2015年3月31日火曜日

量子テレポーテーションの心臓部をチップ化――量子コンピュータ実用化へ「画期的成果」 (1/3)

量子テレポーテーションの心臓部をチップ化――量子コンピュータ実用化へ「画期的成果」 (1/3)
東京大学の古澤明教授らの研究グループは、量子テレポーテーション装置の心臓部となる「量子もつれ生成・検出部分」を光チップで実現することに成功した。量子テレポーテーションの手法を用いて量子コンピュータを実現できることを示した。

東京大学大学院工学系研究科の古澤明教授の研究グループとNTT先端集積デバイス研究所は2015年3月31日、量子テレポーテーション装置の心臓部となる量子もつれ生成・検出部分を光チップで実現することに成功したと発表した。光学部品を不要とすることで、同様の回路をこれまでの1万分の1のサイズに縮小した。
今回の研究成果は、量子テレポーテーションの手法を用いて量子コンピュータを実現できることを示した。この成果は、英国の科学雑誌「Nature Photonics」(現地時間2015年3月30日)に、論文「Continuous-variable entanglement on a chip」として掲載された。
tt150331ToukyoU998.jpg
開発したチップ (クリックで拡大) 出典:東京大学
エネルギー消費が極めて小さい超高速コンピュータを実現する技術として量子コンピュータが注目されている。これを実現するためには、大量の量子ロジックゲートを作り込む必要がある。その手法として、古澤氏らの研究グループは、光子に乗せた量子ビットの信号を転送する量子テレポーテーション技術に注目し、開発に取り組んできた。
tt150331ToukyoU999.jpg
量子テレポーテーションのイメージ (クリックで拡大) 出典:東京大学
量子テレポーテーションとは、光子に載せた量子ビット*)の信号(光量子ビット)を、ある送信者から離れた場所にいる受信者へ転送する技術。これまでにない大容量通信を実現するとされる量子力学の原理を応用した「量子通信」を実現する上で最も重要な技術とされている。さらに、量子テレポーテーションを行う装置を組み合わせることで、超高速な処理性能を持つ「量子コンピュータ」も構築できるという。
*)0と1の重ね合わせで表示される情報単位。重ね合わせとは0と1が同時並行で存在するような一種の中間状態で、量子力学特有の状態。重ね合わせをうまく利用することで、高い処理性能の情報処理が実現できるhttp://eetimes.jp/ee/articles/1503/31/news029.html
再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートン万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上

ゼロ除算は、誰にもわかるが、みんな間違って理解している。
正しい結果は、驚嘆すべきもので、何でも0で割れば、0ということが最近発見された。
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前である(100/0=0、0/0=0)と言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
  • \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートン万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。


f:id:ssaitoh:20150108151429j:image

f:id:ssaitoh:20150209145058j:image

f:id:ssaitoh:20150325132109j:image

f:id:ssaitoh:20150325132119j:image

f:id:ssaitoh:20150325132129j:image

f:id:ssaitoh:20150325132138j:image

f:id:ssaitoh:20150325132140j:image

f:id:ssaitoh:20150325132149j:image

f:id:ssaitoh:20150325132158j:image

f:id:ssaitoh:20150325132159j:image

f:id:ssaitoh:20150325132211j:image

f:id:ssaitoh:20150325132219j:image

f:id:ssaitoh:20150325132229j:image

f:id:ssaitoh:20150325132235j:image

f:id:ssaitoh:20150325132239j:image

f:id:ssaitoh:20150325132248j:image

f:id:ssaitoh:20150325132249j:image

f:id:ssaitoh:20150325132259j:image

f:id:ssaitoh:20150325132301j:image

f:id:ssaitoh:20150325132309j:image

f:id:ssaitoh:20150325132314j:image

f:id:ssaitoh:20150325132327j:image
f:id:ssaitoh:20150325132340j:image

「夢は必ず叶う」という発言をスーパースターや一部の成功した人が言うのは無責任だと思いますか?夢を叶えた一部の彼ら以外の無数の夢破れた人々がいるから

「夢は必ず叶う」という発言をスーパースターや一部の成功した人が言うのは無責任だと思いますか?夢を叶えた一部の彼ら以外の無数の夢破れた人々がいるからhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10143775945

叶うという信念で 取り組みなさいですが、叶うとは確かに言えないですね。 
信念をもってですね。

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
以 上

山本太郎氏「"貧乏人は死ね"が政府の本音」

山本太郎氏「"貧乏人は死ね"が政府の本音」
記事
山本太郎2015年03月30日 12:57【DMMニュースより】山本太郎が憂慮「安倍政権が加速させる貧困問題」

--------------------------------------------------
この記事は、2015年3月20日のDMMニュース「山本太郎の政界デッドボール放談」に掲載されたものの引用になります。
---------------------------------------------------
貧困って、身近に感じる?
僕は正直、東電原発事故の前までは、貧困、って聞いてもピンとこなかった。
自分は幸運なことに、生活困窮の経験なし。
周りに貧困状態の人もいなかった、若しくは気づいていなかった。
僕の中で日本の貧困は、ごくたまにすれ違うホームレス状態の人、くらいの理解だった。
貧困は、ほぼアジアやアフリカの途上国の話でしょ?って。
東電原発事故を入り口に、恥ずかしながら、30代後半にさしかかって、やっと、やっと世の中を見る目がホンノちょっぴり拡がり、問題だらけと気づいた。
そこから見えた景色は180°、今までと違った。
自分は、自分の事だけを考えてしか生きて来なかった、とカミナリに打たれた気持ちになった。
最初のキッカケは、貧困の当事者から聞いた話だった。
原発が爆発しようが、家族を移動させる電車賃さえないのだから、どこにも動けませんよ、と。
東電原発事故の影響を考え、移住、と言う話が出るたびに、それを阻む要因で上げられていたのが、祖父母が孫との別居を許さない、地域とのシガラミ、男が仕事のキャリアを諦めきれない、先祖が守った土地を守る、などの話は聞いた事があった。
電車賃さえも捻出する事が不可能、私たちに選択肢はない、と言う答えに衝撃を受けた。
大人が貧困ならば、同じ家庭にいる子どもも、もちろん貧困。
貧困家庭の子どもは、夏休み中、やせる、と聞いた。
学校があれば、給食を食べる事ができるが、夏休みの様に長期の休みになると、一食減ってしまうので、終業式と次の始業式では体重が変わってしまう。
なんと悲しい話だろう。
その話を聞いてふと、中学時代を思い出した。
学校の食堂でうどんやそばを食べていると必ず、「汁、飲ませて~」とかなり冗談ぽく絡んでくるクラスメイトがいた。
その時は、食い意地が張った人、程度にしか考えなかったが、今思えば、厳しい経済事情の家だったのかも知れない。
貧困状態にある子どもは、孤立してしまう、と聞く。
友達とどこか行くのも、食べにいくのも、お金がなきゃできない。
中高生ともなれば、トンボを追いかけたり、花の蜜を吸ったりで満足できる年頃ではない。
ゲームセンターに行ったり、映画を観たり、ファーストフード店でお喋りしたいものだ。
毎回、誘いを断っていれば、そのうち友達から誘われなくなる。
同じシチュエーションの友達以外はできづらいだろう。
生活保護受給者や低所得の立場に置かれた人々も同じ。
人と最低限繋がるにはお金が掛かる。
子どもでも、大人でも付き合いにはお金が掛かる。
誰かに会いに行くにも交通費が掛かる。
人とお茶や外食するのもお金がいる。
冠婚葬祭に参加するには、お祝い金や香典も必要。
過去の生活保護の分科会では、年配の方々は、近隣、知人、親戚等への訪問や墓参などの社会的費用が他の年齢層に比べ余分に必要、と話し合われ、老齢加算として70歳以上の人に保護費をプラスαされる事になったが、自民党政権時代の平成16年度から3年かけて廃止されてしまった。
ギリギリの生活では、人と関わる場面を減らす、無くさなければ生活できない。 当然、疎遠になり、孤立して行く。
我が国の6人~7人に1人は貧困状態に置かれている。
これからその数はより増え、高齢化していく。
このままでは今よりもお年寄りの孤独死や、経済的に厳しいことで人と関わる事が難しくなる若い世代も増えていくだろう。
日本国憲法で、健康で文化的な暮らしが保障されているはずではないのか?
「文化的な暮らし」って言うなら、人との関わりを持てる位のお金が最低限、必要ではないだろうか。
安倍政権は生活保護基準(生活扶助費)を10%引き下げるだけでなく、今年一月、厚労省は生活保護の住宅扶助と冬期加算の引き下げの方針を発表、7月からの実施を見込む、との事。
それにより、文化的どころでない生活を強いられる人々が生まれる。
住宅扶助とは、生活保護の家賃にあたるモノ。
住宅扶助の引き下げを要求する財務省の言い分は、低所得者の平均家賃より、生活保護受給者の住宅扶助の上限が2割高くなってるのがおかしい、と。
この言い分の問題点は2つ。
1つは、低所得者の収入自体が低すぎる。
本来、生活保護を受けられる低所得者が受けられていない。我が国では生活保護を受けるべき人が2割程度しか受けられていない。
生活が貧困に近い、と言う層との比較は無意味。
もう1つは、平均の数字を出したところで、実情がわかるか?
地域や事情によっても家賃は違う。
引き下げによって、住み慣れた街を出て、人間関係も一から作り直せってこと?
ただでさえ、見つかりにくい物件を、また探し直さなければならないし、また新たに人間関係を作り直す、若しくは諦める、という状態に追いやられる人々が大量に生まれる事は考えていない。
高齢者、傷病者などが生活保護受給の7割以上を占める現状を全く考慮していない。
冬期加算。
全国を6地域に分ける。気温、積雪の期間などを考慮して加算される。
暖房に使う燃料や、防寒着など、厳しい冬を生き抜く為に必要な措置。
これが引き下げられれば、どうなるだろう。
当事者から聞いた話では、朝、自分の寝床に舞い落ちる雪で目が覚め、ストーブをつける時間も厳格に決め、日が暮れれば布団に入り、光熱費を節約する生活だと言う。
これが冬の北海道や東北、北陸などでは、余裕で氷点下。
冬型が強まれば、場所によっては、マイナス二桁、と言う気温にもなるだろう。
想像するだけで胸が締め付けられる。
こんな生活で、健康で文化的な暮らしと言えるのだろうか。
 2015年1月28日参議院本会議、民主党相原久美子議員の代表質問に答えた塩崎厚生労働大臣は、「生活保護についてのお尋ねがございました。 生活扶助基準については、一般低所得世帯の消費実態や物価の下落を勘案して見直しを行ったものであり、最低限度の生活を営むのに支障のない基準となっていると考えております。また、生活保護法は、日本国憲法第二十五条に定める生存権保障の理念を具体化する趣旨で定められたものであり、政府としては適切に制度を実施しているものと考えております。」と答弁した。
想像力もない人間たちが政治や政権を担当しているのだから、ここまで酷い事になるのも当然だろう。
原因の1つは、それを選んだ、又は、投票を放棄した有権者の責任だ。
もちろん自分も含む、だから変えたいんだ。
貧困状態や低所得世帯など、家計が苦しい子どもたちの学校生活をサポートするのが、就学援助。
例えば、給食費、修学旅行費、文房具代、クラブ活動費などをカバーするもの。公立小中学校生の6人~7人に1人が受けていると言う。
この就学援助が、安倍政権の施策により、今まで受けられていたのに、受けられなくなる子ども達が拡大した。
例えば、東京中野区では200人、横浜市では、977人が対象外になったと言う。
この状況を作り出したのは、間違いなく安倍政権。
第二次安倍政権が誕生し、真っ先に手を付けたのが、生活保護基準の10%引き下げ決定。
生活保護基準を引き下げれば、それと連動して、数々の制度に影響が及ぶ。
生活保護基準は、最低賃金法ともリンクしており、引き下げられた事により、最低賃金が上がりづらくなる状況が生まれる。
国連からも日本の最低賃金は安すぎる、と勧告を受けているにもかかわらず、最低賃金が上がり辛くするとは、気は確か?
もちろん、気は確か。
これは安い労働力を欲しがる経済界への恩返しにすぎない。
その他にも、生活保護基準と連動する、高齢者の介護保険料の免除など、低所得者に対する支援制度、38もの制度が、引き下げになる。
政権をとって、真っ先に手を付けたのが、社会的に弱い立場に置かれた人々に対する切り捨て。
もう既に、二年前にハッキリと、制度の変更をもって、この国の未来は宣言されている。
貧乏人は死ね。
お前ら自己責任で生きろ、と言うのか。
自己責任で生きろ、ってスタンスの国に、どうして税金を納めなきゃいけないのだろう?
散々、税金を払わされて、受けられるサービスが極端に少ないなんて、あり得ないだろ。
一体、何様のつもりなんだろう。
殿様か?
いやいや、この国に生きる人々が納めているのは、年貢じゃなくて、税金。
勘違いされては困る。
総理であろうが、大臣であろうが、ヒラの国会議員であろうが、税金で食べさせて戴いている。
国会議員も、大臣も、総理大臣も何ひとつ偉くない。
期間限定の代理人にすぎないんだよ。
1番弱い立場に置かれた人々を切り捨てる事も政治、というなら、政治なんて存在する意味なし。
勝手に生きろ、って政治なら、もう必要ない。
あなたが、私が、万が一、生活困窮という立場に置かれた場合、人間の尊厳を失わず、絶望せず、もう一度人生を歩き出せるセーフティネットを担保する為にも、政治は必要なんだ。
税金払う値打ちがある、って感じて貰える政治、お金の使い方やろうぜ。
社会的な地位がある、収入があるお金持ちには、少々高い税金を払って戴かなきゃならないんだよ、例え政治家や政党の大切なお友達であってもね。
それが富める者の社会的な務めなんだ。
道徳教育が必要なのは、政治家と高級官僚だけじゃない。
税金が高くても自分の納税がこの国と立場の弱い人々を支えているんだ、って言う気概も持てない強欲で根っからの成金気質の大企業の経営陣にも必要ではないか?
自分たちの税金が安すぎる、もっと俺たちから税金を取れ、と富裕層への増税に賛成しているフェラーリの会長や投資家のウオーレン・バフェット氏、の爪の垢でも煎じて飲んでもらった方がいいだろう。
社会的使命を無視して、自分の私腹を肥やす親父達に財産の全ては墓場に持って行けない、と理解できる道徳教育が1番必要ではないか?
今やるべき事、直ちに手を打たなきゃならない事はハッキリしている。
消費税廃止に向けて一旦税率を5%に戻す。
資産課税と所得税の累進制強化。
生活保護基準の10%引き上げ。
最低賃金の大幅引き上げ。
希望者の全員正社員化。
奨学金の完全無利子化。
これらができなければ、貧困問題は拡大の一途。
現状では、貧困家庭に生まれた子どもたちは、貧困のループからほぼ一生抜け出す事は出来ない。
最近の若い奴らは根性が足りない、やる気がない、とかの話じゃない。
それ以前の問題なのだ。http://blogos.com/article/109018/
社会はバランスが大事、 山本太郎氏のような視点は 大事では?

3.10 悲しいニュース、心中(2007/7/21): 
4歳の子を道連れに 夫婦と3人で 川の字になって 練炭で心中したというニュースが流れました。 親族や友達に祝福されて、6,7年で人生を閉じた事になります。 悲しいニュースです。 実は心情として理解できる事があり、少し私の考えはおかしいのではないかと家族にも、友達にも言われているのですが、それは今夜は触れない事にして、一般的なことを触れておきたいと思います。先ずご夫婦の追い込まれた心情、そのご両親、ご親族の嘆きは如何程かと思うと心が痛みます。- 祖父の長兄は 母が生きているうちは 悲しませないように病気になるな、頑張れと叔父、叔母達によく言っているということです。- 現実に上手くいかなかったとき、助けを求めてはといっても、人間には誇りも名誉もあるので、素直になれないことがあるのではないでしょうか。 よって具体的には、事業などで失敗した場合に何か上手く、援助できるような在り様を考える必要があるのではないでしょうか。憲法25条の精神を如何にして、実現させ、失敗しても立ち上がれる機会を如何に作っていくかです。昔の話ですが、祖父の友人が実業家で、 何度も失敗を繰り返して、実業は面白いといっていたというのを思い出します。燕の生涯について思いをしていますが、人生苦労が多く、休憩している時が幸せな時とも言えます。 ー 楽することだけが人生ならば、早く閉じた方が幸せとも言えるのではと昔から、疑問に考えてきました。 しかし、人生はそうではなくて、人生とは何かを人生の基本定理で述べてきました。ー 人生には失敗はつきものですから、今回は失敗として、気分をかえ、素直に援助を求め、再挑戦して頂きたく思います。 失敗は恥ずかしい事ではないという風潮を、文化を広めたいと思います。
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう:
貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。
そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10):  政治・経済の在りようについて も参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上
再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏めたので、多くの人の関心を抱く、収入 のまえに 支出 について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に使うかである。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、使うは道理であり、お金を好きなように使うということがまず、第一の原則である。しかしながら、世には、お金が入って仕方がない、大金持ちになって惨めな人生を送った人は 実に多いことが直ぐに分るだろう。実際、好きなように生きるは、生きるということはどのようなことか と同じように、実はそう簡単でないとも言える。
純粋な数学の研究者たちは、若いころは お金に関心を持たず、自由な時間こそ、尊いと評価している人が多いのではないだろうか。家族をもって、家族のためや、子供の為にお金が必要だと気づくのが多いのではないだろうか。再生核研究所声明36を参照。
自分達の生活と将来の為に特にお金を大事にしたいは、まず、第1歩である。それは社会に迷惑をかけないで 自立して生きることであるから、尊いとも言える。後は、多様性の原理で余裕のあるお金を如何に使うかであるが、それは、個々の価値観に依るのは当然である。そこで、支出で 悩ましい事例を挙げて、世の問題として、提起して置きたい:
1)  多くの国に行くと、物乞いに会うが、どうしたら良いか - 困っている人は助けたい心情が湧くが、きりがない状況が起きる。また、そこで、与えれば、逆に頼り、何時まで経っても 物乞いを無くすることが、できないだろう。
2)  これは世に多く有る、募金や献金もそのような面を有して、場合、場合によって悩まされる。募金など、あちこちにあってきりがない状況であり、何時も割り切れない気持ちを残すだろう。
3)  政治献金などは より大きな世界であるが、自己の生活と効果を考えると同じような問題を感じるのでは。さらに特定組織の応援となると、どうしても不満を有して、全面的な支持は 殆どできないのではないだろうか。
4)  いわゆる援助では、多くの場合、その時、援助に成っても それが自立を妨げ、永く尾を引く問題を抱えているのではないだろうか。
5)  お坊さんの托鉢については、中々理解しにくいところがある。インドでは鐘を鳴らして、家々を回っている習慣が有るが、大抵何らの施しを与えているようである。イタリアでは若い女性が正座して、物乞いしていて、奇妙に見えた。パリでは読書しながら、他方で 献金を求めている様を見て、流石、文化都市のよう感じられた、修行僧への施しの1種と解釈すべきか? ところで、なぜ修行僧への施しをするのだろう。
6)  上記に対して、大道芸人、ライブ、演奏、教室などなど 一定のサービスを受けた場合には、そのような立場の人の生活を考えて、多めの献金が 良いのではないだろうか? もちろん、良い社会のための営みと判断される場合は 多めであるのは道理ではないだろうか。しかし、信号の合間を見て、窓ふきや芸当して物乞いをしているのは 有難迷惑に当たり、そのような押し付けは世に多い。
7)  いわゆるチップであるが 日本人にはなれない習慣で戸惑うが、土地の習慣が大事では。場違いに出すと嫌な気分を擁かれる場合もあるが 大抵は多めだと喜ばれるのは当然である。有難迷惑も多い。
言えることは、自我をしっかりさせて、再生核研究所声明1の公正の原則に即して、心が弾むように お金を楽しく 自由に使えば良いと言うことである。大金を得て、塔からばら撒いた人がいたが、それはこの声明1に背馳している反社会的な行為として批判されるのは当然である。一般には 余裕のある人は楽しく使って、社会に活かすように心すべきと考える。大事なもの 独り占めにしないで、分かち合い、共に楽しむような気持ちが大事と考える。金は天下の回り物 という諺は 良い心がけではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。
特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。
されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。
日本国憲法は
日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働かず、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。
しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。 
最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。
次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。
その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。
安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。
一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上