2016年10月20日木曜日

自然の気難しさをめぐる美しい物語:非線形科学の第一人者・蔵本由紀が語った「自然・人・未来の科学」

自然の気難しさをめぐる美しい物語:非線形科学の第一人者・蔵本由紀が語った「自然・人・未来の科学」

特別講師に非線形科学の第一人者・蔵本由紀を招き、エルメスの2016年秋冬シーズンのテーマ、「ネイチャー・オブ・メン」に寄せて、人と自然をテーマにした『WIRED』日本版とエルメスのコラボイヴェントが銀座メゾンエルメスのル・ストゥディオで開催された。終始なごやかで親密な雰囲気のなか、この日集まった約40人のオーディエンスたちは、「新しい自然:みずみずしく美しい科学」と題された蔵本のレクチャーに魅了された。

複雑で気難しい自然

「17世紀の近代科学革命以降、科学はたった300年余りのあいだに飛躍的に進歩してきました。それによって、たとえば原子核や素粒子などミクロな世界や、宇宙のはるか彼方のことはわかったのに、1週間後の天気については、いまだにまともに予想もできない。近代科学は、その意味で大きくバランスを欠いています。わたしたちに身近な自然には、決定論的な法則にしたがいながらも本質的に予測不可能な現象が、まだたくさん眠っているのです」
フランスの名門メゾン「エルメス」のメンズの今年のテーマである「The Nature of Men」に寄せて、9月29日に開催された、エルメスと『WIRED』日本版によるコラボレーションイヴェント「ネイチャー・オブ・メン プレミアムレクチャー」。そのゲスト講師として迎えられた蔵本由紀・京都大学名誉教授は、「自然」と、それを理解するための方法としての「科学」というものについて、そう語り始めた。
「現代科学にできないことはないのではないかと錯覚させるほどに、新たな発見を讃えるニュースはたくさん流れてくるけれど、わたしたちが科学を通じて理解しているのは、人間に対して従順な自然の一面だけで、そうではない複雑で気難しい、しかし生きた自然の半面については、目を向けずにきたのです。非線形科学とは、こうした人間にもっと身近な自然に対する素朴な不思議に光を当てる科学なのです」
非線形科学という、従来の「科学」のアプローチとは異なる最先端の分野を、果敢に切り拓いてきた蔵本は、本来は自然に対する理解を深めることで、人と自然との関係を深くとり持つものとしてあったはずの「科学」が、いつの間にか、その関係をどんどん遠ざけ「人と自然」のあいだにさらに大きな溝をつくり出してしまってきたのではないかという問題意識から、この「非線形」という分野へと分け入っていくことになった。
そこで扱われるのは、何億光年も離れた宇宙でもなければ、ミクロ、ナノレベルにおいて展開される世界でもなく、われわれの五感で認知可能な、それでいて科学的な解明がなされていない、身近な「神秘」だ。たとえば、自然界によく見られる「シンクロ(同期)現象」。蔵本は自身の専門分野でもあるこの不可思議な現象から、いくつかの事例を紹介してくれた。
マングローヴに群がるアジアホタルの大群が、次第に明滅のリズムを揃えていく姿、あるいは、2本のロウソクを近づけると、それまで不規則にゆれていた2つの炎がシンクロするさま。複数台のメトロノームのペースが同調していったり、ロンドンのミレニアルブリッジを歩く大勢の人々の足並みが、いつしか行進のようにピタリとまとまったり…。

「述語」から見る世界

「こうした同期現象は科学の表舞台で華々しく扱われることがなかったものですが、その理由の第一は、こうした現象が理論家にとって大変手ごわい対象で、数学的に記述することが難しかったからです。物理学をその頂点として仰いできたいわゆる近代科学は、これまで『全体が部分の総和として理解できる現象』を扱うのを得意とし、そのための方法や概念を高度に発展させてきました。けれども、そうした接近法が適用しにくい現象が世の中には、たくさんあるんです。それが、非線形現象とよばれるもので、それは、つまり『全体が部分の総和として理解できない現象』なのです」
そして、さらに「これまでの科学」と非線形科学の違いをこんな風に語る。
「近代科学は、いうなれば『モノ的』な普遍に強調が置かれてきました。樹木で例えるならば、幹の根元に近いほど科学としては高尚で、枝葉ひとつひとつを解き明かすことは単なる応用に過ぎないという考えでした。日常言語にたとえればそこでは『主語』ばかりが大事にされてきたのです。その一方で、こうした枝葉間を橋渡しをするような『コト的』な普遍、すなわち『述語』は軽んじられてきました。つまり、葉と葉をつなげるような横断的なコネクションは、近代科学では見て見ぬ振りをされてきたのです。そこに、わたしは近代科学のいびつな不均衡を感じざるをえません。『主語的統一』ばかりに気をとられて『述語的統一』をおろそかにしてきたように思えてならないんです。世界を分節化する2つの基軸、つまり主語と述語のどちらをも欠くべきではなく、その2つの基軸を持つことではじめて、科学の健全な姿を取り戻すことができますし、そうすることによって、人は、自然をより深く理解することができるようになるのです」
エドワード・ローレンツによる「カオス」、イリヤ・プリゴジンが発見した「散逸構造」、ブノワ・マンデルブロが理論化した「フラクタル」、そしてシンクロ現象を数学的に記述した「蔵本モデル」などは、不可思議な自然現象を「述語的な統一」によってまさに記述したものだが、それは単なる「科学上の発見」であるだけでなく、従来とはまったく異なる「自然像・自然観」を世界にもたらしたという意味において、大きなパラダイムの変換を物語っている。こうした述語的な記述を通してこそ、これまで関係がないと思われてきたものとものとのあいだに、横断的な「インヴァリアンス=不変性」を見つけることができるのだ、と蔵本は語る。
「未来の科学は、そういった横断的視点をもつべきで、その先に、豊かな科学があるとわたしは信じています。物理学を学んだ哲学者・大森荘蔵は、『科学とはこの世界についてのお話だ』と言っています。わたしはこの言葉に深く共感します。そして人々も、物質的な豊かさや便利さを追いかけるのとは別に、そういう物語を求めはじめているのではないかと感じます。『わたしたちは、どんな世界に生きているのか、どこから来て、どこへいくのか』…地上の彩りに満ちた世界にも、隠れた世界はいっぱいあるのです。そんな物語を豊かに語ることが、科学にも可能なのではないかと思うのです」

恋は非線形?

イヴェントの第2部では、ライゾマティクスの齋藤精一と小誌編集長・若林恵も加わり、パネルディスカッションが行われたが、そのなかで「非線形科学によって人の人生や、恋や愛といった現象を記述するようなことは可能か」といった意想外の質問も飛び出した。
「この世界にはカオスのように、不安定化して絶えず先々が見通せない現象と、安定性に向かう現象があるんです。これは、人間の生き方にも重なってくる気が少しします。ハラハラドキドキするからこそ、生きた実感が得られるということもある。同時に、安定したいという気持ちもある。両方が絡み合った人生が、豊かな人生と言えるのかもしれません。あと、それが『恋』を説明したことになるのかどうかはわかりませんが、波長が合う人っていますよね。時間的に「波長が合う」というのは、まさにシンクロの物理的定義ですから。実際にそういう実験があって、互いに知らない人たちを何十組かのペアに分けて、歩かせるんです。すると、足取りが揃うペアもあれば、バラバラのペアもある。そのあとで、ペアの相手に好感をもったかを質問すると、足取りが揃ったペアのほうが圧倒的に、好感をもったと答えているんですね。結婚の相性なんかも、これでわかるかもしれませんね(笑)」
ライゾマティクスの齋藤は、自分たちの作品制作において、科学は何にも勝るインスピレーションになっていることに言及し、アートと科学は、いま、これまで以上に近づき始めているように思う、と話した。蔵本は頷きながら、こう返した。
「アインシュタインの数式は、やはり美しい。世界にはいろんな美があると思いますが、美的センスとか感受性というものは、科学においてもとても重要だと感じます」
蔵本が語る「自然の気難しさ」、すなわち、その複雑さや予測の難しさというものを、人は古来より畏怖し、崇め、そして、そこにこそ「自然の豊かさ」を感じてきたはずだ。ところが、科学は、そこから長らく目を背けることで、その豊かさを痩せ細らせてしまってきたのかもしれないということを、蔵本のレクチャーは気づかせてくれた。自然の気難しさを、その気難しさにおいて愛し、記述することで、私たちは、改めて科学の眼を通して、この世界というものの複雑さ、不思議さ、面白さ、そして美しさに眼を瞠ることができる。
蔵本がレクチャーのなかで見せてくれた1枚の画像が印象に残っている。
フラクタル理論の提唱者ブノワ・マンデルブロがコンピューターによって作成したというその画像は、不規則なランダムな山並み・山肌そのもので、一見するとまるでヒマラヤのランドスケープを思わせるが、実際は、単純な数学的ルールに基づいて生成された画像なのだという。それは混沌や多様性と数式の美とが同時に存在する自然の不思議を、雄弁に語りかけてくれていた。1/6蔵本由紀|YOSHIKI KURAMOTO
1940年生まれ。京都大学名誉教授。理学博士。山口大学時間学研究所客員教授。専門は非線形動力学(非線形科学)、非平衡統計力学。特にリミットサイクル振動子のつくるネットワークダイナミクスの分野では世界の第一人者。「同期現象などをめぐる非線形科学の先駆的研究」により2005年度朝日賞受賞。著書に『新しい自然学—非線形科学の可能性』〈ちくま学芸文庫〉、『非線形科学』『非線形科学 同期する世界』〈集英社新書〉などがある。http://wired.jp/2016/10/18/nature-of-men-lecture/
非常に興味深い:
再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016 305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue ofInternational Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:

再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。

数学の教育については、下記も参照:

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について                 
以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿