2015年4月1日水曜日

超弦理論( superstring theory)

超弦理論( superstring theory)
2015年04月01日(水)NEW !
テーマ:数学
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。
目次 [非表示]
1 概論
2 基本的な説明
3 宇宙論への応用
4 歴史
4.1 カルツァ=クライン理論
4.2 弦理論初期
4.3 第1次ストリング革命
4.4 第2次ストリング革命
5 現状
5.1 問題点
6 脚注
7 参考文献
7.1 原論文
7.2 教科書
7.3 読み物
8 関連項目
8.1 関連理論
9 外部リンク
概論[編集]
超弦理論が登場する以前に最も小さなスケールを記述した理論は場の量子論である。そこでは粒子を点、すなわち点粒子として扱ってきた(局所場の理論に代わる、広がりを持った粒子の概念を導入したS行列理論や非局所場理論などもあった)。一方、超弦理論では粒子を弦の振動として表す。1960年代、イタリアの物理学者、ガブリエーレ・ヴェネツィアーノが核子の内部で働く強い力の性質をベータ関数で表し、その式の示す構造が「弦 (string)」によって記述されることに南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンらが気付いたことから始まる。
弦には「閉じた弦」と「開いた弦」の2種類を考えることができ、開いた弦はスピン1のゲージ粒子(光子、ウィークボソン、グルーオンなどに相当)を含み、閉じた弦はスピン2の重力子を含む。開いた弦の相互作用を考えるとどうしても閉じた弦、すなわち重力子を含まざるを得ない。そのため、強い力のみを記述する理論と捉えることは難しいことが分かった。
逆に言えば、弦を基本要素と考えることで、自然に重力を量子化したものが得られると考えられる。そのため、超弦理論は万物の理論となりうる可能性がある。超弦理論は素粒子の標準模型の様々な粒子を導出しうる大きな自由度を持ち、それを元に現在までに様々なモデルが提案されている。
このように極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、自然界の全ての力を数学的に表現しようというのが、いわゆる弦理論(超弦理論、M理論を含む)の目指すところである。
この理論の想定する「ひも」の大きさが実証不可能に思えるほど小さい(プランク長程度とすると 10-35m)ことなどから、物理学の定説としての地位を得るには至っていない。また今後実証されるかどうかも未知数の理論である。
基本的な説明[編集]
一般相対性理論と量子力学の折り合いをつけた理論(量子重力理論)を構築することは、物理学者を悩ませていた大問題であった。超弦理論は、その問題を解決する可能性をもった理論である。
超弦理論には5つのバージョンがあり、それぞれタイプI、IIA、IIB、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれる。この5つの超弦理論は理論の整合性のため10次元時空が必要である。空間の3次元に時間を加えた4次元が、我々の認識する次元数である。我々が認識できない残りの6次元は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できないとされる[1]。また、11次元超重力理論をその低エネルギー極限に含んだM理論は更に1次元を加えて合計11次元を必要とする[2]。これら6つの理論は様々な双対性によって互いに繋がっている[3]。超弦理論の5つのバージョンを統合するものとしてM理論が注目されている。
弦の振動は、コンパクト化されている6次元により制約を受け、その振動の形により、特定の量子を形作っている。超弦理論では基本的物体は1次元の弦であったが、M理論では加えられたもう1次元によって基本的物体は2次元の膜であると提唱されている。
また超弦理論で表記される10次元中にはDブレーンと呼ばれる様々な次元の拡がりを持ったソリトンが存在する。Dブレーンは、もともと1次元の弦が端点を持ちうる空間として定義されているものだが、重力子等の閉じた弦はこの空間に依存せずにブレーン間を往来する。
超弦理論は重力の量子論の有力な候補であり、現時点でも特殊な条件の下でならブラックホールのエントロピーに関する問題に答える事ができる。ブラックホールのエントロピーは表面積に比例しているが、この事実をDブレーンに張り付いた弦の状態を数え上げる、という方法で導き出している。これは熱力学のエントロピーを統計力学の手法で導き出すことに対応している。
宇宙論への応用[編集]
ブレーン描像を宇宙論に適用した理論は、ブレーンワールドと呼ばれ、典型的な模型では我々はこのブレーンの上に住んでいることになる。またこのモデルでは、量子力学で使われる3つの力に対して、何故重力が極端に弱いのかを説明がつけられるとしている。つまり、他の3つの力、即ち、電磁気力(電磁力ともいう)、弱い力、強い力に比較して弱いのは、他の次元にその大半が逃げてしまっているためと考えられる。
これに関連して、例えば宇宙論のインフレーションをブレーンの運動で捉えるなど、様々な研究がなされている。なお、ビッグバンは我々の存在する宇宙が所属する膜と他の膜の接触によるエネルギーが原因で起こったとするモデルもあり、エキピロティック宇宙論と呼ばれている。通常のインフレーションを導出しようとする試みも進行中である。
歴史[編集]
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カルツァ=クライン理論[編集]
詳細は「カルツァ=クライン理論#歴史」を参照
超弦理論は10次元時空でのみ理論が定式化されるため、超弦理論に基づいた多くのモデルでは、現実の4次元時空を導くために「カルツァ=クライン理論」のアイデアを応用している。
1919年、テオドール・カルツァは5次元時空上での一般相対性理論(重力)を、4次元時空では、マクスウェル方程式(電磁気力)を考えるという理論の元となるアイディアをアルベルト・アインシュタインへの手紙の中で明らかにした。論文はしばらくアインシュタインの机の中にあったが、その後アインシュタインの助力を得て1921年に発表された。
1926年になって、オスカル・クラインがカルツァの理論を修正して五次元時空の理論に余剰次元を非常に小さなスケールに折りこむというコンパクト化の理論を組み込んだ理論を発展させ、カルツァ=クライン理論として知られるようになった。
弦理論初期[編集]
詳細は「弦理論#歴史」を参照
1950年代末から1960年代にかけて強い相互作用をする粒子(ハドロン)が多く発見され、それらの分類とその構成の成り立ちについての考察が始められた。超弦理論の元となった弦理論は、こうした粒子間に働く強い力の性質を記述するために考え出された。
まず、1950年代はじめにトゥーリオ・レッジェは、ハドロンの散乱実験において、共鳴状態の静止質量の2乗とスピンとの間に直線関係があることを見出した(レッジェ軌道)。1968年にイタリアのガブリエル・ヴェネツィアーノは、レッジェ軌道を再現する非常に簡単な公式で「散乱振幅」として表現した(ヴェネツィアーノ振幅)。
その公式を元に、ハドロンは振動する弦であると発表したのが、1970年の南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンである。それぞれ独立に発表された彼らの弦理論では、ハドロンは粒子ではなく振動する弦から構成され、粒子はそれぞれの振動モードに対応するというものであった。ただしこの理論では、弦の振動に理論の不安定性を表すタキオンが含まれるという欠陥が内包されていた。
南部らの弦理論ではボース粒子のみを記述していてフェルミ粒子は扱えないという問題もあったが、当時はフェルミ粒子を含めてボース粒子以外の記述を弦理論を拡張することで解を得ようという学者は少数派であった。1971年に、フランスのP.ラモン、A.ヌヴォ、アメリカのJ.シュワルツの3人によってボース粒子とフェルミ粒子の両方が扱える模型が提唱された。この模型が、超弦理論へと発展していくことになる。
第1次ストリング革命[編集]
1984年、グリーンとジョン・シュワルツによって、10次元の超重力理論および超弦理論でアノマリーのない理論が存在することが示されると、超弦理論は脚光を浴びるようになった。 特にE8×E8のゲージ場を含むヘテロティック超弦理論において、理論の定義される10次元のうち余分な6次元をカラビ-ヤウ多様体でコンパクト化した理論は、低エネルギーで \mathcal{N}=1 の超対称性を持つ理論が導かれ、重力を含む統一理論の候補として盛んに研究された。
しかし、余分な6次元がコンパクト化されるメカニズムが不明であること、コンパクト化として可能な多様体の種類が無数にあり、その中から1つを選び出すことが摂動論の範囲では不可能であることなどの困難が存在した。
第2次ストリング革命[編集]
1995年、 ポルチンスキーによりDブレーンが超弦理論のソリトン解であることが示され、また、ウィッテンによりこれまで知られていた5つの超弦理論を統一する11次元のM理論が提唱されると、超弦理論は再び脚光を浴びることとなった。この2つは、それまでに予想されていた種々の双対性(S双対性、T双対性)と組み合わせることで、これまで摂動論の範囲でしか定義されていなかった超弦理論の非摂動的な性質の理解を深めることとなった。また、Dブレーンの低エネルギーでの性質は超対称ゲージ理論で記述されるため、ゲージ理論を用いて超弦理論の性質を調べること、逆に、Dブレーンの適当な配位を考えることでゲージ理論の非摂動的な性質を調べることが可能となり、精力的に研究された。
このDブレーンは、ブラックホールのエントロピーの表式を統計力学的に導出する際にも用いられ、超弦理論が重力の量子論であることの傍証となった。また、マルダセナによるAdS/CFT対応は、まったく別の理論である超対称ゲージ理論と超重力理論が、ある極限のもとで等価となることを予想し、超弦理論や重力理論、ゲージ理論に対して新しい知見を与えることとなった。
現状[編集]
超弦理論は、現時点では観測や実験事実を説明するまでには至っていないが、上記のようなブラックホールの問題への回答、宇宙論や現象論の模型への多大な影響、そしてホログラフィー原理の具体的な実現など、その成果を挙げるにはいとまがない。超弦理論に懐疑的な発言をしていたスティーヴン・ホーキングも、近年は超弦理論の成果を用いた研究を発表している。
一方で、Not Even Wrong[4](邦訳:ストリング理論は科学か)[5]を執筆したPeter Woit、The Trouble With Physics(邦訳:迷走する物理学)[6]を執筆したLee Smolinのように、超弦理論は現実的に検証不能なだけでなく、物理学研究全体に有害であるとする反対派・懐疑派も存在している。
問題点[編集]
『超弦理論』では現在のところ観測されていない10次元といった多数の次元を必要とする点で問題がある。超高エネルギーでの実験が可能ならばそのような次元を直接確認し、理論を検証できる可能性があるが、21世紀初頭の技術的展望では不可能だとされている。
超対称性理論と同様に、現在観測されている素粒子の倍程度の新粒子の存在を予言する。
重力の量子論の有力候補とされているものの、現在の超弦理論は背景依存の理論形式であり、背景独立でない理論は真の量子重力理論にはなり得ないという批判がある。
カラビ-ヤウ空間の形状などに依存して、膨大な数の超弦理論が存在し得る。そのようなパラメータを調整して、我々の宇宙の物理法則と適合する超弦理論を選び出すことは計算量の面から非常に困難なことが判明している。膨大な数の超弦理論が、それぞれ別の宇宙を表すとの考え方もあるものの、我々の宇宙の法則を得られなければ、実用理論としては意味が無いかもしれない。
このため超弦理論を物理学の仮説として扱うことに疑問を持つ物理学者も多い。また弦理論の業績に対しては現在のところノーベル物理学賞は与えられていない。弦理論に重要な貢献を果たした南部陽一郎、デビッド・グロスらは別の業績で受賞している。
しかしながら、現在も探求が行われている分野でもあり、かつまた、その研究の発展は数多くの大統一理論及び、超統一理論の候補の1つとして、今も数多くの研究が行われている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6%E7%90%86%E8%AB%96

再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上

ゼロ除算は、誰にもわかるが、みんな間違って理解している。
正しい結果は、驚嘆すべきもので、何でも0で割れば、0ということが最近発見された。
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前である(100/0=0、0/0=0)と言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
  • \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
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夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。

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宗教って必要なんですか?宗教が無くなれば、世界の紛争の6割くらいは無くなるし、テロも激減するとおもうんですよ。いい加減、キリストにしろ、アッラーにしろ、ブッダにしろ、神などという幻を信奉することは辞め て、世界平和に一歩近づくべきだ。皆さんはどう思いますか?

宗教って必要なんですか?宗教が無くなれば、世界の紛争の6割くらいは無くなるし、テロも激減するとおもうんですよ。いい加減、キリストにしろ、アッラーにしろ、ブッダにしろ、神などという幻を信奉することは辞め
て、世界平和に一歩近づくべきだ。皆さんはどう思いますか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12143819297
宗教を歪めて理解されている現実が有りますね:
再生核研究所は 世界の宗教の統一を思考した:
再生核研究所声明 122 (2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。

(2013.7.29.7時半、光り輝く 入り江の美しさに 感銘を受けながら、研究室に向っているとき、声明の原案が電光のように閃いた)
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在証明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。それ以降も考察は自然に無意識の中でも進んでいたのであるが、
究極の信仰:
2013.7.27: 7時前ころ、ひらめいた直観である:
神は存在し、 存在も、非存在も しっかりと支えておられる。 人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。
との直観が湧き、上記のように声明に纏める事とした。 これは数学の研究で、永い考察を行なっていたものが ちょっと違った方向から 突然直観的に完全な解に達した時のような、現象である。今回のは 反例の発見や、不可能の証明に近いと言える。
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか。 -  このような精神は、悟りへの道にも通じると考えられる (再生核研究所声明 118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道 をおし進めると ―)。 またこのような精神は、ヨーロッパで 4年以上暮らし、4年2か月、キリスト教の強い影響で目覚めた心情で、 尊敬する仏教の発想から出たものではないと言える。 しかしながら、ここで述べられた精神は あらゆる神と宗教と信仰の 共通の核心 であると考えられる。
本声明は、生きとし生けるもの、命あるものの 究極の救済 を求めているものである。 また、人は必要なときに必要なだけ については 再生核研究所声明85:  食欲から人間を考える ― 飽きること を参照。
本声明は 宗教の統一 を成し遂げたものであると言える。
以 上

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消費再増税、延期確定=「景気条項」削除―税制改正法が成立

消費再増税、延期確定=「景気条項」削除―税制改正法が成立
時事通信 3月31日(火)17時55分配信
2015年度税制改正関連法が31日の参院本会議で可決、成立した。15年10月に予定していた消費税率10%への引き上げを1年半延期し、17年4月とすることが確定。「景気条項」を削除し、景気情勢次第でさらに先送りできなくなる。
税制改正関連法では、標準で34.62%だった法人実効税率を2年間で3.29%引き下げる。減税により企業収益が増え、従業員の賃上げや税収増につながることが期待される。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150331-00000123-jij-pol 


再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

日本の財政を考える  より
日本の借金時計
財部 誠一  財部 誠一ジャーナルより
全国都道府県の借金時計 より
日本の借金時計   (数字はうそをつかない)より
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
リアルタイム財政赤字カウンターより
日本経済復活の会 http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol

国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員の退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
   ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略

ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ

再生核研究所声明 65 (2011.06.02) :  
公務員の給与の段階的な引き下げ と 管理手当てなどの大幅引き下げを
ただでも厳しいところ、3月11日の 東日本大震災、福島原発事故は 国の財政を根本的に危うくしている。 日本国はかつて体験したことの無い 国家的な危機を迎えていることを真摯に、真正面から受け止める必要がある。
先ず国は、全力を挙げて、原発事故の鎮圧に努力すべきである。 日本軍が対応できないのであれば、国連をはじめ国際社会に救援、援助を人類の名において発するべきである。 まこと原発事故は、人類の地球環境破壊、生態系に対する重大な過ちである。次に放射能対策について、正確な汚染状況を掌握して、医学的な評価をきちんと行い、疎開などの行動を速やかに行うべきである。これらは国家的な危機、新しい型の戦争そのものであると理解して、軍の指揮下で 厳格に速やかに行うべきである。
軍の貢献を評価して、4兆円を超える軍事費は 適切に評価されるべきである。
しかしながら、どのような状況であっても、財政難、資金難に陥るのは 明白である。そこで、先ずは、公僕である公務員が範を示すのが 第一に必要である。 これは天災であることを認め、国家として災難を共有して行くことが 基本であると考える。 人災などの部分は 応分の責任と処罰が与えられるのは当然である。 しかし、今尚 戦時であることを肝に銘じるべきである。 原発の是非などは 今後の問題である。
公僕である公務員が範を示すには、先ずは 一律10%の給与引き下げ、各種管理手当ての20%の引き下げなどを速やかに行い 姿勢を示すことは 各種増税の第1歩になると考える。
東電の在り様に見えてきた、官僚の天下り、社会の上層部における妙な癒着構造などで 多額の税金が浪費されている実体が顕になってきている。支配者階級における、権力とお金にまみれたドロドロとした実体である。これこそ空虚な日本社会を覆っている腐敗している大きな部分である(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。
そこで、公務員の給与体系の在り様について、下記のような視点を述べたいと考える。
公務員は公僕で、国民に尽くす立場である。 日本は 公正の原則に基づく、自由市場を範としている。
そこで、これを真摯に実現、実践するために、公務員の給与を次第に引き下げて、公務員は安月給だから、ならないという世相になるまで、引き下げていく。 ― 実際、戦後目覚ましい復興を成し遂げた、戦後相当な期間は そうであった事実を思い出したい ― 権力や安定性、福利厚生面で、公務員は相当に恵まれている事実を、人事院などは 公正に評価していないと考えざるを得ない。いわば、仲間として、お手盛り政策を採っていると考えられる。
次はより大事な視点である。 役職手当や管理手当てなどである。 このために、公務員は必要以上に役職につきたがり、また、役職手当や管理手当ての大きさが、財政さえ圧迫している。それは大学においてさえそうである。 ある名誉教授の言葉が想い出される - 大学をまるで営業会社の感覚で、多額の役職手当を支払い、研究費を圧迫していると。
法人化後、事務長は副学長として理事に就任して、文科省の天下り先を沢山増やしている。 各省庁でも同じように天下り先や役職を増やし、国の財政を圧迫している状況はないであろうか。 そこで、役職は、名誉職的に考え、手当てを減額し、探さなければ、なり手がいないようなボランティアの精神でやるような 空気になれば、財政的にも、人材的にも良いのではないであろうか。 地方公務員、議員、いろいろな役所の手当てなどを減額して、使命感を抱く人が 積極的に働けるように考えると良いのではないだろうか。 多くの名誉職的な役職、仕事は、名ばかりで、税金が活かされていない状況はないであろうか。
行きすぎた年功序列制度の問題点も含めて、給与体系のそのような 視点での漸次見直しを提案する。
しかしながら、公務員は公僕であり、国家を、地方を導くものであるとの自覚が根本になければならない。その誇りこそが、公務員の生きがいでなければならない。その生活は社会の上流階級のものであってはならず、質素でなければならない。 政治が適切に機能しなければ、官僚機構とは 税金を搾取する集団に成り下がるのは 何時の世でもそうではないだろうか。
以 上


再生核研究所声明78(2012.2.20) 
無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からないで意見を表明していないか?
いま 日本での大きな意見表明として、反原発、反増税の意見が多く、世相の大きな面になっているようにみえる。 しかしながら、それらはいずれも 無責任、無駄、建設的でない大きな負の行動 ではないだろうか。日本国の大事 を前に これで良いのか、そのような批判の背景について、考察したい。
反原発とは何か? 空前の大震災で、大きな原発事故を起こし、将来に及ぶ 甚大な被害を受けた、だから、そのような危険な原発は廃止したい、廃止せよと要求している。
増税反対とは何か? 国はすでに1000兆円(約歳入の20倍)に近付く、膨大な債務を抱え、3年続けて歳入を超える借金で財政を運営している、他方、日本の景気は良くなく、増税できるような状況にはない、もっと節税で対処せよ。それゆえに増税には反対である。
どちらの問題も難しく、如何なる対応でも厳しい状況を迎えるであろう。逆に考えて見よう。すべての原発を中止したとしよう。電力会社は原発のために 膨大な投資を行ってきたのだから、それらが活かせないとなれば、甚大な損失である。ここで、原発の後始末にも 膨大な資金が必要であることを考えれば、その時の損失は 計り知れないのではないだろうか。これは日本国の電気料金が 国際相場においても相当に高騰することを意味する。さらに、東電は原発事故の補償にも甚大な資金の出費を求められている。国家の基本である電気料金の高騰に 日本国は耐えられるであろうか。東電破産、電気の供給廃止を考える者は 誰もいないのではないだろうか。
増税反対で、歳入の2倍の予算を来年度も組めば、国の債務は増加し、日本国の歴史に責任を持つ 首相が国際公約した 一般消費税の引き上げができないとなれば、国際信用は保てず、日本国の信頼は揺らぎ、国債金利の高騰を招くのではないだろうか。 膨大な債務を抱える日本国では、国債の金利高騰は ギリシャなどのように 日本国の危機を招くのではないだろうか。もし、歳出の大幅なカットとなれば、国の経済活働は大幅に落ち込み、失業者の増加や多くの業者の破産を迎えるは当然ではないだろうか。公僕たる公務員の給与カットなどは仕方がないとしても、公務員の給与は既に長年抑えられてきた現状を考えれば、公務員たたきのような簡単な対応で 速やかに日本国の財政をやりくりできるほど 甘くはないのではないだろうか。 
世界も世の中も慣性の法則で動いていて、 急には変えられない現実(再生核研究所声明 72:慣性の法則 ― 脈動、乱流は人世、社会の普遍的な法則)をしっかり見るべきではないだろうか。上記の2つの問題では、どのような選択でも既に厳しい状況を迎えるのは避けられないのではないだろうか。上記世相は 断片的、単細胞的思考(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)で 無責任で 無駄な思考である考える。いずれの問題も専門家の英知を集めて、総合的な、全体的な、同時多発的な、迅速な対応が重要であると考える。国家の英知を結集して 関係者の,関係機関の 賢明な対応を求めたい。
特に上記の関係者、原発事故現場で尽力されている方々、日本国の財務に直接関与されている方々に対して、日本国民の名において、深い敬意の念と謝意を表明したい。無責任な言動は乗り越えていきたい。大震災にあたり述べられた、天皇陛下のお言葉 を肝に 日本国の団結を求めたい。空前の大震災から、まだ1年も経ってはいない 厳しい現実、厳しい状況ではないだろうか。
この声明の趣旨は 反対意見を封じるものでも、言論の自由を封じるものでもない。 真面目な、建設的な反対意見は 何時でも尊重されるべきである。しかしながら、結論だけの軽薄な騒ぎは 空虚で有害だと述べている(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論、再生核研究所声明 62: 福島原子力発電所事故とその対応、対策、取り組みについて、再生核研究所声明 66: 言論の自由を篤く保障し、実りある議論のできる社会に)。
以 上

客観的な判断には、主観が入っていますか?

客観的な判断には、主観が入っていますか?
これは矛盾では? 
主観を入れないで判断するが 客観的というのでは。
実際には、 法や論理的に判断することを 客観的というのでは?

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ファウルボールで失明…日本での裁判結果に海外で賛否両論

ファウルボールで失明…日本での裁判結果に海外で賛否両論
2015年3月30日 20時22分 Sports Watch
2010年、札幌ドームでプロ野球の試合観戦中にファウルボールが当たり、30代女性が右目を失明した。この事故を受け、主催の北海道日本ハムファイターズと球場を所有する札幌市などに対し4200万円の支払いを命じた裁判が、海外でも話題となっている。
判決では裁判長が「内野席の防球ネットなどの安全設備を設ける必要がある」と指摘しているが、この裁判と判決に海外の野球ファンは驚いたようで、SNSには「アメリカでは野球観戦で気をつけるのは本人の責任になる」「(失明した人にとって)悲しい出来事ではあるけど、これも野球の一部」といった意見が寄せられている。
ほかにも「場所とタイミングが悪かったとしか言いようがない」「どこにいても何かしらの危険があると思う」と、原告の不運を指摘する声、「日本人もアメリカのように訴訟好きになりつつあるとしたら残念」など、やや否定的な声も寄せられている。
日本と同じく野球人気の高いアメリカのネットユーザーは、「文化の違い」を感じたようだ。http://news.livedoor.com/article/detail/9949992/
この問題は 微妙な状況があるが、 裁判結果は 妥当なものと考えて 良いのでは?

古市憲寿氏が独自のカンニング肯定論を主張「『カンニング自由ですよ』という試験に全部しちゃえばいい」

古市憲寿氏が独自のカンニング肯定論を主張「『カンニング自由ですよ』という試験に全部しちゃえばいい」
2015年3月29日 15時39分 トピックニュース
古市憲寿氏が独自のカンニング肯定論を主張「『カンニング自由ですよ』という試験に全部しちゃえばいい」
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29日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)で、社会学者古市憲寿氏が独自のカンニング肯定論を主張する場面があった。
番組では、インド・ビハール州にある学校で起こった大規模なカンニング事件を解説した。生徒の親や親戚が学校の窓越しにカンニングペーパーを投げ入れていたというもので、約700人の生徒が退学処分になったほか、約300人に及ぶ保護者が逮捕されている。
インドでは貧困が激しく、試験の結果は子どもの将来に大きく影響するため、カンニングが横行してしまうのだ。警察が賄賂を受け取ってカンニングを黙認するケースもあるという。
VTR後、番組がスタジオトークに移ると、松本人志は「問題が出たことに関してですよ。外からアドバイスを送れるこのチームワーク!」「家族の円満さはいいと思うんですけどね」と感心したようにコメントした。
尾木ママこと尾木直樹氏も「家族みんなが団結してるし、紙(カンニングペーパー)もらったら、その子、自分だけじゃなくてみんなで(答えを)見せ合ってやってるでしょ。この連帯感!」と力説するなど、出演者は貧困の厳しさを認め、総じて称賛のコメントを寄せている。
そこで、古市氏は「始めからカンニングし放題にすればいいんじゃないですか」と提案したわけだ。古市氏は、カンニングできる時点でその試験は暗記で対応できてしまうと説明し、「そもそもそういう試験がどんだけ必要かっていうとほとんど必要性が薄れていると思うんですよね」と口にした。
古市氏が「日本なんか暗記とかじゃなくて『カンニング自由ですよ』『スマホ持ち込み自由ですよ』という試験に全部しちゃえばいいと思うんですよね」と主張すると、松本や尾木氏はうなづいている。
古市氏がカンニングについて見解を示すのはこれが初めてではない。番組に先立つ10日、精神科医香山リカ氏はTwitterで、アップルウォッチによるカンニングの可能性を危惧した。

香山氏のツイートを受け、古市氏は「カンニング前提の試験を増やしていくしかないよなあと思う」とコメントした。さらに「普通の仕事をする時なんてカンニングし放題なんだから、学校やテストもそれに合わせていけばいいじゃん」と持論を語っている。http://news.livedoor.com/article/detail/9945227/
社会の秩序を重んじるは 良い社会を気づく原理では?



再生核研究所声明90(2012.5.18): 日本の大学受験体制についての一考察
世の中は 慣性の法則で動いているものであり(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)、教育や教育の在りようなどは 国の文化や社会の影響で簡単には変えられない実情がある。しかしながら、それらは 国家の 真に重要な要点であり、絶えず検討、改善を志向すべきものである。
そもそも大学受験制度とは、自由競争の典型的な表現として、大学を自由に選択し、公正な評価で選別しようとの 普遍的な背景に基づいていると言える。 主にアジアにおける入試制度は 有名な科挙の制度など古代から存在する制度に その原型を見ることができる。
共通テスト以来の問題は、相当に客観的な数値によって、全国的な序列の鮮明化が進み、いわゆる受験戦争の言葉さえ世相になっている。価値の一元化、共通化、一様化は、重要な多様性の視点 から好ましくはないとして、入試の在りようについて検討を求めている:
上記 声明で、 受験勉強が過熱化すると、 本来の教育の理念から、大きく外れ、無駄で有害な特訓のために 有能な才能、感性、創造性、全人的な成長発展を阻害する状況が出て来ると考える(再生核研究所声明 76 教育における心得 ― 教育原理)。何でもほどほどが良いのに、行き過ぎ、過熱化している状況が既にあると考える。 また年齢によって、準備されなければならない大事なことが ないがしろにされている と考えられる。
再生核研究所声明 20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する
センター試験は1988年 共通テストの試行から始められ、いろいろな変遷を経て、現在は大学入試センター試験と改称されて、20年もの歳月を経ている。 発足時のときの議論では、数年で破綻し、結局は元の形に戻るという観測が多かったが、その後 何時も批判的な意見が多く出されているものの 組織が出来てしまったためにか 惰性的に続けられてきている。そこで、次のような状況を考えて、このような入試の在りようを検討し、大学入試センター試験の見直しを行うように提案いたします。
 
1) センター試験は 多額の経費と人件費をかけながら、悪い効果を生み、いわば大きなマイナスの仕事を 教育界に課していると考えられる。試験の影響としてはマイナス効果の方が大きいと考えられる。 その最大の理由は 共通テスト開始時にも 既に指摘されていたように そのような試験では パターン化して、知識の積み込み方式になり、考える力を落とす という危惧であった。 実際、このような弊害はいたるところに現れ、数学の教科でさえ、型を沢山覚え、時間内で解く方法の技術ばかりが、学校教育受験勉強においても重視されていて、本来の教育のあるべき姿からの大きな乖離が見られる。センター試験は 日本の教育を軽薄な教育にさせている元凶である と考えられる。そのような試験結果は 軽いデータぐらいの重さしか果すべきではない。しかるに教育界は そのような試験に対応すべく、多くの無駄、悪い教育をおこなっている。
2) 教育においては本来、多様性と個性を活かす事が大事であるはずなのに、型にはめ、一様な水準を作り、貧しい特色のない大学を一様に育てている弊害が顕わになって来ている。センター試験の目指す教育とは およそ人物たる人間教育や善良な市民を育てる重要な本来の教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの著しい低下の結果を生み出している。教育とは本来何であるかの議論さえ忘れて久しい状態で、魂の抜けた教育であると言える。感性豊かな人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠い教育と言える。
3) センター試験の影響は 世に数値化と標準化、規格化を進め、社会の多様な価値や個性を失なわしめ マイナス効果を世に氾濫させている。
4) 永い間 同じような入試制度が続いたため、入試が専門的な技術を要求するような弊害が現れ、不要な特殊な訓練を得た者が有利になるような弊害が現れてきている。
その結果、このようなことに柔軟に対応できる特定の学校に人気が集中して、公立高校の人気が落ちてきている。そのために 経済的な豊かさが もろに教育条件に反映するような状況を生み出している。このようなことが進めば、広範な生徒達から多様な才能を引き出せない状況を進めると危惧される。 また、そのような特殊な教育を受ける者が個性を伸ばし、幸せになるとは限らないと考えられる。
5) 2日間にわたって、多くの教職員をいわば ロボットのように 画一的に働かせて、また多額の国費と人件費を費やして、大きなマイナスの仕事を行うのは 好ましくないと考える。
6) センター試験は、世の生徒達にあまりにも細々とした過重な入試対策を要求して、生徒達のみずみずしい才能の開花を疎外し、生徒達の自由な成長を妨げている。 学校教育には、人生や世界や、自然の事をじっくりと想いをいたし、 友情が芽生え、育つような余裕が求められる。 大学入試にはより柔軟に、余裕をもって考えられるような社会へと変革が少しずつ進むことが期待される。 理想としては、個人の個性を活かせるような多様な可能性を広げるような変革である。もちろん、そのうちには、世の秀才達を集めるような所があっても良いが、そこに殺到するような事は望ましく無いと考える。
7) センター試験は、所謂 世の秀才や優秀な人達の才能もわざわざ鈍化させ、活かされていないと考えられる。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。
8) 共通テスト開始のとき、多くの危惧と問題点が指摘されたものの これで多くの人が 大変な入試業務から解放されると期待されたものであるが、それは空しく、逆に個別入試を行い、また第二次入試や、追試入試、さらに外国人入試や推薦入試、社会人入試、などと多くの入試が始められ、多くの教員は年中入試業務に振り回される状況になっている。大学の法人化の後には、社会貢献や教員評価、受験生確保のために多くの仕事に追われ 教育研究費の大幅減額とともに 悪い、教育、研究環境に陥っていると考えられる。
以上の理由などから、センター試験を見直しする方向での 真剣な検討と対応を求めます。現実的な対応としては、入試そのものが日本国の文化に根ざしている以上、そう簡単ではないと考えて、広範な検討や改革を考えていく事を求めたいと考えます。方向性としては
1) 大学入学資格試験と考える方向で、そのときには センター試験を簡素化し、センター試験に対する特別な対策はしないですむような状況になることが求められる。
2) 逆に個別入試を廃止して、センター試験の一部と他の要素、例えば高校の評価や、推薦状や面接で入試を行う。
3) センター試験を原則廃止して、時々高校生の学力のデータ、状況を得る為やその他いろいろな業務を行うことに センターの組織と機関を使う。
等が検討されるべきであると考えます。教育の在りようについては 絶えず検討を重ねていく事として、教育というと直ぐに学力と考える傾向が強いが、全人的な教育や人物たる人間教育等の面を考えていく必要があると考えます。
以上


特に次の観点を指摘して置きたい:
1) 教育本来の全人的な発達を、過熱な学習が 歪めている事情はないか。
2) あまりにも 競争をあおって、 友情や人間関係の基本が おかしくなっていないか(再生核研究所声明 4: 競争社会から個性を活かせる社会に) - 友情も育たないで、競争 競争で 美しい 瑞々しい社会を築けるだろうか. 結果として、 日本はあまりにも競争意識が強い、ぎすぎすした社会になっていないだろうか。:
3) 勉強だけが、人生でも 社会でもなく、多様な生き方、多様な価値観を持たせ、幅広い、生き方の視点を重視した教育をすべきではないだろうか。
4) 優秀な人材を早くから、永い間型にはめて束縛し、創造性や全人的な発展を阻害しているのではないだろうか。
5) ここで、アングロサクソン系の大学では、 自由、平等、博愛を掲げているものの 奇妙にも知的階層の固定化で、多難な入試の努力を必要とせずに 大学に進学でき、 余裕を持っている事情があるのではないだろうか。 その代り、優秀な人材を補給すべく広く世界から集めている事情がある。ここでも、日本には、ドイツ流の教育制度が 国情に合っていると考えられる。
6) 簡単に述べれば、理想と考えられるのは、教育本来の教育に専念し、特別な入試勉強をせず、多様な大学に人材が、富士山型ではなく 八ツガ岳方式に展開し、多様な在り様を展開することである。 その意味でも、共通テスト以前の方式の方が 多様性観点からも良いのではないだろうか。
7) 大きな社会に活力を与えるのには、多様な価値、多様性の重視が必要である。 創造性も、そのような多様性の中から、より生まれる基礎ができると考える。
8) 大学院を出るころには、既に疲れてしまっているような状況が有るように見える。 体力や、思想、情操教育、全人的な基礎をしっかりさせなければ、永い人生をうまく生きてはいけないのではないだろうか。
上記公正な受験といっても、現実には、特殊な高校や、学校で特殊な教育をうけた者だけが、良い大学に入れるような状況は、傾向は 一段と強まっていき、日本の教育界を 歪め、貧しい社会を 構成して行くのではないかと 危惧している。
学校も教師も、家族も できるだけ好きな 良い大学に 生徒や子弟を進学させたいとの思いは 当然であるから、 入学させる立場の大学や、文科省は 海外の状況なども参考にして、 大学受験制度が教育界に与える影響の大きさを自覚され、 絶えず、検討,改善を進めて頂きたいとの 希望を述べておきたい。
もちろん、社会も、いわばブランドで  画一的に 評価せず、 また多様な人材を採用、活用すべきではないだろうか。 社会でも組織でも 多様な人材がいた方が、 活力を有し、良いのではないだろうか。 公務員なども、 いろいろな評価によって、 いろいろな人材を積極的に採用するように 努力すべきではないだろうか。
以  上