2015年9月30日水曜日

記事 内藤忍2015年09月26日 08:11「好きを仕事に」は幻想なのか?

記事
内藤忍2015年09月26日 08:11「好きを仕事に」は幻想なのか?




150703Money2015summer

随分前に「「好き」を極める仕事術」(講談社)という本を書きました。評判も良く、自分の著作の中では最も気に入っている本の1つなのですが、残念ながら絶版になってしまいました。「好きを仕事に」は幻想なのでしょうか?

確かに好きなことだけをして、食べていくのは簡単ではありません。私の場合、やっていて時間を忘れるくらい楽しい仕事と言えば、セミナーで講師をしたり(写真)、書籍やコラムを執筆することですが、何となく講師と著者という仕事をやっていても生活できません。そこには戦略が必要です。

仕事を、「楽しい/楽しくない」「儲かる/儲からない」という2つのカテゴリー分けしてみると、

楽しいけど儲からない
楽しいし儲かる 
楽しくないけど儲かる
楽しくないし儲からない

の4つに分類できます。4つ目の楽しくないし儲からないというのは論外ですし、楽しいし儲かるのであれば何も言うことはありません。

問題は「楽しいけど儲からない」と「楽しくないけど儲かる」のどちらを取るかです。

私の提案は、まず儲からなくても良いから、自分にとって楽しい仕事とは何かを考えてみる。そして、次にその仕事はどうやったら儲かるようになるかを考えるというプロセスを踏んでみることです。楽しくないけど儲かる仕事は、精神的にも良くないですし、いつか忍耐の限界に達したら終わってしまいます。

儲からない仕事を収益化するのに必要なのは「差別化」です。その分野で自分にしかできない価値を提供できれば、その付加価値に対して市場の評価が生まれるのです。

私がやっているセミナー講師は、世の中にたくさんいます。しかし、その中で資産運用の専門的かつ実践的な知識をわかりやすく提供できる人は意外に少ないものです。さらに、金融資産と実物資産を組み合わせ、自分自身でも資産運用を実践している人はほとんどいません。このように、自分だけの価値を追求していけば、大きな差別化が実現できるのです。

だから「仕事はつまらない、でもお金を稼ぐために仕方ない」と思っている人には、発想の逆転をやってみることをお薦めします。儲かるか儲からないかではなく、楽しいか楽しくないかから考えて、楽しいことを極めていく。

ワインが好きなら、ワインの輸入をやってみる。でも競合はたくさんいますから、そこで自分にしかできない価値の提供を考えてみる。
文房具が好きなら、文房具を販売するサイトをはじめる。でも競合はたくさんいますから、そのサイトにしかない価値の提供を考えてみる。
・・・

好きなことなら、時間を忘れて極めることができます。その極める方向が、市場のニーズにマッチすれば、自分だけが提供できることに大きな価値が生まれます。

かけがえのないたった一度の人生、好きなことにチャレンジしてみてはどうでしょうか?失敗して失うものよりも、うまくいって得られるものの方が、期待値としてはずっと大きいと私は思います。

※毎週金曜日に配信している「資産デザイン研究所メール」。資産を守り増やすためのヒントから、具体的な投資のアイディア、そしてグルメな情報まで、無料でお届けします。メールマガジン登録会員数は、2015年9月17日に20,000人を超えました!

※このブログは「内藤忍の公式ブログ」2015年9月26日の記事から転載したものです。オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。http://blogos.com/article/135981/

これが理想で、多くの人は それを求めて、努力して居るのでは?


再生核研究所声明 12 (2007/09/17): 人生、世界の存在していることの意味について 

天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば この世の全ての問題は 結局はひとりひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます:

人生における基本定理

・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、
「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」
という言葉がわいてきた。
私はもの心ついてから: 自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのか、という半ば悲観的な見方:
実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。
「人間としての存在の究極の意味、価値は」
「人類の目指すべき基本的な方向とは」
これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、
「人生の意義は、感動すること にある」
というものである。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 
人類の価値: 真、善、美、聖などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、
また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。
 人類の永遠の課題    神、自由、不死
の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理
 存在、知、愛
を 渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。
また、藤村 操は、「・・・ 人生は不可解である、 ・・・ 」
という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、
「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に行くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は 多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。

謝辞 (略)
追記 基本定理を自覚した後の心情は、

人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定、
何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ、
感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている、
人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる、

等、であるが、それにもかかわらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは はるかに賢明になったように感じている。

藤村操
巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

                                   以 上











0 件のコメント:

コメントを投稿