2015年3月2日月曜日

邪馬台国論争に新材料 卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文

邪馬台国論争に新材料 卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文
塚本和人 編集委員・宮代栄一、編集委員・今井邦彦2015年3月2日07時37分

邪馬台国の女王・卑弥呼がもらったとも言われ、製作地を巡り論争が続く謎の鏡・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)。これと同じ型式の鏡が中国河南省の洛陽市で見つかったとする論文が、地元の研究誌に掲載された。
論文を書いたのは河南省在住のコレクターで研究者でもある王趁意さん。王さんは鏡について「2009年ごろ、当時、洛陽最大の骨董(こっとう)市で、市郊外の白馬寺付近の農民から譲り受けた」と説明する。正確な出土地点はわからないという。
鏡は直径18・3センチ。厚さ0・5センチ。三角縁神獣鏡としてはやや小ぶりで、内側に西王母(せいおうぼ)と東王父(とうおうふ)という神仙や霊獣、外側にノコギリの刃のような鋸歯文(きょしもん)と二重の波状の模様を巡らせる。
鏡が見つかった洛陽市は中国の三国時代に魏の都があった場所。歴史書「魏志倭人伝」は、239年に魏の皇帝が倭(日本)を治める邪馬台国の女王・卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたと記している。日本では、100枚の鏡は三角縁神獣鏡とみる意見が多かったが、肝心の中国から1枚も出土していないため、疑問が呈されてきた。今回の発見はこの論争だけでなく、邪馬台国の所在地論争にも影響を与える可能性が大きい。
明治大の大塚初重名誉教授は「写真を見ただけだが、三角縁神獣鏡に間違いない。まだ1面だけなので、同種の鏡がさらに見つかるかどうか注意深く見守っていく必要がある」と話している。(塚本和人)
■製作地巡り2説が対立
今回発見された「三角縁神獣鏡」の最大の特徴は、今まで中国の鏡では確認されていなかった、松の枝を重ねたような「笠松文様」がある点だ。三角縁神獣鏡独特のもので、王さんは「外側の鋸歯文も日本の三角縁神獣鏡の典型的な特徴の一つで、中国の鏡にはほとんど見られない文様」と主張する。実物を見た河南省博物院の張●(●は金へんに皆)生さんも「複数の研究者が実物を見たが、贋作(がんさく)などではない」と話す。http://www.asahi.com/articles/ASH313DF4H31UCLV002.html

再生核研究所声明42(2010/06/18):大失業時代
夜明け前 先史時代においては、人類の営みの基本として、食料を得ること、生活の基盤を整え生命活動を行うこと(人類の基礎事業と呼ぼう)を基礎に、意図的な大きな事業の要素として、戦争、軍事(万里の長城の建設や,軍備、軍隊など)、政治的な権力によるもの(ピラミッドや城、宮殿の建設など)、そして宗教的な営み(ボロブドゥール寺院など、神社、教会の建設および宗教に関する営み)(以下人類の4大事業と呼ぼう)を考えることが出来るだろう。 第2次世界大戦以後、世界の歴史を見れば、それらの要素の比重が 相対的に縮小して、大失業時代を迎えているとみられる。近年露わになってきたのは いわゆる働く職場の不足と そもそも生きることの意義に対する空白感である。
この大失業時代とは、働かずして、生活できる人の大量の出現であるから、これを逆に見れば 社会に余裕があることの証拠であるとも考えられる。これは、人類の上記 基礎事業と人類の4大事業の縮小によって生み出された果実とも言える。ここで、そもそも人類の営みの基本について 声明12の 人生における基本定理 (人生の意義は、感動することにある)と 声明36の結び(人類共通の希望 ノアの方舟 を想像して、 美しい地球の建設に取り掛かろうではありませんか。 そのような意味で 現在はいまだ、先史時代にあるとも言える。 世界の皆さん、武器などを捨てて 共生の世界を作ろうではありませんか。 お互いに短い、儚い生命を生きている 存在同士 ではありませんか。 お互いにお互いの世界で感動できるような世界を建設しようではありませんか。 ノアの方舟を 世界の歴史とともに地球外に送るのは 人間だけができる、 人類の最も神聖な義務 であると考える。 実際、あらゆる生物、人間にとって共通で確かなこととは、生きて存在しなければ 何も始まらない(生命の基本定理)ということである。)を想起しておきたい。
したがって、基礎事業と人類の4大事業の縮小によって生み出された果実は 高く評価されるべきであって、より人間的な美しい営み、例えば、良い大学の建設、芸術文化施設の拡充、スポーツの振興、いろいろな料理店の振興、医療設備の充実、文化的な町作り、自然環境の保護などに力を注ぐべきである。 もちろん、それらに関与する人を増やし、大事にするということである。 経済の専門家や政治家の皆さんには、上記の果実を如何にして、そのような美しい営みに力を注げるかを 検討して頂きたいと要望いたします。
現在、世界の各国は 財政難に陥っているが、素人的に考えると、
1)重要度によって重みをつけた 消費税の税率のアップ
2)政府紙幣などの発行による、緩やかなインフレ政策
などによる財政、経済の立て直しが考えられるのではないだろうか。 いずれにせよ、専門的な検討が 世界的な戦略として考えられるように要望したい。
良いことをしていれば、悪いことをする余裕が無くなるとは、トルストイの言葉であったと思うが、誰の言葉であったとしても 誠 至言ではないだろうか。
もちろん、世界の人口問題については 真剣な検討と具体的な対応が考えられなければならない。 声明 21人口問題についての考察 を参照。
以上
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん



再生核研究所声明 25 (2009/07/01): 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。
まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。
次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。
アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。
日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。
皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 
この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。

国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実
国の借金1人850万円…12年度末過去最大に
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

再生核研究所声明 138 (2013.10.18): 大中国、中国の印象 ― 母なる大国、中国に郷愁を感じた
(2013.10.10.16:20 纏めたいと思っていたが、全体の構想が休んでいるときに湧いた。)
9月、学習理論の国際会議に招待され、会議は Hangzhou 空港から、車で50分くらいのところにある 由緒ある街、Shaoxing市、Jishan Hotel で 開催された。観光は 由緒ある街ではなく、1000年を越える桂で有名な大公園で 桂林 お茶や散策で過ごした。それで、ホテルの極近くと、1回大きなホテルでの晩餐会に出かけた以外、多くの運河を持つ、面白そうな街を良くは見られなかった。中国は大国で、今までに、深圳、香港、上海、マカオしか訪れていなかったので、中国の印象と言っても、局所的な視点であることに留意して頂きたい。しかし、今回の訪問は 中国のいわば中枢、文化的に古い町のひとつであるから、大中国の理解を深められるのではと 大きな期待を持っていた。
まず、触れたいのは、何時でも感じて来たことであるが、民族、人種が 概ね半数位は 日本人と全く同様であると言うことである。親族や友人と全く同様、素敵な人たちが多くいて、外国の感じがしないと言うことである。奈良や京都に行くと 特別な郷愁を感じるもの であるが、より古い時代の同じような郷愁を深く感じた。漢字、いろいろな絵、風景に本当に懐かしさと共感、共鳴をし、人びととも情が通じるのが良く分る。― 日本では 中国人嫌いや、蔑視の風潮が少しあるが、とんでもない誤解であると言える。― これらの事実は、留学生の一部の人たちの悪い印象と、マスコミの偏見や、政治的な意図を持った報道の影響ではないだろうか ― 外国に おべっかをつかったような 心無い政治家の 暴言も印象深い。― 兄弟、姉妹、親戚、友人の 素敵な人たちと そっくりな人たちのいる中国と 仲違いするなど、同族争いと同じで、自分の故郷と喧嘩する ようなものである。日本が侵略したことを思い、心を痛めた。漢字の偉大なる文化と影響を深く感じた。中国は 本当に、日本の故郷である。民族的にも、文化的にも、先祖様の国であると言える。
次に触れたいのは、食の豊富さである。多様な食材が出て、びっくりさせられる。日本の食の原型を沢山見出すことも出来る。特に、お茶が 特別に効果が有って、頂くと気分が爽快になり、いろいろな考えが湧いたり、元気が出て来る、体が喜んで、生き生きしてくるのが良く分かる。中国の食の多様性、豊かさには 何時も驚かされる。広い中国から集められていることが良く分る。
中国は街づくりで、どんどん開発、発展していて、公害対策にも熱心に取り組んでいることが良く分かる。しかし、やはり残念なのは 大気汚染、排水など 社会基盤の整備の遅れである。大中国は 日本の10倍国であるから、 西欧並みに成ったら 地球が持たないなどの危惧さえ起きる訳で、短期的な判断は 禁物であり、大きな視野で 中国を捉える必要が有るのではないだろうか。 大混乱が起きて まだ1世代も経っていない現実を考慮する必要がある。
日本は、熱烈、日本の母なる 大国中国と友好関係を深めて、世界史の発展を志向したい。
もちろん、反米など論外であり、中国とも アメリカとも、仲良くである(再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。
まこと、人間は、神によって創造され、共通の基礎を持っているように感じられる。世界のどこに行っても、人間は同じように考えたり、悩んだり、気持ち が通じてしまう。 
和によって、世界史を進化、発展させたい。
(暖かく迎え、歓迎して頂いた方々に心から謝意を表したい、人々は親切で、人懐っこいと感じた。)
以 上

科学技術は日進月歩進化しているのに何故人の心はいつまで経っても 進歩しないのでしょうか?同じ過ちを繰り返すのでしょうか?

科学技術は日進月歩進化しているのに何故人の心はいつまで経っても
進歩しないのでしょうか?同じ過ちを繰り返すのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11142567126
それは自然な疑問ですが、心はそれなりに進化しているのは日記などの記録を見れば歴然ですね。
進化の過程が表しにくい、表現が難しいなどがあるのでは?

再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47:  肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上


再生核研究所声明 144 (2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ、 広い農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で他の農家がやって行けず、 農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつ に考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記の中で、閃めいた 原理は 端的に述べれば、 いわゆる進歩は 末期への進歩であって 原理的に終末に近づいている ということである。 そして 進歩には 必然的な、エントロピー増大の法則のように 必然性が有るのではないだろうか。 良く生きるということは 必然的に 終末を上手く受け入れるように 精神構造が 本能的に作られているのではないだろうか。
さらに、 人は 人間存在の原理で、いろいろ知りたい、 いろいろ原因を知りたいと 真理を追究するが、その先には、生命の空しさと 自分の無智を知らされ、結局 生命と人生の否定に繋がり、 安らかな悟りに至るという、人間観、人生観である。
人は 先に、先に進もうとしているが、それは、自滅への道であり、 夢中で生きているのが 生命の実相ではないだろうか。 ちょうど子供たちが、夢中で はしゃいでいるように。
知ることも、真理を追究するのも 危険である。 しかしながら、エントロピー増大の原理のように 追及しないではいられないのが人間で、 それは 人間の 定めであると考えられる。
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、あわてず、 自分の心の状態を尊重する ということである。
人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、 寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
以 上
追記 参考資料(ウィキペディア):
定義[編集]
進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である[2][1]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある[3][4]。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない[1][2]。
また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない[3]。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある[3]。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる[4]。
進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが[3]、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

お金の概念とこれからの時代について。

お金の概念とこれからの時代について。
最近聞くのが原点回帰。お金持ち=幸せの時代は終わり、これからは心の満足の時代になった。と言われています。
それが、3.11の大地震を期にこれを言われ出しました。
お金持ち=幸せの時代が終わったと言われる理由として、あらゆる情報・物が溢れ低価格化し。
少ないお金で生きていけるようになったからです。
インターネットで検索すればどのような情報もゼロ円で手に入りますし。
なんとなく共感できますが、お金はやっぱり欲しい。というか、多ければ多いほど良いと思えます。皆さんはどう思いますか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11142547901
それは甘いのでは? お金は大事ですね。  次を参考にしてください:
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう:
貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。
そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10):  政治・経済の在りようについて も参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上

再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について

(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏めたので、多くの人の関心を抱く、収入 のまえに 支出 について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に使うかである。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、使うは道理であり、お金を好きなように使うということがまず、第一の原則である。しかしながら、世には、お金が入って仕方がない、大金持ちになって惨めな人生を送った人は 実に多いことが直ぐに分るだろう。実際、好きなように生きるは、生きるということはどのようなことか と同じように、実はそう簡単でないとも言える。
純粋な数学の研究者たちは、若いころは お金に関心を持たず、自由な時間こそ、尊いと評価している人が多いのではないだろうか。家族をもって、家族のためや、子供の為にお金が必要だと気づくのが多いのではないだろうか。再生核研究所声明36を参照。
自分達の生活と将来の為に特にお金を大事にしたいは、まず、第1歩である。それは社会に迷惑をかけないで 自立して生きることであるから、尊いとも言える。後は、多様性の原理で余裕のあるお金を如何に使うかであるが、それは、個々の価値観に依るのは当然である。そこで、支出で 悩ましい事例を挙げて、世の問題として、提起して置きたい:
1)  多くの国に行くと、物乞いに会うが、どうしたら良いか - 困っている人は助けたい心情が湧くが、きりがない状況が起きる。また、そこで、与えれば、逆に頼り、何時まで経っても 物乞いを無くすることが、できないだろう。
2)  これは世に多く有る、募金や献金もそのような面を有して、場合、場合によって悩まされる。募金など、あちこちにあってきりがない状況であり、何時も割り切れない気持ちを残すだろう。
3)  政治献金などは より大きな世界であるが、自己の生活と効果を考えると同じような問題を感じるのでは。さらに特定組織の応援となると、どうしても不満を有して、全面的な支持は 殆どできないのではないだろうか。
4)  いわゆる援助では、多くの場合、その時、援助に成っても それが自立を妨げ、永く尾を引く問題を抱えているのではないだろうか。
5)  お坊さんの托鉢については、中々理解しにくいところがある。インドでは鐘を鳴らして、家々を回っている習慣が有るが、大抵何らの施しを与えているようである。イタリアでは若い女性が正座して、物乞いしていて、奇妙に見えた。パリでは読書しながら、他方で 献金を求めている様を見て、流石、文化都市のよう感じられた、修行僧への施しの1種と解釈すべきか? ところで、なぜ修行僧への施しをするのだろう。
6)  上記に対して、大道芸人、ライブ、演奏、教室などなど 一定のサービスを受けた場合には、そのような立場の人の生活を考えて、多めの献金が 良いのではないだろうか? もちろん、良い社会のための営みと判断される場合は 多めであるのは道理ではないだろうか。しかし、信号の合間を見て、窓ふきや芸当して物乞いをしているのは 有難迷惑に当たり、そのような押し付けは世に多い。
7)  いわゆるチップであるが 日本人にはなれない習慣で戸惑うが、土地の習慣が大事では。場違いに出すと嫌な気分を擁かれる場合もあるが 大抵は多めだと喜ばれるのは当然である。有難迷惑も多い。
言えることは、自我をしっかりさせて、再生核研究所声明1の公正の原則に即して、心が弾むように お金を楽しく 自由に使えば良いと言うことである。大金を得て、塔からばら撒いた人がいたが、それはこの声明1に背馳している反社会的な行為として批判されるのは当然である。一般には 余裕のある人は楽しく使って、社会に活かすように心すべきと考える。大事なもの 独り占めにしないで、分かち合い、共に楽しむような気持ちが大事と考える。金は天下の回り物 という諺は 良い心がけではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について

(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。
特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。
されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。
日本国憲法は
日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働かず、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。
しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。 
最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。
次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。
その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。
安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。
一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上

2015年3月1日日曜日

自分が好きだと宣言していた「母親」を徐々に嫌いになっていくプロセス、そして、そのプロセスの中に生まれた「感情」の固執とは何なのでしょうか?

自分が好きだと宣言していた「母親」を徐々に嫌いになっていくプロセス、そして、そのプロセスの中に生まれた「感情」の固執とは何なのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11142560486

エリちゃん とエマさんのように、自立への過程で 反抗期や対立、などが起きるのは自然では?


再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題

(PM 3時前、休憩時間に、ひとりでに考えが湧いたものである)

2月11日NHK朝ドラ、マッサンの展開における問題を述べて置きたい。― NHK大河ドラマと同様に楽しみにしている番組であり、NHKのドラマ制作能力の高さには 感銘を受けており、また、出演者たちの素晴らしさにも 驚嘆させられている。家族で楽しみにしている希な番組である。ドラマについて いろいろ意見が出るのは当然であるから、エリちゃんや檀ふみさん その他素敵な人たちのように 明るく 前向きに 考えて頂きたい。

今朝の問題点は、マッサンが 堂々と約束違反でワイン造りをしていた紛れもない事実、それを、熱意によって諒として、認め、ドラマがそれを是としているように とれることである。堂々たる約束違反は 反社会的であり、世の秩序の根幹をぐらつかせるものである。いわゆる予算の目的外使用は、予算の返還を求められ かねない 重罪と判断されるは 世に多い事実である。われわれは 世の秩序、有り様の原理として、公正の原則を 述べてきた:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.

2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.

3) それはみんなに受け入れられるか. 

4) それは安定的に実現可能か.

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.

(再生核研究所声明1)。

また、公共放送として、教育的な要素の配慮は大事であり、 約束違反でも結果が良ければ良いでは、本末転倒であり、結果が良くなくても、意図、過程が適切ならば、評価すべきであるというが基本的な原則であるべきではないだろうか。 結果が良ければ 良いでは 世の秩序は保てず、悪い教育を全国レベルで行い、悪い影響を世にもたらすと考える。

もし、これらが、このドラマの、元々の物語に、あるいは史実に従っているとするならば、その辺の扱いには、深い、広範な配慮が 必要であると考える。マスコミや公共放送には 良い社会を築くような方向での 配慮が求められていると考える。真実を伝えれば良いとはなっていないのは当然である。

ドラマ制作関係者の注意を促し、配慮をお願いしたい。

以 上

<マッサン> 連続テレビ小説 マッサン 第19週 第110話 15/02/10

https://www.youtube.com/watch?v=xaCpWgLuDmM



再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 

まずは 言葉を確認して置こう:

ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。日常会話で「ドラマ」といった場合、テレビドラマを指す場合が多い。

作品としてのドラマの特徴は、物語の一切が登場人物の行動によって描かれる点と、登場人物が何らかの目的を持っている点に特徴がある。その目的への障害に直面することで、登場人物は葛藤する。障害への直面は、往々にして、登場人物同士の精神的・物理的衝突の形で提示される。登場人物が行動を積み重ねていった末に、障害を最終的に乗り越えるか、乗り越えられないかが、物語の大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。

映画が生み出されて以降は、上記の定義のようなドラマを主に描く映像作品を、ドラマとジャンルづける場合もある。

かつてドラマは演劇や戯曲の代名詞でもあった。しかし近代以降、葛藤や、行動の因果関係のない非ドラマの演劇作品・戯曲も数多く生み出されており、演劇や戯曲をドラマと呼ぶのは現代においては不正確と言える。

現実世界においても、現実の人物が上記のような状況に陥っていること指して、ドラマ、もしくはドラマティックと呼ぶ場合もある。(ウィキペディア)

上記 説明で 芸術表現の一形態、演劇や戯曲の代名詞 という部分は 言語の確認として大いに参考になるのではないだろうか。 これらの言葉の背景には、創作者や演出家、関係者の多くの生命の表現としての要素が本質的に存在するということである。 絵画や作曲者が絵画を描き、曲を創作するように ドラマを制作するということである。 なるほどそうならば、今NHK大河ドラマや朝ドラなど みなそれぞれに素晴らしく輝いていて 実に素晴らしいと賞賛でき、感銘できる。 芸術作品となれば、それは本質的に自由であり、生命の活動として 生命の表現として みなされる。

テレビドラマを指す場合が多い には、美術館で美術を楽しむ、映画館で映画を楽しむ、会場で音楽を楽しむというような相当に自由な表現の芸術作品と少し違った要素を有するのではないだろうか。 具体的には、

1) 広範に公開される。

2) 多くの場合、何かの素材に基づいた場合が多い。

3) 繰り返し、日常 連続的、定期的に続けられる。

などである。 ドラマについて何か書きたいと考えた動機は、ドラマを見ることが、人生でどのような意味を持つか、また、そのような観点から、ドラマは どのようにあるべきか と 問うことであった。

我々はなぜ、ドラマを見るのだろうか。 楽しいから、面白いから、感銘するから、 展開が楽しみだから、新規な世界が、珍しい、世界が覗けるから、知識や新しい情報が入って有益だから、共感、共鳴するから、など、などであろうか。― ドラマを通して 人生、世界を考察して、哲学したいからなどの 高級な視点も大事ではないだろうか。連続ドラマなど楽しく、次の展開が楽しみで、生活の張りになっているは 世に多いのではないだろうか。次が楽しみで、生活の張りになっているは好ましく、 それはそれで良いと評価できるが、それが現代のように沢山のドラマが賑わっていると、生活が逆に乱され、楽しいドラマ見て暮らして、人生それで良いかという気持ちが湧いてくる時がある。 素晴らしい映画や、ドラマの後で、虚しさを覚えることもある。― それは何を意味するだろうか、それは現実の生活、社会から離れて、言わば作られた虚像の世界にいることの虚しさを表しているのではないだろうか。― それに対して、何か 為になったという印象の残るドラマ は良いと言えるのではないだろうか。

ドラマの製作者が 露骨に視聴者の関心、人気を集めようとして、意図的に場面を整えれば、我々の心を意図的に弄んでいると感じ、気づけば 空しい、トリックの世界で、心を意図的に弄ばれていると感じるであろう。

視聴者は人生の意味を、自分の世界、心をしっかり捉えて、ドラマに弄ばれないように、のまれないように心がける必要があるのではないだろうか。

また、テレビドラマ製作者には、上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。次も参照:

再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題。


以 上

「18歳少年が刺した」17歳少年が供述

「18歳少年が刺した」17歳少年が供述
2月28日 17時20分
「18歳少年が刺した」17歳少年が供述
川崎市の男子中学生が刃物で殺害された事件で、逮捕された3人のうち17歳の少年が調べに対し、「18歳の少年が刺した」と話していることが警察への取材で分かりました。
一方、18歳の少年は「今は話さない」と答えていて、警察は3人の供述を慎重に突き合わせるなどして、当時の現場での状況を詳しく調べています。
川崎市の中学1年生上村遼太さん(13)は今月20日、多摩川の河川敷で首を刃物で刺されて殺害され、警察は知り合いのグループの18歳と17歳の少年合わせて3人を殺人の疑いで逮捕し、28日身柄を検察庁に送りました。
このうち17歳の少年が、調べに対し、「18歳の少年が上村さんを刺した。自分は見ていただけ」と話していることが警察への取材で分かりました。
一方、18歳の少年は「当時のことは今は話さない」と答えているということです。
さらに17歳の2人は、「18歳の少年は酒を飲んで現場に行った」などと話しているということで、警察は3人の供述を慎重に突き合わせるなどして、上村さんが殺害された当時の現場での状況を詳しく調べています。
さらに、28日の自宅への捜索で、18歳の少年を含む2人の家からスマートフォンなどを押収したということで、警察は今後、「LINE」でのやり取りなどを詳しく分析することにしています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150228/k10015824541000.html
再生核研究所声明205(2015.2.11) 宿命論

人生、世界については 結構多くの見解を述べてきた。最近も
再生核研究所声明203(2015.2.4) 人間とは何か、人生とは何か
(ちょっと風邪気味の日が続いて回復したとき、ひとりでに閃いた,人間、人生についての断面である)
― 人生とは、始めも分らず、終末の先も分らない。周りの環境と分けの分らない感情、情念で、ふらふら生かされているようにみえる。背後には 本能である生命の活動があることが実感できる。―  
また、
今回,明確に実感したのは、我々が感じ、意欲が湧いたり、喜びを感じたりするのは、原理的に健康状態に左右されて、理屈や夢や思想や我々の理性的な面では無くて、生命力が大きいということである。多くの人間の悩みや、迷い,不安さえ、その元には健康問題があり、健康状態の問題が、人間の精神状態に大きな影響を与えているのではないかという、基本に対する省察を実感したということである。生命力が有り、健康ならば、ひとりでに人生に夢が湧き、喜びや、感動が 些細なことからも湧いてくるだろう。従って、絶えず健康状態に気遣うは、人間を考える場合ばかりではなく、人生における基本であると言える。汝自らを知れ、汝 足元を見よ。汝自らの生命を思え。―
さらに、
―人間とは何か、人生とは何か。 それらは、肉体と環境の中にふらふら浮かんでいる、雲のような存在であるが、人間を精神と捉えると結構安定している存在であると言える。実際、人は何十年と私は、私と思うだろう。我々が 広く環境と自己に 何時も留意するのは 大事な心得と言える。―
このように考えると、人間が積極的な存在ではなく、受動的で、何者かによって生かされている現実を深く受け止めることになる。私たちは 若い頃、寿命も、運命も定まっている、場合によっては、前世からの因縁で 定めだから仕方ないという発想を、老人たちから幾度となく聞かされてきて、相当な時代、そのような世界観を人々は 仏教の影響を除いても 本能的に感じてきたのではないだろうか。結構、悟ったように、それは定め、因縁だから仕方ない、― そのような人生観、世界観は世に多いのでは ないだろうか。いま、それらを諒として 自然に受け入れられる心を実感している。
しかしながら、積極的に人生を意志して行こうという精神からは そのような心情から新しい局面を観たい。
最近、心を痛めた、イスラム国による、人質事件と処刑、死刑囚の処刑、痛ましい痛切残念な事件、あるいは痛ましい殺人事件。宿命論とはこの場合、それぞれの立場では 仕方がなかったという視点である。日本人人質も、パイロットもそれぞれの義を通したものであり、死刑囚と言えども 兄弟など爆死させられて、絶望に追い込まれた、心情は痛いほど理解できる。パイロットなどは上官の命令で命をかけて、任務を遂行したものであり、何ら罪、責任が問われる立場ではない. 後藤健二氏などは 危険を顧みず友人の救命に向かい、イラクの人々のために尽くした行為は まさに聖人レベルではないだろうか。痛切残念である。ここで述べたい視点は、ある者や国を批判することではなく、それぞれの立場で、言わば義があり、仕方のない面があるという視点である。殺人事件が起こると、大騒ぎを起こして騒ぎ立てるが、相手の立場に立てば、それなりに追い詰められた苦しみや、状況があり、誰でもそのような立場になれば、同じような状況に追い込まれるものである という、人間の普遍性、人間は皆同じような存在であり、偶然、そのような環境や状況では、皆同じようではないだろうかと、観る視点に想いを致すことである。
たまたま、環境で、状況で そのような幸運や不運にあっているという、視点は 人間を優しくし、社会を明るくするのではないだろうか。生きるもの全ては、哀しい運命を共有する仲間たちではないか。切ない。マスコミは 弱いもの虐めのようなことは よして欲しい。 明るい世相を描いて欲しい。
以 上

再生核研究所声明 4 (2007/03/17):競争社会から個性を活かせる社会に:
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。 
その理由は:
1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで1元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。
2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。
3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。
4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような1元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。
5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、1元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。
6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。
7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。
8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 

高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

【仏国ブログ】日本のいじめ「単一民族社会が生み出した副産物か」
【台湾ブログ】素晴らしい日本、でもいじめなどの厳しい問題もあり
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金1024兆円=国民1人当たり802万円―11年度末見込み

日本の財政を考える  より

再生核研究所声明 3 (2007/2/27):最低生活の保障についての宣言を求める
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、政府、各公共団体の首長に、日本国に存在するすべての人に、無条件で一定水準の食、住、医療を保障する事を、宣言し、かつ確実に実行する手順を速やかに検証するように要請致します。その理由は:
1)まず、これを確実に実行する事によって、日本国に存在する人は自分と家族の生命と生活が保証されることによって、名誉ある国家に存在する自覚を持ち、連帯に基づく将来不安を取り除く事ができる。
2)これは、実際的にはほぼ実現できていることから、大きな財政負担をすることなく、実現できること。これは官民一体となって、たえず、確認する事に意義があると考える。
この事によって、日本国としての存在の意味を明らかにし、国旗と国歌を真に輝かせることができる。
3)これでは怠け者が国中に溢れると危惧することが考えられるが、人間は生まれながらにして向上心を有し、自立できない一定水準の生活に満足するはずはないから、現状を見ても危惧するには及ばないと考えられる。
4)世に犯罪や、いじめなどが多発し、失業者がいて、生活に困る状況を作っているのはそれらを生んだ社会に責任があると考え、偉大なる日本国においては 国家と地方公共団体が、まず第一に それらの責任を果たすべきと考え、この考えを日本国における常識となるようにする。
みなさん、上記のような 偉大なる日本国 を作ろうではありませんか。これは夢ではなく2500年も前に既に 古代中国で実現していた社会です。
(注意 日本国憲法:
第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。)                                      以 上

自治体消滅、77%が危機感 全国の首長アンケート

自治体消滅、77%が危機感 全国の首長アンケート
2015年度中の地方版総合戦略の策定について
人口減少を食い止めるための国の取り組みとして、自治体首長が地方財源の拡充を最も強く要望していることが、共同通信社が28日までに実施した全国アンケートで分かった。自治体が「消滅しかねない」との危機感は77%にも達し、地方創生を掲げる安倍政権に一段の対応を迫っている。地域の施策は雇用確保を最重視しており「地方版総合戦略」に反映される見通し。ただ政府が2015年度中の策定を要請していることには、人材不足を背景に戸惑いも広がっている。
アンケートは全国の知事、市区町村長計1788人を対象に1~2月に実施、99%に当たる1776の回答があった。http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015022801001802.html

再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会
バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャッター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

日本の財政を考える  より
日本の借金時計
財部 誠一  財部 誠一ジャーナルより
全国都道府県の借金時計 より
日本の借金時計   (数字はうそをつかない)より
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
リアルタイム財政赤字カウンターより
日本経済復活の会 http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/
社会保障給付、100兆円に迫る 09年度、失業手当急増http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102801000608.html
65歳以上、総人口の23.3%=過去最高を更新―高齢社会白書http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000026-jij-pol

国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 
I AM NOT MOVING - Short Film - Occupy Wall Street
次のような侮辱されたレポートに対して、石破氏はどの様にして、国の財政を建直すのかを国民に説明し、内部から崩壊しかねない日本国を建直す為、国家の安全の基本を説明していただきたいと思います。
国の財政が破綻すれば、援助や防衛、安全どころではありません。
これは2001年9月にIMF(国際通貨基金)に近い筋のアメリカの専門家により作成されたというレポートで、その内容は国家財政の破綻をきたした国(レポートでは特に特定はされていないが想定しているのは日本)を如何にIMFが管理するかを記したアクションプログラムです。仮に、日本の国家財政が破綻し、IMF管理国になり「ネバダレポート」が実施されるとどのようになるかと言えば、下記に記した要点の内容が実施されると書かれています。
(ネバダレポートの要旨)
1. 公務員の総数および給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
2. 公務員の退職金は100%カット。
3. 年金は一律30%カット。
4. 国債の利払いは5~10年間停止。
5. 消費税は15%引き上げて20%へ。
6. 課税最低額を年収100万円まで引き下げ。
7. 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券/社債につい
   ては、5~15%の課税。株式は取得金額の1%課税。
8. 預金は一律ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30~40%カットする。
まさかこんな事態は来ないと考えているのは日本の国民だけなのかもしれません。今や日本国債の価値はG7国の中で最低、さらに言えば人口170万人ながらも多くのダイヤモンド鉱脈を持つというアフリカのボツワナ共和国の国債よりも低い格付けになっています。そんな価値の日本国債を所有するのは、その40.3%を公的機関が所有し、33.7%を民間の金融機関が所有しています。つまり全体の74%が国民の個人資産を預けたお金で所有されていることになります。
更には、日本円の発券銀行である日本銀行が15%も所有している事をご存知でしょうか?
日銀は法律により国債を直接購入(政府=財務省よりの購入)する事は禁じられているので、市場で国債を購入しています。つまり、自分でお金を刷ってそのお金を基にせっせと国の借金の肩代わりをしている訳です。ここまでで、既に日本の国債発行残高の内89%は内国で消化されている事になります。
では、内国以外の外国人による所有の率はと見てみれば全体の3.3%しかない事が判ります。
つまり残り7.7%は、今度は個人向け国債と称される国民個人による国債購入によりカバーされている訳です。簡単に言ってしまえば、日本国の借金の内、約97%は国民が国にお金を貸している状態ということになります。ここで、この率を他の国と比較すると日本の特殊性が見えてきます。アメリカ国債は、その39.9%が海外所有者で、ドイツ国債は40.3%が海外所有です。
借金の殆どを国民からしているのだから、仮に国家が倒産したとしてもIMF管理国になる事はないであろうと思うのは早計です。日本の現在の状況を貸借対照表においてみれば、資産765.31兆円、負債992.71兆円、差引き227.4兆円の赤字となります。要は、日本株式会社は、その所有する国内の土地、有価証券、機械設備等を全て売却してもなお227.4兆円の借金が残る事になります。
一方、昨今の日本では景気上昇により明るい未来が来ているように思われていますが、景気が良くなれば当然税収増は期待できます。しかし一方で金利も上昇、金利が上がれば国債の利払いも増加します。更に、低金利で発行された国債の価値は下がり、これは国債の大量売りに繋がり国債価格の暴落という事態を引き起こします。このような状況の後にくるのは結果的に財政破綻です。仮に、政府が国民の個人資産を全て巻き上げて借金を棒引きにしたところで、先の貸借対照表で見るとおり明らかなように、それでも227.4兆円の赤字が残る訳です。この赤字を解消する為には外国(国際通貨基金=IMF=アメリカの管理下にある)からお金を借りざるを得ない訳です。そしてIMF管理下国になれば、前記したレポートが実施されるという筋書きになります。仮にこのレポートが実施されれば、経済的に日本はアメリカの植民地にならざるを得なくなります。以下略

ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - マザー・テレサ

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。



再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
(これは、最近、夢中になっているゼロ除算の発想から湧いた、逆思考である。要するに遠い将来から、人生や世界をみたら、考えたら、どのようになるかという視点である。)
主張が明確に湧いたので、結論、趣旨から述べたい。人は我々の目標や希望が未来にあり、そのためにその目標に向かって、努力、精進などと志向しているは 多いのではないだろうか。そのような意味で、我々の関心が、先に、先に有るように感じるのではないだろうか。これは自然な心情であろうが、別の視点も考えたい。成長や発展、変化には適切な有り様が有って、早ければ良い、急いで進めれば良いとはならないということである。現在は、未来のためにあるのではなく、現在、現状はそれ自体尊いという視点である。先、先ではなく、 いま、いまが大事であるという視点である。生物の成長には固有のリズム、
成長のペースがあるということである。我々は、生物としての枠、構成されている状況によって制限があり、適切な有り様が存在する:
再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること
理想的な有り様には 自然な終末もあり、大局的にみれば、大きな流れにおける調和こそ
大事ではないだろうか。次の声明
再生核研究所声明144(3013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
の題名も真実だろうが、そこで述べた、
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、慌てず、 自分の心の状態を尊重する ということである。人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
は真実としても、活動を進める情念も結局、自己のペースが大事であって、あまり外の影響を強く受けるべきではないと言う、視点が大事ではないだろうか。
言いたいことは、個人の心持ちもそうであるが、経済活動、社会活動、科学の進歩も、全体的な流れにおける調和が大事であるということである。例えば
磁気浮上式電車の開通の是非は 妥当であろうか。
原子力発電所の開発促進は適切であろうか。
グローバリゼーションは 急ぎ過ぎではないだろうか。
成果主義は行き過ぎではないだろうか。
経済の成長、発展 優先も大いに気になる。
などと難しい問題に対する広く、深い、総合的な評価の検討も要請したい。 次の声明も参照:
再生核研究所声明117(2013.5.10): 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題。
以 上


韓国人の対日好感度、過去最低17%=韓国ギャラップ

韓国人の対日好感度、過去最低17%=韓国ギャラップ
「日本に好感を持つ」韓国人は17%しかいないことがわかった。これは1991年に調査が始まって以来、最も低い数字だ。
韓国ギャラップが2月24日から26日までの3日間、全国の成人男女1005人を対象に日本の印象を調査したところ、「好感を持つ」は17%、「好感を持てない」は74%だった。残り9%は明確な回答をしなかった。韓国ギャラップは「『日本に好感を持つ』は17%という低い数値にとどまったが、これは25年にわたり調査を続けてきた中で最も低い。現在の韓日関係の悪化が大きく関係しているのではないか」との見方を示した。「日本に好感を持つ」という回答は、サッカー韓日ワールドカップが開催された翌年の2003年に30%を上回ったが、島根県が「竹島(独島)の日」を制定する条例を可決した05年には一時20%にまで低下し、その後、11年の東日本巨大地震直後に行われた調査では過去最高の41%にまで上昇した。韓国ギャラップは「韓国人が持つ日本への好感度が40%を上回ったのは11年が唯一だが、当時は厳しい自然災害に見舞われた時の日本人の成熟した態度が、日本という国のイメージアップに大きく作用したようだ」との見方を示した。
一方、韓日関係の悪化にも関わらず、首脳会談については「行うべき」とする回答は過半数を上回っていた。
「現在のような状況でも、韓日両国の懸案を解決するには首脳会談が必要か」という問いに対し、57%が「そう思う」と回答し、「そうは思わない」は34%にとどまった。残り9%は明確な回答をしなかった。 韓国ギャラップは「『首脳会談は必要』とする回答は、回答者の全ての年齢層で50%を上回っていた。昨年3月に行った同じ調査でも、首脳会談については52%が『必要』と回答し、『必要ない』と回答したのは40%で今年とほぼ同じだった。つまり首脳会談を推進する方向へと少しずつ世論が傾きつつあることがわかる」と分析した。http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/02/28/2015022800699.html

再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
公理系、公準とは数学の述語で 数学を展開する最も基礎をなす、仮定系のことである。
数学ではそれらを基礎に論理的に、厳格に数学が展開されると考えられている。すなわち、数学の基礎である。 2千年以前に考えられた、ユークリッドの平行線の公理、すなわち、 任意の直線に対して、直線外の一点を通ってその直線と交わらない直線がただ一つ(平行線)存在する が有名である。約2千年経って、そうではない幾何学(非ユークリッド幾何学)が現れて、平行線が存在しない幾何学と、無数の平行線が存在する2つの型の幾何学が現れて、現在それらの幾何学も日常の研究で どんどん使われている。
公理系が異なる数学では、世界が違っているので、一応は別数学、別世界と考えられる。そこで、違いは論じられても、相互の直接的な関係は、ほとんど考えられていないと言える。別公理系では、議論できない。
人間が交流できたり、議論できるのは共通の前提、基礎が存在するから、それらの基礎の上にできるということである。 確かに人間は 動物として存在する基礎として、動物の本能や、基本的な基礎が広範に共通するものとして存在している。 これらは、確認するまでもない。 それらは もちろん、本能に基づく面は 共通の基礎として、人間社会の公理系のように基礎になるだろう。衣、食、住を整え、良い市民社会に住みたい、まともな生活を送りたいなどは 誰でも願う共通の基礎と言えるだろう。
本声明の意図は、より上位の、いろいろな判断の基礎をなす、前提となる基礎について言及することである。我々は、何を基礎に物事の判断を行うであろうか?
我々は、その様な基礎を、生い立ちにおける教育、文化、習慣、伝統、あるいは影響を受けた、共感、共鳴する思想、などに見出すことができるだろう。 それは、テレビや新聞、環境の影響を強く受けていると考えられる。すなわち、環境の影響である。
我々が交流をどんどん深めていくと、結局、人生観、世界観、宗教観まで行き着き、最後には、それらの点における相違を認める場面に至るは多い。 そこで、相違をしっかりと認識することになる。時として、見解の相違であるとして、議論や討論、交流を打ち切る場合は 世に多い。議論や討論はそのような形相を帯びる事が多い。
ところが、他方、人間界には 好みや感情がもろに出てくる場合も世に多い。8歳で巨大素数の構造が好きだとか、6歳で、無限に興味がある。 冬山が好きで、危険を顧みず、雪の中でテントを張って過ごしてくる。サーフィン、岩登り、冒険など、世にはいろいろな興味に、関心に強い情念を抱くは多い。これらの個性と多様性には議論の余地が無くて、好きだから仕方がないと表現できるかも知れない。
上記で、人間の基礎をなす 知と情の背景を考察した。 いずれも基礎が異なれば、理解や共感、共鳴は 難しいということを述べている。
そこで、本声明の要点は、人間関係でお互いの基礎、数学で言う公理系に当たる部分について 相手と自分の基礎を確認して、さらにそれらの公理系のようなものまでも その是非を慎重に検討して行く必要性に思いを至らしめることである。
我々の前提は、大丈夫だろうか。適切であろうか。我々の基礎は適切であろうか。疑い、他の立場は有り得ないであろうか? 基礎の基礎を省察していきたい。それこそが, 真智への愛と言える。
公理系は、変わる可能性があり、いろいろな世界が有り得る。いろいろな公理系を超えて、我々はより自由になり、広い大きな世界を観ることができる。
これは、民族や国家には固有の基礎があり、違えば、違う基礎が有る。人種、性別でも基礎が相当に違い、宗教によっても、学歴や能力、貧富の差や、地域でも基礎について相当な違いが有る。 それらの違い超えて、しっかり背景を捉えて、行こうということを述べている。
さらに言えば、予断、独断、偏見、思い込み、決めつけ、習慣、慣習、それらも時として、省察が必要である。
この声明の背景には 最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の発見がある。 長い間確立されていた定説の変更、新発見である。
以 上

再生核研究所声明 49(2011.2.16):  アジアの愚か者、アジアの野蛮性
ヨーロッパから、アジアをみると、アジアは愚かで、野蛮地域にみえてくるので、それらの実相について考察し、アジアの民の自覚と進化を期待したい。背景には、EUでは 通貨を統一して、往来を自由にし、ドイツを統一、ヨーロッパ全体が一つの国のようになる方向で進んでいるのに対して、アジアでは未だに朝鮮の統一もできず、同じ民族が対立する愚かさである。 日本国は アジアの大国、中国に対峙させられ、外国軍の基地さえ用意して、小さな国で 世界第二、第三位の軍事費をかけて、平和憲法を有しているなどと勝手に名のっている。 美しい文化を有する日本は、政治においては、EUから見れば、アメリカの属国のようで、自主性も、自立性もなく、やっと政権交代して まともな国を目指すかと期待されたら、逆に、検察、マスコミの大騒ぎで、政権交代の大義がぼけて、政局の混乱を招く有り様である。 財政、経済厳しい折りにも拘らず、国会は党派争い、法も道理も大義も社会正義すら主張できる政治家も少ない。 日本国は アジアではまともな国と評価されるが、それでも マスコミ、検察の 本分を弁えない低落は、アジアの後進性の象徴とも言える。EUでは考えられない後進性、野蛮性である。多くの国民は政治に不満や不信を感じているが、有効な手段が分からず、日常生活に埋没している。 日本国は全体として政治的には衆愚の状態にあると言える。
大局からアジアを見てみよう。 まず、なぜ、同じ民族、かつては同じ国家だった朝鮮が 統一できないのであろうか。アジアの民の愚かさの典型的な特徴は、過去のことばかり問題にして、絶えず、過去の事件にかえり、 未来志向ができないという点にあるのではないであろうか。繰り返し過去の問題を掘り起こしては、お互いに行き詰っている。大局的に歴史を見ることができず、視野が狭いのも特徴である。アジア全域がほぼ植民地支配を受けていた、自分たちの反省すらできない有り様である。 植民地支配を受けていた歴史的な事実は、自分たちの国を守れなかったという観点で、大いに反省すべきである。侵略されたのは恥ずべきことである。 敗戦は さらに恥ずべきことで、愚かさゆえに戦争に突入させられ、敗戦しているのである。 日本などは政治的には、いわば今なお敗戦を続けているようであり、戦前以下の見識しかない。 同じ民族が争う愚かさに目覚め、朝鮮の統一を進めるべきである。 再生核研究所はその統一の進め方について、声明37で具体的に提案している。 アジアは一致して、朝鮮の統一を支持して、働きかけるべきである。 賢明なドイツの統一のように。
アジアには 領土問題、島の問題があるが、これもアジアの愚か者、アジアの野蛮性の特徴である。 中国の偉大な指導者 鄧小平氏は、領土問題は未解決の問題として棚上げして友好関係を進めよう と述べていた。 強欲な人間たちが島に立ち入らなければ、豊かな自然が より豊かな幸を周辺国にもたらすのが理解できないように見える。 いや、領土問題で緊張させたり、 紛争する愚かさに気付かない人はいないはずだから、 結局は アジアに紛争を起こして 漁夫の利を得ようとする人たちの 意図に そそのかされている、それこそ アジア植民地時代のように アジアの愚か者 の特徴ではないだろうか。EUやアメリカから見れば、アジアに紛争が起きて、自滅すればよい、かえって都合がよいと考えられる観点に気付くべきである。
アジアには、族意識、村意識、国意識、民族意識の野蛮性が強く残っていて、ことあるごとに噴出している。 さらに、アジアでは 個が 確立しておらず、個人の尊厳と生命さえも おろそかにしている。 これは民族、国家が入り混じり、深い交流のあるヨーロッパでは 理解できない、野蛮な感覚ということになるのではないだろうか。人種が違う、国籍が違う、そのような感覚が EUには存在しないように見える。 内面的には分からないが、アジアとは違って、表面に出すことは 恥ずべきことで できないような状況を 文化が支えているように見える。自由、平等、博愛の精神、そして、キリスト教の文化的な伝統が背後にあるのではないかと感じられる。 人種問題、国籍問題、個人の尊厳などは ヨーロッパから見ると偏狭な、変な見方、アジアの野蛮性とみえるであろう。
EUが 一つの国の方向に着実に進んでいるのに、どうして、アジアでは内紛と抗争が続いているのだろうか。 アジアの相当な領域に 仏教と儒教の文化と伝統があり、漢字圏としても共通の文化基盤がある訳であるから、より統一的な友好圏を作るのは 極めて自然であり、歴史をそのような方向で 進めるべきである。 紛争と対立からは何も得ることはなく、逆に友好関係が相互に大きな利益をアジアにもたらすであろう。その骨格の方向を次のように志向したい:
1) 朝鮮の統一に協力、配慮する。 当面、南北朝鮮の友好関係に配慮する。(再生核研究所声明 37 : 金正日氏を世界史の英雄に ― 朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に を参照)
2) 日本は、アメリカに対して徐々に より自立する姿勢を確立して、日中友好関係に格別の配慮をする。(再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて、再生核研究所声明 46:日本国の1つの国家像、あるべき姿について 参照)
3) 偉大な中国は アジアの指導国として、伝統ある儒教の精神で 友好関係のうちにアジア全域の繁栄のために努力すること。アジアに脅威を与えないように 大人の外交を行うこと。
反対側に存在する 超大国アメリカについて 簡単に 上記文脈で触れておきたい。
アメリカは 第二次世界大戦後の世界を指導してきた偉大なる超大国であるが、軍事大国の色彩を強くして、軍事でなければやっていけないような国家の佇まいを 今やなしている。 誠に残念である。 あたかも紛争を 世界に輸出していかなければ やっていけないような状況に見える。 自由と民主主義の大国として、軍事を抑え、民生を豊かにする方向で、世界を指導して頂きたい。アメリカは世界史を直接進化させる能力が有るのだから、世界史の進化のために努力して頂きたいと 強い期待を表明しておきたい。(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判 参照)
世界の財政、経済が厳しくなる折り、外国のアジア介入を阻止して、耐えながら、苦しい世界状況に耐えていく必要があると考える。アジアは 共生の精神で絶えず、世界とともに友好関係に配慮していくべきである。
以 上

 
どこかに愚かな地域はないか。
過去に拘る国や領土問題など利用できる。

アジアの愚か者
逆問題:逆に考えてみよう。 アジアに内紛を起こさせて、アジアをアジア植民地時代に戻したい。 沢山兵器を輸出して、アジア人同士が血を流し、アジアの人口を減少させたい。 
さらに検察庁とマスコミを弱体化させて、衆愚政治に導き、国家意思が働かないようにしたい。
アジアを内紛で衰退させる、アジアの愚か者を沢山養成したい。
それには、教育を画一型にして、考えない人間・考えられない人間を養成する必要がある。 
考える余裕がないようにするには、雑知識やゲームのような学力に熱中させれば良いのでは???
全てアメリカの思惑通り
慰安婦問題でまず韓国寄りで日韓の対立を煽り
韓国を中国と近づけ日本が狙ってた米中の間でパイプ役として
上手い事やろうとしてたのを拒み米中韓の距離感を演出し
日本の孤立感と危機感を煽った
結果何が起きたかと言うとTPPでも軍事面でも日本はアメリカに更に近づくしか なくなった
軍事面でここまでアメリカの為に動かざるおえない状況を作ったのも
お見事だよ
やはりアメリカは1枚も2枚も日本の上を行ってる
対北では韓国軍で十分だが対中国では日本にその役割を押し付けたいからね
ここまでアメリカの思惑通りでお見事としか言いようがない

アメリカは、シリアがダメならイラン攻撃ですか?
イランもダメなら何処?
SNSでキューバ政府の転覆狙った? 米政府は否定
アメリカ自身は、中国と正面きって戦争をしたくないので、属国である日本を使って日中戦争を起こさせ、双方共倒れさせる事を企んでいるんじゃないんですか。
米海軍、新兵器の開発続々 ペルシャ湾でレーザー砲実験も
ttp://www.cnn.co.jp/usa/35046496.html?tag=top;subStory
イラク空爆も選択肢=地上軍の派遣なし-米
米陸軍を大幅削減、1940年以来の水準に 国防長官が方針
一国を支配したい、 先ず、マスコミ、 政治家、 高官を 手なずけなくては。 
できれば 検察を支配して、 不都合な者を逮捕などしたい 
これ、常識では。 逆に考えて、 賢くならなければ。
奴隷・下層民同士を争わせ憎しみ合わせ支配層に憎しみが行かないようにすることは支配の基本といえる?
「中国軍侵入」国境地帯、インドが空軍基地計画
その時は日本の古来の美しい文化に反して、醜いアジアの狐の役割を演じさせられるだろう。
安倍首相や櫻井よしこ さんが、何故欧米で歓迎されないのかと質問されました。― 欧米の進んだ世界観からすると、偏狭な愛国者は野蛮な嫌な人たちと見えて、幾ら近づきたいと思っても、嫌らしい感じを持つのでは。石原氏などもそうですね。
どこかに、愚かな地域はないか。危機を煽って、兵器を売りたい、軍事費を増やしたい。島問題で、騒いでいるような地域は 都合が良い。できれば、マスコミに圧力を掛けて、煽りたい。
「新聞を信頼」86% 読売新聞調査
無人偵察機検討、サイバー対応強化…防衛大綱
防衛省 自衛隊に水陸両用部隊の機能http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130708/k10015876181000.html
日本と中国、韓国が敵対して得するのは誰ですか?
結局日本と中国、韓国が敵対して得するのは国民では無い気がするのですが。
アメリカは日中に戦争して欲しいと思っていますか?
アメリカと中国は 裏で 手を握っていると 思われる。
韓国は 昔から 属国の国 つまり 飼い犬
いまは アメリカと 中国の 飼い犬
アメリカと中国は 裏で 手を握っていると 思われる。
それを 嗅ぎ取った 韓国は 日本相手に
わめき散らしている という構図ですわ


ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。

3.30 美しい国、日本(2008/2/11):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。

国の借金、943兆円=最高額を更新-6月末
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)
日本の財政を考える  より


再生核研究所声明37(2010/05/20):
金正日を世界史の英雄に 朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に
世界の歴史を進化させ、平和な世界を築き、かけがいのない地球を大事にしていこうではありませんか。世界の懸案の問題の一つとして、南北に分かれた朝鮮問題が有りますが、素人的に考えれば、それらの解決は簡単ではないでしょうか。 そこで、解決法を提案しますので、世界の関係者に検討して頂きたいと要望します。
まず、両国の状況であるが、韓国は進んだ民主主義の国家であり、経済、文化、社会の状況においても高く評価できます。 他方、北朝鮮は偉大な指導者の下で、きちんと纏まっている独立国(日本国より独立国であると言える)であるが、民衆の生活水準は高いとは言えず、また、人間存在の重要な要素である自由が保障されているとは言えず、偉大なる指導者の下に在るとはいえ、経済、文化、社会的の状況はいずれも良いとは言えないと判断せざるを得ない。もともと1つの国家が分裂したものであるから、ドイツのように再び国家が統一され、良い国づくりができれば、全ての朝鮮の人たちはおろか、世界の人々によっても良いのではないかと考える。分裂国家の悲惨さは経験のない者にも容易に理解できるものである。 実際、家族や親族でも、別れ離れになっている悲惨な状況である。そこで、ドイツの統一や江戸城の無血開城のような教訓を活かして、全ての関係者が受け入れられ、幸せになる道を検討すべきではないでしょうか。 それは、次のような原則で、可能ではないでしょうか。
1) 北朝鮮は国境を開き、韓国軍を無条件に受け入れ、韓国政府の指示に従うこと。それによって、北朝鮮の治安と秩序を保つ。統一朝鮮の在り様については、民主主義が確立している韓国政府が当面進めるものとする。
2) 北朝鮮の指導者は 上記の件を徹底させて、全力を挙げて、韓国政府の指示を執行する(無血開城を想定)。
3) 上記において、北朝鮮の指導者、軍、政府関係者の身分を保証し、過去の如何なる罪も問わず、韓国政府はできるだけ、現状以上の処遇ができるように努力すること。
4) 特にこのような計画を進めるためには、北朝鮮の指導者の全面的な協力が絶対に必要である現実を重く評価して、指導者たちの身分の保障、その後の処遇について格別の配慮を行うこと。
5) 世界は韓国政府の要請を受けて、応分の援助を行い、上記構想の実現に協力する。
もし、このような方向で、朝鮮の統一ができれば、金正日氏は、北朝鮮の英雄から、朝鮮全体の英雄となるばかりではなく、世界史における英雄として称賛され、世界各国で、熱烈に歓迎される人物になれるであろう。さらに、重い、指導者としての重責、将来不安からも逃れることができる。このような偉大なることは、真に偉大な指導者でなければ、絶対に実現できないことである。 実際、そのような計画には、反乱が起き易いものであるからである。
 世界の関係者は、このような考え方を、世界の関係者たちに広め、朝鮮問題を根本的に解決するように、協力、努力しようではありませんか。上記のように朝鮮問題が進展すれば、アジアの平和の問題は各段に改善されると考えられる。愚かな対立を無くして、より良い地球にしようではありませんか。未来の人たちは 現状をどのように見るでしょうか。
以 上