2015年12月10日木曜日

ギリシア時代の宇宙論

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KenYaoの天文資料館

1997/10/25制作
1998/03/08更新

ギリシア時代の宇宙論


ギリシア人がバルカン半島に南下し、そこに生活するようになったのは、 紀元前1200年頃といわれている。
紀元前800年頃になると、エーゲ海周辺に数多くのギリシア人都市国家が 誕生し、貴族・平民(農民)による民主政治が形成されていった。

紀元前550年頃になると、イオニア地方は東方ペルシャ帝国の勢力拡大の 脅威を受け、イオニアの文化人たちは当時ギリシアの植民地であったシチリア島 シラクサやイタリア半島クロトン・エレアに移住する。
タレス(BC624年~546年頃)

ギリシア哲学の祖
イオニアのミレトス出身で、商人として当時先進国であったエジプトや バビロニアを旅し、数学や天文の知識を学んだ。タレスがエジプトに行ったときピラミッドの高さをその影の長さで割り出したエピソードは有名です。
帰国後夜空の星の観測に熱中し、紀元前585年5月28日ミレトスに起きた 皆既日食を予言。ミレトスで大予言者としての名声を得ました。

タレスは、水が全ての起源と言う。

タレスの宇宙像は大地は平たい円盤で、オケアノスという大洋に浮かんでいるとした。水は我々世界を取り囲むだけでなく、太陽も月も星も灼熱した水蒸気で天井の水の空を航行していると考えた。



ピタゴラス(BC582年頃~)

ギリシア数学の祖
イオニア沖合いのサモス島出身で、その生い立ちは明らかでないが、 エジプトやバビロニヤに遊学したと伝えられる。数学の知識を得て帰国し、 サモス島で学校開設を試みたが島の人々には歓迎されず、クロトンに移住。 彼はクロトンで音楽と数学を教説の中心として宗教結社をつくり、霊魂輪廻転生と菜食主義と禁欲主義で信者を広めた。

「万物は数である」とピタゴラス派の学者は説く。「最も崇拝する数は10で、最初の整数1、2、3、4の総和である。1は点、2は線、3は面、4は立体をつくる次元であり、これが宇宙のすべてである。」

アナクサゴラス(BC500年頃~428年)

ギリシア哲学者
イオニア地方のクラゾメイナ出身。40歳くらいの頃アテナイにやってきた。
かれは太陽は神ではなく真っ赤に燃える火の玉でペロポネソス半島より大きいと主張し、不敬の罪で告訴された。 また、月は自ら輝くのではなく太陽の光で輝いていると考え、月食は月が地球の影に入ることで起き、日食は太陽と地球のあいだに新月が割ってはいることによって起きると唱えた。
宇宙創世の思想として、万物を構成する資料としてのスペルマ(種子)が混沌状態であったところへ、万物のアルケー(第一原理)たるヌース(知性)が加わって、秩序ある宇宙が生まれたと考えた。

ピロラウス(紀元前5世紀中頃)

【初期地動説】
ピタゴラスの弟子で、クロトンのピタゴラス教団が滅亡したあとテーベに逃げたとあるが、その生涯はよくわかっていない。 彼の宇宙観は独自の地動説で、(中心火)を中心に「対地球、地球、月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星、恒星(または銀河)」と全部で10個の天体が回転しているという説。
ピロラウスは、架空の存在である「対地球」(アンチクトン)を考えた。地球は宇宙の中心である(中心火)のまわりを24時間で回転するが、(中心火)は地球の内側を同時周回する「対地球」の遮蔽で常に見えないとした。

ピロラウスの宇宙体系は地動説の先例ではあるが、ピタゴラス教団の崇拝した数字「10」を実現するために、奇妙な「対地球」の導入に意味があったとする評価もある。

デモクリトス(およそBC460年~370年)

原子論
エーゲ海北部のアブラデ出身。 デモクリトスは自然界には無限に多様な原子があり、木・動物などが 死んで分解すると原子はちりぢりになって、また新たな別の生き物に使われる と考えた。
エクパントス(紀元前4世紀)

【初期天動説】
ピタゴラス教団の一人で、ピロラウスの宇宙論を改め(地球)を 宇宙の中心置き、地球が西から東に自転すると考えた。
プラトン(BC427年~347年)

ギリシア哲学者
「ソクラテスの弁明」は彼の哲学の先生に、死刑を宣告したアテナイでの裁判の様子を伝えるものである。彼の多くの書簡や著書が残されているのは、彼がアテナイに哲学の学塾「アカデメイア」を開いたことによる。これはピタゴラスの宗教教団に倣った集団で、ギリシャの学問研究の中心的存在に成長し、アリストテレスやエウドクソスなどの弟子が育った。
感覚世界の背後に本当の世界があるとする「イデア説」を唱えた。

エウドクソス(およそBC408年~355年)

同心天球説
小アジアのクニドスで生まれ、若い頃エジプトを旅行する。プラトンの忠実な弟子で、彼は天体を観測して天文書「天界現象(ファイノメナ)」を著した。この原本はもはや失われているが、BC3世紀に詩人アトラスが国王の命で叙事詩に書き直した本「ファイノメナ」が後にローマ時代文人セネカによって激賞され、星座・天球などの概念がわかりやすく解説されていて貴族の婦人に愛読されたという。

エウドクソスはギリシャで最初に包括的な惑星理論を唱えた。宇宙の中心に静止する地球を置き、その周りにそれぞれ独立した運動を行う4つの同心天球を配置する。1太陽年を365日6時間とし、外側から天球Iに恒星などの日周運動、天球IIには月や太陽などの黄道に沿った運動、天球III、IVは惑星を置き合計27の天球を回転させて惑星の逆行運動を説明しようとした。
ヘラクレイデス(BC388年~315年)

折衷天動説
ポントス出身で裕福な家に生まれた。アテナイのプラトン及びその弟子スペウシッポスに学び、哲学や神話について著作を残した。彼は無限に広がる宇宙の中心に地球があり、その周りを太陽・月・火星・木星・土星を配置したが、金星・水星だけは太陽を中心に周回している宇宙体系を考えた。(後世ティホ・ブラーエの提示した宇宙体系と近似している。)
アリストテレス(BC384年~322年)

ギリシア哲学者
北部ギリシアのスタゲイラに生まれ、17歳から20年間プラトンのアカデメイアで研究生活を送る。プラトンが死んだ後はレスボス島に渡り、生物学の研究をする。その後、マケドニアの王子アレキサンドロス(後のアレキサンダー大王)の宮廷教師になる。アレキサンダーのギリシャ制覇後、アテナイに学校を開いた。

研究分野は形而上学・論理学・自然学・倫理学・詩学・動物学・政治学と幅広く、観察を重んじる姿勢は後世に大きな影響を与える。 エウドクソスの同心天球説を支持し、さらにそれぞれの惑星に逆転天球を付け加え合計56の天球とした。
アリスタルコス(およそBC310年~240年)

初期地動説
サモスのアルスタルコスは若い頃アレクサンドリアで学んだという。かれの宇宙体系は20才年下の大数学者アルキメデスの著書「砂粒を数える人」の中で紹介されている。
恒星と太陽は動かず、地球は太陽の周りを円を描いて回転している。恒星のある天球の中心に太陽があり、この天球はあまりに大きいので、天球と地球の距離は天球と太陽の距離とほとんど変わらないと考えた。

著書「太陽と月の大きさと距離について」は今日完全な形で残っている最古の論文といわれる。彼の仮説は太陽と月の見かけの大きさ(視直径)から、太陽は月の18倍の距離にあるというやや乱暴なものではある。
ヒッパルコス(BC2世紀後半頃)

ギリシア天文・地理学者
ビチュニア国のニカイア生まれで、ロードス島で観測活動を続けた。BC134年にサソリ座に新星を発見し、この新天体の距離を確かめるために星数850個の星表を作製したと伝えられている。ヒッパルコスは春分・秋分の観測、太陽軌道の歪み、月運動の不均等性(アノマリ)を観測している。

とりわけ重要な発見は、秋分点近くにある乙女座スピカ星の位置を観測する事で見つけた「春分・秋分点の移動(歳差運動)」である。恒星の位置が、78~80年に1°、すなわち2万8000年かけてゆっくり東に周回する動きで、BC3世紀のティモカリスの観測結果との比較からの発見であった。
(地球の自転軸の振れのことで、現在天空の回転の中心は北極星付近であるが、この位置が動く。現在の測定では71.6年に1°、2万5776年かけて1周する。)

ローマ時代の天文学


ローマはBC272年イタリア半島を統一して、ポエニ戦争に勝利し勢力拡大をはじめた。共和政から独裁政に体制が変化する中、ローマはヘレニズム世界に覇権を広ろげる。
BC168年マケドニア・BC146年ギリシア・BC133年小アジア・BC64年シリア、そしてカエサルはBC48年にエジプトに遠征した。クレオパトラの工作で延命を保っていたプトレマイオス王朝も、BC30年オクタビアヌスの追撃で滅亡した。ローマ帝国の地中海世界の統一が完成し、BC23年オクタビアヌスは初代皇帝(尊称アウグストゥス)となった。
ローマの文化は法律・軍事・土木建築など実用的方面に特徴があり、創造的活力は減衰し古典の抜粋や編纂が流行した。

●ユリウス暦はカエサルの時代にエジプトから導入した太陽暦を修正したもので、BC46年に制定された。
●ウィトルウィウス(BC1世紀頃)はカエサルやアウグストゥス時代の宮廷技術家(=建築家)で、その生い立ちは不明である。彼の著書「建築書」は全10巻の構成で、神殿建築・劇場・浴場・築湾・給水など建築・土木・機械・造兵など高度の技術を含む技術書として書かれている。当時の天空理論や12の星座などの解説を含め、諸技術の基礎となる自然学的知識を網羅した技術全書である。

●セネカ(BC4~AD65年)はクラウディウス帝の王妃の恨みを受けコルシカ島に追放されたが、そのとき眺めた自然観察を描写した著書「自然の研究」全7巻を書いた。気象・天文の話題にもふれている。

●プリウス(AD23~AD79年)は軍人で、ガリア・アフリカ・シリア・イスパニアでは収税長官を勤めた。彼には多くの著書があったが、現存しているのは大著「博物誌」全37巻である。宇宙・気象・地理・人間・動物・植物・薬物・金属・石・宝石に加え文化芸術にまで及ぶ内容である。


プトレマイオス(AD100年~170年頃)

天文・地理・数学者
上エジプトのテーベに生まれのギリシャ系エジプト人で、アレキサンドリアで修行した。著書「地理学」全8巻には、全世界のおよそ5000地点が経緯度付で書かれ、都市以外に、河口、山岳、湖沼の記述がある。原典はテュロス生まれのマリノスの旅行記録で、マリノス自身の書いた世界地図「テュロスの世界地図」が有名である。プトレマイオスの世界地図は、赤道を底面とする円錐を展開する形式になっている。

天文書「集大成(アラビア語書名:アマルゲスト)」も「地理学」同様、先人の知識の集大成であるが、天動説(周転円説)理論の完成者である。特に逆行する惑星の運動についてはアポロニオスの周転円を採用し、天界運動の中心から離れた点(エカント)で周転円の運動を説明する手法を取った。
(アマルゲストというのは、この本が後年アラビア語訳されたときの本の名前で「偉大な書」という意味。)これ以降、コペルニクスの時代まで天体論のバイブルとして圧倒的な影響力を持った。

▼参考文献

ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界」1995(池田 香代子訳)、日本放送出版
Edward Rosen/Lloyd Motz著「宇宙論全史 」1987(菊池潤/杉山聖一郎)、平凡社
ティモシー・フェリス著「銀河の時代」1992(野本陽代訳)、工作舎
コペルニクス(高橋憲一訳・解説)「コペルニクス・天球回転論」1993、みすず書房
NHK取材班著「銀河宇宙オデッセイ」1990、日本放送出版協会
Return
http://www1.fctv.ne.jp/~ken-yao/Greece.htm


再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観

最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。

ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。

以 上



再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について

(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)

この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:

そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。

数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 

No.81, May 2012(pdf 432kb)

に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)

時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。

以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269

天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????

1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・


宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38


再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果

まず、ウィキペディアで無限大、無限遠点、立体射影: 語句を確認して置こう:

無限大 :記号∞ (アーベルなどはこれを 1 / 0 のように表記していた)で表す。 大雑把に言えば、いかなる数よりも大きいさまを表すものであるが、より明確な意味付けは文脈により様々である。例えば、どの実数よりも大きな(実数の範疇からはずれた)ある特定の“数”と捉えられることもある(超準解析や集合の基数など)し、ある変量がどの実数よりも大きくなるということを表すのに用いられることもある(極限など)。無限大をある種の数と捉える場合でも、それに適用される計算規則の体系は1つだけではない。実数の拡張としての無限大には ∞ (+∞) と -∞ がある。大小関係を定義できない複素数には無限大の概念はないが、類似の概念として無限遠点を考えることができる。また、計算機上ではたとえば∞+iのような数を扱えるものも多い。
無限遠点 : ユークリッド空間で平行に走る線が、交差するとされる空間外の点あるいは拡張された空間における無限遠の点。平行な直線のクラスごとに1つの無限遠点があるとする場合は射影空間が得られる。この場合、無限遠点の全体は1つの超平面(無限遠直線、無限遠平面 etc.)を構成する。また全体でただ1つの無限遠点があるとする場合は(超)球面が得られる。複素平面に1つの無限遠点 ∞ を追加して得られるリーマン球面は理論上きわめて重要である。無限遠点をつけ加えてえられる射影空間や超球面はいずれもコンパクトになる。
立体射影: 数学的な定義

• 単位球の北極から z = 0 の平面への立体射影を表した断面図。P の像がP ' である。
• 冒頭のように、数学ではステレオ投影の事を写像として立体射影と呼ぶので、この節では立体射影と呼ぶ。 この節では、単位球を北極から赤道を通る平面に投影する場合を扱う。その他の場合はあとの節で扱う。
• 3次元空間 R3 内の単位球面は、x2 + y2 + z2 = 1 と表すことができる。ここで、点 N = (0, 0, 1) を"北極"とし、M は球面の残りの部分とする。平面 z = 0 は球の中心を通る。"赤道"はこの平面と、この球面の交線である。
• M 上のあらゆる点 P に対して、N と P を通る唯一の直線が存在し、その直線が平面z = 0 に一点 P ' で交わる。Pの立体射影による像は、その平面上のその点P ' であると定義する。

無限大とは何だろうか。 図で、xの正方向を例えば考えてみよう。 0、1、2、3、、、などの正の整数を簡単に考えると、 どんな大きな数(正の) n に対しても より大きな数n + 1 が 考えられるから、正の数には 最も大きな数は存在せず、 幾らでも大きな数が存在する。限りなく大きな数が存在することになる。 そうすると無限大とは何だろうか。 普通の意味で数でないことは明らかである。 よく記号∞や記号+∞で表されるが、明確な定義をしないで、それらの演算、2 x∞、∞+∞、∞-∞、∞x∞,∞/∞ 等は考えるべきではない。無限大は普通の数ではない。 無限大は、極限を考えるときに有効な自然な、明確な概念、考えである。 幾らでも大きくなるときに 無限大の記号を用いる、例えばxが どんどん大きくなる時、 x^2 (xの2乗)は 無限大に近づく、無限大である、無限に発散すると表現して、lim_{x \to +\infty} x^2 =+∞ と表す。 記号の意味はxが 限りなく大きくなるとき、x の2乗も限りなく大きくなるという意味である。 無限大は決まった数ではなくて、どんどん限りなく 大きくなっていく 状況 を表している。
さて、図で、 x が正の方向で どんどん大きくなると、 すなわち、図で、P ダッシュが どんどん右方向に進むとき、図の対応で、Pがどんどん、 Nに近づくことが分かるだろう。
x軸全体は 円周の1点Nを除いた部分と、 1対1に対応することが分かる。 すなわち、直線上のどんな点も、円周上の1点が対応し、逆に、円周の1点Nを除いた部分 のどんな点に対しても、直線上の1点が対応する。
面白いことは、正の方向に行っても、負の方向に行っても原点からどんどん遠ざかれば、円周上では Nの1点にきちんと近づいていることである。双方の無限の彼方が、N の1点に近づいていることである。
この状況は、z平面の原点を通る全ての直線についても言えるから、平面全体は球面全体からNを除いた球面に 1対1にちょうど写っていることが分かる。
そこで、平面上のあらゆる方向に行った先が存在するとして 想像上の点 を考え、その点に球面上の点 Nを対応させる。 すると、平面にこの想像上の点を加えた拡張平面は 球面全体 (リーマン球面と称する) と1対1に 対応する。この点が 無限遠点で符号のつかない ∞ で 表す。 このようにして、無限を見ることが、捉えることができたとして、喜びが湧いてくるのではないだろうか。 実際、これが100年を越えて、複素解析学で考えられてきた無限遠点で 美しい理論体系を形作ってきた。
しかしながら、無限遠点は 依然として、数であるとは言えない。人為的に無限遠点に 代数的な構造を定義しても、人為的な感じは免れず、形式的、便宜的なもので、普通の数としては考えられないと言える。
ところが、ゼロ除算の結果は、1 / 0 はゼロであるというのであるから、これは、上記で何を意味するであろうか。基本的な関数 W=1/z の対応は、z =0 以外は1対1、z =0 は W=0 に写り、全平面を全平面に1対1に写している。 ゼロ除算には無限遠点は存在せず、 上記 立体射影で、 Nの点が突然、0 に対応していることを示している。 平面上で原点から、どんどん遠ざかれば、 どんどんNに近づくが、ちょうどN に対応する点では、 突然、0 である。
この現象こそ、ゼロ除算の新規な神秘性である。
上記引用で、記号∞ (アーベルなどはこれを 1 / 0 のように表記していた)、オイラーもゼロ除算は 極限の概念を用いて、無限と理解していたとして、天才 オイラーの間違いとして指摘されている。
ゼロ除算は、極限の概念を用いて得られるのではなくて、純粋数学の理論の帰結として得られた結果であり、世の不連続性の現象を表しているとして新規な現象の研究を進めている。
ここで、無限大について、空間的に考えたが、個数の概念で、無限とは概念が異なることに注意して置きたい。 10個、100個、無限個という場合の無限は異なる考えである。自然数1,2,3、、、等は無限個存在すると表現する。驚嘆すべきことは、無限個における無限には、幾らでも大きな無限が存在することである。 例えば、自然数の無限は最も小さな無限で、1cm の長さの線分にも、1mの長さの線分にも同数の点(数、実数)が存在して、自然数全体よりは 大きな無限である。点の長さはゼロであるが、点の集まりである1cmの線分には長さがあるのは、線分には点の個数が、それこそ目もくらむほどの多くの点があり、長さゼロの点をそれほど沢山集めると,正の長さが出てくるほどの無限である。


以 上


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。











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