2015年12月11日金曜日

再生核研究所声明263 (2015.12.11) テロや武闘の終焉を願って

再生核研究所声明263 (2015.12.11) テロや武闘の終焉を願って 

最近、過剰な批判を慎もうと提案し、声明

再生核研究所声明261 (2015.12.08) 全面的な批判は慎もう – 批判は具体的に、建設的に

の中で、最近起きた不幸なテロ事件にも言及し、― 最近起きたパリのテロ事件で、オランド大統領は これは戦争だと公言してISへ爆撃を開始した。これは適切であろうか。テロの背後、責任を有する者への懲罰としての攻撃になるだろうか。― もっともそのような発想は 既に間違いであるが

(再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間))― 

同じように発想した 9.11ニューヨーク テロ事件の報復爆撃で、テロが逆に拡大した事実もあるのではないだろうか。多数の関係のない者を巻き込み、犠牲にしてはいないだろうか。

と述べ、さらに

より良い社会を築く原理は 相手の立場、気持ちに思いを致すことであると再生核研究所声明1で言明している ― 公正の原則。命を掛けて抵抗する者の気持ちを無視して、侮り、それを抹殺しようとすれば、逆にテロによって人類が絶滅する危険性もあるのではないだろうか。地球も人類も絶対ではなく、動物よりも劣る人類は 外なる原因ではなく、環境汚染や人口の爆発、テロなどによる自業自得による自滅の可能性が高いのではないだろうか。恥ずべき世界史を変え、夜明けを迎えたい。

と危惧の念を表明した。
ここでは、その危惧の念が、如何に馬鹿らしいか、武闘や争いの愚に言及し、恥ずべき人類の世界史を変え、夜明けを志向する道筋を示したい。
作用、反作用は普遍的な法則である。積極的平和などと公言して軍拡を始めれば、当然、対応する国々は関心を懐き、軍備を増長するのは、当然の自然な法則である。軍拡競争による、争いによる人類の絶滅の大きな原因になる、これは法則のようなものであるから、大きな暴力を得た人類にとっては、根源的に警戒、心すべきことである。公正の原則の基礎は、ちょうど逆の立場で、物事を考えるということである。反作用で、攻撃すれば、それ以上の反撃があると考えるべきである。もし、弱く、反撃できない者が、テロなどさまざまな反撃を考えるのは 当然である。自分の命が大事と思えば、相手も全く同様に考えるだろう。作用、反作用の原理をしっかり理解するのは、世界史の進化の必須の条件である。
特にテロ事件には、自らの命を犠牲にしても反撃、攻撃するという存念がある。そこまで思いつめさせた背景に思いがいかなければ、テロ事件の根本的な解決にはならないのではないだろうか。テロ事件では 報復爆撃、攻撃、対策費など膨大な経費を掛けているが、自制して、耐え、相手の言い分に耳を傾け、それらの経費を基礎的な援助に回せば、テロの背景を弱体化、馬鹿らしい、物騒なことを考える者がいなくなるのではないだろうか。
生物である人間が、国家でも民族でも自らを安全にしたいは 当然である。テロや武闘を無くす原理は、ゼロ除算の解明のように気づけば 実は簡単である。相手に自分と同じ世界が存在することをしっかり捉え、相手もまた、運命共同体、共生、共感する命ある仲間だと気づくことである。恥かしい、動物にも劣る人類の世界史の進化を志向したい。
欧米文化を支えている聖書の言葉をかみしめたい:

『新約聖書』マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章にあることば。汝の敵を愛せよ、は 自分の敵は憎むものだという世間の常識に対して、イエス・キリストは「自分を愛してくれる人を愛することは、誰にでもできる。悪意をもって自分を迫害する者にこそ、慈愛をもって接しなければならない」と戒めた(故事ことわざ辞典) この解説以上に 聖書の言葉は 真実そのもの であることを ゼロ除算は述べている。
美しい海を ここは われわれの縄張りだ と 軍艦などで対峙する 愚かな人間にはなりたくない。同じ世代にめぐり合わせた私たち、同じ定めを生きるものとして、共生感をもって、共感、共鳴して 楽しく生きたい。

以 上






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