2016年10月1日土曜日

『とと姉ちゃん』最終回 西島再登場に「泣いた!」“ととロス”の声も

『とと姉ちゃん』最終回 西島再登場に「泣いた!」“ととロス”の声も

高畑充希をヒロインに、4月から放送をしていたNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が30日、最終回を迎えた。見終えた視聴者からは、高畑に「半年間お疲れ様」というコメントとともに、早くも“ととロス”の声が挙がっている。

 最終回では、高畑演じる常子が、西島秀俊演じる父親・武蔵と夢の中で再会。「ととの代わりになってほしい」と常子に頼んだことで苦労をかけたとを涙ながらに詫びる武蔵に、常子が笑顔で「私はとと姉ちゃんでいられて幸せです」と答える。そして、武蔵は常子の頭を撫でて「頑張ったね。ありがとう」と褒めると、常子の目からは涙が溢れだすという場面が放送された。

 さらにラストシーンでは、時が流れて、風貌に老いが見られるようになった常子、鞠子(相楽樹)、良子(杉咲花)の三姉妹が登場。現役の編集者として、常子が元気に駆け回るシーンでは主題歌で宇多田ヒカルの『花束を君に』が流れて最後を盛り上げた。

 ととの再会のシーンに、ツイッターには視聴者から西島の再登場を喜ぶ声とともに、「ととが現れるのはズルい!涙腺が崩壊」「とととの会話の時涙でちゃった」となど感動したという声が多く寄せられた。

 また、歳をとった三姉妹の姿には、「よしこちゃん、一気に貫禄が」「充希ちゃん老け芝居上手い!」「鞠子のしゃべり方が、かかソックリになってたなー」と成長を見続けた視聴者からは感慨深いコメントも。そして「よく頑張った常子。高畑充希さん。ありがとう。お疲れ様でした」と高畑を労う声も集まる一方、「やっぱり、淋しいな」「あー、終わってしまった」といった、“ととロス”の声が挙がっている。http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E3%80%8E%E3%81%A8%E3%81%A8%E5%A7%89%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%80%8F%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E-%E8%A5%BF%E5%B3%B6%E5%86%8D%E7%99%BB%E5%A0%B4%E3%81%AB%E3%80%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%9F%EF%BC%81%E3%80%8D%E2%80%9C%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E2%80%9D%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%82%82/ar-BBwRp5I?ocid=UP97DHP#page=2

毎回楽しみに見ていました:

再生核研究所声明320(2016.09.08) NHK朝ドラ とと姉ちゃん、赤羽根社長の筋違い対応
声明319で、NHK朝ドラ とと姉ちゃん は素晴らしい。小橋さんの家族も 暮らしの手帖の出版関係者も 実に素晴らしい。実話は兎も角 ドラマから学びたいことがあるので、焦点を絞って問題点をとり上げて、学び、多くの方に それらの精神を引き継ぎ、発展させて欲しいとの希望を述べたい。― と述べた。
今回、ここで触れたいのは、悪い評価を受けた赤羽根社長のいわゆる 嫌がらせ、悪い評価をさせまいとする圧力に対する意見表明である。
第3者的に 公正な立場から判断すれば、嫌がらせなどは筋違いであり、賢明な対応は、これ幸いと捉えて、自社の商品の弱点を分析、改善して、良い製品を作るように努力することである。弱点の指摘は貴く、暮らしの手帖社には 逆に謝意すら表すべきである。精進、精進の精神である。トースト製品では、技術者らしく、それでは良い製品を作ってやろうじゃないかと表明されたのは 誠に美しく 頼もしい姿である。暮らしの手帖の目指した理念そのものである。
合理的に、公正の原則で 賢明に対応すればそのようになるだろう。それは当たり前のことであるが、世間では 変な筋違いの対応がよくあるのではないだろうか。素直に対応できず、変に捻れてしまう対応である。大いに気を付けたい。何でも 修行、修行、精進、精進と考えて進みたい。逆境も試練、修行として前向きに捉え、精進のエネルギーに変えたい。― 次も参照:再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間)

ドラマだから、簡明に場面を設定して、面白くしているが、ドラマでの花山さん、常子さんは 製品の評価の表現について、公表される立場の人の想いを深く受け止めて、表現には 細心の注意を払う必要がある。もし、表現などに不備があると 損害の保証を求められ、損害の賠償を求められる可能性は高いと考えるべきである。基本的には、真実でも、事実でも 相手が過度に不愉快になるような表現は 厳に慎むべきである。一般に 批判には相手の立場に想いを致したい ― 公正の原則:

1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。

NHK 大河ドラマもそうであるが、演出家、映像、みんな素晴らしく、どうしてそのような画面ができるのか不思議で、不思議で仕方がない。近年、映像の進化は 驚異的に発展をした分野ではないだろうか。見栄えが良くて、内実が 思想が乏しい実情があるのではないかと危惧している。映像の影響は大であるから、見る人も映像を作り、流す人も気を付けたい:
再生核研究所声明318(2016.08.31) 映像の危険性 ― テレビの弊害
尚、みなさんの名演技には感銘している。
以 上

再生核研究所声明319(2016.09.01) NHK朝ドラ、小橋常子さん、花山伊佐次さんに続け
NHK朝ドラ とと姉ちゃん は素晴らしい。小橋さんの家族も 暮らしの手帖の出版関係者も 実に素晴らしい。実話は兎も角 ドラマから学びたいことがあるので、焦点を絞って問題点をとり上げて、学び、多くの方に それらの精神を引き継ぎ、発展させて欲しいとの希望を述べたい。
暮らしの手帖の理念であるが、何と自社で実験して、自社のデータで製品の評価を行い、公表する形で雑誌を発行している。今流行りの、評価、評価に先駆けて、真摯な態度には感銘を受ける。花山氏が言明されているように、心を込めて作られた製品を評価するのだから、評価は真剣に、真面目に、圧力などに屈しないようにすべきだは、基本であるが、それは大事な心得で、実行しているのは凄いことである。評価、価値判断も大事で、難しいが 予想される圧力に対する心構えも相当にしっかりする必要がある。
ドラマのように、暮らしの手帖が出版されていたとなれば、そのような雑誌が どんなに尊く価値あるものであるかと 賞賛を送りたい。
世に雑誌は多くあるが、生データを実験して纏めているのは、創造性の観点から学術書の性格を持つばかりでなく、生活の知恵、生活に役立つ面で、学術書以上の価値を有するものとも言える。
社会の進歩には 評価は極めて大事な要素である。何が良いかが分からなければ、どのように重点をおいて努力して良いかが分からず、進むべき道が分からないからである。今、評価、評価と社会を賑わしているが、評価の仕方など、形式的、表面的なデータを形式的に分析、統計をとっているだけの 形だけの実のない評価が世に溢れているのではないかと危惧している。また、自分たち仲間だけの評価にもなりがちである。
簡単に、提案したいのは様々の分野で、 いろいろな評価をする組織の創造である。 暮らしの手帖が目指したように いろいろな分野で、いろいろな基準で評価して 良いものとは何かと社会に問い、社会がそのような評価に参加して、良いものとは何かを広く考える契機が作られるのは 良いのではないだろうか。多様な視点からの評価が大事であるから、同じ課題でもいろいろな評価機関、企業が存在するのが大事ではないだろうか。
品質保証の考えもあるが、政治家の評価、様々な分野における研究者の評価、テレビ局の評価、新聞社の評価などなど、いろいろ考えて行くべきではないだろうか。新しい分野として提案したい。例えば、選挙の折り、人物や思想、行動、性格など情報が足りなく、誰を入れて良いか分からない状況が多いのではないだろうか。選ばれて素性が明らかになったり、不祥事を起こして そんなはずではなかった。選挙のやり直しなどしている例が最近でも起きている。人は適切な情報を求めているのではないだろうか。これは政治家についてばかりではなく、上記のような もろもろの情報を求めていると考えられる。マスコミ関係者は、暮らしの手帖出版の精神から、学ぶことが多いのではないだろうか。
次の関係声明も参照:

再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明 102(2012.10.10) 成果主義の弊害について

以 上

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