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Chikirin2015年12月05日 00:00東京一極集中と地方の衰退は無関係
「東京一極集中」と「地方の衰退」をセットで語る人が多いんだけど、このふたつって何の関係もないよね。
だって東京一極集中の対立概念は、地方再生ではなく、2大都市集中、もしくは、複数大都市への集中、なんだから。
ほら↓
<先進国の例>
・フランス=パリ一極集中
・イギリス=ロンドン一極集中
・日本=東京一極集中
vs.
・アメリカ=ニューヨーク,ボストン、ワシントンDC,シカゴ、サンフランシスコなど複数大都市集中
・ドイツ=ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘン、ケルン、フランクフルトAMなど、複数大都市集中
・カナダやオーストラリアもこちらのタイプ
<中進国の例>
・韓国=ソウル一極集中
・タイ=バンコク一極集中
・フィリピン=マニラ一極集中
vs.
・中国=北京、上海、広州、深セン;、武漢、天津など複数大都市集中
・インド=デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、バンガロールなど、複数大都市集中
・ベトナム=ハノイとホーチミンの 2大都市集中
・ブラジル=サンパウロとリオデジャネイロの 2大都市集中
上記からわかるように、先進国にも中進国にも一極集中タイプの国と、複数都市に人口や経済力が分散してる国があって、後者は、数個の大都市への集中型と、二大都市型に分かれてるんです。
特定の国の姿がどのタイプになるかは、
・国土の大きさ
・歴史的な経緯
・国内交通機関の発達の度合い
などによって決まりますが、首都移転を実施することで一極集中から 2大都市型に移行させるなど、人為的に変更することも可能です。
日本でも大阪の橋下徹氏は、「東京一極集中はダメ」「大阪は東京と肩を並べられる 2大都市を目指すべきだ」と主張しており、
前回の住民投票では、結果こそ「東京一極集中のままでよい。大阪は今のまま変わりたくないので」ということでしたが、
得票数はかなり拮抗していたので、「東京と大阪の 2大都市型を目指したい」という人もかなり多いんでしょう。
また道州制が実現すれば、福岡や名古屋などが東京・大阪に並ぶ都市へと発展し、複数都市型の国への道も開けます。
道州制が是か否かという議論は、まさに「東京一極集中は是か非か」という議論なんです。
みなさんは、
・東京一極集中が好ましいと思ってますか?
・それとも、東京大阪の 2大都市スタイルを目指すべきという意見?
・もしくは、東京大阪だけでなく、福岡や名古屋など複数大都市型を目指すべきと考えてる?
私は東京一極集中より、道州制による複数都市型がよいと思っていますが、他都市にその気がないなら(=変化が嫌いなら)仕方ないです。
自分が住むエリアを東京と並ぶ都市にしたいかどうかは、そのエリアに住む人が決めることなので。
いずれにせよ!
限界都市だの消滅都市だのといった地方の衰退問題と、東京一極集中は完全な別課題です。
「東京か地方か」みたいな語り方をする人は、予算の配分方法の話と、都市構成のあり方がごっちゃになってるのでしょう。
★★★
では次に、地方の衰退(地方の再生)問題について考えてみましょう。
ここで大事なのは、「都市と人のマッチング市場」が複数存在するということです。
(「市場の選択」という概念については、『 マーケット感覚を身につけよう 』をご覧ください)
「都市と人のマッチング市場」はひとつではなく、複数(日本では 3つ)存在しています。
1)多彩な文化が集積する高刺激な大都市に住みたい人と、そういった都市である大都市のマッチング市場
2)便利だが混雑はしない地方中堅都市に住みたい人と、そういった地方中堅都市のマッチング市場
3)自然豊かな環境に住みたい人と、そういった少人口地域のマッチング市場
1)の市場にいるのは私のような人です。地方のイオンモールがいくら巨大でも、全く満足できない人。こういう「人」はたくさんいます。
ところが(人側はたくさんいるのに)、この市場の都市側には、東京しか存在していません。だから東京一極集中が起こってるんです。
福岡や名古屋や大阪が本気でこの市場に参入してくれば、一極集中は緩和されるでしょう。
また、東京が何か強烈にネガティブなことをした場合(もしくは、そういう事態に陥った場合)も一極集中は崩れます。
たとえば、テロが頻発する、放射能に汚染される、治安がめちゃくちゃ悪くなる・・・など、なんらかの理由で東京がものすごく住みにくくなれば、東京から大阪や福岡など他の大都市に出て行く人も増えるでしょう。
2)の市場は、人口が数十万人以上の中堅都市と、
・通勤ラッシュも激混みもない
・都市部にあるチェーン店はほぼすべて存在してる
・それなりのレベルの教育機関や、ちょっとした文化施設もある
・2000万円もだせば家族で暮らせる十分な家が買える
・そこそこの賑わいと、昔からの友達や家族が近くにいるという安心感の両方が手に入る
みたいなエリアが好きな人が、マッチングされる市場です。
この市場は、人も多いし都市も多い、競争の激しい市場です。
そして近年この市場では、勝ち組と負け組がはっきりし始めています。
周辺の人口数万人の街や、山沿いの集落から高齢者がどんどん移り住み(多くの場合、一戸建てを売って駅前のマンションを買う形で転居)、
それらの人を目当てに、駅前に新たな商業施設、病院、コミュニティ拠点などが増え始めてている街、
もしくは、
子育て支援策を充実させ、周辺の街から若い夫婦の転居が相次いでいる街、などが出現し始めているからです。
そういった街では、ひととき進んでいた「郊外型のショッピングセンターに車で通う」スタイルから、駅前で歩いて回れるコンパクトシティへの変化、いわゆる“駅前回帰”も起こっています。
この市場にいる都市は、私のような「とにかく大都市に住みたい!」人を東京と取り合っているわけではなく、
「便利だけど混乱も混雑もない快適な地方都市」に住みたい人を、周辺の街や山間部と取り合って、(結果として勝つことにより)地方の再生を成し遂げつつあります。
しかも、今は福岡も名古屋も大阪も、1)の市場ではなく、この2)の市場にいるため、彼らはこの市場での「一人勝ち」「一極集中」という美味しい立場を享受しています。
周辺地域で自然減を遙かに上回るペースで人口が流出しているのは、それらの勝ち組都市への一極集中のためです。
消滅都市やら限界集落などの「地方の衰退」をもたらしているのは、東京ではなく、こういった「地方での勝ち組都市」です。
そして(さらにいえば)、政府の掲げる「コンパクトシティ構想」とは、こういう地方における勝ち組的な街を積極的に造っていこうという政策なんです。
最後に3)の市場は、すぐ近くに海や山など大自然が拡がっているエリアで暮らしたい!という人と、そういうエリアがマッチングされる市場です。
よく(都会から企業や若者が集まって活気がでていると)報道されてる徳島県の神山町や島根県の海士町は、この市場に存在しています。
神山町や海士町に集まる若者が、東京や関西圏など大都市から来ていることも多いため、これらの街がまるで1)の市場で東京と比較された上で選ばれているかのように考える人がいますが、そうではありません。
1)の市場にいる人は、こういう街に遊びにいったり取材に行ったりはしますが、移住して、そこで子どもを産み育てたりはしません。
そういうことをする人は、もともと3)の市場にいる人(なんだけど、たまたま東京に生まれた、たまたま京都で大学に行ったという人)で、
彼らが「自然豊かな環境で暮らしたいな、子どもを育てたいな、なにかおもしろいコトができる街はないかな? 海士町は面白そうだな。神山町もいいかな」みたいに考えるんです。
つまり、
・海士町vs東京
・神山町vs東京
で、人を取り合っているのではなく、
・海士町vs神山町vs他の(日本にいっぱいある)大自然のある過疎地
が、そういう人たち=大自然の中で暮らしたい人たち、を取り合っているんです。
さらに言えば、ここ何年もの間、神山町と海士町以外「都市部から若者を集めるのに成功する街」も話を全く聞かないのは、
この3)の市場自体がたいして大きくもなく、かつ、規模として成長もしていない中、
特定の街だけが「一人勝ち」し、「一極集中」を成し遂げていることを示しています。
市場規模があまり成長しないのは、地方にマーケット感覚のある仕掛け人が少ないことがひとつの原因でしょう。上手くやればもう少しは大きな市場になるとは思います。
とはいえ、後いくつかの成功例が出てきても、それは、「東京一極集中の是正」なんかとはなんの関係もありません。
そもそも取り合っている「人」のタイプが違うんですから。
もし今後、海士町以外に「都会から若い人を集めるのに成功する離島」がでてきたら、その離島のライバルは、海士町であって、東京ではないってことなんです。
★★★
ここまでで、1)2)3)の市場は異なる市場だということが、おわかりいただけたでしょうか?
そしてどの市場でも、衰退を逃れ、再生・成長を続けている都市は「一極集中」「一人勝ち」を成し遂げているということも。
つまり!
衰退を逃れたいなら=地方を再生したいなら、どこの街も自分のエリアにおける「一極集中」を目指さないといけないんです。
だって・・・日本全体の人口は減っていくんだから(特に若者は急減するんだから)
・全地域が同じペースで少しずつ衰退するか
・周辺地域により多く衰退してもらって、自分の地域だけは再生するか
しか方法がないことは、算数的に自明でしょ?
地方都市が衰退したくないと本気で思うなら、自分たちはどんな市場にいて、顧客はどんな価値を求めており、同じような価値を提供している競合は誰(どの街)なのか、ということを、もっと現実的に考えたほうがいいです。
衰退を続ける地方のライバルは、東京なんかじゃありません。東京への一極集中が続こうが続くまいが、地方で「一極集中」できないエリアは、確実に衰退していくんです。
マーケット感覚を身につけましょう。
そんじゃーね
自分は市場というものがよくわかってないかも、という方にこそ読んでほしいです↓
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それは、見方の問題で、 良い面と悪い面があるのでは? 各論を抑える必要が?
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。
経過などは 次を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAM
以 上







Chikirin2015年12月05日 00:00東京一極集中と地方の衰退は無関係
「東京一極集中」と「地方の衰退」をセットで語る人が多いんだけど、このふたつって何の関係もないよね。
だって東京一極集中の対立概念は、地方再生ではなく、2大都市集中、もしくは、複数大都市への集中、なんだから。
ほら↓
<先進国の例>
・フランス=パリ一極集中
・イギリス=ロンドン一極集中
・日本=東京一極集中
vs.
・アメリカ=ニューヨーク,ボストン、ワシントンDC,シカゴ、サンフランシスコなど複数大都市集中
・ドイツ=ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘン、ケルン、フランクフルトAMなど、複数大都市集中
・カナダやオーストラリアもこちらのタイプ
<中進国の例>
・韓国=ソウル一極集中
・タイ=バンコク一極集中
・フィリピン=マニラ一極集中
vs.
・中国=北京、上海、広州、深セン;、武漢、天津など複数大都市集中
・インド=デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、バンガロールなど、複数大都市集中
・ベトナム=ハノイとホーチミンの 2大都市集中
・ブラジル=サンパウロとリオデジャネイロの 2大都市集中
上記からわかるように、先進国にも中進国にも一極集中タイプの国と、複数都市に人口や経済力が分散してる国があって、後者は、数個の大都市への集中型と、二大都市型に分かれてるんです。
特定の国の姿がどのタイプになるかは、
・国土の大きさ
・歴史的な経緯
・国内交通機関の発達の度合い
などによって決まりますが、首都移転を実施することで一極集中から 2大都市型に移行させるなど、人為的に変更することも可能です。
日本でも大阪の橋下徹氏は、「東京一極集中はダメ」「大阪は東京と肩を並べられる 2大都市を目指すべきだ」と主張しており、
前回の住民投票では、結果こそ「東京一極集中のままでよい。大阪は今のまま変わりたくないので」ということでしたが、
得票数はかなり拮抗していたので、「東京と大阪の 2大都市型を目指したい」という人もかなり多いんでしょう。
また道州制が実現すれば、福岡や名古屋などが東京・大阪に並ぶ都市へと発展し、複数都市型の国への道も開けます。
道州制が是か否かという議論は、まさに「東京一極集中は是か非か」という議論なんです。
みなさんは、
・東京一極集中が好ましいと思ってますか?
・それとも、東京大阪の 2大都市スタイルを目指すべきという意見?
・もしくは、東京大阪だけでなく、福岡や名古屋など複数大都市型を目指すべきと考えてる?
私は東京一極集中より、道州制による複数都市型がよいと思っていますが、他都市にその気がないなら(=変化が嫌いなら)仕方ないです。
自分が住むエリアを東京と並ぶ都市にしたいかどうかは、そのエリアに住む人が決めることなので。
いずれにせよ!
限界都市だの消滅都市だのといった地方の衰退問題と、東京一極集中は完全な別課題です。
「東京か地方か」みたいな語り方をする人は、予算の配分方法の話と、都市構成のあり方がごっちゃになってるのでしょう。
★★★
では次に、地方の衰退(地方の再生)問題について考えてみましょう。
ここで大事なのは、「都市と人のマッチング市場」が複数存在するということです。
(「市場の選択」という概念については、『 マーケット感覚を身につけよう 』をご覧ください)
「都市と人のマッチング市場」はひとつではなく、複数(日本では 3つ)存在しています。
1)多彩な文化が集積する高刺激な大都市に住みたい人と、そういった都市である大都市のマッチング市場
2)便利だが混雑はしない地方中堅都市に住みたい人と、そういった地方中堅都市のマッチング市場
3)自然豊かな環境に住みたい人と、そういった少人口地域のマッチング市場
1)の市場にいるのは私のような人です。地方のイオンモールがいくら巨大でも、全く満足できない人。こういう「人」はたくさんいます。
ところが(人側はたくさんいるのに)、この市場の都市側には、東京しか存在していません。だから東京一極集中が起こってるんです。
福岡や名古屋や大阪が本気でこの市場に参入してくれば、一極集中は緩和されるでしょう。
また、東京が何か強烈にネガティブなことをした場合(もしくは、そういう事態に陥った場合)も一極集中は崩れます。
たとえば、テロが頻発する、放射能に汚染される、治安がめちゃくちゃ悪くなる・・・など、なんらかの理由で東京がものすごく住みにくくなれば、東京から大阪や福岡など他の大都市に出て行く人も増えるでしょう。
2)の市場は、人口が数十万人以上の中堅都市と、
・通勤ラッシュも激混みもない
・都市部にあるチェーン店はほぼすべて存在してる
・それなりのレベルの教育機関や、ちょっとした文化施設もある
・2000万円もだせば家族で暮らせる十分な家が買える
・そこそこの賑わいと、昔からの友達や家族が近くにいるという安心感の両方が手に入る
みたいなエリアが好きな人が、マッチングされる市場です。
この市場は、人も多いし都市も多い、競争の激しい市場です。
そして近年この市場では、勝ち組と負け組がはっきりし始めています。
周辺の人口数万人の街や、山沿いの集落から高齢者がどんどん移り住み(多くの場合、一戸建てを売って駅前のマンションを買う形で転居)、
それらの人を目当てに、駅前に新たな商業施設、病院、コミュニティ拠点などが増え始めてている街、
もしくは、
子育て支援策を充実させ、周辺の街から若い夫婦の転居が相次いでいる街、などが出現し始めているからです。
そういった街では、ひととき進んでいた「郊外型のショッピングセンターに車で通う」スタイルから、駅前で歩いて回れるコンパクトシティへの変化、いわゆる“駅前回帰”も起こっています。
この市場にいる都市は、私のような「とにかく大都市に住みたい!」人を東京と取り合っているわけではなく、
「便利だけど混乱も混雑もない快適な地方都市」に住みたい人を、周辺の街や山間部と取り合って、(結果として勝つことにより)地方の再生を成し遂げつつあります。
しかも、今は福岡も名古屋も大阪も、1)の市場ではなく、この2)の市場にいるため、彼らはこの市場での「一人勝ち」「一極集中」という美味しい立場を享受しています。
周辺地域で自然減を遙かに上回るペースで人口が流出しているのは、それらの勝ち組都市への一極集中のためです。
消滅都市やら限界集落などの「地方の衰退」をもたらしているのは、東京ではなく、こういった「地方での勝ち組都市」です。
そして(さらにいえば)、政府の掲げる「コンパクトシティ構想」とは、こういう地方における勝ち組的な街を積極的に造っていこうという政策なんです。
最後に3)の市場は、すぐ近くに海や山など大自然が拡がっているエリアで暮らしたい!という人と、そういうエリアがマッチングされる市場です。
よく(都会から企業や若者が集まって活気がでていると)報道されてる徳島県の神山町や島根県の海士町は、この市場に存在しています。
神山町や海士町に集まる若者が、東京や関西圏など大都市から来ていることも多いため、これらの街がまるで1)の市場で東京と比較された上で選ばれているかのように考える人がいますが、そうではありません。
1)の市場にいる人は、こういう街に遊びにいったり取材に行ったりはしますが、移住して、そこで子どもを産み育てたりはしません。
そういうことをする人は、もともと3)の市場にいる人(なんだけど、たまたま東京に生まれた、たまたま京都で大学に行ったという人)で、
彼らが「自然豊かな環境で暮らしたいな、子どもを育てたいな、なにかおもしろいコトができる街はないかな? 海士町は面白そうだな。神山町もいいかな」みたいに考えるんです。
つまり、
・海士町vs東京
・神山町vs東京
で、人を取り合っているのではなく、
・海士町vs神山町vs他の(日本にいっぱいある)大自然のある過疎地
が、そういう人たち=大自然の中で暮らしたい人たち、を取り合っているんです。
さらに言えば、ここ何年もの間、神山町と海士町以外「都市部から若者を集めるのに成功する街」も話を全く聞かないのは、
この3)の市場自体がたいして大きくもなく、かつ、規模として成長もしていない中、
特定の街だけが「一人勝ち」し、「一極集中」を成し遂げていることを示しています。
市場規模があまり成長しないのは、地方にマーケット感覚のある仕掛け人が少ないことがひとつの原因でしょう。上手くやればもう少しは大きな市場になるとは思います。
とはいえ、後いくつかの成功例が出てきても、それは、「東京一極集中の是正」なんかとはなんの関係もありません。
そもそも取り合っている「人」のタイプが違うんですから。
もし今後、海士町以外に「都会から若い人を集めるのに成功する離島」がでてきたら、その離島のライバルは、海士町であって、東京ではないってことなんです。
★★★
ここまでで、1)2)3)の市場は異なる市場だということが、おわかりいただけたでしょうか?
そしてどの市場でも、衰退を逃れ、再生・成長を続けている都市は「一極集中」「一人勝ち」を成し遂げているということも。
つまり!
衰退を逃れたいなら=地方を再生したいなら、どこの街も自分のエリアにおける「一極集中」を目指さないといけないんです。
だって・・・日本全体の人口は減っていくんだから(特に若者は急減するんだから)
・全地域が同じペースで少しずつ衰退するか
・周辺地域により多く衰退してもらって、自分の地域だけは再生するか
しか方法がないことは、算数的に自明でしょ?
地方都市が衰退したくないと本気で思うなら、自分たちはどんな市場にいて、顧客はどんな価値を求めており、同じような価値を提供している競合は誰(どの街)なのか、ということを、もっと現実的に考えたほうがいいです。
衰退を続ける地方のライバルは、東京なんかじゃありません。東京への一極集中が続こうが続くまいが、地方で「一極集中」できないエリアは、確実に衰退していくんです。
マーケット感覚を身につけましょう。
そんじゃーね
自分は市場というものがよくわかってないかも、という方にこそ読んでほしいです↓
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(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。
経過などは 次を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAM
以 上
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