2016年5月8日日曜日

記事 BLOGOS編集部2016年05月08日 07:58「UFOがありえるかどうかはアンタが決めなよ」~矢追純一氏が伝えたいこと 1/2UFO宇宙人

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BLOGOS編集部2016年05月08日 07:58「UFOがありえるかどうかはアンタが決めなよ」~矢追純一氏が伝えたいこと 1/2UFO宇宙人




前回、UFO特集を始めた経緯を我々に語ってくれた矢追純一氏。後半は、今のテレビをめぐる状況に、どのような思いを抱いているのか、聞いてみた。(前編はこちらから)【大谷広太/永田正行、撮影:野原誠治】 

■視聴率というのは「ある特殊な分野を見たい」人たちを捕まえること
ー私も「矢追純一スペシャル」を見て育った世代ですが、90年代半ばごろを境に、やはり不確かなものや科学的な説明が難しいものを扱う機会が減っていったような気がしています。 

難しい質問ですね。難しい質問というのは、いい質問という意味です。これには、ものすごく色々なことが絡んでいると思うんですが、人々に精神的な余裕が無くなっているということは間違いないと思います。その要因としては、大災害の発生や、経済の逼迫があるし、テロの流行もあるでしょう。 

仕組み上、テレビという産業にはあまり先がないんですよ。売っているものが時間だから、言ってみれば1日24時間しか売るものがない、他の産業はどんどん拡大再生産することができるけど、テレビにはそれができない。 

そういう中でマスコミが果たす役割の中には、"人々を元気づけ、明日に希望を持たせる"ということも含まれているんだと思うんです。「社会の木鐸」であるということには、そういう使命もあると思っているんですが、そこが抜けていますね。 

一般大衆は、どうしてもマスコミに左右されてしまう部分があるんですから、マスコミは世の中を引っ張って行かねばならない。それがどっちかというと迎合して、視聴率を稼げばいいや、というところに行っている気がしますね。問題は何が面白いか。そこが迎合的になってしまうと、お互いレベルが下がって行っちゃうんですよ。 

「いい番組を作りたい」とみんな言うけれど、何がいい番組なのかがわかっていない。みんなの「つまらねえからテレビ見ねえ」、という声を、作り手の側が汲んでいるかというとそうでもない。今はそういう状況ですね。 

テレビ業界は、まだオールラウンドなものを好みますが、今や個人の趣味に合わせていく、というものが社会の風潮でしょう。みなオートクチュールで同じ格好をするというのではなく、個性的で、高くても好きなものを買う、「みんなと同じものじゃ嫌」という時代。そこにマスコミは追いついていないと思う。だから依然として、オールラウンドに受けるものを作ろうとしているんだろうね。 

そんな中で、視聴率は稼がないといけないし、2~3歳から100歳まで、みんなに見てもらわないといけないと思うと、常識的な、当たり障りのないものが出来るんですよ。でもそれは逆で、視聴率というのは、ある特殊な分野を見たい、と思う人たちを捕まえることだと思うんです。 

■いざ目の前に宇宙人がきたら、気絶しますって
—そう考えると、矢追さんの番組は、ニッチといえばニッチだったかもしれません。 

矢追純一のUFO特番って、エキセントリックなんだよ。常識的でない、みんなに受けようとも思っていない。好きな人だけが見た。でも、好きな人がめちゃくちゃ多かったんだね。 

ああいうことをなぜやっていたかというと、世の中には非常識なことの方が常識的なことよりも多いし、まだ科学で解明出来ていないことのほうが多いわけでしょう。でも、マスコミというのは、そういうものは存在しないと最初から決めつけているから、もっと常識的でない分野をお届けするのも、マスメディアの使命じゃないかなと思ったんだよ。だから、オカルトチックなことばかりやってきた。 

オカルト的ということは、"反常識"ではなく、"非常識"だということ。ユリ・ゲラーやネッシーも含めて、こういう世界もあるんだよと知ってもらいたいと。 

確かに、みんなが同じ方向に行くってのも、社会的には悪くない。でも、個性がなくなったらまずいでしょう。 

空を見ると、いままでの自分の閉じ籠っている狭い世界がちょっと開けるんじゃないかと。空は広いでしょう。星を見上げると、すごい世界があるんだな、自分はくだらないことに悩んでいるな、と気がついてほしいなと。そういうコンセプトは今も変わっていない。 

色んな人に、自分が思っているのとは違う世界があるんだと。言い換えれば、自分の選択肢は無限にあるということを忘れて、視野狭窄になりやすいから。恋愛なんてその最たるものでしょう。思いつめると集中しちゃって、「他に女は居ない」と思っちゃうんだよ。端から見れば「そんなことありえないでしょ」って(笑)。 

僕だって、UFOで生きてるわけではない。生きていく上でのちょっとした些細な出来事なんですよ。"矢追=UFO"って思われてるけど、俺は人間なんだよって(笑)。 

だから実はUFOにも、そんなに重きを置いていないんです。「あっても無くてもいいじゃん、そんなものは」と。それに囚われることが、まさに狭い世界に閉じこもることになるんだから。「世の中、いろんなことがあるんだよね」、それを伝えるというのが、僕のコンセプトですよね。 

実際問題、宇宙人を見たいとかみんな言うけれど、見たら嬉しいかもしれないけれど、他にもいくらでも面白いことはあるでしょうと。いざ目の前に宇宙人がきたら、気絶しますって。本当に来たら嫌なんだよ。遠くからチラチラしててほしい。「あれは飛行機かな?UFOかな?」って言ってるときが一番楽しい。第一、UFOが生活に影響があるかもしれない、と考えている奴はいないんだよね(笑)
「UFOがありえるかどうかはアンタが決めなよ」 »http://blogos.com/article/174599/

再生核研究所声明86(2012.4.25) 未だ おめでたい人類 - 先史時代

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。
人類は最も大事なこと を確認して(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと ― 世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある ― )、大いなる世界を志向すべきである(再生核研究所声明 32: 夜明け ― ノアの方舟)。 実際、人類は、生と死の問題を克服して(再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について)、 人間存在の原理に従って、進むであろう( ― ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。 - 夜明け前 よっちゃんの想い。)。 しかしながら、人類が 何時でも 世界史を 閉じる 悟りの境地 に達することが望まれる(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この声明の趣旨は
1) この世で最も大事な真実は 唯一つ、最も大事なこと、 人類の生存であり、 その目標に従って 総合的な戦略をすすめること、
2) 内部的には、個人的には己が生命を輝かせる道を 歩めるように努力すること(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)、
3)それらのために、何よりもまず、 地球を良く治めよ
ということにある。
原理は、人類の生存は ひとりでに保証されるものではなく、自然や生態系などの広範な管理、運営、創造によって可能になるものであり、多様性の原理 によって、広範な科学の進歩が不可欠であるということにある。

以 上

再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴

(ある構想が湧いたのであるが、大きな課題 纏めて表現は難しいが その時の直感を表現してみたい)
人間は作られたものであり、本質は動物も、生物も変わりはない。生物共通の課題は生、死で、それはゼロ除算におけるゼロと無限のように紙一重で微妙な関係にある。人間に与えられた意識の中における、滅することに対する存念、畏れは、生命作用の裏腹なる存在である。
恥ずかしい人類の世界史とは、ほとんど生命の本能に基づく 生存と基本的な欲求のために、不条理で、愚かな戦いを繰り返してきた事実にある。地球規模で見れば、人類は地球の生態系を破壊する癌細胞のように見えるだろう。人類は野生動物にも劣る、猿知恵以下の悪しき知能で、分を弁えない失敗作となっている可能性も高い。恥ずかしい。
戦争や戦いは、暗い人類の先史時代の物語として、恥ずかしい世界史上のこととして終わらしめ、明るい新しい時代を切り拓きたい。神をも震撼させるような美しい文化、世界史を描きたいものである。
この世に生を享けて、盲目的に戦場に駆り立てられ、生命を肯定することもできずに、亡くなって行った人々、それは敵、味方なく、我々の戦友たちであり、生命と定めを共有する我々の仲間たちである。人間は動物、生物と同様であり、生物の本能を満たしたい、そのために空腹を満たし、快適な環境で暮らし、家族や仲間たちと共感、共鳴したい。しかしながら、悪しき時代にはそれらの基本も満たされず、人生を閉じて行った人々は世に多い。それらの仲間たちに、彼らの無念さを 戦友たちへの思いのように、人類の世界に対する無念さとともに頭を垂れてしまう。今尚、そのような意味で、悪しき時代が続いていると言える。
しかしながら、そもそも人生とは、平和で文化が進んでも、生活がいくら改善されても、本質的に 戦場そのものであり、世代交代の様は 何ら戦場と変わりないことを示していることが実感される。
そこで、ある年代に至れば、仲間たちが次々とこの世から去っていき、上手く人生、世界を肯定して、安からに魂を天に返すことができただろうか という、情感が湧いてくる。
いろいろ共通の出会いや関係を持った人々、同じ時代を生きた人々に 共通の運命を感じ、同じ時代を生きたものとして、共感、共鳴し、人生、世界を肯定し、大いなるもののうちに上手く回帰されたか との想いが湧いてくる。
そのとき、もはや、過去の競争、諍いなど余りにも小さく、愚かしいことのように感じられる。
そこで、人々よ、そこから、人間として誇れる、新しい 世界史を、世界を切り拓いて行こうではないか。その原理は気づいてみれば ゼロ除算のように当たり前であり、公正の原理に基づく、生命の共感、共鳴、共生の原理で 十分である。思えば、2000年以上も前に 既に諭されていた聖人たちの教えそのものではないだろうか。まこと、聖人たちの教えに回帰したい。

以 上


再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について

(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)

この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:

そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。

数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 

No.81, May 2012(pdf 432kb)

に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)

時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。

以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。

天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年


1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 
1+1=2が当たり前のように

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・


宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38


Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである

ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html









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