「虚数」もソフィア(真理)の中に含まれているのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12136444507
これは全く間違った、考えですね。
虚数は名前が良くないのですが.0,1、などと同じように実体のある、大事な数です。
しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。
この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:簡潔に述べれば、数学は時間にも、エネルギーにもよらずに存在する神秘的な関係の論理体系であるが、ユニバースは数学を言語として構成されているという、信仰のような信念を抱いている。基本的な数学はユニバースの基本的な様を表現しているのではないだろうか。
再生核研究所声明150(2014年3月18日)大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、宇宙について
(この声明は、最近の特異点解明:100/0 = 0、0/0 = 0の研究の進展に伴って自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙 - 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論をニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな宇宙を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに古代から続いてきた暗い人類の歴史に明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。既に裏付ける思想は一連の再生核研究所声明で確立していると考える。ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0 = 0,0 / 0 = 0 実際、 - 古来から 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく神の定義さえきちんと与えている。
宇宙について語るとき、最も大事な精神は、神の概念をきちんと理解することである。
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしかとらえられない。自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど同じような存在ではないだろうか。人類よ、人間の能力など殆ど動物たちと変わらず、ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。それゆえに、人間はあらゆる生物たちのレべルに戻って生物たちから学び、また原始人に戻って、また子供たちのように存在すれば良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明122:神の存在と究極の信仰 - 人間よ想い煩うことはない神は存在して、一切の存在と非存在をしっかりと支えられておられる、人は必要なときに必要なだけ、念じるだけで良い。再生核研究所声明132神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よおごるなかれ、人類の知能など大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か - 数学と人間について
国際数理科学協会会報、いいえ。81 / 2012.5、7-15
NO.81、2012年5月(PDFファイル432キロバイト)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性についてはさらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか(再生核研究所128声明:数学の危機、末期数学について)?
矛盾するものである。無から世界が創造されたということも受け入れがたい言明であろう。さらに、宇宙 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は、宇宙の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで 大きな課題として残っている。数学の多くの等式は数学を越えて、宇宙で論じる場合には、その意味を、解釈をきちんとする必要がある。宇宙には ものや、エネルギーを動かしているのは当然である。
そこで、100/0 = 0,0 / 0 = 0の発見を期に、今やガリレオ·ガリレイの時代、天動説が地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している.theの宇宙は知らないことばかりで、満ちている。
以上
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