50万年前のジグザグ、最古のアートか
ムール貝の殻に刻まれたジグザグの線が、人間の芸術的才能に対する従来の認識を大きく変えるかもしれない。これまで幾何学模様の最も古い証拠は7万~10万年前とされてきた。南アフリカの洞窟で発見された石に刻まれた模様は、現生人類(ホモ・サピエンス)特有の能力である抽象やシンボルといった洗練された世界の追求を表している。
インドネシアの河岸で発掘されたこのジグザグ模様は少なくとも43万年前の遺物であることから、ホモ・サピエンスが彫ったものではないと推定される。どうやら最古の芸術家は、人類の祖先ホモ・エレクトスのようだ。毛深く、なだらかに傾斜した額が特徴のホモ・エレクトスだが、芸術的才能を持たないとこれまで考えられてきた。「そのような能力の起源は、われわれが想像するよりもはるか昔に遡る」と、オランダにあるライデン大学の考古学者ジョセフィン・ジョーデンズ(Josephine Joordens)氏は語る。
◆貝殻の秘密
模様が刻まれた貝殻は、1891年にオランダの古人類学者ウジェーヌ・デュボア(Eugene Dubois)氏が発掘した化石の山から見つかった。その中には、後にホモ・エレクトスとして知られ、デュボア氏がピテカントロプス・エレクトスと名付けた化石人類の初めての標本も含まれていた。ピテカントロプスは、アフリカを離れた人類の祖先ホモ・エレクトスの直系と考えられている。デュボア氏は貝殻のジグザグ模様について言及していない。それに気づいたのはジョーデンズ氏とオーストラリア国立博物館の人類学者スティーブン・ムンロ(Steven Munro)氏で、7年前のことだった。ジョーデンズ氏の研究グループは、その後入念に年代測定を行い、43万~54万年前と特定した。彼らは模様に関するその他の説や、別の貝殻に空いた穴はホモ・エレクトスが道具を使って空けたものだとする説も否定している。
◆人類の進化における重要な意味
スミソニアン協会の古人類学者アリソン・ブルックス(Alison Brooks)氏は、今回の発見がホモ・エレクトスと現生人類の両方を理解する上で重要な意味を持つと考える。定説では、現生人類は10万~20万年前に解剖学的、また行動学的にも現代人に近づいたようだ。ホモ・サピエンスが“賢い人”を意味するように、その後数千年をかけて洞窟壁画や彫刻といった人類特有の才能を開花させていった。
「典型的な現生人類の行動は、突然のひらめきとして現れたわけではない。もっと早くからそれに似たものが存在していた」とジョーデンズ氏は述べる。研究グループは「Nature」誌の中で、芸術や象徴性、現代性といった用語の使用を避けている。模様を刻んだ人の意図を計りかねるからだとジョーデンズ氏は言うが、もし貝殻が10万年前の遺物で、ホモ・サピエンスの化石と共に発掘されていたら、「象徴的な最古の芸術と間違いなく呼んでいただろう」。National Geographic News
再生核研究所声明147(2013.12.27) 創造性についての 第二考察
創造性については
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
で広く触れており、もっともなことが書かれていると考えるが、改めて触れたい観点が湧いたので、言及して置きたい。
まず、創造性の意味、定義などの基本的な考察については、上記声明を参照。いずれにせよ、新しく生み出すこと、新しく考え出すこと、作り出すことなど、が創造性の基本的な意味ではないだろうか。しかしながら、これらの意味さえ正確であるとは言えないだろう。アメリカ数学会誌に 数学の論文について、次のように書いてあったことを肝に銘じて、論文執筆について心がけてきた: 論文は
1) 新しい結果でなければならない、
2) 当たり前ではいけない、- 発展する結果の流れで、小さな段階的な結果は これに含まれる、
3) 正しい結果でなくてはならない、
4) 一定の人の興味を惹くものでなければならない - 先生とお弟子さんだけが興味を持つような結果は良くない、
5) 論文の表現が適切でなければならない。
いずれも大きな、深い問題であるが、新しい結果が、創造性に当たるのではないだろうか、すなわち人類史上で、初めての結果でなければならないは、論文の条件である。知られた結果の拡張、一般化、類似、より精密に調べたような研究が 論文の大部分であると言えるが、 難問を解いた、大事な基本的な定理や概念を得たなどは、高度な創造性と考えられるものもある。
そこで、どうしたら、高度の創造性が得られるか、が 世の大きな関心事ではないだろうか。
創造活動としては、芸術、文学、音楽、科学、数学など殆ど 人間の営みの大部分が創造活動にあたり、生命活動の表現とも考えられ、どうしたら、高度の創造性が得られるかは 分野、個性、文化などにも大きな影響を受けるのではないだろうか。
述べたい中枢から、触れよう。創造性、創造活動とは 人間の精神活動の表現、表れであり、創造性を高めるためには 人間の生命活動を健全に活かすことである、その原理は、好きなように、伸び伸びとできる環境を整えることである。
そこで、創造性を高めるいろいろな視点が 声明91 あるいは、そこに挙げられた文献で、広く論じられている。
ここで、触れたいのは、日本の詰め込み方式、受験勉強の過熱が 折角の才能をだめにし、創造性のみずみずしい才能をころしているのではないかという視点である。
我々の脳が、訓練によってどんどん発達するのは 語学、スポーツ、芸術、計算などでもみられる顕著な例である。至る所に現れる歴然とした事実と言えるのではないだろうか。
そこで、知識偏重、センター試験などにみられるような、解答方式の学習をやり過ぎると、全人的な発達が阻害され、一部の特定の部分の発達した、変な人格や、奇人を大量に教育、育成させ、しいては、創造性豊かな人材ではなく、変な人たちによる 変な社会が構成される危険性があるのではないだろうか。― 実際、人生の意義とは何か、人は何故生きているか、など、基本的な問題を問わないで、ただ受験を目標に、ただ知識を集め、問題解きの訓練にうつつをぬかして、大学に進学したら、大学では、既にどうしら良いか分からないような学生になっている状況が 実際多いと考えられる。さらに、大学でも真面目に教育されるように勉強して、大学院から先にうまく進んでも 何時の 間にか、やっていることの 人生における意義をみい出せず、精神的に放浪するような人生を送るのは 世に多い。人生の基礎がおろそかになっているばかりが、創造性の精神さえ乏しく、貧しくなっているのではないだろうか。社会に出ても ふらふら世相に流されて生きていて、人物たる人物は少なく、政治社会でも そのような変な現象は 広く見られるのではないだろうか。
テレビ普及時には 一億総白痴化が危惧され、共通テスト開始時には、そのようなおかしな制度は 教育の根幹に抵触すると 批判が広範に聞かれ、数年で破綻するとされたが、一度出来た制度は 一時代を成すように続いてきたが、流石に、改める風潮が出てきている(再生核研究所声明20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する;「大学入試センター試験」の廃止を歓迎する(佐藤匠徳(さとう・なるとく)(奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授))。
多くの人が、自由を求め、またいわば、社会の上流階級に属そうとする為に、良い大学を目指して、受験体制を乗り越えていこうとの世相には、自然なものがあり、具体的な対応には大きな問題がある。しかし、全人的な教育、創造性を失わずに 人を活かすための教育と受験制度の在りようについては、絶えず検討して、専門化、受験に特化したような教育に成らないように、大学人、教育界に検討をお願いしたい。― 悪い教育に成らない様な 絶えざる努力を求めたい。
以 上
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