「ノーベル平和賞」について
皆様、様々なお考えがあるとは思いますが、以前から賛否の議論がある「ノーベル平和賞」は必要なのでしょうか。
もちろん、過去の受賞者の中にはマザーテレサ氏のように万人が認めるであろう立派な方がおられと思いますが、我が国の佐藤栄作氏は言うまでもなく、米国のキング牧師の様に受賞後に様々な醜態が明らかになった受賞者もいます。
ましてや今回は「日本国憲法9条」が受賞候補に挙がっていたとのことです。これにはかなり驚きました。
私はいわゆるノンポリで特に積極的な「改憲派」ではありませんが、戦後米国の策定し我が国に押し付けた「日本国憲法」が「ノーベル平和賞」の候補に挙がったこと自体釈然としません。
私の様な無知・無学な者でも他国(もしくは我が国の護憲派)からのなんらかの政治的意図、策略があったとしか考えられません。
だとすれば、これは正に偽善を装った我が国への内政干渉以外ではないでしょうか。本当に受賞しなくてよかったと思います。
また、特に今回は受賞されたパキスタンの「マララ・ユサフザイさん」についてですが、今後の彼女の思想・信条を良しとしていないタリバンなどイスラム原理主義思想者から再び彼女へのテロ行為が行われないかとても心配です。
私の考えは間違っているでしょうか。
有識者の方のご意見を伺いたいです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10136724005
尤もな意見では? およそ、評価、賞などは 多くの場合、政治がかかって おかしなことに成るは 世に多いですね。
警戒すべきですね。
4.32 価値の評価、価値の創造について(2008/1/1):
小倉金之助の件と美空ひばりさんの件について、ここ数日触れてきましたが。Butzer氏達の未完の論文原稿によりますと 非常に面白く、しかも大事なサンプリングの定理が発表されたにもかかわらず、72年も注目されず、結局ドイツ人によって発見されて、世に出たという事実です。これは日本人として極めて残念な事ではないでしょうか。面白く、大事な結果が注目されなかったという事実です。私は相当なことを その定理について知っていますが、1000編を超える論文、6、7冊の専門書、専門雑誌さえその定理ついて創刊され、応用数学、電子通信論の分野で重要な役割を果しているのです。その大事な定理が 日本人によって発見されていたという事です。しかしながら、それらは殆ど、世界に寄与することなく、29年後(1949年)に発表されたシャノンの寄与によって世界に出たという事になります。- 大きな価値あるものを失ったことにはならないでしょうか。価値が評価できない、良いものが分からない。これは問題ではないでしょうか。良いものを良い、面白いものは面白と感じる感性が無ければ、これは問題ではないでしょうか。
美空ひばりさん についても同様に言えると思います。第1級の評価を日本が出来るかどうかは、日本国の文化力の問題に帰するのではないでしょうか。それは帰する所、人生、世界に対する考え方が、きちんとしているか いないか に関わり、価値あるものとは何か が分からなければ できないことであると考えます。何れにせよ文化の力は重要であり、それは永い時間をかけて作られていくもの考えます。
美空ひばりさんを大事にする事は、100万人の軍隊以上の国防の効果が期待できると 簡単な表現をしました。国を思う気持ち、共通の文化的な精神を共有する事は、自由競争で索漠とした国に対して、比べる事が出来ないほどの力を発揮すると考えます。一体感のある国と ばらばらな国を 比較してみてください。そうすれば、真実、本当の事であると分かっていただけるのではないでしょうか。
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