2014年11月12日水曜日

宮崎駿監督 アカデミー名誉賞に 生涯現役 短編製作「チャンスあればやる」

宮崎駿監督 アカデミー名誉賞に 生涯現役 短編製作「チャンスあればやる」
スポニチアネックス 11月10日(月)7時2分配信
宮崎駿監督 アカデミー名誉賞に 生涯現役 短編製作「チャンスあればやる」
8日、ロサンゼルスでアカデミー名誉賞を受賞した宮崎駿監督
 アカデミー名誉賞の授賞式が8日(日本時間9日)、ロサンゼルスのハリウッドで開かれ、「もののけ姫」などの大ヒットアニメを手掛けてきた宮崎駿監督(73)に授与された。名誉賞は90年に故黒澤明監督が受賞して以来、日本人監督として2人目。長編映画の製作からの引退を表明しているが、「小さいものでチャンスがあるときはやっていく」とあらためて短編製作に意欲を見せた。
宮崎監督は、舞台上にタキシード姿で登場。受け取った金色のオスカー像を右手で掲げた。記念のスピーチでは「紙と鉛筆とフィルムで映画をつくれた最後の時代に参加できたことは幸運だった」と話し、満場の拍手を浴びた。
会見では、長編作品の製作はあらためて否定した上で、「大きなものは無理ですけど、小さいものでチャンスがあるときはやる。作れる限り作っていこうと思っています」と“生涯現役”を宣言。「三鷹の森ジブリ美術館」で上映される短編を製作していく考えを明かした。
13年9月に「風立ちぬ」を最後に長編製作から引退すると表明したが、短編アニメ製作への意欲を示していた。アイルランドの女優モーリン・オハラ(94)も名誉賞を受賞した。モーリンとの対面を喜び、「生きている間に会えるなんて夢にも思わなかった。生きていると、とんでもないことが起こる」と笑顔。オハラを引き合いに、自らを「本当に小僧」といい、「あまりリタイアとかそういうことは口にせず、やれることはやっていこうと思う」と笑みを浮かべた。
また戦争に翻ろうされた先人の経験に触れ「(自分が)アニメーションを続けられたのは(私が仕事をしてきた中で)日本が戦争をしなかったというのが大きい。戦争と原爆の記憶があったから“戦争は絶対しない”というのが定まっていたが、(戦後)70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた」と危惧を示した。
人間と自然との関わりや戦争などをテーマにした作品を続けてきた宮崎監督は「千と千尋の神隠し」で、アカデミー賞長編アニメ賞やベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞。「ハウルの動く城」や「風立ちぬ」でアカデミー賞にノミネートされている。
アカデミーは授賞理由を、「もののけ姫」で90年代後半に世界的に有名になる前から「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」などの作品が日本で絶大な支持を受けていたと説明、長年の功績を称えた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141110-00000055-spnannex-ent

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
以 上

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