少子化について
①日本の少子化は恐らくかなり前から
予測できていたはずなのに、なぜ今現在、だんだん少子化が進み手遅れにまでなってしまったのでしょうか?
日本政府は「少子化?そんなん後回し後回し。」みたいな姿勢でいて今頃本気というか、形だけ議論を始めたのですか?
馬鹿の私見ですがこのままだと
ニュースとかで言っているように
世間はじじ、ばば ばかりになり
日本はどんどん衰退していくと
思います。
みなさんはどう思いますか?
②また移民受け入れとか言ってますが、個人的に移民を受け入れ続け多国籍の人々が集まる複合国家には
抵抗があります。
全く受け入れるな、とは言いませんが将来、例えば小学校のクラス30人中10人外国系の子供だと考えるのは、難しいし抵抗があります。
移民政策って個人的にただの延命にしか見えないのですが(^。^)
どう思いますか?
自分はまだ20年くらいしか生きていませんから、今が普通の基準として
良い世の中だと思います。
これから日本は変わって行くでしょう、変わりきる前に自分は死ぬでしょうが日本の将来が不安になったので質問しました。
確かに国家の、民族は 大事ですね。
再生核研究所声明 11 (2007/09/14): 国の構成について
まず 国家の意味について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しておこう http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6:
法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。国家の三要素:
領域(Staatsgebiet:領土、領海、領空)- 一定に区画されている。
人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
権力(Staatsgewalt)ないし主権 - 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souverän)なければならない。
このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。
声明10において、絶対的な世界の平和が実現したとき、いわば世界が全体として1つの国のような存在になるから、そのときには国の構成はそれほど重要な意味を為さない時代を迎えることになる。そのときの国とは、その構成員たる人民の自由な意志によって、国が構成され、如何なる国といえども、その力によって強制されるべきではなく、また強制すべきではない。これを保証することは地球防衛軍の基本的な任務であり、目的である。すなわち国家とは、全ての人民のために存在するのであって、如何なる人民も犠牲にしたり、強制したりしてはならないのであって、人民は国家に対して不満を有するときには自由に望む国家を構成できるものと考えよう。歴史上武力によって成し遂げられた所謂独立戦争は、平和な民主的な自由な意志によって、今後は自由に独立を認めていくべきである。国際機関が このように自由な国家を構成する権利を 全ての人間に基本的な人権として生存権ともに保障することを求めます。みなさん、これは決して難しいことではなくて、世界全体が日本国のようになり、国々が日本国の都道府県のようになればよいのです。このような世界を実現させ、暴力のない世界をつくり、世界の愚かな軍事費を 美しい世界の営みにまわそうではありませんか。
以 上
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