがひどい医療ドラマランキング

2015年10月21日 17時0分 gooランキング
看護師が思う、現実離れがひどい医療ドラマランキング
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医療ドラマは、医療現場を題材にさまざまな人間模様を絡めたストーリーが大きな特色ですよね。緊迫した手術シーンや医師と看護師との人間関係、病院の様子などなど…医療の知識のない人でも大いに楽しめる医療ドラマ。しかし、実際の医療現場で働いてる看護師目線では、医療ドラマの見方も違ってくるようです。今回は、あまりにも現実離れしていると思う医療ドラマを、看護師の皆さんに聞いてみました。

■看護師目線であまりにも現実離れしていると思う医療ドラマランキング
1位:ナースのお仕事
2位:ドクターX~外科医大門未知子~
3位:JIN―仁―
3位:まっしろ
⇒4位以降のランキング結果はこちら! 

1位は《ナースのお仕事》が選ばれました。
フジテレビ系列で1996年にスタートした人気のドラマシリーズ《ナースのお仕事》は、観月ありさ演じる朝倉いずみが、一人前の看護師として成長していく姿をコミカルに描いた物語。厳しい先輩看護師、尾崎翔子を松下由樹が好演しました。「先輩!」「朝倉!」の絶妙な掛け合いがドラマを盛り上げましたよね。しかし、看護師目線で見みると、《ナースのお仕事》は実際の医療現場ではありえない設定のようですね。看護師が現実離れがひどいと思う医療ドラマランキング
画像:goo画像検索


2位には《ドクターX~外科医大門未知子~》がランク・イン。
米倉良子演じるフリーランスの外科医、大門美知子。特定の病院に属さない孤高の女性天才外科医は、まさに現実離れしていると言えるのかも。また、「私、失敗しないので」、「御意」、「致しません。」の名セリフが印象的でしたね。ちなみに大門美知子のようにフリーランスで医師をしている人は、日本にも実際におり、そのうち女性医師の割合は4割程度だそうです。看護師が現実離れがひどいと思う医療ドラマランキング
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3位は《JIN―仁―》でした。
現実とはかけ離れた設定の医療ドラマですよね。江戸時代にタイムスリップしてしまった脳外科医、南方仁を演じていたのは大沢たかお。仁を慕う武家の娘、咲を綾瀬はるかが演じました。江戸時代で流行ったコレラを治療したり、外科手術を施したりと、現実ではありえない展開にはらはらした人も。逆にそのありえない設定が、《JIN―仁―》の最大の魅力ともいえますよね。看護師が現実離れがひどいと思う医療ドラマランキング
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ランキング上位には、人気の高い医療ドラマが選ばれました。現実離れした医療ドラマだからこそ、見る人を惹きつけ、大人気ドラマとなったのかもしれません。

調査方法:gooランキング編集部が「NTTコムリサーチ」モニターに対してアンケートを行い、その結果を集計したものです。
調査期間:2015年3月13日~2015年3月17日
有効回答者数:現役看護師:164名http://news.livedoor.com/article/detail/10734091/

再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
(再生核研究所声明に関心を抱く人から、最近の朝ドラの展開について 所見を求められたので、纏めてみることにした)
まず、NHKのドラマ制作の能力は 実に素晴らしく、どうして、あのように美しい画面、演出ができるのか不思議で、不思議で仕方がない。朝ドラ、大河ドラマ ともに実に素晴らしく、見るのが楽しく、楽しみにしている。俳優さんたちの演出も上手く、神秘的である。もっとも、楽し過ぎて、そのような虚像にうつつを抜かしていて良いものかとの気持ちも湧くが、適当に楽しみと心得れば、良いのではないだろうか。生活のはりにもなる。
ところで、今回の状況は、時代背景を異常に美しく表現しているが ― 実情は相当に貧相しいものではなかったろうか ―、恋の在りようについての課題が大きな比重を占めて来ていると言える。恋は 再生核の元であり、人生の大事であるから、再生核研究声明でも真剣に取り上げて来ている:

再生核研究所声明 36 (2010.5.14): 恋の原理と心得
再生核研究所声明 124(2013.8.20):恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明159(2014.5.28):恋する男女は強い - 何故か?

今回の展開は ありふれた小説の題材で、いわば定番の展開であるから、全人生や社会との関係で 状況の理解と在るべき在りようは 明瞭にみえる。
その前に、上手く展開した花子様の例は、恋の原理、恋の機微にしたがって、恋の目覚めに始まって、順調に進んだのであるから、ハッピィーとして、評価すれば良い。世に言う、おめでとう という 祝辞を送りたくなる。― 関係者達は、それぞれに素晴らしい人たちに見える。
さて、蓮子様は 恋に目覚めず、空しい、息苦しい10年間を送ったと告白されている。 結婚生活を長く続けていても、そのような例は、世に多いとされている。子供ができれば、恋を越えて、新しい段階に進むのが世の常であるが、このように子を儲けない場合には、よりそのような可能性を高める状況が有ると考えられる。他方、石炭王加納 様は、大事に、大事にしてきたのに、結果について無念を表明している。娘のように、御飾りもののように 大事にされて来た様子が伺える。 家を中心とした古い社会のこと、蓮子様が 愛や、恋に目覚めることなく、嫁いだ状況は 当時は やむを得ない状況であると考えられる。ところがふとしたことから、恋に目覚め、一身を掛けたいとの熱情が湧いて、男女の愛に生きたいと決断、反社会的な駆け落ちの事態を迎えた。
人生の意義は 感動すること にあると、人生の基本定理は述べている、また、最も大事なこと、人類の存在は 如何なるものをも 超えている を考えれば、蓮子様の行為は諒として 判断されるべきであり、多くの女性の共感を得るだろう。そのとき、ぼんやりと人生とは何か、どの様な意味があるかと、回想するだろう。
他方、女性の気持ちを理解できなかったこと、恋の本質、女性の本質的な存在を理解できなかったことは 加納氏の大きな過ちであるが、このような事態になっては 大いに反省するとともに 愛する女性の新しい人生を暖かくみて、逆に協力、援助などを行うべきである。花子さんの ご主人の元奥様の 大きな愛に 学ぶべきである。
恋は 人生の大事ではあるが、恋だけが 人生ではなく、人生にはどんどん先があり、より高い精神的な段階があり、人間としての精進を志向して、まこと人物たる人間になるように成長を志向すべきである。

以 上



再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題
(PM 3時前、休憩時間に、ひとりでに考えが湧いたものである)

2月11日NHK朝ドラ、マッサンの展開における問題を述べて置きたい。― NHK大河ドラマと同様に楽しみにしている番組であり、NHKのドラマ制作能力の高さには 感銘を受けており、また、出演者たちの素晴らしさにも 驚嘆させられている。家族で楽しみにしている希な番組である。ドラマについて いろいろ意見が出るのは当然であるから、エリちゃんや檀ふみさん その他素敵な人たちのように 明るく 前向きに 考えて頂きたい。
今朝の問題点は、マッサンが 堂々と約束違反でワイン造りをしていた紛れもない事実、それを、熱意によって諒として、認め、ドラマがそれを是としているように とれることである。堂々たる約束違反は 反社会的であり、世の秩序の根幹をぐらつかせるものである。いわゆる予算の目的外使用は、予算の返還を求められ かねない 重罪と判断されるは 世に多い事実である。われわれは 世の秩序、有り様の原理として、公正の原則を 述べてきた:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 
3) それはみんなに受け入れられるか.  
4) それは安定的に実現可能か. 
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 
(再生核研究所声明1)。

また、公共放送として、教育的な要素の配慮は大事であり、 約束違反でも結果が良ければ良いでは、本末転倒であり、結果が良くなくても、意図、過程が適切ならば、評価すべきであるというが基本的な原則であるべきではないだろうか。 結果が良ければ 良いでは 世の秩序は保てず、悪い教育を全国レベルで行い、悪い影響を世にもたらすと考える。
もし、これらが、このドラマの、元々の物語に、あるいは史実に従っているとするならば、その辺の扱いには、深い、広範な配慮が 必要であると考える。マスコミや公共放送には 良い社会を築くような方向での 配慮が求められていると考える。真実を伝えれば良いとはなっていないのは当然である。
ドラマ制作関係者の注意を促し、配慮をお願いしたい。
以 上

<マッサン> 連続テレビ小説 マッサン 第19週 第110話 15/02/10
https://www.youtube.com/watch?v=xaCpWgLuDmM



再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 

まずは 言葉を確認して置こう:

ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。日常会話で「ドラマ」といった場合、テレビドラマを指す場合が多い。
作品としてのドラマの特徴は、物語の一切が登場人物の行動によって描かれる点と、登場人物が何らかの目的を持っている点に特徴がある。その目的への障害に直面することで、登場人物は葛藤する。障害への直面は、往々にして、登場人物同士の精神的・物理的衝突の形で提示される。登場人物が行動を積み重ねていった末に、障害を最終的に乗り越えるか、乗り越えられないかが、物語の大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。
映画が生み出されて以降は、上記の定義のようなドラマを主に描く映像作品を、ドラマとジャンルづける場合もある。
かつてドラマは演劇や戯曲の代名詞でもあった。しかし近代以降、葛藤や、行動の因果関係のない非ドラマの演劇作品・戯曲も数多く生み出されており、演劇や戯曲をドラマと呼ぶのは現代においては不正確と言える。
現実世界においても、現実の人物が上記のような状況に陥っていること指して、ドラマ、もしくはドラマティックと呼ぶ場合もある。(ウィキペディア)

上記 説明で 芸術表現の一形態、演劇や戯曲の代名詞 という部分は 言語の確認として大いに参考になるのではないだろうか。 これらの言葉の背景には、創作者や演出家、関係者の多くの生命の表現としての要素が本質的に存在するということである。 絵画や作曲者が絵画を描き、曲を創作するように ドラマを制作するということである。 なるほどそうならば、今NHK大河ドラマや朝ドラなど みなそれぞれに素晴らしく輝いていて 実に素晴らしいと賞賛でき、感銘できる。 芸術作品となれば、それは本質的に自由であり、生命の活動として 生命の表現として みなされる。
テレビドラマを指す場合が多い には、美術館で美術を楽しむ、映画館で映画を楽しむ、会場で音楽を楽しむというような相当に自由な表現の芸術作品と少し違った要素を有するのではないだろうか。 具体的には、

1) 広範に公開される。
2) 多くの場合、何かの素材に基づいた場合が多い。
3) 繰り返し、日常 連続的、定期的に続けられる。

などである。 ドラマについて何か書きたいと考えた動機は、ドラマを見ることが、人生でどのような意味を持つか、また、そのような観点から、ドラマは どのようにあるべきか と 問うことであった。
我々はなぜ、ドラマを見るのだろうか。 楽しいから、面白いから、感銘するから、 展開が楽しみだから、新規な世界が、珍しい、世界が覗けるから、知識や新しい情報が入って有益だから、共感、共鳴するから、など、などであろうか。― ドラマを通して 人生、世界を考察して、哲学したいからなどの 高級な視点も大事ではないだろうか。連続ドラマなど楽しく、次の展開が楽しみで、生活の張りになっているは 世に多いのではないだろうか。次が楽しみで、生活の張りになっているは好ましく、 それはそれで良いと評価できるが、それが現代のように沢山のドラマが賑わっていると、生活が逆に乱され、楽しいドラマ見て暮らして、人生それで良いかという気持ちが湧いてくる時がある。 素晴らしい映画や、ドラマの後で、虚しさを覚えることもある。― それは何を意味するだろうか、それは現実の生活、社会から離れて、言わば作られた虚像の世界にいることの虚しさを表しているのではないだろうか。― それに対して、何か 為になったという印象の残るドラマ は良いと言えるのではないだろうか。
ドラマの製作者が 露骨に視聴者の関心、人気を集めようとして、意図的に場面を整えれば、我々の心を意図的に弄んでいると感じ、気づけば 空しい、トリックの世界で、心を意図的に弄ばれていると感じるであろう。
視聴者は人生の意味を、自分の世界、心をしっかり捉えて、ドラマに弄ばれないように、のまれないように心がける必要があるのではないだろうか。
また、テレビドラマ製作者には、上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。次も参照:

再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題。


以 上

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