再生核研究所声明329(2016.10.31) 大学入試の在り様について ― 現実と負担の視点から
近年、センター試験、大学受験制度のいろいろ改革が考えられていることは、大学入試が教育界に大きな影響を与え、さらに、児童、生徒の人間形成上でも大きな影響を与える事実から、絶えざる改革は歓迎されるべきことである。これらの課題には永遠の問題を内在させているという意味で、より良い方法を模索して行くべきである。特に在り様を固定化すれば、必ず弊害が出てくる観点にも気を付けたい。入試の在り様はそのように大きな問題であるから、ここでは、主に、大学側、中規模の大学の試験業務を行う立場から、試験関係の業務軽減の立場の視点から、入試の在り様の議論の際に 気を付けて欲しい観点として 意見表明しておきたい。
共通試験やセンター試験後の特徴は 入試を2回行うことで、入試業務が増大し、他の様々な入試と法人化後はさらに、研究・教育業務以外の業務が極端に増大して、年中振り回されるような雰囲気に大学がなってしまったことである。近年、ノーベル賞受賞者が増大している状況からも分かるように日本の学術レベルの高度化は高く評価されるが、それは、20年、30年前の体制の成果である点を忘れるべきではないのではないだろうか。近年大学の環境の悪化はひどいもの、惨憺たるもので、憂慮している。時間的、資金的余裕を取り戻し、教育・研究に楽しみながら、当たれるような大学の在り様を志向したい。
入試は一身上の大事であり、その判定に携わる者の心理的な圧迫は大きく、大学教員の最も嫌な仕事に当たるのではないだろうか。 そのような業務を繰り返されては、教育・研究どころではない心理状態になってしまう。
入試の原理は、人間の能力は簡単に評価できるものではないと考え、入試は便法として簡素化すべきである。ある種の基準で輪切りにするような在り様も良くなく、ある程度のばらまきも人材の配置、多様化の精神で大事ではないだろうか。― 同じような人を過剰に集めれば、そのような組織は変な組織になるのではないだろうか。― この精神は尊敬する人物の言葉として印象深いが、富士山型より峯が乱立する八ヶ岳のような在りよう が良いと表現される。
他方、児童・生徒の立場に立てば、永い、過剰な受験勉強は修行の面があっても、やり過ぎ、不適当な学習の集中しすぎで、教育本来の理念からの乖離は、相当に広く認識されている状況ではないだろうか。
例えばポルトガルでは、大学入試業務は、高校で全国レベルの試験を行い、大学は提出された書類で選考するだけであるから、入試業務が殆どなく、大学は入試業務から解放されていると言える。― さらに、例を挙げると8月1ヶ月間は大学閉鎖、8月は大学の暦に無く、7年目毎、1年間のサバーティカルライトで一切業務無しであるから、凄い。
そのような観点からすると、日本でも主な入試は各大学ではせいぜい年1回くらいに限るべきではないだろうか。入試業務の軽減化、縮小化を強く求めたい。
具体的には、センター試験作成機関を活かして、各大学で行う2次試験の在り様を検討すべきではないだろうか。論説・記述方式・面接など問題とされているが、採点する立場からすれば、評価は難しく、荷重な業務であるから、センター試験問題の作成において、大いに工夫を考えての対応が良いのではないだろうか。 センター試験が細々とした知識の寄せ集めや、パターン化した問題解きの問題にならないような注意が大事ではないだろうか。時間に追われるような在り様も問題ではないだろうか。これらに関しては、問題を精選したり、試験時間を十分伸ばすことも考えられる。知識より考える力、創造性などをみる試験の在り様を考えて行きたい。当然、入試とは何かと関係者は、絶えず問うべきである。
論説・記述方式の客観的な評価は難しく、本質的な問題を抱えていると考えられる。そのような観点から面接で差を付けるようなことは 実際にはできず、機能しないのではないだろうか。― 他方、人事採用などでは、面接は大きな影響を与えていると考えられる。これらの差は、評価を受けるものの数、人数が影響しているのではないだろうか。― この節の問題は、言わば感覚的な評価を取り入れるべきか否かという問題であるが、画一的に数字で評価が出る方式に対して、入試に柔軟性とある種のランダム性、多様性を取り入れる観点から、検討するに値する考えとも思われるが、評価は極端に荷重になる。
ここで述べようとしたことは、入試業務の軽減化、入試の簡素化、入試があまりにも細かい評価をしないような多様な視点を持ちたいということである。教育は大事であるから、再生核研究所では、次のようにいろいろ意見を表明してきた。ここで述べられたことの逆のような見解もあるが、 それは、入試の在り様の問題には、いろいろな視点、在りようがあり、全体的で総合的なバランスが 大事であるということである。
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再生核研究所声明147(2013.12.27) 創造性についての 第二考察
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再生核研究所声明327(2016.10.) 数学教育についての提案
以 上
2016.10.27.16:00
2016.10.28.06:26
2016.10.28.09:57 曇り。
2016.10.28.19:30 小雨。
2016.10.29.05:54 雨上がり、美しい朝
2016.10.29:13:47 晴天、散歩の後。
2016.10.30.06:14 晴れ。 追加。
2016.10.30.14:20
2016.10.30.16:10 良い。
2016.10.30.19:00 良い。
2016.10.30.20:55 良い。
2016.10.31.06:20 平凡か。それでも良い。
2016.10.31.06:40 完成、公表。
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