【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
1.序論
今回からは、アインシュタインの一般相対論の話をする。
但し、一般相対論を、真の意味で理解するには、「リーマン幾何学」という数学を理解しなければならない。
ちなみに、特殊相対論までの数学は、「ユークリッド幾何学」といい、我々がよく知っているものであった。五つの公理・公準から構築される数学で、公理の第1番目は、「同じものと等しいものは互いに等しい」である。
「なんぼなんでもそのくらいわかるわい!」と言うなかれ。「リーマン幾何学」とは「曲がった時空間」を考えるので、我々があたりまえと思っていることさえ通用しない世界なのである。
そして、「リーマン幾何学」を理解するには、テンソル解析という微分幾何学を理解する必要があるのだが、私はそんなことをここで説明する気はないし、あってもできない。
リーマンとは人名(19世紀なかばの人)であるが、彼が作ったリーマン幾何学は、彼の生前にはほとんど評価されることはなかった。アインシュタインが一般相対論を記述するのに最も適した数学として、これを発掘したのである。
さわりだけ、ちょっと書くと、「三角形の内角の和は二直角である」というのは典型的なユークリッド幾何学であり、「三角形の内角の和は必ずしも二直角ではない」というのがリーマン幾何学である。そんなバカな、と思う人は、地球上で、赤道の一部を底辺とし、北極を頂点とする三角形を考えてください。底辺が作る二つの角だけで二直角になり、頂角は、0~360度の間で任意だ。わかるでしょう。「リーマン幾何学」は「ユークリッド幾何学」を含む拡張された幾何学なのである。「リーマン幾何学」のなかで、平らな空間のみを扱うのが「ユークリッド幾何学」ということができる。
何をいいたかったかというと、特殊相対論は、「慣性系」を扱うので「特殊」といったのであり、一般相対論は、「加速系」を扱うので「一般」というのだ。「加速系」で加速度がゼロの場合のみ「慣性系」なのである。
さて、要のテンソル解析なしで一般相対論を語ろうとすると、実はとても難しい。というよりも、テンソル解析を用いたリーマン幾何学を一生懸命勉強させて、最後に、「だからアインシュタインのふたつの方程式は簡単に導かれます。」という結論を押しけられるのが、私の経験した一般相対論だった。
しかし一般相対論とは、そういうものなのだろうか? 数学的技術を持ったものだけが理解でき、その他の人は門前払いではなんか変だ。そう、アインシュタインは、先に一般相対論を着想し、それを記述するのに便利な道具として「リーマン幾何学」を採用したのではなかったか。
これから私は、そのような立場で一般相対論の話をする。従って数学的に厳密には間違ったことを比喩として言うかもしれない。しかし意図的に嘘をつくつもりはないので、それを了解の上、この話を聞いてほしい。
一般相対論のエッセンスを理解できれば、視野は広がる。だが、空想の世界をさまよう恐れも充分にある。
(但し、一般相対論をちょっとくらい間違って解釈をしても、あなたの人生に影響する要素は極めて少ない。決して間違った人生観を持たないように!)
一言いいたい!
【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
2.「場」とはなにか?
ここまでの話の中できちんと説明していなかった概念、「場」というものを知っておこう。
(「場」は、「バ」と読む、「ジョウ」ではない。)
ニュートンの古典力学には、「場」という概念は出てこない。電気や磁気の力は、その伝播速度は無限大、つまり時間を要さずに他の物体へはたらく、と考えていた。この、時間なしに働く力を「遠隔力」という。これに対する言葉は、「近接力」である。つまりある物質と別の物質間に力がはたらくためには、それを媒介する第三の物質が必要であるという考え方である。
20世紀初頭の物理学界は、ニュートンの「遠隔力」ではなく、「近接力」という概念に傾きはじめていた。既に述べた「エーテル」の概念も、実はこの「近接力」から来ている。
マイケルソンとモーリーにより、光速度が有限かつ一定であることが観測され、さらにアインシュタインによって、エーテルも不要とされた。ここで改めて問い直そう。「光という波」は何を伝わるのだ?
電磁場とは何か、を考えてやると、電場とは、そこに電気を持ったもの(荷電粒子)を持ってくるとその荷電粒子に力がはたらく場所であり、磁場とは、そこに磁気を持ったもの(磁石)を持ってくるとその磁石に力がはたらく場所であるということができる。
アインシュタインは、「時空間とは、電磁波を一定の速さで走らせるところのものである。」と説明したのであった。
「場」という概念は、これをそのまま採用した。つまり時空間とは、電磁場である、と。
つまり電磁気力は、有限速度(c)の光が媒介する「電磁場」である、と考えたのである。
光自体は、電荷も磁気も持っていない。物質が光を交換することにより、電磁気力が発生する。何だか話が飛躍している、と感じていると思う。当然である。ここには量子力学の概念が入ってきているのだ。だが、これを話しておかないと、後々話が理解しにくくなるので、説明しておく。
電荷を持った粒子(例えば、電子とか陽子)は、その周りの時空間に光をばらまいている。えっ、と思った人、その驚きあるいは疑問は正常である。そんなことを言ったら、この世は光だらけになるぞ、と思うだろう。ところが、自分がばらまいた光を捕まえる別の物質がない場合は、光を発した物質自身がその光を吸い込んでしまうのである。光を呼吸するので、エネルギー的に問題はない。
まだ理解の範疇からはずれていると思う。光は、光速度で走るはずだ、何で自分が出した光を自分で吸い込めるのだ、という問いを発することができれば、あなたは、特殊相対論を理解している。
この「?」の光を、「仮想光子」と呼ぶ(英語で言うと、"Virtual Photon")。
先程は光を呼吸する、と言ったが、あくまで他の電荷を持った物質と出会わないことが前提。現実には、どこかで他の電荷を持った物質と出会ってしまい、その物質が、仮想光子を吸い込んでしまう。だが、仮に電子1個しかこの宇宙にないとしても、その電子の周りは、無数の仮想光子が飛び交っているのであり、その場所を電磁場というのだ。(わかりずらいね)
仮想光子は、電荷を持った物質(A)から、無限に遠くまで飛んで行く。で、誰にも出会わなければ、元の物質へ戻る。(特殊相対論で話せば、それには無限の時間がかかる。)だが多かれ少なかれ、仮想光子は誰か(B)に出会ってしまうので、矛盾が起きない。誰かと出会ってしまうと、その出会ってしまった物質は、仮想光子からエネルギーをもらう。すなわち(A)は(B)にエネルギーを与えた。これが電磁気力の正体だ。
普通の光と仮想光子はなにが違うんだ?と考えた人、偉い。なんだったら、ここでちょっと考えてみよう、何が違うか。
答え。
普通の光を発する物質は有限なエネルギーを発している。当たり前である。電球にしろ太陽にしろ、
有限なエネルギーの光を出している。そうでないと... 何が起こるかわからない。少なくとも電球の
周りに人間は存在できないであろう。
電子一個は、周りの時空間を電場にする。あらゆる方向、あらゆる距離の場所を、継続的に電場にする。
そのために必要なエネルギーは、無限である。それでは話がなりたたないので、誰かと出会ってはじめて
存在が許される光を仮想光子と呼んだのである。
納得できない人、普通である。でもこの段階で、話は、一般相対論から外れて量子論の世界になっている。
一言いいたい!
【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
3.一般相対論の結論
前回は、ちょっと寄り道をして、「場」を考えた。量子論的に言えば、力の働く場所には、その力を媒介する仮想粒子が飛び交っている、という話である。すると、「重力場」があって、そこに、重力を伝える仮想粒子が飛び交っているのだな、と考えた人は、ちょっとすごいかもしれない。だが、その話は相対論の範疇ではない。
さて、アインシュタインが導いた一般相対論の結論の2式を以下に書いてみよう。
【測地線の方程式】(宇宙時空間の最短距離の方程式)
( d2xμ/dτ2 ) + Γμνλ( dxν/dτ )・( dxλ/dτ ) = 0
【重力場の方程式】(質量が空間を曲げる量に関する方程式)
Gμν = (8πG/c4) Tμν
この2方程式の解が一般相対論の結果である。この式は、数学的には、「連立偏微分非線形方程式」と呼ばれる。
逃げ出したくなったであろう。当然であるが、あわてないで。1.項で書いた、「テンソル解析という微分幾何学」が上の二つの方程式なのである。が、実は、これに関しては私も逃げ出したくなるのだ。
これを説明しろと言われたら、多分下書きだけで三年はかかると思うので、私の能力範囲を超えている。
説明の下書きだけで三年かかるのだから、この方程式を解くとなると、多分私の一生を費やしても追いつかないであろう。
現実に、昔は、この方程式を解くことに一生を費やした人もいるのだ。今は、コンピュータというものがあるので、数値計算というものをコンピュータにやらせようとする訳だが、この方程式に与えるべき初期条件が自明でないので、様々な解が出てきてしまう。
こんなもの説明できるか、というわけで、特殊相対論を説明してきた、初心者にもわかる、というキャッチフレーズは、一般相対論では、捨てなければならない。それとも三年待ってまで、上の方程式を理解したい?
ここは、なにがなんでも、上の方程式は忘れてもらわねばならない。しかし書いてしまった...
(上の方程式に対する質問は、一切無視するので、そのつもりで。)
一言いいたい!
【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
4.一般相対論の二つの原理
前回書いた方程式が頭から離れないあなた。忠告する。深入りしてはだめだ。「理解の泥沼」にはまる、大学時代に自らそれを体験した私が言うのだから間違いない。
但し、これだけは言っておかなければならない。アインシュタインは、物理現象を幾何学で表現しようとした、ということである。
幾何学、ようするに、絵を描いて、補助線を引いて、証明する、あの幾何学だ。アインシュタインが、一般相対論でめざしたのは、重力を、時空間の曲がりとして捉えようとしたことであり、テンソル解析という数学は、アインシュタインが、宇宙を絵に描こうとした筆だと思ってもらいた。なに? やけに重い筆だって? 当然、「重力」の話だもの。
あの方程式は忘れても、一般相対論の枠組みは話す事ができる。安心してほしい。
(第1原理)
「重力」と「加速による見かけの力」は区別できない。(等価原理)
(第2原理)
物理法則は、宇宙のいかなる系においても成り立つ。(一般相対性原理)
特殊相対論に二つの原理があったように、一般相対論にも、上記二つの原理がある。
最初の「等価原理」であるが、よく窓のないロケットの話が引き合いに出される。次の二つのケースで、ロケット内にいる人が状況を区別できるか、という話である。
(1)ロケットが、地球上に停止している。
(2)ロケットは、宇宙空間を、9.8m/(秒)2で加速している。
※(2)はロケットエンジンの振動ないし音があるからすぐわかるというのは無し、思考実験だから。
(1)の場合。地球の重力加速度は、9.8m/(秒)2だから、ロケットの中にいる人は、下向きに力を受けている。
このシチュエーションは、何の疑問もないだろう。地球上にいる我々と何のかわりもない。
これに対して問題は、(2)である。エレベータにのって上へ行くとき、動き出す時は、体重が重くなったと感じ、止まるときは体が軽くなったと感じたことはないだろうか?(最近のエレベータは優秀なので、あまり感じないように作られているようだが。)実体験が示すように、物体が加速する場合は、加速と逆方向に力を感じる。電車の中に立っていたとき、急に列車が止まると前のめりになるのも同じ。
これを従来は、「見かけの力」と呼んでいた。
だが、どう考えても、両者の違いを発見できそうにない、というので、これを区別する必要はない、としたのがアインシュタインの「等価原理」である。実は、この等価原理が、「慣性質量」と「重力質量」は同じ、ということを言っている。理解できない人はもう一度読み直してほしい。絶対理解できる。
さて、第二原理であるが、これって、「特殊相対性原理」となにが違うの? と思っている人は多いと思う。特殊相対性原理が、この宇宙に絶対静止系は存在しない、という重大なことを言っていたのを覚えているだろうか。実は一般相対性原理もかなり重要なことを言っている。難しく言うと、「この宇宙のいかなる系も、矛盾無いひとつの理論で記述できる。」という事になる。これは、宇宙のあらゆる系を測定する基準となる物理量がある、ということだ。解って来たでしょう。それは、特殊相対論で、アインシュタインが唯一特別な存在であることを示した「光」なのである。
つまり、光は、この宇宙をかならず最短・最速で走るということを認めてやることである。というよりも光はこの宇宙の最短コースを、他の物質に対し最速でしか走れない、ことを言っている。
何をあたりまえのことを言っているのだと思う人、アインシュタインは、光も重力あるいは加速系では「曲がる」ということを予言したのだ。えっ、言ってることが矛盾してるんじゃないか、と思う方、考えてほしい。曲がっていても最短・最速であるケースを。
一言いいたい!
【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
5.曲がった時空間
前項の宿題、考えてみた?
そう、曲がっているのに最短コースの話。
まず答えを言ってしまおう。
地球で例える。(地球表面は、あくまで2次元の面ではあるが、)経線(南極と北極を結ぶ線)は常に地球上での最短コース(大円という)だが、緯度線(赤道で大円となり、極で点になる)は、赤道以外は全て最短コースにならない。これはわかると思う。
よく御承知の世界地図(メルカトル図法が多い)で、飛行機や船の経路線、例えば、東京とロサンゼルス間を結ぶ線が上向きにカーブしているのを見たことはないだろうか?あれは、実は遠回りをしているのではなく最短コースを飛んでいる。あの線が、地球上では大円になるのである。
地球上は、球面であり平面ではない。これを無理矢理平面の地図にするから、上記のような錯覚を生ずる。
さて、同じように空間も平空間(こんな言葉はないよ!)でなく曲がっていたらどうなるか? おそらく真っ直ぐに引いたはずの線が曲がって見えるであろう、と想像できる。
真っ直ぐに引いた線とは何か? そう、アインシュタインはそれを、「光」であるとしたのである。
ちょっと余談になるかもしれないが、今上に書いた「光」というのは、何となく粒子をイメージすると思う。ところが、特殊相対論のところ(第1章の2.項)で、光は波(電磁波)である、と言ったのであり、それを覆すことなく、特殊相対論の説明をして来た。それが一般相対論に入ると、いきなり「光」は直線だ、と言い切っているので、とまどった人がいたら、鋭い。
実は、第4章で、ブラックホールの話を挟んだので、私の頭の中で電磁波の量子化が起きてしまった。「量子化」とは、粒子を波に、波を粒子にすることである。つまり光に限らず、素粒子は、波として測定すれば波、粒子として測定すれば粒子という二面性を持つことを認めてやることである。これが量子力学の第一歩だ。
アインシュタインは、それまで波としか考えられていなかった「電磁波」を、粒子としての性質も持つことを「光電効果」で発見し、とりあえずなんだかわからないが、光は「光量子」である、と言ったのだ。光については、これで議論沸騰となったわけだが、電子(これはもうどう考えても粒子)が、波の性質を持つことを示したのが、ド・ブロイであった。
というわけで、とりあえず一般相対論で扱う「光」とは、真空中で、光源から、あらゆる方向へ発せられる「光子」である、と考えてもらいたい。
さあ、話を続けよう。曲がった空間に引いた最短・最速コースが「光子」の軌跡である。ただし、これを直線とは呼ばず、「測地線」という。この宇宙の曲がりは、平面と比べた球面のように、どこもかしこも一定の曲がりではない。従って、局所的に大きく曲がった場所を割と平らなところから眺めてやると、かなり曲がって見えるのである。しかも(!)アインシュタインは空間だけがまがっているのではなく、特殊相対論同様、「時間」も曲がっている、と言ったのである。
うーむ、空間の曲がりまでは、なんとなくわからないなりに、わかったような気がしろ、と言われれば、納得してやってもいいが、時間が曲がるっちゅうのは、どう想像すればいいのだ? と思う人、今からそれをわかりやすく説明する。
まず時空間の曲がりは、局所的である、ということ。つまりまんべんなくのっぺりと曲がっているのではなく、曲がりとは、その場所場所が持っている性質である、と、とりあえず考えてもらいたい。そうすると、極々小さな範囲には、特殊相対論が適用できるのである。というか、それ故に「光」が登場する。特殊相対論は、空間に時間を仲間にいれた「4元物理量」を元に展開された。従ってそれを拡張した一般相対論にも時空間が関わるのだ。特殊相対論が、電磁波を扱った理論であるのに対し、一般相対論は、重力を扱うので、全く違って見えるが、実は繋がっているのである。
アインシュタインは、「物理現象を幾何学で表現しようとした」と、前項で書いた。すなわちこれが、曲がった時空間だ。一般相対論では、その時空間の曲がりを表現するのに「リーマン幾何学」(すなわちテンソル解析)を用いたので、数学的には「一般」という名とは裏腹に、一般の人にはわかりにくい理論になってしまったが、実は、その概念はそれほど難しくない。
この宇宙では、質量が存在する場所(あるいは、物体が加速により力を受ける場所)では、時空間が曲がるのだ。
空間的には、トランポリンの上に砲丸をおいた、あのへっこんだ図を頭に思い浮かべてみて、それが、空間にも及ぶと考える。ちと難しいかもしれないが、とりあえずそう思って! そこに近づいたビー玉は、そのへっこんだところに落ちる、まあ簡単に言うと、質量在るところに引力在りということだ。
で、光もその空間の曲がりに対して、「落ちる」のである。これが答え(宇宙時空間での事実)である。
ブラックホールまで行かない、かなり密度の高い星があるとしよう。そこから、自分めがけて光が飛び出して来る、と考えてもらいたい。「光」も落ちるのだから、かなりその星に引っ張られながらもかろうじてこちらに向かっている、ということだから、光速度は遅く観測されなければならない。
どうだ、驚いたか~。
「光速度不変の原理」はどうした!と叫ぶあなた、そうあなた、あなたは正しい。光速度は不変なのである。前に言ったはずである、「光速度不変」は、慣性系に限らない、と。
なにを言っとるんだ、血迷ったか!と思わないでもらいたい。光速度が遅く見えるのに、光速度不変を主張すれば、当然、その密度の高い星の近辺では、時計が遅れるのである。だから光速度は不変なのだ。
一言いいたい!
【わかっても相対論 第5章 一般相対性理論】
目次へ 次へ進む 前へ戻る
6.一般相対論の世界
光速度不変は、一般相対論でも通用すると言った。
だが、特殊相対論とは、一味も二味も違う。
それを説明する前に、次のことを認めてもらわねばならない。
曲がった時空間というのは、便宜的に考え出された抽象的概念ではなく、数学的な裏付けもある現実だ。
だから、その曲がった時空間を運動する物体及び光は、その曲がった時空間に逆らわず動いている限り、何の力も感じない、つまり慣性系と同様に扱える、ということだ。(私が理解する限り)
だから、曲がった時空間に沿って測地線上(最短距離)を走る光は、光速度で走る。それを、曲がりの異なる時空間から見れば、光速度ですら変わる。これが一般相対論だ。
白状しよう。特殊相対論は、ある程度の計画というか構成が初めから頭にあって書き進めた。だから、破綻も少なかったのだが、第4章で、ブラックホールの話をして、そこから一般相対論になだれこんだので、私自身も研鑽の日々であった。新たに再確認したことも、実は多い。私も結構文献を引っ張り出して勉強しなおしていたのであった。
さて、棚上げにしていた宿題の解答をする。
「重力質量」と「慣性質量」
私は、光には少なくとも「重力質量」はあるはずだ、といった。確かに私が相対論を勉強していた学生時代には、「光の相対論的質量」という表現で、光の「重力質量」(換算値)が存在した。
ところが、最近の文献を見ると、誤解を招きやすいという理由で、「光の相対論的質量」という表現は使わなくなっているのだそうだ。
これは、どういうことかと言うと、本項の最初に書いた、「曲がった時空間に身をまかせて運動する物質と光が、自然な状態である」ということに深く関係している。
さて地球上にいる我々自身を考えてみよう。多分これまでの皆さんの考えは、ガリレオやニュートンと同じように、地球上の物体は、地球と自分自身の間にはたらく重力によって、地球の中心に向かって引かれている、と考えていたであろう。ところが一般相対論では、次のように考える。
空間を歪めているのは、「質量と運動量の変化(加速度)」である。「等価原理」からこのことが言えるのである。つまり物質(と光)は、曲がった時空間を、直進運動する。従って、「重力」とは錯覚である。
なんで? 実は地球上にいる人間は不自然な運動をしているのだ。もし曲がった空間を直進する体験をしたければ、ビルの屋上から飛び降りて見たらよい、と良く説明されるが、これは投身自殺行為であって、数秒後には地面の上で息絶えているだろう。従ってこの例はあまり良くない。思い切って地球の中心を通り、地球を貫通する穴を掘ってしまおう。で、地球上のどっちの穴でもよいからそこへ飛び込んで見ればよい。地球上にいる人から見れば、穴に飛び込んだ人は、地球の中心で最高速度になるような、加速度運動を繰り返している様に見えるだろうが、穴に飛び込んだ人は、なんの力も感じず、無重力を体験できる。これはわかると思う。
では、地球上の我々は何なの、と考えて見る。これは、自分が地面によって上へ押され続けている、ということになる。つまり、宇宙空間上で加速するロケットに乗っているのと同じ感覚である。
でもおかしい、地球は膨張していないぞ、という意見が出るであろう。それには、私はこう答える。
地球の地面にへばりついている物は、地面の上と下とで、極端に歪んだ時空間に対して無理して直進しているのであって、別に重力に引かれているのではないのである。つまり人間は、自然な状態(地球の中心へ向かい落ちて行く)を、常に逸脱し続けている。そのためには、力を加え続けなければならない。これは、実は人体を構成する物質の原子・分子が地面に対して、踏ん張っているのである。
だから、「重力」なんてない。あるのは、時空間の歪みだけである。
したがって、光には、「慣性質量」も「重力質量」もない。
「光速度」が異なって測定される、と言った。これ誤解の無いように。「光」はあくまで、歪んだ時空間を光速度で直進しているのであって、それを全然歪みの異なる、別の時空間から見れば、変わるということ。慣性系という、歪みのない特別な時空間では、誰が、どこで測っても、「光速度は不変」なのである。
次章へ 一言いいたい!
http://www1.odn.ne.jp/~cew99250/html/R_5.html
アインシュタインも解決できなかった「ゼロで割る」問題:http://matome.naver.jp/odai/2135710882669605901
再生核研究所声明296(2016.05.06) ゼロ除算の混乱
ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:
再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める
我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。
以 上
2016.5.6.16:32
2016.5.6.19:05
2016.5.6.20:20
2016.5.7.05:45
2016.5.7.19:00
2016.5.8.05:25
2016.5.8.15:00 出かけている最中、 最後の文が思い付く。
2016.5.8.20:35
2016.5.9.05:40
ゼロ除算で初めて国際会議の招待を受けた:
Thank you very much to this papers. This is something new for me and I wish to know much more about it. I will read the papers very carefully.
Mean time I wish to invite you to Plenary Speaker in the third edition ・・・
The organization can pay you:
• the accommodation during the conference,
• lunches during the conference,
• the social events (excluding the excursion).
2016.5.9.06:40 完成、公表








0 件のコメント:
コメントを投稿