葛飾北斎、波の絵をマスターするのに30年かけていた(画像)
The Huffington Post | 執筆者: 安藤健二
メール
投稿日: 2015年08月01日 15時25分 JST 更新: 2015年08月01日 15時39分 JST
世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎が大波の描写をマスターするまでに、30年近くかかったことを指摘するツイートが話題になっている。
これは1805年、まだ40代だった北斎が制作した版画「おしおくりはとうつうせんのづ」。北斎の代表作の一つ「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)と同じく、押送船と大波という題材を扱っているが、いまいち迫力が足りない。
hokusai01
こちらは「神奈川沖浪裏」。1831年ごろに出版された名所浮世絵の連作「富嶽三十六景」の一つ。北斎70代の作品で、はるかに迫力を増している。
kanagawaoki
CMプランナーの田中泰延さんは、この2つの絵を比較した上で「表現物でも、仕事のプロジェクトでも、『ひとつのテーマで納得のいくまでやりとげたい』と思ったら、何度でも挑戦すべき」と、Twitteに投稿。6000回を超えるリツイートをされ、広く拡散している。
葛飾北斎「富嶽三十六景」
1 / 47
Wikimedia Commons
1 江戸日本橋(えどにほんばし)2 江都駿河町三井見世略圖(こうとするがちょうみついみせりゃくず)3 東都駿臺(とうとするがだい)4 東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)5 本所立川(ほんじょたてかわ)6 深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)7 五百らかん寺さざゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)8 青山圓座枩(あおやまえんざまつ)9 隠田の水車(おんでんのすいしゃ)10 下目黒(しもめぐろ)11 礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)12 御厩川岸より両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)13 隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)14 武州千住(ぶしゅうせんじゅ)15 従千住花街眺望ノ不二(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ)16 武陽佃嶌(ぶようつくだしま)17 上總ノ海路(かずさのかいじ)18 登戸浦(のぼとのうら)19 常州牛掘(じょうしゅううしぼり)20 東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)21 神奈川沖浪裏22 武州玉川(ぶしゅうたまがわ)23 東海道程ケ谷(とうかいどうほどがや)24 相州七里濵(そうしゅうしちりがはま)25 相州江の嶌(そうしゅうえのしま)26 相州仲原(そうしゅうなかはら)27 相州梅澤庄(そうしゅううめざわのしょう)28 相州箱根湖水図(そうしゅうはこねこすいず)29 甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)30 駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)31 駿州大野新田(すんしゅうおおのしんでん)32 山下白雨(さんかはくう)33 凱風快晴(がいふうかいせい)34 諸人登山(しょにんとざん)35 駿州江尻(すんしゅうえじり)36 東海道江尻田子の浦略圖(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)37 東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)38 遠江山中(とおとうみさんちゅう)39 東海道吉田(とうかいどうよしだ)40 尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)41 甲州犬目峠(こうしゅういぬめとうげ)42 甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)43 甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)44 信州諏訪湖(しんしゅうすわこ)45 甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)46 身延川裏不二(みのぶがわうらふじ)
次へ
Previous
Next
【関連記事】
赤富士が電線だらけ... 啓発イラストが「カッコよくて逆効果」と話題に【無電柱化民間プロジェクト】
葛飾北斎の傑作「富嶽三十六景」は、実は36枚ではない
北斎漫画にアジア諸国からの作品など、盛りだくさんなアートフェア東京2014 | ARTINFOhttp://www.huffingtonpost.jp/2015/08/01/hokusai_n_7916436.html
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
そもそも創造とは 人類が知らなかったこと、できなかったこと、考えなかったことを、新たに発見し、できなかったことを可能にし、考えることで、生命作用の多くの部分が創造活動であると言える。創造性の意味については 添付の文献を参照。
例えば、数学界では、微積分の発見とか、日々発表される論文の中の定理などは 顕著な創造活動の結果であるが、芸術作品、文学作品、科学における発見、工業における発明、技術など、広範囲に及び人間の知的活動の殆どに及んでいると言えるだろう。しかしながら、最大の創造とは 出産、育児にあるとも言える。
創造とは 世界史を拡大することである と定義したい。 世界史とは 人類の得た、感じ、知り、想像するすべての情報の総体である。人間存在の原理とは、生存に心がけ、知り、求め、何でも究めようということであるから、豊かな創造性とはまさしく、良く生きることに他ならない。人間として良く生きるこということは、生命の輝きとしての 豊かな創造活動にあると言っても良い。
創造活動の蓄積である、もろもろの科学の進歩が 人間を解放して、世界を拡大し、人間存在の意義を高めていると考えられる。
この声明の趣旨は、如何にして、創造性を高めるか について、省察することである。特に、大事な創造性の観点から、日本の教育の在りようが 改善されるべきではないか という観点に思いを致すことにある。
1) 創造性は情念、感情の中から生命作用として湧いてくるものであるから、感情や情操が大事ではないだろうか。この観点から、日本の教育が 知識偏重、枠に はめすぎではないだろうか。
2) 学術界では 大学院学生や研究者が日々それぞれの分野で研究活動を行っている。そこには流れや、流派のようなものがあって どんどん先へと研究を進めている。 ここで、
a)確立した研究分野の細分、先と 共に 新しい研究の芽 を育てるように絶えず配慮したい、多様性と自由性を尊重したい。
b)真の独創性には、 ゆとりと時間が 必要であるから、成果主義のような成果を追うような環境は、齷齪したような状況は 良くないのではないだろうか。 大学の法人化後の、成果主義、任期制の導入等で大事な若い研究者が、 じっくりと研究を行なえる環境を壊しているのではないか と危惧している。
c) 重要な発見が、 偶然性、 間違い、新奇な現象、にあることに鑑み、 そのような機会を広く展開し、そのような現象を見逃さない態度に留意したい。
d) 特に日本など、 後進国に見られる 顕著な例が、 良い研究や発見が、評価できず、折角の重要な発見を活かせない状況は、 基本的に現在でも変わらない実情がある。 良い研究とは何かが分からずに、先進国に伺いを立てているのが現実ではないだろうか。 これは哲学の軽薄さ、基礎の欠落から来ているのではないだろうか。 良いものとは何かと 絶えず問うべきである。
e) 特に、創造では 新奇な現象、新しい概念、考え方が 大事であることを強調して置きたい。 それらの基礎は、生物繁茂の原理でもある、多様性にある。
f) 特に、価値の創造、すなわち、価値あるのものとは何かの、新しい考え方、 評価の創造性、すなわち、優れているとは何かの考え方の 創造性を 重視して行きたい。
3) 生命活動の発現としての 創造の基は 幼年期、若い時期における人生観の 構成に関していて、小・中・高などの教育の在りようは 大事ではないだろうか。 その大事な人間形成時に 知識偏重の教育は、良くないのではないだろうか。日本の学校教育は 創造性の観点からも 基本的な問題を抱えていると考える(再生核研究所声明 76:教育における心得 ― 教育原理)。
以 上
添付:
創造性とは―選択理論.jp
www.choicetheory.jp/about/about4.html
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
創造性の重要性 - 日本創造学会
www.japancreativity.jp/juyou.html
創造の定義
________________________________________
1.創造性研究者たちの「創造の定義」
創造性を考える以上、「創造」とは何かを定義しておく必要がある。私は「日本創造学会」会員の方々に1983年に「創造とは何か」のアンケートを出し、83人の方々から回答を得た。ここに、現在も会員の方々の定義をピックアップすると、次のようになる。
【創造とは何か】*掲載は出典記載の順/所属は2002年度名簿より
●伊賀丈洋
「人間の思考状態には受動(感性)と能動(破壊と創造)があり、創造とは能動状態での思索または行動である」
●伊東俊太郎(麗澤大学)
「創造とは、問題を解決する、素材の新しい組み合わせ、新しい理論への変換を可能にする新たな視点の発見である」
●大鹿 譲(福井工業大学)
「人類が神の意志によって地球上で覇を称えるに至った原因たる活動で、同時に人類の滅亡の原因となる活動」
●恩田 彰(東洋大学)
「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」
●岩渕幸雄(情報知識学会)
「創造とは、戦略的発想の原動力である」
●江川 朗(総合経営研究所)
「創造とは、きわめて異質の発想を実現した社会的成果。発想とは諸情報の変形、加工、組合わせによる異質の意味化」
●江崎通彦(朝日大学大学院)
「今よりすぐあとの世界(未来)に夢を実現する」
●金子達也(日立製作所)
「独創とは尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなし」
●川喜田二郎(㈱川喜田研究所)
「なすに値する切実なものごとを、おのれの主体性と責任において、創意工夫を凝らして達成すること」
●國藤 進(北陸先端科学技術大学院大学)
「ある主体にとって既知のことがらを組合わせ、その主体にとって、ある観点からみて有用な未知のことがらを構築すること」
●小島英徳(智無庵コミュニケーションセンター)
「今のやり方を否定しながら、一歩づつ成果をあげる。そのためには、今のやり方に全生命をぶっつけてゆくこと」
●関 博剛((有)若草ホーム産業)
「意識と下意識を含めての全情報を、目的に志向して、機能的に統合運用し、一つの文化を生み出す全人格的所作」
●高橋 浩(現代能力開発研究所)
「質的な変革としてとらえたい。ものなら機能・構造の変革、社会ならしくみやしきたり・やり方の変革など」
●戸田忠良(戸田技術士事務所)
「従来自他の記憶にはなかったシステム、形、物、方法、機構などを新たに考案し表現すること」
●西 勝(明治学院大学)
「平凡に新しいことがら、ものが生まれること。消滅をも含め、全生物に喜ばれ、できれば定義不要にまで自然と」
●比嘉佑典(東洋大学)
「創造とは、個人の中に、事物の中にある古い結びつきを解体し、新しい結びつきにつくりかえることである」
●久田 成
「創造とは、脳梁経由の人間の大脳の左右両半球の情報交換を基幹とした新しい文化を生み出す行為のことである」
●檜山哲男
「創造とは、自己を忘ずる熱中の坩堝の中で、左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃きである」
●星野 匡(㈱プランネット)
「何らかの価値を有する、新しいアイデア・思想、その表現、あるいは表現としての事物を、意図的に生み出すこと」
●村上幸雄(栄養化学研究所)
「最高の創造は自己創造=自己表現である。これが栄養で大きく影響される可能性についての科学的研究が必要」
●師岡孝次(東海大学)
「現実を理想に近づける活動をいう。対象は"もの"でもシステムでもよい」
●渡辺俊男(余暇開発センター)
「新しい神経回路を開発することによって、未来性に有益な理論をつくりだすことである」
2.私の創造の定義
これらの方々の定義づけを参考にして、私は「創造」を次のように定義した。「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」である。この内容と創造性の研究領域を重ねると、以下のようになる。
■創造の定義
定義 領域
人が (創造的人間/発達)
問題を (問題定義/問題意識)
異質な情報群を組み合わせ (情報処理/創造思考)
統合して解決し (解決手順/創造技法)
社会あるいは個人レベルで (創造性教育/天才論)
新しい価値を生むこと (評価法/価値論)
(作成・高橋誠) 参照・「創造力事典」(日科技連出版社)
再生核研究所声明 145 (2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
(2013.12.8.14:20 研究室で、論文原稿を通読、満足して通読を終えて、休憩に入ろうとしたら、自然に湧いた構想である。)
ここでは 人間として生きることの 究極の意義 を考察したい。本質を観るには 余分な非本質的なことを排除するのが 良い。
まず、人間は生物であり、動物であるから、生物的な本能を満たしたいと考えるのは 当然である。生きること、生物的な条件が すべて満さられたと考えよう。食欲から人間を考える(再生核研究所声明85:食欲から人間を考える ― 飽きること)は 人間の本質をしっかり捉える意味で重要なことを述べていると考えられる。既に相当な人たちは、そのレヴェルを越えて、生きることを考えているだろう。
すなわち、学問、研究、芸術、求道、その他 好きなことを求め、考え、追及している。昇任したい、偉く成りたい、政治的な権力が欲しい、名誉が欲しいなどと考えている方も多いのではないだろうか。それらが、本当にどれほどの意味が有るかと問えば、実は自己とは離れていて、空しいものであると気づくだろう。自由な時間を求める者には、わずらわしく 馬鹿らしいと考えられるだろう。
しかしながら、それらを求めるが世に多いのは、それらに、自由とお金が結びつく、重要な副賞が 付いているからである。
世には、お金も 自由も十分に満たされている者も、実に多いのではないだろうか。 それで、人は何を求めて、生きている意義は 何かと問うている。一般的には、人間は、神、自由、不死を求めているとされる。さらに、人間存在の価値は、真、善、美、聖を求めることにあるとされている。しかしながら、今、それらを求める意義を問うているのである。それらに達したり、究めたりするのは 不可能であろうが、どんどん追及して行くことは出来る。しかしながら、それらの追及にも飽きて、やがて空しい、自己を発見するだろう。その時さらに、人間として生きること、在ることの意義を求めている。死からも解放されて、神さえも感得したら、人間は、さらに何を求めるかと問うている。世界史の中で、そのような回答を聞いたことは無い。されば、
人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなものである、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)(再生核研究所声明144)。
これが 回答に成り得るだろうか、それは 否であろう。 それよりは、人生の基本定理
再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか -
さて、自由意志を有する人間について さらに 何が人生で 問題であろうか。すなわち、人間をその内なる世界からみれば、どのようになるであろうか。それは究極、人生の基本定理 人生の意義は 感動すること にある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。
なにものかによって 作られた人間 が できることとは、理想境界(ideal boundary, 想像上の境界)のように、自らの生命と感情の命ずるままに生きざるを得ない のではないだろうか。
暇だから、巨大素数の構造を調べる遊びに熱中していた、暇だから 数学をやる他ないと言っているような者は 世に多い (再生核研究所声明36)。
真実は唯一つ、生命の基本定理; 生きて存在しなければ、始まらない、ただ生きること、これだけが真実で、確かなことのようにみえる。
しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに非ず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。
以 上









The Huffington Post | 執筆者: 安藤健二
メール
投稿日: 2015年08月01日 15時25分 JST 更新: 2015年08月01日 15時39分 JST
世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎が大波の描写をマスターするまでに、30年近くかかったことを指摘するツイートが話題になっている。
これは1805年、まだ40代だった北斎が制作した版画「おしおくりはとうつうせんのづ」。北斎の代表作の一つ「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)と同じく、押送船と大波という題材を扱っているが、いまいち迫力が足りない。
hokusai01
こちらは「神奈川沖浪裏」。1831年ごろに出版された名所浮世絵の連作「富嶽三十六景」の一つ。北斎70代の作品で、はるかに迫力を増している。
kanagawaoki
CMプランナーの田中泰延さんは、この2つの絵を比較した上で「表現物でも、仕事のプロジェクトでも、『ひとつのテーマで納得のいくまでやりとげたい』と思ったら、何度でも挑戦すべき」と、Twitteに投稿。6000回を超えるリツイートをされ、広く拡散している。
葛飾北斎「富嶽三十六景」
1 / 47
Wikimedia Commons
1 江戸日本橋(えどにほんばし)2 江都駿河町三井見世略圖(こうとするがちょうみついみせりゃくず)3 東都駿臺(とうとするがだい)4 東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)5 本所立川(ほんじょたてかわ)6 深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)7 五百らかん寺さざゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)8 青山圓座枩(あおやまえんざまつ)9 隠田の水車(おんでんのすいしゃ)10 下目黒(しもめぐろ)11 礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)12 御厩川岸より両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)13 隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)14 武州千住(ぶしゅうせんじゅ)15 従千住花街眺望ノ不二(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ)16 武陽佃嶌(ぶようつくだしま)17 上總ノ海路(かずさのかいじ)18 登戸浦(のぼとのうら)19 常州牛掘(じょうしゅううしぼり)20 東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)21 神奈川沖浪裏22 武州玉川(ぶしゅうたまがわ)23 東海道程ケ谷(とうかいどうほどがや)24 相州七里濵(そうしゅうしちりがはま)25 相州江の嶌(そうしゅうえのしま)26 相州仲原(そうしゅうなかはら)27 相州梅澤庄(そうしゅううめざわのしょう)28 相州箱根湖水図(そうしゅうはこねこすいず)29 甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)30 駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)31 駿州大野新田(すんしゅうおおのしんでん)32 山下白雨(さんかはくう)33 凱風快晴(がいふうかいせい)34 諸人登山(しょにんとざん)35 駿州江尻(すんしゅうえじり)36 東海道江尻田子の浦略圖(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)37 東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)38 遠江山中(とおとうみさんちゅう)39 東海道吉田(とうかいどうよしだ)40 尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)41 甲州犬目峠(こうしゅういぬめとうげ)42 甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)43 甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)44 信州諏訪湖(しんしゅうすわこ)45 甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)46 身延川裏不二(みのぶがわうらふじ)
次へ
Previous
Next
【関連記事】
赤富士が電線だらけ... 啓発イラストが「カッコよくて逆効果」と話題に【無電柱化民間プロジェクト】
葛飾北斎の傑作「富嶽三十六景」は、実は36枚ではない
北斎漫画にアジア諸国からの作品など、盛りだくさんなアートフェア東京2014 | ARTINFOhttp://www.huffingtonpost.jp/2015/08/01/hokusai_n_7916436.html
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
そもそも創造とは 人類が知らなかったこと、できなかったこと、考えなかったことを、新たに発見し、できなかったことを可能にし、考えることで、生命作用の多くの部分が創造活動であると言える。創造性の意味については 添付の文献を参照。
例えば、数学界では、微積分の発見とか、日々発表される論文の中の定理などは 顕著な創造活動の結果であるが、芸術作品、文学作品、科学における発見、工業における発明、技術など、広範囲に及び人間の知的活動の殆どに及んでいると言えるだろう。しかしながら、最大の創造とは 出産、育児にあるとも言える。
創造とは 世界史を拡大することである と定義したい。 世界史とは 人類の得た、感じ、知り、想像するすべての情報の総体である。人間存在の原理とは、生存に心がけ、知り、求め、何でも究めようということであるから、豊かな創造性とはまさしく、良く生きることに他ならない。人間として良く生きるこということは、生命の輝きとしての 豊かな創造活動にあると言っても良い。
創造活動の蓄積である、もろもろの科学の進歩が 人間を解放して、世界を拡大し、人間存在の意義を高めていると考えられる。
この声明の趣旨は、如何にして、創造性を高めるか について、省察することである。特に、大事な創造性の観点から、日本の教育の在りようが 改善されるべきではないか という観点に思いを致すことにある。
1) 創造性は情念、感情の中から生命作用として湧いてくるものであるから、感情や情操が大事ではないだろうか。この観点から、日本の教育が 知識偏重、枠に はめすぎではないだろうか。
2) 学術界では 大学院学生や研究者が日々それぞれの分野で研究活動を行っている。そこには流れや、流派のようなものがあって どんどん先へと研究を進めている。 ここで、
a)確立した研究分野の細分、先と 共に 新しい研究の芽 を育てるように絶えず配慮したい、多様性と自由性を尊重したい。
b)真の独創性には、 ゆとりと時間が 必要であるから、成果主義のような成果を追うような環境は、齷齪したような状況は 良くないのではないだろうか。 大学の法人化後の、成果主義、任期制の導入等で大事な若い研究者が、 じっくりと研究を行なえる環境を壊しているのではないか と危惧している。
c) 重要な発見が、 偶然性、 間違い、新奇な現象、にあることに鑑み、 そのような機会を広く展開し、そのような現象を見逃さない態度に留意したい。
d) 特に日本など、 後進国に見られる 顕著な例が、 良い研究や発見が、評価できず、折角の重要な発見を活かせない状況は、 基本的に現在でも変わらない実情がある。 良い研究とは何かが分からずに、先進国に伺いを立てているのが現実ではないだろうか。 これは哲学の軽薄さ、基礎の欠落から来ているのではないだろうか。 良いものとは何かと 絶えず問うべきである。
e) 特に、創造では 新奇な現象、新しい概念、考え方が 大事であることを強調して置きたい。 それらの基礎は、生物繁茂の原理でもある、多様性にある。
f) 特に、価値の創造、すなわち、価値あるのものとは何かの、新しい考え方、 評価の創造性、すなわち、優れているとは何かの考え方の 創造性を 重視して行きたい。
3) 生命活動の発現としての 創造の基は 幼年期、若い時期における人生観の 構成に関していて、小・中・高などの教育の在りようは 大事ではないだろうか。 その大事な人間形成時に 知識偏重の教育は、良くないのではないだろうか。日本の学校教育は 創造性の観点からも 基本的な問題を抱えていると考える(再生核研究所声明 76:教育における心得 ― 教育原理)。
以 上
添付:
創造性とは―選択理論.jp
www.choicetheory.jp/about/about4.html
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
創造性の重要性 - 日本創造学会
www.japancreativity.jp/juyou.html
創造の定義
________________________________________
1.創造性研究者たちの「創造の定義」
創造性を考える以上、「創造」とは何かを定義しておく必要がある。私は「日本創造学会」会員の方々に1983年に「創造とは何か」のアンケートを出し、83人の方々から回答を得た。ここに、現在も会員の方々の定義をピックアップすると、次のようになる。
【創造とは何か】*掲載は出典記載の順/所属は2002年度名簿より
●伊賀丈洋
「人間の思考状態には受動(感性)と能動(破壊と創造)があり、創造とは能動状態での思索または行動である」
●伊東俊太郎(麗澤大学)
「創造とは、問題を解決する、素材の新しい組み合わせ、新しい理論への変換を可能にする新たな視点の発見である」
●大鹿 譲(福井工業大学)
「人類が神の意志によって地球上で覇を称えるに至った原因たる活動で、同時に人類の滅亡の原因となる活動」
●恩田 彰(東洋大学)
「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」
●岩渕幸雄(情報知識学会)
「創造とは、戦略的発想の原動力である」
●江川 朗(総合経営研究所)
「創造とは、きわめて異質の発想を実現した社会的成果。発想とは諸情報の変形、加工、組合わせによる異質の意味化」
●江崎通彦(朝日大学大学院)
「今よりすぐあとの世界(未来)に夢を実現する」
●金子達也(日立製作所)
「独創とは尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなし」
●川喜田二郎(㈱川喜田研究所)
「なすに値する切実なものごとを、おのれの主体性と責任において、創意工夫を凝らして達成すること」
●國藤 進(北陸先端科学技術大学院大学)
「ある主体にとって既知のことがらを組合わせ、その主体にとって、ある観点からみて有用な未知のことがらを構築すること」
●小島英徳(智無庵コミュニケーションセンター)
「今のやり方を否定しながら、一歩づつ成果をあげる。そのためには、今のやり方に全生命をぶっつけてゆくこと」
●関 博剛((有)若草ホーム産業)
「意識と下意識を含めての全情報を、目的に志向して、機能的に統合運用し、一つの文化を生み出す全人格的所作」
●高橋 浩(現代能力開発研究所)
「質的な変革としてとらえたい。ものなら機能・構造の変革、社会ならしくみやしきたり・やり方の変革など」
●戸田忠良(戸田技術士事務所)
「従来自他の記憶にはなかったシステム、形、物、方法、機構などを新たに考案し表現すること」
●西 勝(明治学院大学)
「平凡に新しいことがら、ものが生まれること。消滅をも含め、全生物に喜ばれ、できれば定義不要にまで自然と」
●比嘉佑典(東洋大学)
「創造とは、個人の中に、事物の中にある古い結びつきを解体し、新しい結びつきにつくりかえることである」
●久田 成
「創造とは、脳梁経由の人間の大脳の左右両半球の情報交換を基幹とした新しい文化を生み出す行為のことである」
●檜山哲男
「創造とは、自己を忘ずる熱中の坩堝の中で、左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃きである」
●星野 匡(㈱プランネット)
「何らかの価値を有する、新しいアイデア・思想、その表現、あるいは表現としての事物を、意図的に生み出すこと」
●村上幸雄(栄養化学研究所)
「最高の創造は自己創造=自己表現である。これが栄養で大きく影響される可能性についての科学的研究が必要」
●師岡孝次(東海大学)
「現実を理想に近づける活動をいう。対象は"もの"でもシステムでもよい」
●渡辺俊男(余暇開発センター)
「新しい神経回路を開発することによって、未来性に有益な理論をつくりだすことである」
2.私の創造の定義
これらの方々の定義づけを参考にして、私は「創造」を次のように定義した。「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」である。この内容と創造性の研究領域を重ねると、以下のようになる。
■創造の定義
定義 領域
人が (創造的人間/発達)
問題を (問題定義/問題意識)
異質な情報群を組み合わせ (情報処理/創造思考)
統合して解決し (解決手順/創造技法)
社会あるいは個人レベルで (創造性教育/天才論)
新しい価値を生むこと (評価法/価値論)
(作成・高橋誠) 参照・「創造力事典」(日科技連出版社)
再生核研究所声明 145 (2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
(2013.12.8.14:20 研究室で、論文原稿を通読、満足して通読を終えて、休憩に入ろうとしたら、自然に湧いた構想である。)
ここでは 人間として生きることの 究極の意義 を考察したい。本質を観るには 余分な非本質的なことを排除するのが 良い。
まず、人間は生物であり、動物であるから、生物的な本能を満たしたいと考えるのは 当然である。生きること、生物的な条件が すべて満さられたと考えよう。食欲から人間を考える(再生核研究所声明85:食欲から人間を考える ― 飽きること)は 人間の本質をしっかり捉える意味で重要なことを述べていると考えられる。既に相当な人たちは、そのレヴェルを越えて、生きることを考えているだろう。
すなわち、学問、研究、芸術、求道、その他 好きなことを求め、考え、追及している。昇任したい、偉く成りたい、政治的な権力が欲しい、名誉が欲しいなどと考えている方も多いのではないだろうか。それらが、本当にどれほどの意味が有るかと問えば、実は自己とは離れていて、空しいものであると気づくだろう。自由な時間を求める者には、わずらわしく 馬鹿らしいと考えられるだろう。
しかしながら、それらを求めるが世に多いのは、それらに、自由とお金が結びつく、重要な副賞が 付いているからである。
世には、お金も 自由も十分に満たされている者も、実に多いのではないだろうか。 それで、人は何を求めて、生きている意義は 何かと問うている。一般的には、人間は、神、自由、不死を求めているとされる。さらに、人間存在の価値は、真、善、美、聖を求めることにあるとされている。しかしながら、今、それらを求める意義を問うているのである。それらに達したり、究めたりするのは 不可能であろうが、どんどん追及して行くことは出来る。しかしながら、それらの追及にも飽きて、やがて空しい、自己を発見するだろう。その時さらに、人間として生きること、在ることの意義を求めている。死からも解放されて、神さえも感得したら、人間は、さらに何を求めるかと問うている。世界史の中で、そのような回答を聞いたことは無い。されば、
人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなものである、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)(再生核研究所声明144)。
これが 回答に成り得るだろうか、それは 否であろう。 それよりは、人生の基本定理
再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか -
さて、自由意志を有する人間について さらに 何が人生で 問題であろうか。すなわち、人間をその内なる世界からみれば、どのようになるであろうか。それは究極、人生の基本定理 人生の意義は 感動すること にある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。
なにものかによって 作られた人間 が できることとは、理想境界(ideal boundary, 想像上の境界)のように、自らの生命と感情の命ずるままに生きざるを得ない のではないだろうか。
暇だから、巨大素数の構造を調べる遊びに熱中していた、暇だから 数学をやる他ないと言っているような者は 世に多い (再生核研究所声明36)。
真実は唯一つ、生命の基本定理; 生きて存在しなければ、始まらない、ただ生きること、これだけが真実で、確かなことのようにみえる。
しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに非ず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。
以 上









0 件のコメント:
コメントを投稿