2018年8月11日土曜日

エジプト式分数(エジプトしきぶんすう、単にエジプト分数とも、英: Egyptian fraction)とは、

エジプト式分数(エジプトしきぶんすう、単にエジプト分数とも、: Egyptian fraction)とは、いくつかの異なる単位分数(分子が 1 の分数)の和、あるいは分数をそのように表す方式を意味する。例えば、通常 56 で表す分数を 12 + 13 などと表す。任意の有理数はこの形式で表すことができるが、表し方は一意ではない。この形式で分数を扱う方法は、古くは古代エジプトリンド・パピルスに見られ、ヨーロッパでは中世まで広く用いられた。現代でも数論の分野において、エジプト式分数に端を発する数学上の未解決問題が多く残されている。

単位分数展開[編集]

以下、特に断らない限り、単に「分数」といった場合、正の真分数、すなわち 0 より大きく 1 より小さな分数のみを考えているものとする。
例えば 25 は単位分数の和として 15 + 15 と表せるが、エジプト式分数では同じ単位分数を繰り返し用いることはせず、25 = 13 + 115 のように表す。いかなる分数に対してもこのような単位分数展開が必ず存在することは自明ではないが、後述するように今日ではあらゆる分数が無数に多くの単位分数展開を持つことが証明されている(#強欲算法の節参照)。さらに例を挙げると、37 = 14 + 17 + 128 = 16 + 17 + 114 + 121 であって、前者の展開は項数が最小であり、後者の展開は最大分母の値が最小である[1]。このように、どのような単位分数展開が最も「単純」であるか、は明らかではない。

古代エジプト[編集]

エジプト中王国では、ホルスの目を用いたそれ以前の不完全な分数体系(12k (k = 1, 2, …, 6) の和で表す)に替わって、エジプト式分数による方法が発達した。エジプト式分数が見られる古い文献としては、エジプト数学革巻きモスクワ・パピルスレイズナー・パピルス英語版)、カフン・パピルス英語版)、アクミム木刻版英語版)がある。特に有名なリンド・パピルスは、紀元前1650年頃に書かれたものであり、5 以上 101 以下の奇数 n に対して 2n を単位分数の和で表している(#リンド・パピルスの展開一覧の節参照)。
古代エジプト人が、いちいちこのように単位分数の和で表した理由については、よく分かっていない。ただ、リンド・パピルスにはパンを分け合う問題がいくつもあって、実際にパンを分け合うにはエジプト式の表示が理に適っている場合がある。例えば、リンド・パピルスの問題3は、6斤のパンを10人で分け合うとき、1人分は 12 + 110 であることを答とする。6斤のパンをそれぞれ5等分するよりも、5斤を1斤づつ2等分して1片ずつ取り、残りの1斤を10等分する方が簡単である[2]。一方では、合理的とは思えない表示を選ぶ場合もある。リンド・パピルスの問題4は、7斤のパンを10人で分け合う問題であるが、12 + 15 ではなく、23 + 130 を答としている[3]。23 は単位分数ではないから、この表示は狭い意味でエジプト式ではないが、古代エジプト人にとって 23 は特別な数であったらしい。23 = 12 + 16 であることを知っていたにもかかわらず、好んでこの数を用いている。
リンド・パピルスにおける 2n の表を参照すれば、分母が 100 以下の奇数である多くの分数が、機械的に単位分数の和で表せる。例えば、表より 221 = 114 + 142 であるから、
521 = 121 + (114 + 142) + (114 + 142) = 121 + 17 + 121 = 17 + 114 + 142
と計算できる[4]。リンド・パピルスにおいて、2n に特に注意が払われているのは、古代エジプトの乗法英語版)アルゴリズムが2倍を基礎においているためであろう、とも考えられている[5]

表記[編集]

古代エジプト人たちは、23 を唯一の例外として、単位分数のみを表記した。単位分数 1n を表すために、神官文字では点を、神聖文字では
D21
を n を表す記号の上に置いた。例えば
D21
Z1 Z1 Z1
{\displaystyle ={\frac {1}{3}}}
D21
V20
{\displaystyle ={\frac {1}{10}}}
といった具合である。12 と 23 のみ、特別なグリフ
Aa13
{\displaystyle ={\frac {1}{2}}}
D22
{\displaystyle ={\frac {2}{3}}}
を持つ。23 のグリフは、正確には右の縦線が若干長い。長い方が 1 を、短い方が 12 を表し、全体としてはその和 32 の逆数を意味している[2]

計算方法[編集]

現代の数学史家は、リンド・パピルスなどの古文書を調べ、古代エジプト人のエジプト式分数による計算方法がどのようなものであったかを研究した。特に、リンド・パピルスに書かれた 2n の表現がどのように得られたのかに注目し、様々な説を立てている。古代エジプト人が、分数を単位分数の和に表す系統的な方法を知っていたかどうかは不明であるが、少なくとも単一の方法のみを用いたのではなさそうである。恒等式 22m + 1 = 1m + 1 + 1(m + 1)(2m + 1) を用いれば、単一の方法で2つの単位分数の和に表せるにもかかわらず、分母が大きくなるのを嫌ってか、リンド・パピルスでは3項あるいは4項の和に表しているものもある。数学史家たちの分析によれば、分母が素数の場合と合成数の場合で、リンド・パピルスの著者は異なる方法を用いており、それぞれの場合においても複数の方法を用いている。

分母が奇素数の場合(1)[編集]

小さな奇素数 p = 2m + 1 (3, 5, 7, 11, 23) に対しては、恒等式 22m + 1 = 1m + 1 + 1(m + 1)(2m + 1) が用いられている。この方法は奇素数に限らず、任意の奇数に対して使用できる。

分母が奇素数の場合(2)[編集]

大きめの奇素数 p (13, 17, 19, 29, …) に対しては、恒等式 2p = 1A + 2A − pAp が用いられている。ここで、A は p2 < A < p を満たし、約数を多く持つ数が選ばれる。2A − pAp について、分子が A のいくつかの約数の和に表すことができれば、約分して単位分数の和を得る。例えば、p = 37 に対して A = 24 とすると、2A − p = 11 = 3 + 8 で 3 と 8 は 24 の約数であるから、リンド・パピルスの展開 237 = 124 + 1111 + 1296 を得る。A を取り替えたり、約数の和に分解する方法を変えたりすると別の展開を得る。

分母が半素数の場合(1)[編集]

分母が2つの奇素数の積として pq であるとき、a = p + 12 として恒等式 2pq = 1aq + 1apq を用いることができる。例えば、p = 3, q = 7 のとき、a = 2 より 221 = 114 + 142 を得る。この方法で、リンド・パピルスの単位分数展開のうち、分母が半素数であるものの多くは説明が付く。

分母が半素数の場合(2)[編集]

分母が半素数の場合、r = p + q2 として恒等式 2pq = 1pr + 1qr を用いることもできる[6]。例えば、p = 5, q = 7 とすると、リンド・パピルスの表示 235 = 130 + 142 を得る。291 についても同様である。

分母がその他の合成数の場合[編集]

その他の合成数 n については、n の約数 m に対する 1m の単位分数展開から得られる。例えば、219 = 112 + 176 + 1114 を 5 で割ることにより、295 = 160 + 1380 + 1570 を得る。実際は、1380 + 1570= 1228 であるから、より簡単な展開を得るが、リンド・パピルスでは簡約化されていないものが記されている。3つ以上の素数の積、27, 45, 63, 75, 81, 99 に対してもこの方法で説明が付く。

分母が101の場合[編集]

リンド・パピルスの最後の単位分数展開 2101 = 1101 + 1202 + 1303 + 1606 は、以上のどれにも当てはまらないが、恒等式 2p = 1p + 12p + 13p + 16p に p = 101 を代入して得られる。これと同等の等式は『エジプト数学羊皮紙巻子本』でも用いられている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E5%BC%8F%E5%88%86%E6%95%B0

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない///

人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


ゼロで割る問題、ゼロ除算は歴史家の分析によれば、最初に考えたのはアリストテレスで、物理的な意味から真空の比、ゼロ除算は不可能であると述べ その後の西欧文化に大きな影響を与えたと言う。狭義ではゼロの発見と算術の発見者Brahmagupta (598 -668 ?)はゼロ除算0/0 を考え、その後1300年を越えて、ゼロ除算は議論されてきたが、 現在でも未明の状態と考えられる。ゼロ除算は2014.2.2発見されて論文などにも公表されているが、そのあまりにも永い歴史のゆえに 中々認知されない状況が続いている。それが殆ど当たり前のことなのに、拒否、受け入れられない状況が続いている。最近も誤解を解消すべく解説をしている:
再生核研究所声明 434 (2018.7.28) :  ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 437 (2018.7.30) :  ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
再生核研究所声明 438(2018.8.6):  ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 の誤解について
そこで、タブーの理由を考察して置きたい。ゼロ除算の結果を複数のヨーロッパの数学者に直接話したときに、アリストテレスの名前をあげて、異様に感情むき出しで拒否されたのは 強力な体験である。表情をサッと変えられた方が居た。そのような話しは聞きたくないという強い意志表示であるから、単に数学の話しをしているようには 感じられないものである。それも20年来の友人たちの間の出来事である。背後には永く深いギリシャ文化の影響、無やゼロ、空を嫌う文化、無神論を発想しているような 深い拒否反応である。 日本でもゼロで割ってはいけないは永い伝統であるから 受け入れられないは あるが、ゼロについての不愉快な気持ちは 零点や消えること、無くなることなど 不愉快な気持ちが強いようである。
数学的には 簡単にゼロ除算の不可能が証明されてしまう事実と共に1/0 は 無限大のようなものであるとの確信が深いためであろう。それがゼロであると言われて天地が ひっくり変える様な驚きを感じるだろう。実際、基本的な関数y=1/x を考えて、xが小さく成る時、yの値がどんどん大きく発散している様子を思い浮かべるだろう。アリストテレスの世界観連続性に反するので、そのような突飛でないことは認められないと考えられてきた。そこで、ゼロ除算は 有る意味では神秘的な対象 になってしまう。
インターネットの世界でもそのような扱いになっている。
タブーの永い原理は、無、ゼロ、空などの忌み嫌う感情、世の連続性に拘るギリシャ文化の強い影響、数学的な明解な 不可能であることの証明 があるのではないだろうか。実際には、最も簡単な方程式 ax =b の解として、分数b/a, 割り算を考えれば、有名なMoore-Penrose一般逆で解は何時でも一意に存在して 1/0=0 は相当に基本的な考えて ゼロ除算は周知の筈と考えられるが、上記の永い伝統、思い込みでそれらは受け入れられず、沢山の意味付けや例を示されても、中々理解されない状況が続いていると考えられる。

再生核研究所声明 442(2018.8.10):  ゼロ除算研究の大義と研究協力へのお願い
一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
しかるに 2018.8.8.8:40 突然に全体の構想が湧いてきた。 そこで、できるだけその忠実な表現を試みたい。 その主旨は ゼロ除算の研究の重要性とその研究を進めるための各種協力の要請である。
ゼロ除算の研究の意義、重要性は単純明快であると考えられる。世にゼロ除算は不可能であるとか、ゼロで割ってはいけないは世界の常識でありインターネット上でもそのような方向で間違った情報が氾濫しているばかりか、数学界でも 禁じられた世界で永くタブーとして確立している。 その神秘的な歴史は アリストテレスにさかのぼると言われ、直接的にも算術の確立以来1300年を越える、悪しき認識で現在に至っている。4年以上前に ゼロ除算を偶然発見して、 直ちにその重要性を指摘、理解を求める努力を行ってきたが、 あまりにも永い悪しき伝統のゆえに中々理解されず、現在に至っても公認、認知されているとは言えず、全体的には無視か誤解の状況にあると判断される。 例えば非ユークリッド幾何学の発見のように 全く新規な世界が現れたのであるから、初期の段階で拒否の心が強いと言える。しかしながら、発表論文や講演を1つでも読み、聴講すれば、その意義の重大さに驚嘆させられるのではないだろうか。 実際には、あまりにも驚嘆して、受け入れられず、 発見された新世界を覗かない人すら多い。 全く新しい数学で、理解を求めるのが困難な状況が有り、この4年間の経緯がそれらをよく示している。 新しい数学を紹介するために 従来数学を変更する具体例は800件を超えていて、公表している。
最初の段階における構想を著書の形に纏め、一応の理論として公表、広く意見を求めている。 全く新規な数学で、初等数学全般の改変が求められていると表現されているので、その意義の大きさは歴然である。 典型的な具体例は \tan(\pi/2)=0、すなわち、 y軸の勾配がゼロであると表現され、それは幾何学、解析学、ユークリッド幾何学に大きな影響を与え、 ユークリッド以来の我々の空間の認識を変える必要性が求められている。我々の初等数学は不完全であり、完全化が求められているというのであるから、ゼロ除算の研究の重要性は明らかであろう。
割り算の考えの変更で 小学生以降の算数、数学の教育の変更が求められ、それは大きな世界が 拓かれることを意味する。
そこで、新しい数学の理解を得ることの困難な状況に対して、多くの人の理解が得られるように各種協力を 歴史の大義を受けて、要請したい。 もとより、数学を日本のスケールで論じる気持ちはないが、 しかしながら、日本で、世界の初等数学全般を変更し、数学を美しく完全化するという構想が進めば、もともと輸入に頼って来た欧米数学に対して 欧米数学を基本的に変え、美しい数学を建設できる絶好の機会と捉えれば、 ゼロ除算研究の大義に参画される熱情が湧いてくるのではないかと考える。 これを楽しく考えて見よう。 世界の初等数学に公式1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 が載り、1000年を越える悪しき世界史を変更、ゼロ除算は自然な考え方で可能で、 ゼロ除算の成果は普遍的に活用され、ユークリッド幾何学は 完全化され、修正されたと言える時代を直ぐに迎えられるだろう。 日本国の世界に対する顕著な貢献として、 数学界を越えて世界史に貢献できる絶好の機会であると考える。
この情念に、多くの人々が参加され、新しい世界を共に喜びに満ちて開拓したいと考える。 各種できるところでのゼロ除算研究・教育活動への協力を広くお願いしたい。
以 上


再生核研究所声明 441(2018.8.9):  小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について

一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
法華経3000巻の意義・教訓から、小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について感覚的に情念として触れてみたい。 初等数学教育において ゼロ除算の教育は改められるべきである。そもそも割り算、分数の意義、意味を正確にきちんと教育する必要がある。理解は正確に 実際当時6歳であった道脇愛羽さんが理解したように理解すれば、割り算の意味もゼロ除算の意味も明解になり、その影響と良き視点、世界の広がりは極めて大きい。除算の考えによる割り算の捉え方、すなわち、割り算とはたとえば10割る2とは10の中に2が幾つか入っているかと考えることが原点で、それは10から2を 何回引けるかということを意味する。我々はその詳しい方式を道脇方式として述べて、論文や解説で精しく述べている。既に割り算の計算方法、指導方法なども道脇裕氏によって具体的に提案されている。これは割り算の計算法の初期の指導法として本質的で極めて優れた方法に思えるので、広く活用されることを期待している。
そこで、大事なことは 永い神秘的な歴史を有するゼロ除算、ゼロで割る問題があっけなく解決してしまい、ゼロ除算はゼロであるという結果を導くことである。すなわち、1/0=0/0=a/0=0 である。ゼロで割るとは、割らないことと同じであるということになる。したがって、割りあてられた量もなく、ゼロである。ここで、ゼロで割ることの正確な意味を捉え、またゼロの意味をいろいろな視点からとらえる基礎を得ることになるだろう。ゼロのいろいろな意味を考える基礎も得られる。
次の段階で、関数が現れ、反比例の具体的な関数y=1/xが現れてくる段階になれば、その関数の原点での値は、ゼロ除算の結果から、それをゼロと考えることの自然性を学び、
その意義の大きさはカリキュラムの進展とともに驚きの感情をもって学ぶことができるだろう。立体射影の概念と無限遠点における強力な不連続性は我々の数学と空間の初歩的で基本的な実体であるから、早期に学習しておきたい。内容は難しくなく、ユークリッド幾何学や三角関数の性質についても全般的な修正が求められる。その辺のカリキュラムの変更は時間を掛けて整然とした形に改められなければならないが内容自体はそうは難しくなく、しかも視野は大きく拓かれる。大学以降ではゼロ除算は数学の公理系の変更、追加のように扱われ初等数学全般の修正が求められる。象徴的な結果は\tan(\pi/2)=0、すなわちy軸の勾配はゼロであると述べられる。それは、幾何学、解析学全般に大きな影響を与える。微分方程式論や解析関数論などは本質的な修正が行われ、数学は完全化され、美しくなるだろう。
そこで、数学教育に携わる方は1歩進んで次の世代の数学を学ばれ、それを楽しく生徒たちに折りに触れて紹介され、生き生きとした数学の世界を 紹介して頂きたいと願っている。 数学はできていて 完成されたものではなく、未完の発展中の存在で未知の世界と盛んに関係している存在であるとしたい。そのような教育は真理を求める基本的な精神の涵養と育成にも大きく貢献するだろう。またゼロ除算発見の最大の意義は、人間が如何に独断と偏見に満ち、思い込んだら抜けられない存在であるか、我々の視野が如何に狭く、単細胞的な存在であるかを歴史的に学べるという点にあると言える。それには世の秀才や天才、偉大な人びとさえ例外でないことを示している。人間を知ることである。
以 上

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上

ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在
                     
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
                           
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
                                                          
ベーダ・ヴェネラビリス(アイルランドの神学者)

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
P199より

Please look the papers:
Reality of the Division by Zero z/0=0
DOI:
10.12732/ijam.v27i2.9.

Albert Einstein:

Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.

George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
無限遠点は、実は数で0で表されていた。

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0(628年→2014年2月2日)

リーマン球面における無限遠点は、実は、原点0に一致していました。

地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 
2015.7.24.9:10
意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。
生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
                                                
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

直線上を どこまでも行ったら、どこに行くでしょうか? 驚くべきことに 行き先があり、意外なところで 止まる。 これすごいことでは? 下記の図をよく見て、美しい解釈を考えてください。
我々の空間は実は そうなっていたと言えると思います。簡単な論文ですが、新らしい世界を拓いている(2016.7.24:06:21): (2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra
& Matrix Theory, 6, 51-58.
DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
2つの0を足しても一つのゼロです:

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
地球平面説→地球球体説 地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説:アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

 

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