2015年8月31日月曜日

キリスト教を信仰している人は、人に対して全て平等でしようか、病気の人や弱者の人には、依怙贔屓をされる事は無いのでしようか。






日本の仏教の在り様についての疑問、キリスト教との奇妙な違い

(これは90歳のおばあさん ​​が散歩の折り 仏教の在り様についての問題提起である)
その時、神様は存在しますかと聞いたのであるが、きっぱりと ​​にこやかに 諒として微笑みをもって受け入れられたと思う:

再生核研究所声明122(2013年8月1日):神の存在と究極の信仰-人間よ想い煩うことはない神は存在して、一切の存在と非存在しっかりと支えられておられる、人は必要なときに必要なだけ、



ある数学者の仏教解説
- (前略):このように素晴らしい仏教の世界をみると、日本の仏教界の現状については返すがえすも




簡潔に次のように表現したい:キリスト教では終末 逝かれるに対して、多くの仏教の場合は如何であろうか。死んだ後にお経をあげているのが現状ではないだろうか?-ここは、生きている人に、みなさんもこのようになると実は生きている人に対してさとしているのであろうか先祖さまの供養も同じような意味を持つとも考えられる仏教徒はゆかしい。からそうかも知れない.-他方、多くの宗教の大きな意義が死からの解放、自由にあるのではないだろうか。お釈迦様は死者を弔うために、先祖さまを供養するためにいろいろ教えられたのではなくて、
仏教の在り様について、検討して頂きたいと考える。折角の素晴らしい宗教が、お釈迦様の精神が活かされていないのではないかと、感じている。この観点は上記90歳の素晴らしいおばあさん ​​の気持ちと一致していると感じた。
日本の神道も っとも、神道は無言で雰囲気で伝えようとしているようにもみえる。

以上

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