2015年8月25日火曜日

物質・時空ナゾ迫る巨大装置、建設1兆円 文科省は慎重 朝日新聞デジタル 8月23日(日)11時59分配信 物質・時空ナゾ迫る巨大装置、建設1兆円 文科省は慎重 巨大線形加速器

物質・時空ナゾ迫る巨大装置、建設1兆円 文科省は慎重
朝日新聞デジタル 8月23日(日)11時59分配信

物質・時空ナゾ迫る巨大装置、建設1兆円 文科省は慎重
巨大線形加速器

宇宙誕生直後の状態を再現して、物質や時空がどのように生まれたのかという謎に迫る巨大加速器「国際リニアコライダー(ILC)」を、北上山地に造りたいと岩手県が熱望している。国際協力で建設するが、費用は1兆円以上。文部科学省は予算のめどがたたないこともあり慎重だ。造るべきかどうか。あなたはどう思いますか?
電子や陽子などを光速近くまでに加速し、衝突させる実験は物理学の基本原理の解明に大きく役立ってきた。現在の最大の加速器は、スイスとフランスにまたがる1周約27キロの円形加速器LHCだ。欧州合同原子核研究機関(CERN)が運営し、2012年に陽子衝突実験で「最後の未発見粒子」といわれたヒッグス粒子を発見した。
しかし、ほかにも未発見の粒子があるかもしれない。時間と空間の構造が現在の常識とは違う可能性もある。謎を解くには、ヒッグス粒子をたくさんつくり、その性質を詳しく調べるのがいい。そのために構想された巨大線形加速器がILCだ。地下100メートルに長さ約31キロのトンネルを掘って建設する。

国際協力による概念設計ができたのが07年。国内の建設候補地は北上山地と九州北部の脊振(せふり)山地に絞られ、地質や土木の専門家も入った委員会が13年に北上山地を選んだ。地盤が安定し、将来構想で描く「50キロの直線ルート」を確保できることが決め手となった。
世界最先端の研究所ができれば「東日本大震災からの復興にも寄与する」と、地元は歓迎ムード。建設候補地の中心部に位置する岩手県一関市の勝部修市長は、市役所にILC推進課を作り、国際化推進員として日本語も堪能な豪州出身のネイト・ヒルさんを採用するなど、誘致実現に手を尽くす。商工会議所が中心となった「岩手県国際リニアコライダー推進協議会」は今年7月、国内誘致の早期決定などを求める「県民決議」を採択した。懇親会に駆けつけた達増拓也知事は「オール岩手でがんばろう」と気合を入れた。


■中国も計画

陽子は電子より重く、陽子の衝突実験は電子よりエネルギーがはるかに大きくなる。だが、陽子はクォーク三つでできた複合粒子であるために反応が複雑で、実験の解析が難しい。
その困難を乗り越えてヒッグス粒子は発見された。ヒッグス粒子のつくり方がわかったことで、今度は狙いを定めた実験が可能になった。
ILCは、電子と陽電子という、これ以上分割できない基本粒子どうしを衝突させるので反応がシンプルで解析しやすい。また、ヒッグス粒子をたくさんつくれるほど高いエネルギーまで電子を加速するには円形だとロスが大きすぎ、直線形が適している。ただ、直線形で電子を正面衝突させるには高い技術力が必要だ。
一方、中国は円形でも大きくすればできると考え、超巨大円形加速器「CEPC」を計画する。1周約50キロ、最大で70キロまでという想定。建設費は35億ドル(4340億円)と欧州に造る場合の半額という。将来、同じトンネルに陽子加速器を建設する構想も持つ。

朝日新聞社:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150823-00000017-asahi-soci


再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について

ゼロ除算 100/0=0 は 説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 もちろん、そこでは100/0 の意味をきちんと捉え、確定させる必要がある。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる:

ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は

\begin{equation}
\frac{1}{2}m{ v}^2 \times \frac{1}{2}m{(- v)^2} =E^2.
\end{equation}
で 一定E^2である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
\begin{equation}
0 \times 0 =E^2.
\end{equation}
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化をビッグバンは示しているのではないだろうか?
以 上


再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について

ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算が掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算はある自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:

ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの自明であるという解釈は 再生核研究所声明194で纏めたので、ここでは高橋の一意性定理を確認して置きたい。

まず、山形大学の高橋眞映 名誉教授によって与えられた 定理とその完全な証明を述べよう:

定理 Rを実数全体として、 Fを R x R からRへの写像(2変数関数)で、全ての実数 a、b、c、d に対して

F (a, b)F (c, d)= F (ac, bd) 

および b がゼロでない限り、

F (a, b) = a/b

とする。 このとき、 F (a, 0) = 0 が導かれる。

証明 実際、 F (a, 0) = F (a, 0)1 = F (a, 0)(2/2) = F (a, 0)F (2, 2) = F (ax 2, 0 x 2) = F (2a, 0) = F (2, 1)F (a, 0) = 2F (a, 0).。 よって F (a, 0) = 2F (a, 0)、ゆえに F (a, 0)=0。

この定理で、F (a, 0) を a/0 と定義するのは自然であり、実際、 そう定義する。 ここは大事な論点で、チコノフ正則化法や道脇方式で既にa/0が定義されていれば、もちろん、定理ではF (a, 0) =a/0 が導かれたとなる。

定理は 分数の積の性質 (a/b)(c/d) = (ac/bd) を持つもので、分数をゼロ除算に(分母がゼロの場合に)拡張する、如何なる拡張も ゼロに限る a/0=0 ことを示している。― これは、拡張分数の基本的な積の性質(a/b)(c/d) = (ac/bd)だけを仮定(要請)すると、ゼロ除算は ゼロに限る a/0=0ことを示しているので、その意義は 決定的であると考えられる。 この定理は千年以上の歴史を持つゼロ除算に 決定的な解を与えていると考えられる。
チコノフ正則化法や一般逆の方法では、一つの自然な考え方で導かれることを示しているだけで、いろいろな拡張の可能性を排除できない。道脇方式も同様である。 一意性定理とは、そもそも何、何で定まるとは、その、何、何が定める性質の本質を捉えていて、導いた性質の本質、そのものであると言える。高橋眞映教授の定理は 証明も簡潔、定理の意義は絶大であり、このような素晴らしい定理には、かつて会ったことがない。数学史上の異色の基本定理ではないだろうか。
ゼロ除算は、拡張分数が 直接、自明であるが、積の公式が成り立つと、積極的に性質を導いていることにも注目したい。(ゼロ除算は 新しい数学であるから、そのようなことまで、定義に従って検討する必要がある。)
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 人は、我々の時代で、夜明けを迎えたいとは 志向しないであろうか。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
高橋の一意性定理だけで、数学はゼロ除算100/0=0,0/0=0を確定せしめていると言えると考える。 実はこの大事な定理自身は 論文にもそのまま記述されたにも関わらず、共著者名に高橋の名前が高橋教授の希望で載っていない:

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

ところが、 高橋教授がゼロ除算の一意性を証明したと 当時 アヴェイロ大学にポスドクで来ていた、イタリアのM. Dalla Riva博士に伝えたところ、そんな馬鹿な、反例を作ると猛然と挑戦したのであるが次々と失敗を続けていたが、帰る頃、驚いて高橋の結果は正しいと独自に定理を発見、証明した。― そこで、いろいろ経緯があって、共著で論文を書こうと提案していたところ、ゼロ除算そのものの研究の意味がないとして、論文と研究には参加せず、彼の結果は、齋藤のものとして良いとなった。彼らのあるグループ間では ゼロ除算は意味がないということで、意見が一致したというのである。これは数学が正しくても意味が無いという、見解の人たちが存在するという事実を述べている。アヴェイロ大学でもそのような意見であったので、アヴェイロ大学では、ゼロ除算は研究できない状況になっていた。それらの思想、感覚は、アリストテレスの世界観が宗教のように深くしみわたっていて、universe は不連続なはずがないという事である。ゼロ除算における強力な不連続性は受け入れられない、ゼロ除算はまるで、恐ろしい魔物をみるように 議論しても、発表してもならないと 数学教室の責任者たちに念を押された事実を 真実の記録として、書き留めて置きたい。
独立に証明された、Riva氏と高橋教授は、自分たちの定理の重要性を認識していなかったように感じられる。 他方、齋藤は、最初から今もなお その素晴らしさに驚嘆して感銘させられている。
以 上

再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議

ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算を掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算は 自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:

ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの意見は 割り算を除算の固有の意味から考えて、自明であると結論づけたものであるが、この文脈を追記すると:
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、

100 - 0 = 100,

であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数(商)は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。
さらに、
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
さらに、道脇裕氏が、2014.12.14日付け文書で、上記除算の意味を複素数の場合にも拡張して ゼロ除算z/0=0を導いているのは、新しい結果であると考えられる。
吉田洋一氏は、上記著書で、ゼロ除算の方法を詳しく書かれているにも関わらず、ゼロ除算はゼロであるとの 結果に至っていない。道脇氏が見破ったセロ除算が出ていない。 吉田氏が書かれているように、中世ヨーロッパ、アジアでも、計算機内の計算法でも広範に、使われている方法の 小さな、小さな発想が出ていない。世界は広く、四則演算を習い、使用している人は それこそ膨大な人口なのに 皆道脇氏の発想が出ていないということは 何を意味するであろうか。 もちろん、数学や物理学の天才たちを回想しても 驚くべきことである。 しかも, 物理学には、ゼロ除算が自然に現れる公式が沢山存在して、ゼロ除算は 物理学の 不明な、曖昧な点であったという事実さえ存在していた。世間でもどうしてゼロで割れないかの疑問は 繰り返し問われてきていた、問われている。
この小さな、小さな発想の1歩が出なかった理由は、除算は乗算の逆であって、ゼロ除算は不可能であるという、数学の定説が ゆり動く事がなかったという、厳然とした事実ではないだろうか? 数学的に不可能性であることが証明されていることは、あたかも 絶対的な真理のように響いてきたのではないだろうか。― しかしながら、人類は非ユークリッド幾何学の出現で、数学的な真実は変わりうることを学んでいるはずである。 実際、平行線が無数に存在したり、全然、存在しない幾何学が現れ、現在それらが活用されている。
道脇愛羽さん(当時6歳)は 四則演算の定義、基本だけを知っていて、自由な発想の持ち主であるがゆえに、得られた感覚とも言えるが、無限が好きだとか、一般角の三等分を考えるなど、相当な数覚の持ち主のように感じられる。道脇裕氏は、自由人で、相当な整数論を独力で展開するなど多彩な才能の持ち主であるが、除算の理解にも深く、複素数でも除算の考えができるなど、全く新しい結果を得ていると考える。数学の定説など ものともしない、世界を観ているのが良く分かる。それらの故にこの偉大な1歩を踏み出すことができたと考えられる。
この1歩は偉大であり、小学校以上の割り算の考えを改め、ゼロ除算を 世界の常識にすべきであると考える。
我々は、この発見の契機から、人間の創造性について沢山の事を学べるのではないだろうか。

以 上


\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 237: A reality of the division by zero $z/0=0$ by geometrical optics}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\

\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, we shall state a reality of the division by zero $z/0=0$ by the reflection (geometrical optics) and from this fact we will be able to understand that the division by zero $z/0=0$ is natural in both mathematics and our physical world.
\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By {\bf a natural extension of the fractions}
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we, recently, found the surprising result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices, and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the case of real numbers. The result is a very special case for general fractional functions in \cite{cs}. 
The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, google site with division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628, however,
Sin-Ei, Takahasi (\cite{taka}) (see also \cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing some full extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2). His result will show that {\bf our mathematics says} that the result (1.2) should be accepted as a natural one:
\bigskip
{\bf Proposition. }{\it Let F be a function from ${\bf C }\times {\bf C }$ to ${\bf C }$ such that
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad)
$$
for all
$$
a, b, c, d \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a }, \quad a, b \in {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}
\medskip
Furthermore, note that Hiroshi Michiwaki with his 6 year old daughter gave the important interpretation of the division by zero $z/0=0$ by the intuitive meaning of the division, {\bf independently of the concept of the product }(see \cite{ann}) . See \cite{ann} for the basic meanings of the division by zero.
We shall state a reality of the division by zero $z/0=0$ by the concept of reflection (geometrical optics). It seems that the common interpretations for the reflections for the center of a circle and the point at infinity are not suitable.
\section{Reflection points}
For simplicity, we shall consider the unit circle ${|z| = 1}$ on the complex $z = x +iy$ plane.
Then, we have the reflection formula
\begin{equation}
z^* = \frac{1}{\overline{z}}
\end{equation}
for any point $z$, as well-known (\cite{ahlfors}). For the reflection point $z^*$, there is no problem for the points
$z \neq 0, \infty$.  As the classical result, the reflection of zero is the point at infinity and conversely, for the point at infinity we have the zero point. The reflection is a one to one and onto mapping between the inside and the outside of the unit circle.
However, we wonder the following common facts:
Are these correspondences suitable?
Does there exist the point at $\infty$, really?
Is the point at infinity corresponding to the zero point? Is the point at $\infty$ reasonable from the practical point of view?
Indeed, where can we find the point at infinity? Of course, we know plesantly the point at infinity
on the Riemann sphere, however on the complex $z$-plane it seems that we can not find the corresponding point. When we approach to the origin on a radial line, it seems that the correspondence reflection points approach to {\it the point at infinity} with the direction (on the radial line).
\section{Interpretation by the division by zero $z/0=0$}
On the concept of the division by zero, there is no the point at infinity $\infty$ as the numbers. For any point $z$ such that $|z| >1$, there exists the unique point $z^*$ by (2.1). Meanwhile, for any point $z$ such that $|z| < 1$ except $z=0$, there exits the unique point $z^*$ by (2.1).
Here, note that for $z=0$, by the division by zero, $z^*=0$. Furthermore, we can see that
\begin{equation}
\lim_{z \to 0}z^* =\infty,
\end{equation}
however, for $z=0$ itself, by the division by zero, we have $z^*=0$. This will mean a strong discontinuity of the function
\begin{equation}
W = \frac{1}{z}
\end{equation}
at the origin $z=0$; that is a typical property of the division by zero. This strong discontinuity may be looked in the above reflection property, physically.
\section{Conclusion}
{\Large \bf Should we exclude the point at infinity, from the numbers?} We were able to look the strong discontinuity of the division by zero in the reflection with respect to circles, physically ( geometrical optics ).
The division by zero gives a one to one and onto mapping of the reflection (2.1) from the whole complex plane onto the whole complex plane.
{\Large \bf The infinity $\infty$ may be considered as in (3.1) as the usual sense of limits,} however, the infinity $\infty$ is not a definite number.
\bigskip
\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}
\bibitem{ahlfors}
L. V. Ahlfors, Complex Analysis, McGraw-Hill Book Company, 1966.
\bibitem{cs}
L. P. Castro and S.Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
\bibitem{kmsy}
S. Koshiba, H. Michiwaki, S. Saitoh and M. Yamane,
An interpretation of the division by zero z/0=0 without the concept of product
(note).
\bibitem{kmsy}
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
\bibitem{mst}
H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Takagi,
A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0
(note).
\bibitem{s}
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
\bibitem{taka}
S.-E. Takahasi,
{On the identities $100/0=0$ and $ 0/0=0$}
(note).
\bibitem{ttk}
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields, Tokyo Journal of Mathematics (in press).
\bibitem{ann}
Announcement 185: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics,
Institute of Reproducing Kernels, 2014.10.22.
\end{thebibliography}
\end{document}












ガロア ゼロ除算

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