2015年10月20日火曜日

「宇宙人はいるのか?」についてグリニッジ天文台がアニメーションムービーで説明 2015年10月19日 21時0分 GIGAZINE(ギガジン)

「宇宙人はいるのか?」についてグリニッジ天文台がアニメーションムービーで説明

2015年10月19日 21時0分 GIGAZINE(ギガジン)


「広大な宇宙のどこかに地球以上に高度な文明を持つ宇宙人が存在するのではないか?」という誰もが一度は想像したことのある疑問について、グリニッジ王立天文台がアニメで解説するムービーを公開しています。

Are there aliens? - Vimeo

地球外生命体(宇宙人)はいるのでしょうか?



私たちは宇宙人を見たことがありません。しかし、そのことから宇宙人が存在しないと言えないのはもちろんです。



宇宙人を見つけるためには、地球から宇宙を眺める必要があります。



天文学者は宇宙にきらきら輝く多くの惑星を発見してきました。



では、これらの星は生命を育まないのでしょうか?



生命が誕生するには星に「水」と「酸素」という2つの要素が必要です。



しかし、水と酸素があっても生命が誕生するには長い年月が必要です。



地球上に最初の細胞が誕生するまでには、太陽系が形成されてから10億年という時間が必要でした。



藍色細菌が登場するにはさらに2億年が必要に。



その後、地球上の酸素濃度が急上昇し……



メタンガスが劇的に減少。



その結果、氷河期が訪れました。



氷河期を経て、次の10億年には複雑な生物が繁栄しました。



今では地球上には、海底の熱水噴出口などの極端な環境下にも生物が存在しています。



中には宇宙空間でも生存できるクマムシなどがいるほど。



理論的には過酷な環境にも生命体が存在するはずで、宇宙人がいるかどうかという問題は、究極的にはいかにしてその生命体を発見するかという問題にいきつきそうです。



宇宙人も同じように生命体である私たち地球人を探していることを想像してみましょう。



グリーゼ581cに宇宙人(グリーゼ人)が住んでおり、グリーゼ人が自分たち以外の生命体を探しているというのは有名な仮説です。



太陽系では「火星」「地球」「金星」に生命体が存在する可能性があります。



太陽からの距離を考えれば、これら3つの星では水が液体で存在できるからです。



生命が存在するかを調べるために、グリーゼ人たちは大気の屈折率から異なる気体があるかを調べるはず。



地球に生命体があると分かったグリーゼ人は宇宙船で地球人の探査に出発。



しかし、グリーゼ人の文明の科学技術が地球人と同程度であれば……



グリーゼ人が地球に到達するには40万年かかることになります。



また、グリーゼ人は地球人と同じく強い電磁波を信号として使うかもしれません。



とはいえ、電磁波を送ってから地球に到達するのに20年間も必要なので、うまく交信し合えるかは疑問です。



そもそも、宇宙の歴史138億年を1年間つまり8760時間に見立てた場合、近代的な地球人はたった8秒前に誕生したに過ぎないほど、極めて浅い歴史しかありません。



「8秒前」に地球人が文明を開発するはるか以前の「1年」の間には、数多くの宇宙人が登場し数多くの文明が誕生しては消えていったとしてもまったく不思議ではありません。



私たち地球人の様に洗練されて高い知性を持つ宇宙人を想像するのはとてもワクワクすることですが……



実際のところ、いまだに地球外の微生物を発見することさえ叶っていません。



しかし、地球外生命体を見つけるためのチャンスは、地球近くの星に転がっている可能性があります。



木星や土星が持つ数多くの衛星は氷の層で構成されていて、その中に液体の水が隠れていても不思議ではありません。



将来これらの衛星の表面にある海を探索することで想像もしていない生命体を発見することになるかもしれません。



・おまけ

地球よりもはるかに進んだ文明を持つ宇宙人がいる場合、恒星のエネルギーを効率的にゲットする究極の形として恒星全体をぐるりと取り囲むように構造物「ダイソン球」を配置して放射されるエネルギーを取りこぼすことなく利用する可能性が宇宙物理学者フリーマン・ダイソンによって提唱されました。



By Kevin Gill

2015年9月11日に発表された論文によると、宇宙望遠鏡Keplerがはくちょう座の一部を高解像度で撮影したところ、「KIC 8462852」が非周期的に減光していることが見つかり、天然の遮蔽物としては説明ができないものが恒星の周囲にあることが分かりました。これについて、天文学者の一部から「ダイソン球のような(宇宙)人工構造物ではないか?」という指摘があり、地球のはるか遠くの世界に高度な文明をもつ宇宙人の存在を期待する声が上がっているそうです。http://news.livedoor.com/article/detail/10726020/

再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える 

(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15   No.81, May 2012(pdf 432kb))。

以 上


再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について

(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)

この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:

そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。

数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 

No.81, May 2012(pdf 432kb)

に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)

時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。

以 上

天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????


再生核研究所声明 32 (2010/03/20):  夜明け ― ノアの方舟


夜明け前 よっちゃんの想い  の中で、繰り返し人間存在の意義を問い、 世界の在り様と人間存在の在り様について述べている。 そして、人類の存在は如何なるものをも越えた前提であると述べて、存在、智、愛の三位一体の人間存在の原理を繰り返し、強調している。しかるに現在、世界は明確な人類の歩むべき方向を見出せず、一部には他国や他民族に疑いを抱いたり、古い時代から続いてきた闘争心や独断と偏見、無智に満ちていて いまなお混乱と暗い時代が続いていると言える。著書の中で 述べられているように 個々の人間は 自分の心に忠実に 感動できるような生き方を 公正の原則(声明1)に配慮しながら 求めて行くべきであると考えるが、人類共通の顕著で高い一つの目標をここに掲げたい。存在、智、愛の三位一体に基づいた 人間存在の原理は 人類の生存は 如何なるものをも越えた大事なことであることを示しているから、地球環境を限りなく大事にし、人間関係、社会を大事にすることを 上記 著書のはじめに 最も大事なこと として述べている。これはあらゆる生物を支配している本能原理を昇華させたものであると言える。 ここから、我々は明確な 人類共通の目標を見出すことができると考える。 地球自身も地球の環境も永年保存される保証は確かに無いから、人類が地球を越えて存在領域を拡大していくのは当然である。また著書は人間存在の原理として、あらゆるものを究めたい という原理を述べているが、我々が小さな地球に拘っている理由は何も無く、広大な大いなる世界に興味と関心を持ち、追求していくのは当然である。この声明の趣旨は 我々の母なる地球を限りなく大事にし、あらゆる生命を大事にして、 我々の生命の代表者を次々と新ノアの方舟として、地球外に送り込もうと提案しているのです。 あらゆる生物の代表として、多くの生物とともに永遠の生命と存在を求めて努力して行こうではありませんか。いま大きな人類共通の希望 ノアの方舟 を想像して、 美しい地球の建設に取り掛かろうではありませんか。 そのような意味で 現在はいまだ、先史時代にあるとも言える。世界の皆さん、武器などを捨てて 共生の世界を作ろうではありませんか。 お互いに短い、儚い生命を生きている 存在同士 ではありませんか。 お互いにお互いの世界で感動できるような世界を建設しようではありませんか。 ノアの方舟を 世界の歴史とともに地球外に送るのは 人間だけができる、 人類の最も神聖な義務 であると考える。 実際、あらゆる生物、人間にとって共通で確かなこととは、生きて存在しなければ 何も始まらない(生命の基本定理)ということである。                                           
以上












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