「2100年までの未来を科学者が予想」という記事を見て驚愕しています。
確かに今から数十年前なんてインターネットも、スマートフォンも普及していませんでしたね。それが今こんなです。
ですから、10年20年というのはやはり長いし、変わるのでしょうか?そしてこの記事はいくつかは当たると思いますか?(これが質問です、質問に答えてくださいね)
とりあえず、全部は転載できないから、↓だけ。
2100年には当たり前になっていることのまとめ
・家で過ごしている間にセンサーが体を分子レベルで調べなんらかの病気の兆候がないか調べる
・心で思うだけで家電を動かす
・家には料理や掃除をするロボット、医者や店員もロボットになる
・音もなくエネルギーもほとんど消費しない磁気浮上式の自動車。人間が運転する必要はない
・コンタクトレンズでありとあらゆる情報や映像を見ることができる
・普通の壁が瞬時にモニターになる
・3D技術とホログラムにより、部屋にいながら、さながらその試合に参加しているかのような臨場感でスポーツを見る
・宇宙エレベーターで手軽に宇宙に行く
1901(明治34)年の新聞に書かれてた100年後の世界
・無線電話で海外の友人と話ができる
・いながらにして遠距離のカラー写真が手に入る
・野獣が絶滅する
・サハラ砂漠が緑化して文明がアジア・アフリカに移る
・7日で世界一周ができるようになる
・空中軍隊や空中砲台ができる
・蚊やノミが滅亡する
・機械で温度を調節した空気を送り出す
・電気の力で野菜が成長する
・遠くの人間と話ができる
・写真電話(テレビ電話)ができる
・写真電話で買い物ができる
・電気が燃料になる
・葉巻型の列車が東京・神戸間を二時間半で走る
・鉄道網が世界中に張られる
・台風を一ヶ月以上前に予測して大砲で破壊できる
・人の身長が180センチ以上になる
・医術がしんぽし薬が廃止され、電気で無痛に手術できるようになる
・馬車がなくなり、自転車と自動車が普及する
・動物と会話でき、犬が人間のお使いをする
・無教育な人間がいなくなり、幼稚園が廃止され、男女ともに大学を出る
・琵琶湖の水で起こした電気を国内に輸送するhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138021325
これらは、面白ですね。 参考になるのでは?
再生核研究所声明 144 (2013.12.12)
人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ、 広い農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で他の農家がやって行けず、 農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつ に考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記の中で、閃めいた 原理は 端的に述べれば、 いわゆる進歩は 末期への進歩であって 原理的に終末に近づいている ということである。 そして 進歩には 必然的な、エントロピー増大の法則のように 必然性が有るのではないだろうか。 良く生きるということは 必然的に 終末を上手く受け入れるように 精神構造が 本能的に作られているのではないだろうか。
さらに、 人は 人間存在の原理で、いろいろ知りたい、 いろいろ原因を知りたいと 真理を追究するが、その先には、生命の空しさと 自分の無智を知らされ、結局 生命と人生の否定に繋がり、 安らかな悟りに至るという、人間観、人生観である。
人は 先に、先に進もうとしているが、それは、自滅への道であり、 夢中で生きているのが 生命の実相ではないだろうか。 ちょうど子供たちが、夢中で はしゃいでいるように。
知ることも、真理を追究するのも 危険である。 しかしながら、エントロピー増大の原理のように 追及しないではいられないのが人間で、 それは 人間の 定めであると考えられる。
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、あわてず、 自分の心の状態を尊重する ということである。
人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、 寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
以 上
追記 参考資料(ウィキペディア):
定義[編集]
進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である[2][1]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある[3][4]。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない[1][2]。
また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない[3]。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある[3]。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる[4]。
進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが[3]、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。
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