2014年8月31日日曜日

テレビ関係者&制作スタッフに聞いた! 『24時間テレビ』についてどう思ってますか?

テレビ関係者&制作スタッフに聞いた! 『24時間テレビ』についてどう思ってますか?
いよいよ今週末に迫った『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)。1978年にスタートしてから今年で37回目、「偽善だ」「ヤラセだ」などと毎回叩かれながらも注目を集める日本の夏の風物詩だ。
「番組スタート当初は、メインテーマにも『寝たきり老人にお風呂を!』『障害者に社会参加を!』『アフリカ飢餓緊急援助!』といったようにダイレクトに響く言葉が据えられていました。また、今では恒例となっているチャリティマラソンもありませんでした。しかし1991年、6.6%(ビデオリサーチ、関東調べ/以下同)という最低視聴率を出してしまったことで翌年92年から『視聴率優先』主義に完全スイッチ。メインテーマも『愛の歌声は地球を救う』と完全に歌番組に様変わり。さらに、ダウンタウンといった当時の人気タレントを番組パーソナリティに抜擢し、また24時間のチャリティマラソンを番組の通し企画にしたことで視聴率はV字回復、17.2%を記録しました」(テレビ関係者)http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/cyzowoman_20140827_4017912013
以後は毎年悪くても11%は獲得し、これまでの最高視聴率はSMAPの草なぎ剛と香取慎吾がメインパーソナリティを務めた2005年の19.0%。企業にとってもスポンサーイメージも良いため広告料も出しやすく、「総製作費40億円という話もある」(先の関係者)という、まさに日テレのドル箱番組なのだ。
そんな『24時間テレビ』は、業界人にとってどんな位置にあるのだろうか。
「日テレに出入りしている制作者にとっては、一度はやってみたい番組の1つになっています。歌手が『NHK紅白歌合戦』に出て親族が喜ぶのと同様、テレビマンにとってみたら、功罪はともかく『24時間テレビ』のスタッフとして名を連ねるのは誇りなんです」(同)
『24時間テレビ』の内容は大体1年前から話し合われるという。つまり、その年の『24時間テレビ』が終わった直後から翌年の構想が練られ始めるのである。ただ、その話し合いに関わるのはごく少数、トップの人間が集まる小規模のものだそうだ。それから次第に“24時間”のフォーマットが埋まっていくという。http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/cyzowoman_20140827_4017912013?p=2

「でも、そういった内容は、携わっていない人間には一切耳に入ることはありません。局の社員でさえも知らないことが多い。それほど情報漏えいには万全の注意が払われています」(同)その最たるものがチャリティマラソンのランナーの人選。毎年のように「この人が走るのでは」とウワサになるが、本命の名前が漏れることはまずないという。
さて、最後に関係者に「エセチャリティ番組」と言われていることについてどう思うか聞いてみた。
「もうここまで商業的に膨らんでしまったビッグプロジェクトなので、個人が番組についてどうこう言う問題ではありません。あくまで、我々も仕事として請け負っていますから……。1つ言えることは、どんな批判が来ようが、この番組を見て募金をしてくれる人がいるということです。それ以下でもそれ以上でもありません」
今回は、体力的に大いに問題を抱えるTOKIO・城島茂を101km走らせるなど、早くも賛否渦巻く『24時間テレビ 愛は地球を救う』。一体どんなドラマが生まれるのだろうか。
募金って捨て金ですか?
どんな気持ちで
募金をしていますか?
教えてください。
何年か前にホワイトバンド?
(ほとんどが宣伝費だったような・・・。)
みたいのが流行りましたが、
必ずしも募金が有効に使われる保証はないですよね
それを覚悟して募金という行動をしてるのか

気休め
何に使おうが知ったこっちゃないが余裕があるから
みんながしてるから
お金という支援の媒体を
いかに使うべきでしょうか?
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう:
貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。
そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10):  政治・経済の在りようについて も参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上

再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏めたので、多くの人の関心を抱く、収入 のまえに 支出 について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に使うかである。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、使うは道理であり、お金を好きなように使うということがまず、第一の原則である。しかしながら、世には、お金が入って仕方がない、大金持ちになって惨めな人生を送った人は 実に多いことが直ぐに分るだろう。実際、好きなように生きるは、生きるということはどのようなことか と同じように、実はそう簡単でないとも言える。
純粋な数学の研究者たちは、若いころは お金に関心を持たず、自由な時間こそ、尊いと評価している人が多いのではないだろうか。家族をもって、家族のためや、子供の為にお金が必要だと気づくのが多いのではないだろうか。再生核研究所声明36を参照。
自分達の生活と将来の為に特にお金を大事にしたいは、まず、第1歩である。それは社会に迷惑をかけないで 自立して生きることであるから、尊いとも言える。後は、多様性の原理で余裕のあるお金を如何に使うかであるが、それは、個々の価値観に依るのは当然である。そこで、支出で 悩ましい事例を挙げて、世の問題として、提起して置きたい:
1)  多くの国に行くと、物乞いに会うが、どうしたら良いか - 困っている人は助けたい心情が湧くが、きりがない状況が起きる。また、そこで、与えれば、逆に頼り、何時まで経っても 物乞いを無くすることが、できないだろう。
2)  これは世に多く有る、募金や献金もそのような面を有して、場合、場合によって悩まされる。募金など、あちこちにあってきりがない状況であり、何時も割り切れない気持ちを残すだろう。
3)  政治献金などは より大きな世界であるが、自己の生活と効果を考えると同じような問題を感じるのでは。さらに特定組織の応援となると、どうしても不満を有して、全面的な支持は 殆どできないのではないだろうか。
4)  いわゆる援助では、多くの場合、その時、援助に成っても それが自立を妨げ、永く尾を引く問題を抱えているのではないだろうか。
5)  お坊さんの托鉢については、中々理解しにくいところがある。インドでは鐘を鳴らして、家々を回っている習慣が有るが、大抵何らの施しを与えているようである。イタリアでは若い女性が正座して、物乞いしていて、奇妙に見えた。パリでは読書しながら、他方で 献金を求めている様を見て、流石、文化都市のよう感じられた、修行僧への施しの1種と解釈すべきか? ところで、なぜ修行僧への施しをするのだろう。
6)  上記に対して、大道芸人、ライブ、演奏、教室などなど 一定のサービスを受けた場合には、そのような立場の人の生活を考えて、多めの献金が 良いのではないだろうか? もちろん、良い社会のための営みと判断される場合は 多めであるのは道理ではないだろうか。しかし、信号の合間を見て、窓ふきや芸当して物乞いをしているのは 有難迷惑に当たり、そのような押し付けは世に多い。
7)  いわゆるチップであるが 日本人にはなれない習慣で戸惑うが、土地の習慣が大事では。場違いに出すと嫌な気分を擁かれる場合もあるが 大抵は多めだと喜ばれるのは当然である。有難迷惑も多い。
言えることは、自我をしっかりさせて、再生核研究所声明1の公正の原則に即して、心が弾むように お金を楽しく 自由に使えば良いと言うことである。大金を得て、塔からばら撒いた人がいたが、それはこの声明1に背馳している反社会的な行為として批判されるのは当然である。一般には 余裕のある人は楽しく使って、社会に活かすように心すべきと考える。大事なもの 独り占めにしないで、分かち合い、共に楽しむような気持ちが大事と考える。金は天下の回り物 という諺は 良い心がけではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。
特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。
されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。
日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働かず、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。
しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。 
最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。
次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。
その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。
安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。
一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上

「日本のゲーム音楽は世界に影響を与えた」ドキュメンタリー映像「ディギン イン ザ カーツ」全6話を順次公開

「日本のゲーム音楽は世界に影響を与えた」ドキュメンタリー映像「ディギン イン ザ カーツ」全6話を順次公開
2014年8月28日(木) 20時49分
植松伸夫氏の画像
植松伸夫氏
田中宏和氏の画像
田中宏和氏
下村陽子さんの画像
下村陽子さん
古代祐三氏の画像
古代祐三氏
ドキュメンタリー映像「ディギン イン ザ カーツ」予告編動画が公開の画像
ドキュメンタリー映像「ディギン イン ザ カーツ」予告編動画が公開
レッドブル・ミュージックアカデミーは、日本のテレビゲーム音楽に隠された歴史を探るドキュメンタリー映像「ディギン イン ザ カーツ」を9月4日より順次公開すると発表し、予告編動画を公開しました。
1998年の創設以来、若く才能溢れるアーティストを支援する活動を行っているレッドブル・ミュージックアカデミー。これまでも世界各地でフェスティバル、ワークショップ、レクチャー等を開催し、創造意欲に溢れるクリエイターたちのプラットフォームとなる機関・団体としてネットワークを広げ、その存在を築いてきました。この秋には東京にも初上陸を果たします。
「ディギン イン ザ カーツ」は、日本のゲーム音楽に焦点を当てた、レッドブル・ミュージックアカデミーが贈るドキュメンタリーシリーズです。1980年代に日本で発展したテレビゲームの音楽は、世界の音楽シーンのなかで数多くのミュージシャンの人生に影響を与えました。
そんな日本のゲーム音楽の歴史と魅力を探訪する映像作品全6話(各15分)を、9月4日(木)から毎週木曜日にレッドブル・ミュージックアカデミー日本公式サイトおよびYouTubeにて順次公開していきます。このドキュメンタリーシリーズには、日本のゲーム音楽クリエイターのほかにも、世界の音楽シーンを代表する有名なアーティストも多数出演。日本のゲーム音楽が、彼らの音楽制作においていかに大きな影響を与えてきたかについても語っているそうです。
このドキュメンタリーシリーズのプロデューサーであるNick Dwyerは「日本のゲーム音楽の作曲家たちが、世界のカルチャーや、現代の音楽シーンを彩る有名なミュージシャンたちに多大な影響を与えてきたという事実を紹介したいのです」と制作背景について語っています。予告編動画や、各エピソードの主な出演者なども発表されているのでぜひチェックしてみてください。


再生核研究所声明34(2010/04/16):
日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上

 D

2014年8月30日土曜日

欧米で ゼロおよび、ゼロ除算が嫌われている理由? ゼロ除算は、解明が進んでいると思いますが、欧米で、変な拒否反応を感じるのは、次のような理由が有るのでは?

欧米で ゼロおよび、ゼロ除算が嫌われている理由?
ゼロ除算は、解明が進んでいると思いますが、欧米で、変な拒否反応を感じるのは、次のような理由が有るのでは?
アリストテレスとゼロ
ピタゴラスの思想を受け継ぎ、西洋数学の概念的な基盤を完成させたのがアリストテレス(前384年 - 前322年)である。アリストテレスは、ゼロを「絶対的な無」と考えて恐れていたようである。彼は”Horror vacui”(真空の恐怖)ということを言っていて、真空という絶対的な無は恐ろしいものであるから、自然もまた真空を恐怖している、と唱えた。自然が真空を恐怖しているために、自然は真空を避けようとする。真空ができようとすると、そこに自然に空気が流れこみ、自然状態で真空ができるということは決してあり得ない、とアリストテレスは考えたのだ。
このアリストテレスの信仰は、なんと17世紀に至るまで覆されることがなかった。1643年になってはじめてガリレオの弟子であるトリチェッリが持続する真空を作り出すことに成功し、自然が真空を嫌うというのは迷信に過ぎないということを明らかにした。ときに、アリストテレスからすでに2000年が経とうとしていた。それほどまでに、「絶対的な無」というアイディアは、西ヨーロッパ世界の人びとを恐怖させたのである。
ゼノンのパラドックスを紹介した際にも少し触れたが、ゼロを受けいれることは、同時に無限を受け入れることでもあった1。18したがって、ゼロを拒絶するということは、無限を拒否するということでもあった。
アリストテレスは実際、「数学は無限を必要としないし、用いない」と明言した。219アリストテレスの数学は、0と無限のあいだに安住していたのである。そして、このアリストテレスの思想は、16世紀のエリザベス朝の時代まで、ヨーロッパ世界で最も支配的な思想の体系であり続けることになる。
かくして、アレキサンダー大王によりもたらされたバビロニアのゼロを忘れ去られ、二千年近い長い長い眠りにつくことになった。
1 ゼロの概念がヨーロッパ世界で受け入れられるようになったのとちょうど同じ頃、ブルネレスキが透視図法のアイディアに至った(1425年)ことは興味深い。なぜなら、透視図法における消失点とは、まさに無限の空間を引き受けている0次元空間、0と無限とが出会う場所にほかならないからだ。
2 アリストテレスが実無限(actual infinity)と可能無限(potential infinity)とを区別し、可能無限の存在を認めながらも、実無限の存在を否定した無限論は有名である。19世紀のカントールの集合論に至り、実無限に対するまったく異なるビジョンが明らかにされることになるのだが。http://saintcross.jp/kaian/book/5_3.php

Announcement 179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics\\
}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\
E-mail: kbdmm360@yahoo.co.jp\\
}
\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, we shall introduce the zero division $z/0=0$. The result is a definite one and it is fundamental in mathematics.
\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By a natural extension of the fractions
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we, recently, found the surprising result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices, and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the case of real numbers. The result is a very special case for general fractional functions in \cite{cs}. 
The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, google site with division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628, however,
Sin-Ei, Takahasi (\cite{taka}) (see also \cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing some full extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2). His result will show that our mathematics says that the result (1.2) should be accepted as a natural one:
\bigskip
{\bf Proposition. }{\it Let F be a function from ${\bf C }\times {\bf C }$ to ${\bf C }$ such that
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad)
$$
for all
$$
a, b, c, d \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a }, \quad a, b \in {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}
\medskip
\section{What are the fractions $ b/a$?}
For many mathematicians, the division $b/a$ will be considered as the inverse of product;
that is, the fraction
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
is defined as the solution of the equation
\begin{equation}
a\cdot x= b.
\end{equation}
The idea and the equation (2.2) show that the division by zero is impossible, with a strong conclusion. Meanwhile, the problem has been a long and old question:
As a typical example of the division by zero, we shall recall the fundamental law by Newton:
\begin{equation}
F = G \frac{m_1 m_2}{r^2}
\end{equation}
for two masses $m_1, m_2$ with a distance $r$ and for a constant $G$. Of course,
\begin{equation}
\lim_{r \to +0} F =\infty,
\end{equation}
however, in our fraction
\begin{equation}
F = G \frac{m_1 m_2}{0} = 0.
\end{equation}
\medskip

Now, we shall introduce an another approach. The division $b/a$ may be defined {\bf independently of the product}. Indeed, in Japan, the division $b/a$ ; $b$ {\bf raru} $a$ ({\bf jozan}) is defined as how many $a$ exists in $b$, this idea comes from subtraction $a$ repeatedly. (Meanwhile, product comes from addition).
In Japanese language for "division", there exists such a concept independently of product.
H. Michiwaki and his 6 years old girl said for the result $ 100/0=0$ that the result is clear, from the meaning of the fractions independently the concept of product and they said:
$100/0=0$ does not mean that $100= 0 \times 0$. Meanwhile, many mathematicians had a confusion for the result.
Her understanding is reasonable and may be acceptable:
$100/2=50 \quad$ will mean that we divide 100 by 2, then each will have 50.
$100/10=10 \quad$ will mean that we divide 100 by10, then each will have 10.
$100/0=0 \quad$ will mean that we do not divide 100, and then nobody will have at all and so 0.
Furthermore, she said then the rest is 100; that is, mathematically;
$$
100 = 0\cdot 0 + 100.
$$
Now, all the mathematicians may accept the division by zero $100/0=0$ with natural feelings as a trivial one?
\medskip
For simplicity, we shall consider the numbers on non-negative real numbers. We wish to define the division (or fraction) $b/a$ following the usual procedure for its calculation, however, we have to take care for the division by zero:
The first principle, for example, for $100/2 $ we shall consider it as follows:
$$
100-2-2-2-,...,-2.
$$
How may times can we subtract $2$? At this case, it is 50 times and so, the fraction is $50$.
The second case, for example, for $3/2$ we shall consider it as follows:
$$
3 - 2 = 1
$$
and the rest (remainder) is $1$, and for the rest $1$, we multiple $10$,
then we consider similarly as follows:
$$
10-2-2-2-2-2=0.
$$
Therefore $10/2=5$ and so we define as follows:
$$
\frac{3}{2} =1 + 0.5 = 1.5.
$$
By these procedures, for $a \ne 0$ we can define the fraction $b/a$, usually. Here we do not need the concept of product. Except the zero division, all the results for fractions are valid and accepted.
Now, we shall consider the zero division, for example, $100/0$. Since
$$
100 - 0 = 100,
$$
that is, by the subtraction $100 - 0$, 100 does not decrease, so we can not say we subtract any from $100$. Therefore, the subtract number should be understood as zero; that is,
$$
\frac{100}{0} = 0.
$$
We can understand this: the division by $0$ means that it does not divide $100$ and so, the result is $0$.
Similarly, we can see that
$$
\frac{0}{0} =0.
$$
As a conclusion, we should define the zero divison as, for any $b$
$$
\frac{b}{0} =0.
$$
See \cite{kmsy} for the details.
\medskip
\section{In complex analysis}
We thus should consider, for any complex number $b$, as (1.2);
that is, for the mapping
\begin{equation}
w = \frac{1}{z},
\end{equation}
the image of $z=0$ is $w=0$. This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the point at infinity on the Riemann sphere.
However, we shall recall the elementary function
\begin{equation}
W(z) = \exp \frac{1}{z}
\end{equation}
$$
= 1 + \frac{1}{1! z} + \frac{1}{2! z^2} + \frac{1}{3! z^3} + \cdot \cdot \cdot .
$$
The function has an essential singularity around the origin. When we consider (1.2), meanwhile, surprisingly enough, we have:
\begin{equation}
W(0) = 1.
\end{equation}
{\bf The point at infinity is not a number} and so we will not be able to consider the function (3.2) at the zero point $z = 0$, meanwhile, we can consider the value $1$ as in (3.3) at the zero point $z = 0$. How do we consider these situations?
In the famous standard textbook on Complex Analysis, L. V. Ahlfors (\cite{ahlfors}) introduced the point at infinity as a number and the Riemann sphere model as well known, however, our interpretation will be suitable as a number. We will not be able to accept the point at infinity as a number.
As a typical result, we can derive the surprising result: {\it At an isolated singular point of an analytic function, it takes a definite value }{\bf with a natural meaning.} As the important applications for this result, the extension formula of functions with analytic parameters may be obtained and singular integrals may be interpretated with the division by zero, naturally (\cite{msty}).
\bigskip
\section{Conclusion}
The division by zero $b/0=0$ is possible and the result is naturally determined, uniquely.
The result does not contradict with the present mathematics - however, in complex analysis, we need only to change a little presentation for the pole; not essentially, because we did not consider the division by zero, essentially.
The common understanding that the division by zero is impossible should be changed with many text books and mathematical science books. The definition of the fractions may be introduced by {\it the method of Michiwaki} in the elementary school, even.
Should we teach the beautiful fact, widely?:
For the elementary graph of the fundamental function
$$
y = f(x) = \frac{1}{x},
$$
$$
f(0) = 0.
$$
The result is applicable widely and will give a new understanding for the universe ({\bf Announcement 166}).
\medskip
If the division by zero $b/0=0$ is not introduced, then it seems that mathematics is incomplete in a sense, and by the intoduction of the division by zero, mathematics will become complete in a sense and perfectly beautiful.
\bigskip

section{Remarks}
For the procedure of the developing of the division by zero and for some general ideas on the division by zero, we presented the following announcements in Japanese:
\medskip
{\bf Announcement 148} (2014.2.12):  $100/0=0, 0/0=0$  --  by a natural extension of fractions -- A wish of the God
\medskip
{\bf Announcement 154} (2014.4.22): A new world: division by zero, a curious world, a new idea
\medskip
{\bf Announcement 157} (2014.5.8): We wish to know the idea of the God for the division by zero; why the infinity and zero point are coincident?
\medskip
{\bf Announcement 161} (2014.5.30): Learning from the division by zero, sprits of mathematics and of looking for the truth
\medskip
{\bf Announcement 163} (2014.6.17): The division by zero, an extremely pleasant mathematics - shall we look for the pleasant division by zero: a proposal for a fun club looking for the division by zero.
\medskip
{\bf Announcement 166} (2014.6.29): New general ideas for the universe from the viewpoint of the division by zero
\medskip
{\bf Announcement 171} (2014.7.30): The meanings of product and division -- The division by zero is trivial from the own sense of the division independently of the concept of product
\medskip
{\bf Announcement 176} (2014.8.9):  Should be changed the education of the division by zero
\bigskip
\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}
\bibitem{ahlfors}
L. V. Ahlfors, Complex Analysis, McGraw-Hill Book Company, 1966.
\bibitem{cs}
L. P. Castro and S.Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
\bibitem{kmsy}
S. Koshiba, H. Michiwaki, S. Saitoh and M. Yamane,
An interpretation of the division by zero z/0=0 without the concept of product
(note).
\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
\bibitem{msty}
H. Michiwaki, S. Saitoh, M. Takagi and M. Yamada,
A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0
(note).
\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
\bibitem{taka}
S.-E. Takahasi,
{On the identities $100/0=0$ and $ 0/0=0$}
(note).
\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields. (submitted)
\end{thebibliography}
\end{document}